市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

あきあき、げんなり、いいかげんにしろー

2006-09-30 | Weblog
 新聞もテレビも原則的に遠ざけているぼくの家だが、朝から晩まで、安部内閣、安部内閣となにをかんがえての報道なのか、不愉快きわまる秋のエントリーだ。

 せっかくの秋が気分が悪くなるので、朝はテレビをつけない、ラジオもかけないで、新聞も放り投げて、ますチップの散歩、部屋の掃除、コーヒー淹れとトーストの定番をやっている。

 先日の面白い看板のブログに未来さんが、コメントで宮崎市内の掲示で
 「・・・地区は泥棒禁止区域です。」とあったと報告してもらえました。
 泥棒が禁止でない区域があるのだろうか。笑ってしまう。

 これこそ宝島編集部が編集発行した本「VOW」に入れる傑物だ。この世のあらゆるけったいなこっけいな怪奇、驚喜、妄想的看板類を全国の発見者から募り、編集して本にしたもの。
 VOW は、VOICE OF WONDERLAND の頭文字

 安部内閣の報道も、本質は似たようなものだ、ただし、こちらには笑いやユーモアがない。どうやら日本人すべて安部内閣の支持者あるいは関心をもつと信じて疑わないお上的発想だ。例外はないと信じる妄想だ。つまり泥棒はこの地域だけに出没すると信じこむのと変わらない。これが社会の公器を自負するメディアの看板だとするとなにおかいわんやである。
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朝にコーヒーを

2006-09-25 | Weblog
 秋風の吹きぬける朝、チップと散歩していると、するすると軽自動車が、向かいの自動販売機の前で止まった。二十歳くらいの女性が降りて、まずタバコを、すぐに隣のマシーンで缶コーヒーを取り出した。これからの辛い勤めに備えるためだろう。朝食抜きのようである。服装も余り上等でないし、給料も安いのだろう。労働も残業つづきかも、それやこれやで朝食を料理するのも面倒なのかもしれない。

 若いからそれでも耐えられるのだろう。肉体より、職場の心労が大変だろう。ぼくも勤め人のころは、よく朝モーニングの喫茶店に立ち寄って、息ついてから職場に顔をだしたものだ。しかし、こんな場合、朝食をしっかり取れば、嫌な気分はかなり克服できることを知るようになった。そこで、煙草と缶コーヒのお嬢さんに助言してみたい。

 朝、コーヒーを自分で淹れて、トーストとベーコン・エッグ、野菜炒め、味噌汁などを揃えて食べてはということだ。なれれば30分もかからない。やかんをコンロにかけ、洗面を済ますし、コーヒー豆を電動ミルで10秒内外、トーストをパーコーダーに入れる。すでにお湯は沸騰している。ドリッパーにお湯、サーバーとカップにお湯、フィルターにろ紙とコーヒを装着、ドリッパーからお湯を注ぎはじめ、3分で終了。時間は5分内外である。その前にエッグと味噌汁も作り始める。つまり平行してすすめれば、30分もかからず十分な朝食が楽しめるのだ。

 あとはパソコンでインターネットラジオで世界の音楽、あらゆるジャンルからの音楽をBGで聴きながら食べる。。内臓アンプ入りのスピーカー(一万円前後)を連結すればソニーの20万円相当のオーディオ並みの音質をたのしめる。ぼくはもっぱらニューエイジでロシア、北欧、インドなどの音楽を楽しんでいる。

 このラジオにはどの国も、日本を除いておしゃべりが無く音楽だけだからすばらしい。自分で淹れたコーヒは幸せな気分を満喫させてくれる。お嬢さん、この朝食から、お勤めへ行かれることを。

 追伸、コーヒーとトーストについては、豆買いからパン選び、トーストのバリエーションなど全部、ぼくがやっています。他は、主として家内がやっています。

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愉快な看板

2006-09-21 | Weblog
 看板というのは、まったく逆効果を生むとしかいいようのないものがある。国道269号線の青井岳温泉前から都城方面へ5分ほど走った道路脇に立っていたもので、黒い文字で「うどん コーヒー うなぎ」とだけ書かれたものがあった。うどんもうなぎもコーヒーも、どれも好物だが、こう並べられると、どれも食欲を失うけど、どうですか。うなぎとコーヒーを一緒に、うどんとうなぎを、うどんとコーヒー、どれも食べたくも、飲みたくもなくなる。言葉の効果は恐ろしい。

