熱中症予報というのを行政は流すというが、インフルエンザじゃあるまいし、用心に越したことはないが、暑さに対して萎縮し、ひたすらクーラーに依存するだけでは、夏は耐え難い季節でしかなくなるだろう。
昨日は、2週間ぶりに新富町までふたたびサイクリングした。一週間の快晴・猛暑がつづいたので、空気は乾燥し、また海からの風がすずしくなってきた。
思ったとおり、7月16日のときと比べて、暑さはほとんど何の問題もなかった。帰途は、またもや午後1時から2時半までの炎暑の道路であったが、こんなとき一番耐え難いのは、そばを疾走する自動車の流れた。たたきつけるような警笛を浴びせる乗用車もある。このアホ、なんで自転車でここを走ってるんじゃという怒号として。
たしかに炎暑の午後2時前後は暑い。だから耐え難いわけではない。むしろ耐え難いのは、こういう人の与える苦痛である。もっともぼくも車道上で運転手に不愉快という苦痛を与えているわけだ。舗装の悪い自転車道は走れないので。
つまり炎暑の夏という自然には、苦痛もじつはない。やりようによっては快楽となる。一番の苦痛は人間によってもたらされる。人こそ諸悪の根源ではないか。
昨日は、2週間ぶりに新富町までふたたびサイクリングした。一週間の快晴・猛暑がつづいたので、空気は乾燥し、また海からの風がすずしくなってきた。
思ったとおり、7月16日のときと比べて、暑さはほとんど何の問題もなかった。帰途は、またもや午後1時から2時半までの炎暑の道路であったが、こんなとき一番耐え難いのは、そばを疾走する自動車の流れた。たたきつけるような警笛を浴びせる乗用車もある。このアホ、なんで自転車でここを走ってるんじゃという怒号として。
たしかに炎暑の午後2時前後は暑い。だから耐え難いわけではない。むしろ耐え難いのは、こういう人の与える苦痛である。もっともぼくも車道上で運転手に不愉快という苦痛を与えているわけだ。舗装の悪い自転車道は走れないので。
つまり炎暑の夏という自然には、苦痛もじつはない。やりようによっては快楽となる。一番の苦痛は人間によってもたらされる。人こそ諸悪の根源ではないか。