市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

熱中症予報

2006-07-31 | Weblog
 熱中症予報というのを行政は流すというが、インフルエンザじゃあるまいし、用心に越したことはないが、暑さに対して萎縮し、ひたすらクーラーに依存するだけでは、夏は耐え難い季節でしかなくなるだろう。

 昨日は、2週間ぶりに新富町までふたたびサイクリングした。一週間の快晴・猛暑がつづいたので、空気は乾燥し、また海からの風がすずしくなってきた。

 思ったとおり、7月16日のときと比べて、暑さはほとんど何の問題もなかった。帰途は、またもや午後1時から2時半までの炎暑の道路であったが、こんなとき一番耐え難いのは、そばを疾走する自動車の流れた。たたきつけるような警笛を浴びせる乗用車もある。このアホ、なんで自転車でここを走ってるんじゃという怒号として。

 たしかに炎暑の午後2時前後は暑い。だから耐え難いわけではない。むしろ耐え難いのは、こういう人の与える苦痛である。もっともぼくも車道上で運転手に不愉快という苦痛を与えているわけだ。舗装の悪い自転車道は走れないので。
 
 つまり炎暑の夏という自然には、苦痛もじつはない。やりようによっては快楽となる。一番の苦痛は人間によってもたらされる。人こそ諸悪の根源ではないか。
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ウイング再開

2006-07-30 | Weblog
 昨日、土曜7月29日、快晴・猛暑の午後2時、ウイングで、4人で集まって雑談した。そのとき、8月1日(火曜)から再開ということになった。彼女の体調はまだ十分でないので、飲み物に限定、昼と夕方を中心に営業再開することになる。どうか
このニュースをまわりに知らせてほしい。

 宮崎市は一週間以上の快晴・猛暑がつづいている。すべてが煮えたぎる一日がはじまる。しかし、梅雨時の晴れ間よりはるかにしのぎやすい、まず、乾燥して海岸からの涼風が吹くからである。アメリカ西海岸に夏にきわめて似ている。日本では一番しのぎやすい土地ではないだろうか。それでも、誰もが暑い暑いと挨拶だ。

 暑さをしのぐには、立ち向かうのが一番だ。僕にとっては、自転車、50.60キロくらいのサイクリングがある。あるいは、デジカメで市街を写真とってまわる。これはあっという間に時間がたつ。うまいものを食う。うな丼でなくうな重、とんかつならヒレ、さいころステーキでなくステーキ、700円のランチでなく1000円のランチ、夏は食い物に小遣いのほとんどを費やす。

 それと日曜などは屋の掃除もいい。全室、家具、ベッド、机・椅子も移動して掃除機で掃除する。一時間半くらいかかる。その間は暑さを感じない。後、水でシャワーを浴び、そのまま、外へ飛び出す。堤防の木陰で本を読む。もしくは映画館で昼ねする。喫茶店で本を読む、夕方には涼風が吹き、暑さは過ぎている。こんな具合。
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冷房なし

2006-07-28 | Weblog
 ぼくが昼間いる部屋は、24畳のコンクリート床、板壁、天井高7メートルのギャラリーで、海岸まで一㌔弱、だから普通の部屋よりかなり涼しい。で、冷房は入れない。ぼくはなれてしまっているのだが、来客者は耐え難い感じなので、そのときだけは冷房を入れる。壁に向けた扇風機の反射してくる風だけである。

 この冷房なしで過ごすのは、慣れてしまえば、快適なのである。まず暑さから逃げ隠れしていないということが救いになっている。炎暑・猛暑といっても茹で釜の中状態ではないのだ。空間的にも時間的にもいたるところに涼気が流れているのだ。朝は8時頃までは涼しいし、たそがれ時の涼風は、すばらしい。日中でも風も
わずかな日影も水を浴びたほどのフレッシュさを感じさせる。

 冷房では、クーラーまかせの暑さしのぎであるが、扇風機の間接的な弱い風だけで過ごしていると、涼の取り方がうまくなる。ちょっと気分転換に外を自転車で走ってくるとか、部屋を出て、屈伸して風に当たるとか、そのたびにリフレッシュできるのだ。絶え間なく体が細胞が外界に積極的に働きかけている感じである。