 家内の見たのでは「すずめ寿司」というので、寿司は江戸とか墨田でしょう、雀
ジャ気持ちがわるくなるわと言うのだ。そういえば、江平町の商店で「きなこ豚」というのぼりを店先に立てている肉やさんがあった。「そりゃ、どんな豚・」「分からんねえ」「何で聞いてみないのよ」知らないほうが楽しみだから、まだ聞くのが惜しい。

 きなこ豚といえば、木脇の道路端からちょっと奥に見えた看板で、「豚笑らーめん」と赤提灯に書いてあるのが見えた。これはインパクトがあった。らーめんを食うたびに豚がわらっているというと、孫悟空の世界だ。これもまず箸を取れない。

 ぼくにとっては、こうした看板は、逆効果としか思えないのだが、これでもお客があるから掲げられているのだ。ここのところが、じつにすごい。人まさにさまざまである。あるいは人は人なりの他人では想像もできない価値観があるのだとおどろかされる。

 看板とは、こうなるとたんにモノでなく、ココロでもある。そうおもって看板を見出すとじつに面白い。そして、看板を大きさと、色だけで、つまりモノだけで考える看板規制条例は、決し成功出来ない都市計画だと笑いたくなる。
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都会を作ろう

2006-09-20 | Weblog
 夢のようだ!都会に居る感じ!と平成18年9月12日リニュアルの山形屋新館で来館者の女性たちは、嘆声を上げたようだ。戦後、焼け跡の残る昭和25年ごろ、宮崎市県庁近くに開店した喫茶店「パンセ」は、コーヒーの香り、蓄音機から流れるクラシックによって、近所にあった宮崎県立図書館の女性職員たちに夢の空間と嘆声をあげさせた、と記録にあった。「都会」は終戦後も平成でも、賛嘆するときの宮崎市への形容詞であるらしい。

 昨日、日向市に行ったとき、リニュアル中の駅前パテオと中心市街地に、飲食店とファッション衣料関係しか営業してないのを感じて、胸を塞がれた。10号線沿いの大型店舗に対抗して経営が成り立たないためだろう。振り仰ぐ立体駐車場そっくりのヤマダに人は流れ込んでいく。
 
 その点、宮崎市にはまだ探せば、小さな専門店が、ガラパコス諸島の生物のように生き残っている。こんな生物的店は街の資産であろう。意外な子孫を生み出すかもしれないのに、街づくりでは無視されている。

 山形屋休館の6,7階は、リニュアルから取り残されていて、文房具や美術品などはその部分にあった。幼児向けのおもちゃの棚と万年筆のケースが忘れられたように置かれていた。書店もなく美術コーナーもない、暗い照明、低い天井で、商品も売る気も期待もないように置かれていた。ファッションでないからである。

 都会的ファッションは、量が多いほうが勝ちである。量では日向市も宮崎市も限界があるではないか。ガラパコス的な生物的商品、商店、生息地のような空間が出来ないだろうかと思う。喫茶店もあれば銭湯もあり、職人が細工物をつくり、露天も路地もあり、複雑、多様で、ここでは、モノだけでなくココロもあるという市場空間。人がここではだれでも生きていける街、そんな市街を。 
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日向市へ行く

2006-09-19 | Weblog
 月曜18日は台風一過でまさに秋晴れ、朝すぐに日向市の駅リニュアルを見にマートを走らせた。家内によると「天声人語」に駅は地方のシンボル、その特色を生かすべく建設される。日向駅はその最初の試みだというのだ。そうかあと疑問だったが、天声人語を読んだことがないので、家内の理解のままに書いた。12月に竣工予定とかで、家内は12月を12日と早とちりしたのだった、総ガラス張りのホームはモダンでおもしろかった。後はまだこれからだろう。

 駅よりも街の一変が衝撃的だ。10号線沿いからも以前は中心市街地は、よく見えたのだが、今はどこなのかもわからない。10号線沿いのロードサイドの大型ショップに市街地は隠れてしまった。本町の通りも宮崎交通のバスセンターがある辺りもまさにゴースト・タウンになっていた。

 駅前はスペイン風に広場が作られ、一部にだけレストランや雑貨店がオープンしていた。パテオ形式である。都城市のものを小規模にしたもの、西都市のそれと同じくらいだろうか。西都市はすでに崩壊してしまった。

 市街はどうなるのだろうか。なぜこうなった。どうしたら復活可能か、おそらくその問いに正確に答えられても、復活を可能にする都市計画はないような不安を覚え、帰途は始終沈黙のままに帰ってきた。

