市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

黒木究 作品「潜空服」のロマン2

2006-02-16 | Weblog
 この魚の「潜空服」は、県美術館の展示室には適してなかった。
天井の高い、白い壁が洋館の箱の中のような空間では、観客の視線
を集めるには小さすぎた。手に取り、覗き込み、作者と話すること
で作品が生気を発するのだが、展示室がそれをさせなかった。何十
億かけた美術館だからといって、どんな美術品でも展示できるとは
かぎらないのである。ハードはハードでしかない。

 この魚の「潜空服」は、そのアイデアの奇抜さよりも、かって
人は、日常品も機械をも手でつくったという記憶をよびさまして
くれる。そして、素材も自然の資源である。その温かみがかんじ
られる。こういう品物で、世界が出来上がっていたという事実は
今思うとまさに驚異的な世界だったのだ。

 ぼくは10点ほどのこの作品によって、周りにはプラスティックと
コンピュータ制御の工作機械で、大量生産されたものしかない世界
にあらためて気づかされる。潜空服とは、会話ができるが、デジタル
カメラ、携帯電話、化学繊維の衣服、コンピュータデザインの本など
など日曜品と会話など必要もないし、会話も起きない。品物と人は完全
に分離している。日曜品とも人とも断たれた不コミュニケーションの
世界を生きているのを再確認できるのである。


 そういう世界に出て行くには、何か体をおおう潜空服がいるのかもし
れない。

 黒木究さんは本職の看板製作を、このために何十日も放棄したと聞いた。
どうか、この作品が売れて欲しいものである。売れなければ、作品は、すぐ
にも製造停止の運命になるであろう。こんな芸術作品こそ、世界に潜入して
行って欲しいのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒木究 作品「潜空服」のロマン

2006-02-15 | Weblog
黒木 究(キワム)さんが、喫茶店「ウイング」のカウンターで取り出して見せたのが写真の作品である。魚の潜水服という。空気中に行くので「潜空服」だそうで笑えた。しかし、笑うよりもなによりも、潜空服のなんとおしゃれなことかと、
魅了させられた。そして現実感がある。昔見た実際の潜水服が、夢のように再現されてくる。たしかに目の周りには保護の格子、ねじでとめる思い頭部、空気を通すパイプ、ごわごわした被服と、「海底2万哩」のシーンのようなロマンが漂う。

 この銅版の頭部はねじを緩めて脱着可能である。細かい部分にねじを受ける軸がハンダづけされている。水中眼鏡とその格子、各種のパイプが作られハンダづけされる。そして正確に頭部と胴部が合体できる。ごわごわの外被も布を裁断し、ミリ単位で縫合し、捻りを抑えて糊付けしていったという。どの部分をとっても気の遠くなるような手作業で、進められる。

 そして、驚いたのは、鯵や飛び魚、平目と魚にあわせるのに、魚類図鑑では役に立たなかったという話であった。図鑑では目の間の開きも頭部での位置もわからなかったし、体の鰓の位置、その厚さ、カーブもまったくわからない、港や魚家さんに行って手に取るしかなかったというのである。言われてみると、まことにその通りで、魚類図鑑を見れば魚はわかる思っていた認識法の虚を疲れた思いだった。

 カウンターでこういう話を聞きながら、この鯵の潜空服を飽きずみつづけたわけだが、去る2月7日から12日まで黒木さんの5人の造形作家の第7回「アルテ デ
シンコ」展『県立美術館)に出品された。その会場での印象であるが・・・あそこではもったいない。以下次回に。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森山大道 ブエノスアイレス

2006-02-13 | Weblog
 昨日、宮崎県立美術館で森山大道ブエノスアイレスの写真をみた。森山さんは昔見た同市の写真を見てから、長年思い憧れる街だったと述べている。実際の街も自分が抱いたイメージどおりだったという。その撮影された写真をみて、ぼくもブエノスアイレスに抱いたイメージを満足させられた思いがした。
 
 もちろん、これは現実のブエノスアイレスではなかろう。観光案内でみる繁華街「フロリダ通り」や、世界一の道路幅という「7月9日通り」など、東京や札幌と同じ新開発の都市でもある。そしてその中心市街地に観光客が往来している。
 