 したがって行動が軽くなり、水がうまくなり、食欲が衰えない。猛暑も炎暑もサイクリングするときの坂道を乗り切るような楽しみとなる。こうして夏は親しめることにもなる。

 そうであれば、毎日は無理でも週に一日でも冷房なしに日を設けて体験されてはどうかと思う。そしてなにより学校は冷房なしでいいのでないかと思うのだ。子どもたちは、その環境を見事に乗り切る体力、適応力を持っているはずだ。

 子どもの心身の能力が、冷房とテレビで閉じ込められているのではなかろうか。
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夏のこどもたち

2006-07-27 | Weblog
 朝のチップの散歩で、小学3年と2年の姉と弟がチップに声をかけた。どこにいくのというと「フランドール」(パン屋)という。朝ごはんのパンだ。朝は他に何が出るのときくと、ぱんだけだよと答える。味噌汁は、ないない、牛乳は、ない、ヨーグルトは、ない、野菜はないの、ないないない、お茶だけよ。と明るい返事だ。

 そうか、やっぱり若い母親が、朝食のあれこれと準備する時間も体力、気力もないのは、当たり前なのかと思う。パンだけの朝飯か。孫は、ソーセージの挟まったパンを食いながら自動車から降りてくる。野菜はと、次男にどなると、野菜ジュース飲んでるよと、答える。今朝は、からあげとパンだけだったようだ。

 夕方保育園が終わる頃から、またあの愚劣な子ども番組が、午後4時から7時間で垂れ流しになる。とくに夕食準備ときのジョーキマホンズとかスチーム何とか、砂利タレをぎゃーぎゃー騒がせるゲーム番組がつづく。ぼくはその時間は、孫を保育園の隣の公園で、サッカー、ボール投げ、フリスビー、木登り、鉄棒と一時間ほど一緒にやっている。そして、NHKの馬鹿番組の終わるころに帰宅、二人で風呂を浴びる。こうして、毎日、な番組に孫が晒されるのを防ぐのだ。

 暇も体力も居る。仕事に余裕があるからこれが出来るのだが、労働に追い立てられ管理体制で息もたえだえの多くの若い夫婦たちは、どうしようもなく、こどもは野菜抜きで、ぎゃーぎゃーテレビに魂を奪われる。この現実を帰るのがNHKの役目だろうが、反対のことをやっている。
 
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朝そうそう

2006-07-26 | Weblog
 一日が始まる朝そうそう、不愉快きわまるさまざまの情報のシャワーを浴びる。みなさんはいかが。今日は、宮日紙の自分史のことで、前の松形知事の分で、県立図書館の自画自賛ぶりについて、「本当や?」と質問を受けた。読んではいないが、話からして、まったく勘違い無知に加えて、自己顕示欲のでたらめだと言うことが出来る。たとえば世界中の教科書を集めた!!これで全国からの研究者も訪問し、環境にも一役買っていると・・・・ばかばかしくてお話にならぬ話。教科書は、一国だけでも数千冊、数百種の膨大な資料である。収集できるはずはないのだ。

 それと、そんな収集は意味もない。だれも読めない。2年ほど展示会があったが、たちまち廃棄本同様、書庫の一角を占有している。税金の無駄使いだった。また、知事は県立図書館の建物は、ギリシャ神殿の円柱が見事と賞賛する。あんな柱は、公立大にも宮崎学園高校、それに県福祉事務所、保険所、そしてモナコパチンコ本館、そして清水町のしがないアパートと採用される通俗的なこけおどしの装飾柱で、意味もない。
 
 前回の森和風の自画自賛もこっけいきわまるものであったらしい。もちろん読む気もしなかったが、何人もの人から聞いたが、きくたびにあきれる文化人の猿芝居、裸の王様ぶりだった。ほんとにいい高齢者になってまだなまぐさく自己に執着するとは、自己はないのだろう。死ぬのが恐ろしいのだろうか、情けない話。