 帰るとすぐに山形屋に行った。山形屋を都会と感じた女性の言葉も、なるほどと思うのであった。

 もちろん、ここも、またほんとうの意味で都会ではないけれども・・・
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台風13号状況報告

2006-09-17 | Weblog
 今、午前11時45分、宮崎市は今朝午前7時ころから雨も止み、風も吹かずでした。昼前になり、風が吹き始めてきたようです。堤防に行って川面を見ると、白い波頭の波が川上に絶え間なく上っています。午前7時14分と変わらず、河川敷も流れに漬からず、濁流でなく清流です。市街地の南15キロあたりの双石、くんぱち、鰐塚の山並みは朝ははっきりしてましたが、現在、さすがに濃い雲に覆われました。雲は波状の層をなして、ゆっくり西へ弧を描いてすすんでいます。堤防上でも風はまだそよ風です。
 
 しかし、ときどきうなりをあげた突風が吹くようになありだしました。雨はまだふっていません。風のうなりが、空に響きだしてきました。 正午ごろから風と雨で台風接近の感じとなりましたが、ときどき強い風雨がガラス窓をたたく程度でした。午後2時現在、雨・風ともに止み、静かになっています。

 このときに、NHK宮崎放送局が、字幕で台風情報を流しだしました。それが午前11時の予報。なんの足しにもなりません。朝の大淀川の映像が流されています。去年の14号時と同じ、あの時は午後9時半避難勧告が出たのに大淀川の実況は午前中のものでした。これは、今年もかわりません。役に立たぬばかりか、不愉快でした。それに状況によっては危険ですよ。午後2時10分、外は静かです。薄日さへ感じます。

午後5時25分です。2時から今までほとんど風も吹かず、雨も降らずでした。12時34分宮崎市で瞬間最大風速34.5メートルと報道されましたが、ここらでは、まったく感じませんでした。市内のどの地点だったのでしょうか。2時半ごろ延岡市で突風、竜巻によって電車が転覆、また日南油津でも竜巻で家屋崩壊とありました。ところによっては、大変でしたね。
 
 災害の時々刻々の強烈な映像、民間テレビもみな同じ。大変なことは良くわかるのですが、今、現在の自分の場はどうなっていくのか、その判断の情報を流してもらいたいですね。今からどうなるという情報をもっと迅速にもっと細かくです。午後5時38分です。外はまったく静かになりました。

 今、西空に残照、真上の北へ飛ぶ黒くもの間に青空、写真を撮影しました。台風は宮崎市から遠ざかったようです。幸いでした。ここは終わったのに、北九州はこれからとは、終わったのが申し訳ないみたいです。それゆえにもまた、刻々の自分で考え判断し、勇気を持って行動できる科学的情報の提供をテレビ報道は、なせといいたいです。センセーションの見せ場はいいから。
 
 以上 午後6時52分、青空も残照も日暮れて消えました。長い一日が終わりました。
 
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山形屋は都会?

2006-09-16 | Weblog
 テレビのニューズで山形屋のオープンが報道されていた。「なんか都会の雰囲気がして、楽しいです」と1人の女性がインタービューに答えていた。

 都会とは、楽しい消費、つまり選択の多さ、自分だけのものが発見できるという消費行動を満たしてくれる街であろう。ところで、宮崎市の場合、たいていの消費は、テレビや新聞、週刊誌、雑誌の大メディアに情報を頼っている。だから消費行動もメディアの影響の結果である。個人の意思はほんとうは存在しないに等しい。山形屋は、その消費行動をみごとに受ける皿をオープンしたといえよう。

 そこにあるのは、消費のゾーンであり、複雑、混沌、多様性は排除されてしまった。このことは、山形屋の地下食品売り場と、道路向かいのボンベルタ地下の食品売り場を比較してみると良く分かる。ここが均質なソーンで区分されているのと比較してボンベルタはアジア的わいざつさ、大阪的庶民くささがある。

 宮崎市はますます均質、清潔のゾーン都市、シンガポール幻想空間に変わっていくようである。山形屋とその周辺の路地裏的商店街で、混沌と多様性を演出していかねば、たちまち飽きられ、効率においてイオンに劣る山形屋は、危険も大きいように思われる。
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山形屋 女女女

2006-09-15 | Weblog
 さて、山形屋リニュアル・オープンで、笑いがこみあげてきたのは、山形屋にとって男とはナンなのかと思ったときだ。男とは要らない存在というあまりに明快な回答が山形屋が提示したのが、愉快だったし、男とはまさに蛙(裸)の王子かと思ったら吹き出した。なぜ蛙か、どいつもこいつも腹がぷっくり出ていて足は蟹股だからね。