 イメージ通りだったのは、森山さんが郷愁の街を撮影し、切り取ったからだ。まだまだ人の手触りやぬくもりがふんだんにある街である。人間くさい、人と人のふれあいが濃密な界隈であった。水溜りがあり、落書きがあり、野良猫や野良犬が座り、露天市場や路地,市場とどこをみても、昔見た生活した街の雰囲気が漂う。それはぼくにとっても、だれにとっても懐かしい風景として重なる。

 撮影現場は、繁華街や官庁街でなく、忘れられたような低所得者層の地区のようである。しかし、この地区にこそ、ぼくらの心を揺すぶる街があることがすばらしい。六本木ヒルズや東京都庁ビルを見て、心ときめかす人間がいるだろうか。森山氏の写真、畳一畳ほどの大きさもあって、その光景に吸い込まれるような快感を覚えた。

 それはたんにノスタルジーを感じるだけではなく、人間にとって必要な都市とは何かを例証しているからであろう。都市にとって「過去ほど未来である」という森山氏の言葉が思い出される、そして現在ほど過去である。つまり出来たとたんに人間とは相容れぬ終わった産業廃棄物である。個人の役に立たぬ人間疎外の要因でしかない。わが町でいえば、県文化公園、再開発された上野町、末広町、大淀河畔、公立大学周辺、ヨットハーバーなどである。ブエノスアイレスの写真の郷愁は、過去に帰ろうというのでなく都市への批評精神である。その魅惑である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こだわる 白黒写真

2006-02-10 | Weblog
 こだわりは、価値観への執着である。自分勝手のこだわりなら、単に変人である。森山さんの白黒写真へこだわりは、かれの写真がその執着を価値あるものにしている。こだわりは、森山さんの批評意識であろう。それは、大勢とは違う、その
反対である。右向けといえば右向き、新聞・テレビのいうことなら素直に信じて疑うことをしない意識とは相容れない、そこに魅力を感じる。

 岩波写真の「日本の写真家 27」は「森山大道」で、初めて宮崎市立図書館で借りた。表紙に一枚の犬の写真が出ている。青森・三沢で1971年に撮影されたものであり、世に「三沢の犬」と有名になった写真である。

 犬の写真といえば、愛玩されるペットの抱きたくなるような写真や、テレビ映像ばかり見慣れたぼくにとって、衝撃的写真であった。立ち去ろうとする野良犬がなにかで立ち止まって、振り返った一瞬が撮られている。わずかに牙がみえ、目はするどくなにかを凝視している。強烈な生きる意志があり、その意味では、まさに知性を感じさせる独立した犬である。しかし、荒れた皮膚,垂れた尻尾、傾く体には言い知れぬ悲しみと不安、苦痛もまざまざと感じさせる。この一匹の犬にとって、世界は、生きぬべき荒野であり、また容易に生き抜けぬ不安な世界である。それは71年代でなくとも現在でもきわめてリアリティがある。その犬こそ森山大道の思想でがないのか。

 かれは犬を通して、人間と世界の関係を明らかにしたといえよう。「横町や路地が無くなったらどうしますか」とうような質問は、彼の写真を知らぬものの無知なをさらけ出した問いであったわけである。街の姿などが、撮影の対象ではなかったのだ。

 この馬鹿げた質問に、森山さんは丁寧に答えられたのである。これはかれの可能性を示していることであろう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白・黒写真

2006-02-08 | Weblog

 森山大道講演で、忘れられない発言がもうひとつあった。森山さんは終始もの静かな話ぶりだったが、ここだけはやや挑むような強い調子だったのが印象的であった。

 私がこれまで感動した

  写真は

 白黒の写真だけだった  
 

 言われてみると、写真では思い出せないが、映画でいえば「第3の男」「カサブランカ」「灰とダイヤモンド」などなど、これらがカラーだったら、あれほどの感動は生まれなかったと思える。白・黒であるがゆえに、人間像に集中できるのであろう。現在見れば、各シーンはきわめて人為的に加工された映像であるが、白・黒であるがゆえに吸引される。だからといって白黒万能ではない。「風と共に去りぬ」が白黒ではあれほどのインパクトはなかったろう。また「オーケストラの少女」がカラーであったら、もっと楽しい映画であったろう。つまり、白・黒であろうが、カラーであろうが、良いものはいいし、悪いものは悪い。だから、森山さんのこの発言は、かれの強いこだわりをあらわしているのだ。

 いったいなぜ、写真において、彼はここまで、

こだわっているのだろうか。またこのこだわりこそ、かれの魅力なのかもしれない。 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デジタルカメラ