 いやな避けないといえば、こんなものを次々と連載してなんら疑問もない編集意識こそ最悪ではなかろうか。

 さいわいなことにぼくのまわりの若者は、だれも新聞を読んでないのが、何よりも救いである。
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イオン賑わい

2006-07-25 | Weblog
 イオンもオープンから一年2ヶ月を経過したが、予想通り、集客力は衰えていない。ソシテ、今は中高年の街という感じが、とくに昼間はする。そして、いつも車椅子のお客がいることである。とくに炎暑の外に比べて涼しく、タリーズコーヒーや、アイスクリームキヨスクに屯する老若男女がいい点景をなしている。
 
 中心市街地には、こうしたくつろぎの場がないのだ。とくに車椅子での街歩きなど見たことも無い。またゆったりとくつろく広場も日影もコーナーもない。障害者や高齢者、いや市民に役に立つデザインがないのだ。

 宮崎市街のデザインとは、ハードの、ハードによる、ハードのためのデザインでしかない。「ハード」に公共施設、行政、景観とうことばを入れ替えてみてほしい。日影のない交差点、人のあるかぬ自転車禁止道路、段差が隔てる歩道と車道、
看板、標識、役にたたぬ日豊線駅前高架、公園ベンチ、県立文化公園広場などなど
いたるところに生活無視、人間無視のデザインであふれている。

 イオンはたしかにバーチャルリアリティの街であるが、炎暑で多くの人が楽しめる。だから賑わいはつづくのだ。法律で禁止するとかなんとかでなく、こうした街の本質を街中に実現するのが先決ではないだろうか。
 
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ひさしぶりに ウイング

2006-07-23 | Weblog
 土曜は朝から強い雨が降り止まなかった。それでも午後2時、ひさしぶりにママのいるウイングが開いた。といっても数人でケーキと、広子の淹れるコーヒーで
45日ぶりに喫茶店らしい雰囲気を楽しんだ。彼女も健康そのものに戻っていた。なにより根性がもどった。つまり明日は明日の風が吹くの屈託の無さ。これがいい。

 それにしても気の会う仲間とは、実に楽しい。シーガイアは2300億の施設だが、1人で入っても楽しくもなんともない。今、目の前にいる友達は、一緒にいるのは開設費も維持費もかからず、それでほぼ完璧なエンターテイメントをもらえる。いかにハード施設がナンセンスなのか、どうしてわからんのだろう。あいかわらずのハードオンリーの街づくりに精を出す、宮崎市である。

 そして、界隈の街は消え、商売の場は破壊され、馬券売り場、競艇売り場、やがてカジノ。そして、基地や原発というようになっていくだろう。街は崩壊する。

 これはかなり確率の高い予測とおもうけど。
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犬も走れば・・?

2006-07-21 | Weblog
 さてサイクリング二日目だが、ここでちょっとニュースを。連休明け火曜日の朝、ウイングママは県病院より退院、「監獄から開放された気分いかが!」との
問いにうれしそうな開放感が伝わっていた。そこで、明日土曜午後2時ご店に出てきてわれわれと、だべろうやということになっている。

 サイクリング二日目は、午前中に終わるように、午前9時14分、国富に向かった。上はTシャツからチャコールグレーの綿の長袖に変え、ソックスもはいた。ただ午前中といっても、涼しいわけではなかった。炎暑であることにはあまりかわりはない。

 市役所近くのコンビニで、ドリンクを一本買った。「氷晶」と涼しげなペットボトルだ。さっそく栓をとって口にもっていたら、なんと氷であった。そのため、溶けるのを待って、走るのをやめて、二口か三口をごくりごくりと飲みこむのだ。この美味さがたまらない。そこでたえず渇きつづけ、その渇きを満たすために、ただ走って行く。

 一本の樹木の影、標識の落とす影、作業中のトラクターの影と、堤防上の日影がみつかるたびに、ごくりごくりと飲む「氷晶」だった。

 そのうち、休憩所があり、そこで一挙に渇きを満たすために、「氷晶」をコンクリートの上に放置、足を水道で洗い、体を拭き、携帯のタイマーを15分に設置、ベンチで横になった。涼しい風、ここちよい疲労感、風の音のみだ。
 