 顔見知りのベテランの売り場主任に会えたので、「男ものは、休館の2階だけになったねえ・・」と言うと、彼女は「そりゃあねえ、女はなんといっても自分のものが一番ですものね」と言われて、え?と思ったが、つづけて「それから夫や家族のものを買うのですから」と聞いて、理解できた。なんと男どもは、この極小の売り場にさへ現れず、女房まかせなのかと思うのだった。

 そういうわけで、リニュアル・オープンにも現れず、おまけに男は職場で働いて抜け出す道もなく、女、女、女は最上階8階でバイキングに一時間待ちでランチをしているし、そして今日が暮れて、男は上げ膳、下げ膳の夕食をいただくという日常になって終わるわけだ。
 
 それじゃ、感性も体力も衰え、平均寿命が女より8年も短くなるはずだ。先日、友人が東京から便りしてきて、男の70歳代は実は、女の年でいえば80歳だから、もうダメだ、同窓会も開けなくなってきたと。そうか、なるほど、そろそり年貢の納め時かと思う。日本も世界もそういう気がしないでもない。
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山形屋リニュアル スターバックス

2006-09-12 | Weblog
 山形屋が今日リニュアルオープンしたので新設されたスターバックスに行ってみた。午前11時前だったが、店先は人々の山であった。帰ろうかとおもったが、脇の方から室内に入り、カウンター前の列に並べた。本日のコーヒーを頼んで、改めて店先を見ると、入室するものばかりでなく、山の積まれた安っぽいスターバックスのコーヒーカップを購入せんとする人ごみでもあった。

 壁際の席にありついて、見回すと、室内の客は女性ばかり、男性客はばくだけではないか。ほんと驚きだ。女性は若者から中・高年まで滑らかに連なっていた。男性は、ちらちら外にみえても退職老が心もとなげにうろうろしているだけだった。

 さて、コーヒーであるが、トールという最小のカップでも、喫茶店のコーヒーの3倍分400cc近くある。一口啜って、すぐ大量抽出、つまり器械によるという印象
であり、いうなればインスタント系と思えた。味はまずいと知人は言っていたが、
ぼくはインスタントとしては悪くない味と思えた。このコーヒーは、砂糖とミルクを入れて、ケーキやパンを食べながら、しゃべりながら、あるいは1人で本を読みながらならまあいい感じのものである。310円でなく250円くらいの値であろうか。

 ただ、ここは駅ホームの吹きさらしのような感じで、落ち着いて紙コップのコーヒーを啜る気分になれない。この点は近所のタリーズコーヒーの方が、別室があって過ごし易い。壁際に2人がけのテーブルが9客、その前に同じく6客、他は売り場ばかりである。すべては効率良い消費空間に仕上がっている室内であった。かれらが自負する「おしゃれ」とは、間違ったのではないか。効率空間にすぎない。遊びの部分がない。これじゃお洒落ではないと、言えるのではないか。

 女たちがいっぱいいた。みんな精一杯のおしゃれをして。これはすごい。なぜ男はいないのか。全館を回るためにここを出て、ますますおんなのいっぱいいる空間に巻き込まれだした。
 
 ソシテ笑い出した。おかしくて、おかしくて、カオが緩んだまま歩いた。知人や家内に会わなくて良かった。にやにやのカオは最悪であったろうから。
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コーヒーの思い出

2006-09-10 | Weblog
 宮崎市橘通3丁目、現在の山形屋デパートの南に昭和40年代に「うるわし」という喫茶店があった。画廊喫茶で文化人の溜まり場でもあった。そこに毎日通っていたミスターCという文学青年がいた。ベレー帽を愛用して、くたびれた背広でいつもパイプをくゆらせて、うるわしの椅子で小説を執筆していた。ほとんど毎月原稿用紙で500枚近くは書いていた。コーヒー大好きで、いつも帰り際に魔法瓶に2杯分のコーヒーを入れてもらって帰っていた。これを真夜中に飲むのが、じつに美味しいからというのだ。

 一度に3杯分のコーヒー代は、ななりの金額になり、いつかマスターがCさんはなにをかんがえているんでしょうかねえと心配げにぼくに告げたりした。仕事はせずに小説を書く毎日、どうやって暮らしを立てているのだろうかと、マスターもぼくも不思議だった。