2006-02-07 | Weblog
 ドキュメント展の隣室で、デジカメを愛好するグループの作品展が開かれていた。僕も今ではデジカメしか使用しなくなったので、興味を引かれて展示室に入ったみた。
 
 どこまでフィルムの一眼レフに追いつけるのかと期待して入ったところ、さにあらず、コンピュータ処理された作品の映像展示であった。しかしそれは、デジカメだけの特技ではないのだ。だがフィルム写真をこれほどコンピュータ処理することはふつうはありえない。デジカメでは、写真加工のアプリケーションソフトが、スムーズに使える。そのことが、デジカメ写真をコンピュータ処理したくなるのか。

 その結果生み出されたデジカメの写真作品は、僕にはコンピュータグラフィックとしか感じられなかった。確かに意表をつくデフォルメ、色彩変換、組み合わせ、
拡大縮小、抽象化などなどさまざまの、もはや写真とはいえない映像作品が並んでいた。

 その前に立って見ると撮影された対象が、霧散して、現れたものは、まさにグラフであった。そのグラフは、人間の手でなく、パソコンのアプリケーションソフトで作られたものじゃないかと、感じてしまうのだった。写真特有のドキュメント性、記録性、事実性が感じられなくなっていた。
 
 なんか空ろなものなのだ。一見、この世にないようなメージが創造されたように思う人がいるかもしれない。しかし、自分で写真をソフトを使って、加工していくと、これらのイメージもソフトの処理能力に縛られる。映像の可能性は、ソフトの値段次第で大きくなると、実感できる。同じソフトで加工していると、やがて、やってもやっても、ありふれたものの域をぬけだせないということに気づいてくる。

 映画もアニメもそのようになってきている。どんどん実在感が感じられなくなり作りものに、むりやり付き合わされていくような不快感をおぼえる

 僕はこのデジカメ展をみて、デジカメの落とし穴をみたような感じがした。そしてまた、写真とはなんなのだろうと考えざるをえなかった。つまり、写真が実在を
写すこととはなんだろうかと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森山大道講演会 2

2006-02-06 | Weblog
 率直に言えば、あなたの撮影できる街は消滅していくのではないかという僕の質問に対して、森山さんは思いがけない解答を述べた。 

どの街も画一的な風景になってきた。都市開発のためであるが、昔に戻るというノスタルジーは意味が無いというのである。街は均質化されていくが、どんな街になろうと、そこで人間は生き続ける。その限り写真は撮り続けるというのだ。  

 この発言を聞いたとき、僕は、彼の写真を郷愁とか、懐かしい風景とかの視点だけで、見るのは間違いだとわかったのである。街を撮るというかれの行為は、街を風景としてでなく、如何に生きるかという人のあり方として撮るのだと思うと理解できる。そのとき、かれが何気なく述べた「野良犬が街を歩いているように」という言い方が思い出された。そう、野良犬は、街をどうするとか、街づくりとは無関係な存在である。その街を生きるのである。どんな状況になろうと生き抜く。その野良犬のような存在を、かれは美として撮影するというのではないのか。  

 それはきわめて局外者的な視点であり、きわめて自由な生き方である。現代資本主義社会から離れた生き方である。負け犬、勝ち犬という視点では捉えられぬ世界が表現される。そんな思いがしだした。外面の大人しさとは、まったく別のアウトローのタフさこそ森山大道であったのかとわかりだしたのである。  

 実際の写真はまだ見てない。近日中にドキュメンタリー展で、ブエノスアイレスを見てみよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森山大道 講演会

2006-02-05 | Weblog

 森山大道「Buenos Aires(ブエノスアイレス)」第6回「ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎」招待企画会場:宮崎県立美術館県民ギャラリー2 

  会期:2006年1月31日(火)→2月12日(日) 10:00~18:00(最終日は16:30まで)入場料:500円(高校生以下無料)

 作家講演会 2月1日(水)) 宮崎県立芸術劇場イベントホール

 森山大道という写真家を僕はまったく知らなかった。ただ、ドキュメント展のチラシを見て、街を撮るという作品活動に関心を覚えて講演会にやってきた。その写真からみて、強い存在感をもつた強烈な個性の芸術家を想像したが、ステージに現れた森山氏は、控えめで、礼儀正しく、けれんみのまったくない人柄を感じさせた。写真部だとう女子高校生の質問にも、同じ目線で懇切丁寧に、街で人物をスナップするコツを説明しつづけるのをみていると、なんともいえない素朴さ、率直な、どこかユーモアをただよわせる人柄に引き付けられた。