 こんどはかなり飲めた。そのままトム・クランシーの「ネットフォース」というコンピューター・テロのSFを読み出したら、12時5分になってしまった。国富の丘は8キロほど先に見えるが、ここでひきかえすことにした。

 疲れは回避できた。炎暑下のサイクリングは、じつはいたるところが至福の空間になる。一本の電柱の影さへすばらしい癒しとなる。ごくりの一口の水も。

 苦あれば、楽あり、じつに単純明快だった。これで連休も終わった。
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カキ氷 サイクリングつづき

2006-07-20 | Weblog
 うな重のランチのあと、体力も充実感があり、濡れタオルのクーラーもさらに効き、爽快だった。
 
 だが、時計が12時を回ったころから様相がいっぺんしてきた。つまり午前中の暑さと午後の暑さは桁違いなのがわかってきたのだ。もう木があっても電柱があっても家があっても、ほとんど影が落ちてない。太陽は中天にあるからだ。地面はすでに何時間も熱せられ、さらに燃える日で燃え上がる。上からも下からも熱気がつつみこんでくるのだ。

 目がかずむほど明るい国道10号線沿いの、国富町は、役場前にもパルコ風な商店街も人の気配もなく、ほとんどの店もシャッターを下ろしていた。わずかにコンビにがあり、アイスクリームを買った。まるでビニール。帰りは10号線に沿った旧道を走り、途中でまた自販機よりアクエリアスを買う。500ccを一気に飲み干す。

 水にぬらして体温を下げていたタオルも乾き、マフラーに変わった。次はカキ氷と目当てに走っていくが、とうとう市民の森の手前にきてやっと「昼定」とかいたプレハブ棟のような食堂でありついた。カキ氷500円、高すぎる。おまけに満員、たかが、カキ氷一つに出されるまで二十分もかかり、赤ん坊は泣き喚き、外より暑苦しかった。
 
 カキ氷ならやはりジョイフルがいい。宇治金時、黒蜜黄な粉がけ、マンゴーなどすべて299円で、室内は広く、即座に出る。ジョイフルの傑作メニューである。

 午後3時17分、無事にスタート地点に帰りついた。とにかく過酷な条件で行動するときは、たとえカキ氷ひとつ食べるにでも判断をあやまると、心身の疲労はとれるどころか倍加するということがわかった。明日は慎重にやらねばと学んだ。




 
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7月15日から17日(海の日)3連休

2006-07-18 | Weblog
 
 下はテンセルの黒ズボン、 上は濃紺のTシャツ。裸足のままダンロップの安物の布製ウォーキングシューズ。カオ、両腕にアネックスのサンシールドクリームを塗り、無帽で、首に濡れタオルをまいた。小さなショルダーバッグを肩にかけ、ママチャリに似たロードランナーで、サイクリングに向かった。日曜、午前11時30分、山崎街道始点から国富町へ。快晴、無風、34度くらいの気温か。

 猛暑とは、なんなのかを知りたい好奇心抑えがたく、サイクリングを試みたのだ。しかし、怖かった。熱中症にかかるかもと。

 暑さ適応のため、毎日、10キロくらい午後1時から2時にかけて、ママチャリで走ってはきた。日中は冷房無しで過ごし、無帽で天満橋や平和台大橋を渡った。多分適応はかなり出来たと思うが、やはり新富往復50キロを午後1時から3時にかけてやるのは、不安ではあった。

 午前11時半、コップいっぱいの水を飲み、いよいよ山崎が移動を北へ走り出した。このコースは、市民の森前の500メートルほどの日影のほかは日影はまったくない。

 うだるような熱を予想したのだが、冷房なしの部屋にいるより快適であった。走れば風が流れ、そして首にまいた濡れタオルが体から熱を絶えずとってくれて涼しかった。100円タオルに水をかけたものがクーラーの働きをするのである。