 結局彼は、それから10年あまり、原稿が部屋いっぱいとなり、その間に結婚し、子供が生まれて離婚させられ、家業はつぶし、引き継いだ家も売り払い、それでも小説を書きつづけ、コーヒーを飲んでいた。さすがに後では魔法瓶で持ち帰っている様子はなかった。

 そんな彼が晩年を迎えてきたある日だった。彼が言い出したのか、ぼくが言ったのか、思い出せないが、文学雑誌「新潮」の編集者からコメントをもらった作品を読むことになった。読み始めてすぐに、ぼくの予想したとおり小説向きの才能がまったく無いのがわかった。ここで彼になんと言うべきか、悩んだ末に、この小説がいかにダメなのかを語りだしたのだ。語りだしたら、止まらなくなった。
 
 もういいじゃないですか、小説など止めたらどうですかという、思いだけがぼくの胸にあふれていた。僕自身は昭和47年以来、文学雑誌も純文学もまったく読まなくなっていた。その影響もあったのかもしれない。そんなことより、彼自身の生き方をなにかなんでも貫く才能こそすばらしいという思いが募っていたのだ。その生き方そのものが、小説よりもはるかに上だと、言いたかったのだ。

 しかし、それにしても後でしまった、かれに言うべきではなかったと、悔やんだ、ほんどなんでこんな余計なことを、彼に言ったのかと、悔やんだ。ただ、数日後、かれは、自分の作品について自負を、他に語っていたと聞き、いくぶほっとしたのではあった。その後、彼の消息はわからなくなった。

 そのときからまた3年くらいたったとき、橘通り3丁目、「うるわし」のあった場所で、偶然、かれと遭遇したのだ。背広はいっそう古くなり、まだベレー帽をかぶっていた。コーヒー店の多くは街から姿を消し、魔法瓶で真夜中にコーヒーを楽しむというダンディな若者はもういなくなったとおもわれる。

 彼は白馬村で生活をしながら金山を探していたと、笑っていた。今は美人画を書いてあちこちの旅館や食堂で買ってもらっているともいい、和紙に極彩色で書かれた浮世絵を見せてくれた。明日、小説原稿をもって新潮社の編集者に会いに上京するんだと、意気昂ぶる充実していた。ぼくもうれしかった。そのときの二人で飲んだコーヒーもわすれられない。

 その後18年間、かれの消息は絶えたままである。


 

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スターバックス 情報 その2

2006-09-08 | Weblog

 ぼくのスタバのブログを読んだ、ウイングのママは、2年前、オックスフォードで立ち寄ったカフェがスターバックスだったと言うのでおどろいた。あの保守的なイギリス人が、よりによって古都、学術都市にスターバックスを開店しているのかと。たしかに彼女が持って帰ったオックスフォード・シティ・ガイドによると,市のど真ん中にあった。

 コーンマーケット・ストリートにある「ニュー・イン」という木造建物の一室にある。1389年に旅亭として建てられたという。日本にはこれほどの古い木造建築は残っていないと思う。奈良のお寺いスタバが開店しているようなものだ。インターネットで調べたら10軒ほど開店していた。ただ、スターバックスという共通看板はないようだ。イギリスの保守性が守られてはいるようだ。

 他の日本人が書いた最近の旅行記などをみると、ロンドンにしてもいたるところにスターバックスがあると記されていた。3時になったら紅茶なしにはすまされないイギリス人が、今はだんだんスタバのコーヒになるのか。恐るべし、グローバリズムだ。

 スターバックスは調べだすと面白い事実がでてくる。次のようなものもあった。

 

主なイスラエル支援企業

スターバックスのトレードマークStarbucks
(スターバックス・コーヒー)

スターバックスの会長ハワード・シュルツは、イスラエル軍がパレスチナのジェニン、ナブロス、ベツレヘムなどに侵攻し破壊と虐殺を欲しいままにしていた 2002年 4月、シアトルのシナゴーグにおいて、パレスチナ人を非難しイスラエルへの支持を訴えるスピーチを行い、観客からスタンディング・オベーションによる喝采を受けたとのことです。

スターバックスの会長ハワード・シュルツは活発なシオニスト (用語解説) です。1998年には、彼のシオニズムへの貢献を讃え " The Jerusalem Fund of Aish HaTorah " から " The Israel 50th Anniversary Tribute Award "(イスラエル50周年記念賛辞賞)が授与され、イスラエル外務省も彼のイスラエルに関するPR活動を賞讃しました。

■ 参考サイト
BOYCOTT ISRAEL CAMPAIGN:Starbucks

《付記》
日本においてスターバックス・コーヒーを展開しているのは、株式会社サザビーです。株式会社サザビーの代表取締役・鈴木陸三氏は、石原慎太郎氏の学生時代からの友人であり選挙参謀でもあったという経歴の持ち主です。株式会社サザビーは、スターバックス・コーヒーの他に、

SAZABY (サザビー)
Afternoon Tea (アフタヌーン・ティー)
アニエス b.