 会場で投影されたスライドの写真を見ると、路地、横町、提灯、アスファルトの水溜り、影の街角などの情景が多く、失われた懐かしい風景を感じさせるのであった。自分は街が好きで、それも日本の街が好きで、飽くことなく40年近く撮ってきている、犬が街を彷徨うというか、そんなものですかねと、街とのかかわりを話された。話はごく短く、質問に答える形で展開したいということになった。質問がでるだろうかと思ったところ、若い人たち、とくに女性が、つぎつぎと質問にマイクをとりだしたのに驚いた。森山さんには若いフアンがかくもいたのである。ぼくも臆する心を抑えて、質問した。

 「宮崎市は40年間で、まったく変わりました。その結果は、のっぺらぼうの均質な

市街です。今、市内で写真撮ると、秋田市とも高崎市ともかわらぬ風景に見えます。路地も界隈もなくなり、個性も消えてきました。そうした変化は、日本のどこでも生じていますが、あなたは、このことで焦りと焦燥感はありませんか?」

 つまり郷愁も哀愁も街で撮影することが、できなくなるんじゃないかと。これは、残酷な質問ではなかったのかと、ふと質問しながら不安でもあったが・・。

 ところが、質問を受けた彼が、とつとつとしゃべりだしたことは、予想もしなかった内容であったのだ。そうなのか、そうだったのかと、ぼくはうろたえたのである。やはり、人は見かけによらぬ、つまり森山さんの強烈な内面を知ることになったのである。

 それはなんだったのか、明日以降に書きます。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホリエモン あぶり出し

2006-02-04 | Weblog
  六本木ヒルズの森社長は、その開発について自画自賛し曰く「通勤に貴重な時間やエネルギーを費やすのではなく、都市に住み、都市の多彩な機能を上手に使いこなして、自分らしい生活スタイルをデザインする時代の到来です。それはまた女性や高齢者の社会参加の機会も増やすでしょう。」と。

 また2002年4月のその上棟式には、小泉純一郎内閣総理大臣、平沼赳夫経済産業大臣、竹中平蔵経済財政政策担当大臣、石原伸晃行政改革担当大臣、森喜朗前内閣総理大臣などが出席、森氏を絶賛し、森氏の持論である都市再生のために尽力することを誓った。

 で、その賃貸料を覗いてみよう。本日付mori living home page
 
アンファニッシュドタイプ (家具なし)

ベッドルーム数
面積 m2
賃料
間取り図


1 BR
78.26-94.09
600,000-790,000/月


2 BR、2BR+S
94.09-184.09
700,000-1,850,000/月

3 BR
151.50-270.08
1,150,000-3,000,000/月


4 BR、4 BR + F、4BR+S
238.71-364.03
1,800,000-5,500,000/月

これで見ると、ホリエモンの賃貸料でもせいぜいBクラスじゃないか。毎月500万、なにが自分らしい生活スタイルをデザインする時代の到来です。それはまた女性や高齢者の社会参加の機会も増やすでしょうかだ!この口をぬぐったような都市開発論が一般論として政府や行政で絶賛された。まさにダーティである。

 金持ちがどんなタワーを建てて、そこに暮らそうとしったことじゃないが、これが文化だ、都市だと一般化されることに怒りと不安があった。しかし、そこをどう
あぶりだすかは、ほとんど不可能に近かったのだ。ところが、ホリエモンがあぶりだしてくれた。ここはヒルズ族という金持ちたちの巣だと、そのダーティイメージはもう拭えなくなった。この開発が、文化でも理想でもないと、イメージ化することが可能になった。地上げで無理やりここのマンションに住まざるを得なくなった元の住民には気の毒であるが、六本木ヒルズは、「金持ちによる、金持ちのための
金持ちの」ヒルズというイメージとなった。これはホリエモンの貴重な遺産であろう。もはや民衆はだまされずにすむ。

 ほんと、彼が世界一の企業資産に達するまで活躍させていたら、もっといろいろのことが、焙り絵のように浮き出てきたのではなかろうか。惜しい!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホリエモン 磔刑