 道路沿いには数百メートル置きに清涼飲料水の自動販売機があるので水分補給はまったく心配なしである。ではもっぱら走るのみと走る。目も眩むような平野の風景は、陽炎にゆらいで幻想的であった。走る、走る、快適さは申し分なかった。

 昼食を十分に食べるために水分はなるべく抑えようとしたが、顔にときどき首にまいた濡れタオルを当てるだけで、清涼感がひろがり気分は爽快になった。傍からみると、炎暑のなかの自転車とは地獄とみえるかもしれないが、じつは快適なんである。

 まもなく正午に近づく。一つ葉道路の出口近くに大きな立派なレストランがあり、看板ははげたままだが、「うなぎ」ののぼりがはためいていたので、立ち寄った。うな丼670円、うな重、ごじる付き900円、うそーと思うほど安い。そして、美味かった。

 いよいよ午後になった、これから実験は本格的になっていった。不快きわまる10号線の自転車道に入った。

 


 
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気分というもの

2006-07-15 | Weblog
 夕べから気分が悪く、不機嫌が、一晩つづき、朝6時に起き、さすがにこの時刻は通りも涼しい。チップを連れて散歩した。しかし、ますます気分は晴れない。

 朝食は、コーヒーを淹れ、微かな酸味のある「ブラジル」という宮田町コーヒー店の豆、これで少し気分が落ち着く。トーストにピーナツバター、くらし館で選らんだ日付のもっとも新しいヨーグルト。棚に並んだ何種類ものヨーグルトの各日付は、古いものと新しいものでは、じつに2週間の差がある。しかし、それは有効期間だが、その8月3日までというヨーグルトに、バナナを。それとレタス、きゅうり、トマトのサラダを少し。

 というところで、古いコーヒーが、開封したまま2袋のこっていた。開封したが、豆はすでに泡もでなかったので。およそ300グラムほどある。

 これを花壇や植木のそばに埋めることにした。

 埋め始めると、袋の一つに茶色い新聞のきれっぱしも付着していた。最後に袋をぐしゃぐしゃにして、捨てようとして、そのきれっぱしを伸ばしてみると、なんと
5000円札だった。どうして、なせ、しかし、まぎれもなく5000円だ。

 急速に気分が晴れだした。晴れまいとしても晴れだした。たった、5000円の
ラッキーによって。
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猛暑

2006-07-14 | Weblog
 昨日の暑さは、熊本、大分で36度をこえていたし、全国的に猛書で、熱中症で死者もでたと報じていた。その点、宮崎市は午後遅くからはしのぎやすかった。

 忙しいのに税金を納めに銀行に出向いた。ずーッと、思っていたのだが、なぜ銀行振り込みは出来ないのだろうか。わざわざ銀行に行って、カウンターに「平成18年度 市民税・県民税特別徴収納入つづり」の当月分と現金を添えて差し出す。

 ただし、その前にATMで、現金を引き出す。しかし、千円未満は切り上げるので通帳には税金額は正確に反映しない。これも不便だ。ソシテ恐るべきことは、このほかに税金支払いの備えつけ用紙に住所、氏名、電話番号、金額まで書きこみ、この一枚もそえねばならない。もし税金が何枚かになると金額の合計も計算しなければならない。これは、顔なじみになった行員さんが親切に同情して、書き込んでくれる。
 
 猛暑で忙しくて、税金とられるだけでも不愉快きわまるのに、なぜこれほど七面倒臭いことを要求されるのか。

 これもわれわれの日常感覚と相容れない。横断歩道の片方に歩道のステップ差を残したり、バイパス自転車道の出入り口の末端が階段だとか、大淀上流畔でプラモデルの飛行禁止・ゴルフ練習の禁止とか、その他いっぱい さらに駐車監視員制度のやみくもの実施とか、看板規制とか、全部同質の日常感覚の崩壊である。
 
 かくして暑苦しい夏が、いよいよ始まった。映画でもみながら座席で昼ねでもしようか。
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消える