 この他の大企業としては、マクドナルド、コカコーラ、ネスレコーヒー、エスティ・ローダ,インテル、マイクロソフト、、デズニー、ノキアなどがある。

 この情報の出所は、パレスティナ情報センター・サイト

 

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スターバックコーヒー 開店が

2006-09-04 | Weblog

 先週金曜日にスターバックコーヒが、山形屋の1階に開店準備中なのに気づいた。これにはいささか感慨がある。昨年2月イオン建設が進んでいるときイオンにはスターバックは出来ないということで、関連して当ブログに以下のようにのべた。

 田中 宇(タナカ サカイ)氏から配信された国際ニュース解説は、「上海ビジネスの世界をかいま見る」というので、なんと中国におけるスターバックの展開がのべられていた。  『1996年に日本に上陸し、銀座に店をオープンしたときから、おしゃれな町にしか店を開かず、ブランドイメージに合わない街区には、要望があっても出店しない方針を採っていると聞いている。「スターバックがある街角はおしゃれ」という感覚を定着させることで、宣伝しなくても、お客も入り、企業イメージも高められるという戦略である。』と田中氏は解説していた。

  ・・・・・・・・・  

 そこで興味があるのは、九州・沖縄各県でスターバック・コーヒー店がないのは、宮崎県だけということだ。現在、全国で503店舗あるというが、そのおしゃれな街に宮崎市は選ばれていないのである。ほんとに、全国に503もおしゃれな街があるのか、疑問だが、だとしても、宮崎イオンショッピングセンターにはスターバック無しとは。

 

 やっと九州各県と足並みがそろったわけであるが、この街角からすでに田中書店本店が消え、大型書店金海堂も消滅した。本屋も映画館も無い街角がおしゃれかといいたくなる。しかし、それでも山形屋の増床、周辺の路地裏商店街の活動で、活気づいてきている。がんばれ「お洒落な街角よ」

 2006年9月  宮崎市行政が津村市長の掛け声なのか、看板規制、道路片付けでしかない九州一の景観都市づくりを、妄想するよりもは、現実ははるかにおしゃれの街角を作りつつある。 

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岡村さんのビデオドキュメント

2006-09-01 | Weblog
 匂いというもがある。このごろの豆腐もとうもろこしもきゅうり、とまとも匂いがない。コーヒーにも匂いのないものがある。ドキュメンタリーの映像作品にも匂いがあるとないとでは、味が違う。 岡村淳差は、1998年「ブラジルの落書き」というコラム[NHKが来た」で以下のように述べている。

 「大手民放で私がディレクターを務めた番組を放送していた頃には、視聴率から単純計算をすると、日本の住民の十人に一人以上が私の番組を見ていたはずでした。それでも放送後に電話一本、ハガキ一枚の反響もないことが常だったのです」

 こういわれてみると、今でもテレビのドキュメントを見たとき、この作者は誰だとか思ったことはない。そういわれれば、無いんだ。花火を見て作者を思い浮かべないし、宮崎市の「えれこっちゃ」踊り大会を見ても、誰が演出だか関心もない。そこにはドキュメントに関わった人を感じない、つまり匂いを。

 これは製作者にとっても悲しいよね。ぼくのブログでさへ微かな匂いがるのだ。しかし、岡村さんのビデオ・ドキュメントに関するかぎり、彼を感じてきた。そこにはホームビデオを抱えて、対象に迫る、息遣い、とんでもない過酷な労働、なんでそこまでやらねばならないのとさへ思える真っ正直な撮影など、そのエネルギーと息遣いが、立ち上がってくるのだ。

 この人間の匂いが、登場する人間と見事に重なってくる。これは、名も無く捨てられた庶民の息遣いと実感される。ここが、テレビの画面で展開する映像に勝る迫真力ではないかと思う。

 もっともそれが貧乏くさく、閉鎖的で、サークル的でNHKやフじテレビや,朝日や日本などに適わないというものもいるだろう。それもそうだが。

 しかし、ぼくはやはり匂いのある作品が、真実感を覚えてならない。匂いのしない食品はどこか、怪しい、危ないと感じるのだ。
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