2週間ほどまえNHKのテレビで「フィギャア」の特番が会った。村上隆のフィギュアが記憶にあったので、思わず視聴したのだが、村上とフィギュアの関係は、ますます理解不能になるばかりであった。だが、興味はなお深まってきた。どうしてこんな人形模型に魅力をかんじるのだろうかと、こればかりは感覚の違いで埋めようが無い。しかし、おもしろい。
この会場になだれこんでくる数千人の人々〔主として若い男性)は、どんな層なのかというのはテレビではわからない。ただ、かれらが、一般の群集というようにはどうしても思えない。映画や公募美術展を観にくるような層では、なんとなく違うのは、数人のインタービューの語り口からもうかがえた。フィギュアの主役は漫画やアニメの美少女キャラクターだが、ぼくなんか、ただでもそんな人形を部屋に飾るという気持ちにはならないのだ。
美少女フィギュアが、オタクという層のなかで育まれたことは、まちがいないようだが、この美少女模型をみて「抜く」〔マスターベーション)できる能力こそオタクの特性と、斉藤環は精神分析医として言っているが、といってロリコンなどの倒錯者ではない。セクシュアリティを漫画のキャラでも感じうる感性があることを、オタク系のわかものたちへの研究から明快に述べている。
こうした性の問題と、もう一つ興味があったのは、フィギュアの製作は通常は30センチくらい、それ以上になると製作はきわめて困難になるという。平面の漫画キャラを立体化するとき、これは原型師という職人がやるのだが、立体化するとバランスが異常になって建てられなくなる。2次元の人物像のうそがあるからだ。これを克服するのに手間隙がかかるというのだ。なるほどである。
村上隆の作品は2メートル半を超えたフィギュアで、BOMEという原型師が原図を立体に仕立てた。今回の放送では、一メートルくらいのフィギュアの製作過程を追っていた。鋳型にとり、樹脂で各パーツ30をこえる部品をしあげるまでに3ヶ月あまりもかかるというのには、息をのまされた。
村上のフィギュアを最初に画廊に展示し、500万円でアメリカの美術館に売却できたというギャラリー経営者、小山登美夫によると、村上は、海洋堂の原型師の作業場に研究のため2年半ほど通い、その調査のあとにフィギュアの製作にかかったというのだ。思いつきで依頼したわけではないのだ。どこに、このフィギュアの2年半も研究調査する材料があったのかという、これがまず脅威的な情熱であり、発想であり、視点と運動ではないか。
かれの「芸術企業論」でこの原型師や海洋堂の社長との交渉などが、のべられいるが、宮脇修社長も原型師BOMEもとりつくしまもないような激しい職人気質で、ものも言わない信念の人柄を感じたのだが、テレビで見る限り、話好きな、気さくな人柄を感じた。とくにBOMEにいたっては、すかっとした青年にしか見えなかった。これは、ぼくにフィギュアを見直させるくらい興味ある人物像であった。
村上は、このフィギュアから、芸術の発想を得て、自分の作品としたばかりか、欧米のコレクターを、この作品を契機にして現代日本美術へと向かわせたということになったわけだ。どこにこれだけの未来が、フィギュアにかんじられたのか。かれは1990年代に、その可能性を見出したのである。なぜなのか。そして、では、そのフィギュアの文化とはなんなのだろう。ここのところ、何ヶ月も、そのことばかりがぼくの思考を引きずり回してきている。フィギュアが好きだとか嫌いだとか、関心があるとかないとかの問題ではなく。なんか、この壁の向こうにある、現代文化を覗きたい。
というようなことで、もんもんとしているうちに今年もあと十日になってしまった。連日連夜、派遣切りが、発生し、一夜にしてホームレスに転落するしかないのかという労働者があふれ出してきている。こんなとき、芸術とはなんなのかと考えること、それを書くことさへもなんか気が引ける。アア今年も終る。罪深くに・・
この会場になだれこんでくる数千人の人々〔主として若い男性)は、どんな層なのかというのはテレビではわからない。ただ、かれらが、一般の群集というようにはどうしても思えない。映画や公募美術展を観にくるような層では、なんとなく違うのは、数人のインタービューの語り口からもうかがえた。フィギュアの主役は漫画やアニメの美少女キャラクターだが、ぼくなんか、ただでもそんな人形を部屋に飾るという気持ちにはならないのだ。
美少女フィギュアが、オタクという層のなかで育まれたことは、まちがいないようだが、この美少女模型をみて「抜く」〔マスターベーション)できる能力こそオタクの特性と、斉藤環は精神分析医として言っているが、といってロリコンなどの倒錯者ではない。セクシュアリティを漫画のキャラでも感じうる感性があることを、オタク系のわかものたちへの研究から明快に述べている。
こうした性の問題と、もう一つ興味があったのは、フィギュアの製作は通常は30センチくらい、それ以上になると製作はきわめて困難になるという。平面の漫画キャラを立体化するとき、これは原型師という職人がやるのだが、立体化するとバランスが異常になって建てられなくなる。2次元の人物像のうそがあるからだ。これを克服するのに手間隙がかかるというのだ。なるほどである。
村上隆の作品は2メートル半を超えたフィギュアで、BOMEという原型師が原図を立体に仕立てた。今回の放送では、一メートルくらいのフィギュアの製作過程を追っていた。鋳型にとり、樹脂で各パーツ30をこえる部品をしあげるまでに3ヶ月あまりもかかるというのには、息をのまされた。
村上のフィギュアを最初に画廊に展示し、500万円でアメリカの美術館に売却できたというギャラリー経営者、小山登美夫によると、村上は、海洋堂の原型師の作業場に研究のため2年半ほど通い、その調査のあとにフィギュアの製作にかかったというのだ。思いつきで依頼したわけではないのだ。どこに、このフィギュアの2年半も研究調査する材料があったのかという、これがまず脅威的な情熱であり、発想であり、視点と運動ではないか。
かれの「芸術企業論」でこの原型師や海洋堂の社長との交渉などが、のべられいるが、宮脇修社長も原型師BOMEもとりつくしまもないような激しい職人気質で、ものも言わない信念の人柄を感じたのだが、テレビで見る限り、話好きな、気さくな人柄を感じた。とくにBOMEにいたっては、すかっとした青年にしか見えなかった。これは、ぼくにフィギュアを見直させるくらい興味ある人物像であった。
村上は、このフィギュアから、芸術の発想を得て、自分の作品としたばかりか、欧米のコレクターを、この作品を契機にして現代日本美術へと向かわせたということになったわけだ。どこにこれだけの未来が、フィギュアにかんじられたのか。かれは1990年代に、その可能性を見出したのである。なぜなのか。そして、では、そのフィギュアの文化とはなんなのだろう。ここのところ、何ヶ月も、そのことばかりがぼくの思考を引きずり回してきている。フィギュアが好きだとか嫌いだとか、関心があるとかないとかの問題ではなく。なんか、この壁の向こうにある、現代文化を覗きたい。
というようなことで、もんもんとしているうちに今年もあと十日になってしまった。連日連夜、派遣切りが、発生し、一夜にしてホームレスに転落するしかないのかという労働者があふれ出してきている。こんなとき、芸術とはなんなのかと考えること、それを書くことさへもなんか気が引ける。アア今年も終る。罪深くに・・