2006-07-13 | Weblog
 今日は午前中、雨が降り続いた。昼前から上がると、気温も上昇して、まるで蒸し風呂の中にいるようになった。

 そういえば先週、宮崎駅に行ったら、100円ショップが消えていた。フレスタという構内市場の大半が暗い穴になっていた。ああ、また市街地の楽しみが、消えた。
 
 駐輪禁止を徹底するための民間委託を、全国でまっさきによろこんでやったのが宮崎市ではなかったか。「ハンドルの遊び」というきわめて実用的な仕組みが理解できない鈍重なやつらがこんな思いつきをするのだ。遊びがあるから、世の中スムーズに動くのだ。そのことさへ想像できない都市論者が、宮崎市行政に関わっているのだろうか。

 そして、小店、つまり街の香りが、一つまた一つと消えている。

 




 
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ウイング月曜

2006-07-12 | Weblog
 月曜平成18年7月10日、一ヶ月ぶりにウイングの店が開いた。ただし、娘の広子が臨時ママで、飲食物は持ち込み、会費は500円の常連の集まりである。午後一時半ごろ顔をだしたら、わいわいと部屋はにぎわっていた。カウンターには手作りの料理、ケーキ、清涼飲料、スイカなどが並び、みな上機嫌でくったくなく話がはずんでいた。来るのが遅いぞと声も飛んだ。封筒にずらりと記載された会費は、500円以上も並び、暖かい。

 そして、夜、孫の世話を節子に押し付けて午後7時半に駆けつけると、いっせいに主役が遅いよと叱られた。テーブルごとに3組に自然とわかれ、話が弾んでいった。しばらくして、広子がコーヒーを淹れようとしたので、やめさせて、ぼくが持参した新鮮な豆を挽いて、淹れた。美味いコーヒーは、気分を和らげ、そして高揚させ、まわりをハッピーに感じさせる。

 ということで、ママが復帰するまで何回か、店を開くことになる。名目は、締め切ったままでは、喫茶店として崩壊する。空気の入れ替えである。と同時に、ママに資金カンパをする。これで大家さんに了解を取ってもらうこと、そして、主催は広子がする。月曜の資金カンパは一日平均売り上げを少し越えた額になった。


 ママの肝機能障害の数値が月曜昼には、先週の半分に下がったと朗報があった。
この分なら、復帰は早くなるかもしれない。

 次回のオープン日は、7月24日、それまでにママがカウンターに立つことになるかもしれない。

 
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ウイング月曜

2006-07-12 | Weblog
 月曜平成18年7月10日、一ヶ月ぶりにウイングの店が開いた。ただし、娘の広子が臨時ママで、飲食物は持ち込み、会費は500円の常連の集まりである。午後一時半ごろ顔をだしたら、わいわいと部屋はにぎわっていた。カウンターには手作りの料理、ケーキ、清涼飲料、スイカなどが並び、みな上機嫌でくったくなく話がはずんでいた。来るのが遅いぞと声も飛んだ。封筒にずらりと記載された会費は、500円以上も並び、暖かい。

 そして、夜、孫の世話を節子に押し付けて午後7時半に駆けつけると、いっせいに主役が遅いよと叱られた。テーブルごとに3組に自然とわかれ、話が弾んでいった。しばらくして、広子がコーヒーを淹れようとしたので、やめさせて、ぼくが持参した新鮮な豆を挽いて、淹れた。美味いコーヒーは、気分を和らげ、そして高揚させ、まわりをハッピーに感じさせる。

 ということで、ママが復帰するまで何回か、店を開くことになる。名目は、締め切ったままでは、喫茶店として崩壊する。空気の入れ替えである。と同時に、ママに資金カンパをする。これで大家さんに了解を取ってもらうこと、そして、主催は広子がする。月曜の資金カンパは一日平均売り上げを少し越えた額になった。


 ママの肝機能障害の数値が月曜昼には、先週の半分に下がったと朗報があった。
この分なら、復帰は早くなるかもしれない。

 次回のオープン日は、7月24日、それまでにママがカウンターに立つことになるかもしれない。

 次回は、
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