2006-02-02 | Weblog
 ホリエモンの「法律で禁止されていなければ何をしてもいい」という発言は資本主義社会の当たりまえの現実を語ったに過ぎない。「社会的影響や真実などどうでもいい、金さえ儲かれば何をしてもいい」「人の心も金で買える」が、今年の日本社会の真実である。「マトリックス」という映画があったが、主人公ネオのグループを除いて、人々はコンピューターに大脳をエネルギー源として奪われ、代わりに楽園のバーチャルリアリティ・イルージョンを与えられて、生きている。ホリエモンは、このイリュージョンをぶち破って、いっしゅん真実を垣間見せた。その提示の仕方は教科書以上にわかりやすい。

 「いいんですよ、(そういうことは)みんな興味ないんですから。興味ないことをわざわざ大きく扱おうとすること自体が思い上がりだと思うんです。」ここでそういうこととは、イラクの問題だが、彼は、新聞・テレビでどれが大事かは、真実とは関係ないと言っている。大衆が欲するものをである。まさにそうであるのを、自己逮捕後のテレビ・新聞が見事に実証してみせた。

 武部や竹中がホリエモンは「私の弟です。息子です」と絶叫したのは、すばらしい真実であったのだ。もっとも若き信長を自認するホリエモンにとっては、日向の田舎大名に、思いもしなかったわが弟、息子と言われて魂消た表情だったが。

 石を投げてホリエモンを撃つやつ、鞭を振るうやつは、方向が反対である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホリエモン 下痢

2006-02-01 | Weblog
ホリエモン叩きの一週間、その金曜の夜から突然の下痢が始まった。土曜に点滴して、抗生剤や消化剤を飲み、月曜には症状は沈静した。昨日、昼食後、ただちに点滴したら、夜は興奮状態で午前3時まで眠気がこなかった。ホリエモンの週刊誌見出しは、理性の下痢であり、くそまみれの感情の脱糞ではないか。さすがにニュースウィークは、日本の現実をとらえようとしていた。

ライブドアだけが悪いのか-日本中熱狂させた堀江を世界はこう見てる ニューズウィーク 2006/02/01
閉ざされる改革ドア-異常なまでのライブドア叩きはこの国の問題隠す ニューズウィーク 2006/02/

 日本の週刊誌にわずかに週刊現代や、意外と文春に政治・社会の問題として扱った記事もあったが、ほとんどは、嫉妬と願望に発する恨み、いわゆるルサンチマンの噴出である。週刊朝日は、写真誌フラッシュ並の煽情記事が噴出している。これはおどろきである。こんな記事やテレビ、新聞をぶっ通しみていると、ホリエモン問題は、悪党堀江貴史一色に染め上がり、それ以外の色があることが感じられなくなる。ホリエを監獄にぶち込め、破産させろの感情が正当化される。

 そしてルサンチマンは解消、消化されて幕が下りる。そしてつづきはと、

 ホリエモン帝国の崩壊/東京地検が次に狙う<ヒルズ族> 週刊現代
                           2006/02/04

 となる。まだ、ヒルズ族があるぜよと・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホリエモン3

2006-02-01 | Weblog
ホリエモン叩きの一週間、その金曜の夜から突然の下痢が始まった。土曜に点滴して、抗生剤や消化剤を飲み、月曜には症状は沈静した。昨日、昼食後、ただちに点滴したら、夜は興奮状態で午前3時まで眠気がこなかった。ホリエモンの週刊誌見出しは、理性の下痢であり、くそまみれの感情の脱糞ではないか。さすがにニュースウィークは、日本の現実をとらえようとしていた。

ライブドアだけが悪いのか-日本中熱狂させた堀江を世界はこう見てる ニューズウィーク 2006/02/01
閉ざされる改革ドア-異常なまでのライブドア叩きはこの国の問題隠す ニューズウィーク 2006/02/

 日本の週刊誌にわずかに週刊現代や、意外と文春に政治・社会の問題として飲み方もあるが、ほとんどは、嫉妬と願望に発する恨み、いわゆるルサンチマンの噴出である。週刊朝日は、フラッシュ並である。こんな記事やテレビ、新聞をぶっ通しみていると、ホリエモン問題は、悪党堀江貴史一色に染め上がり、それ以外の色があることが感じられなくなる。ホリエを監獄にぶち込め、破産させろの感情が沸騰しつづける。

 そしてルサンチマンは解消、消化されて幕が下りる。そしてつづきはと、

 ホリエモン帝国の崩壊/東京地検が次に狙う<ヒルズ族> 週刊現代
                           2006/02/04

 となる。まだ、ヒルズ族があるぜよと・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする