市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

崩壊市街 上野町=涙町 舞台

2005-10-19 | 崩壊宮崎市街
 前回の旧映画館「大成座」跡から南、宮崎市役所の市民プラザまでは、宮崎市の下町だった。この写真のあたりは家具工場をもった家具店が軒を連ねていた。刃物、金物、提灯製造など職人の店、乾物屋、酒屋、銭湯と生活感が溢れた界隈であった。その面影が写真でもちょっとは想像できよう。ただ、これは2年前6月の道路改修工事を撮影したものだ。平成17年10月の現在、この上野町、通り全体の工事が竣工しようとしている。その模様一枚の写真をあわせて掲載できればいいのだが、これが、このブログではできない。ほんとできないのかな、ぼくに技量不足なのか、知ってる人がいたらおしえていただきたいです。

 上野町の涙町化は、昭和の終わり(1987)からはっきり目に付き始めたが、進行は斬新、はじめは家具店が撤退、自動車交通が不便で家具の運搬に不便、おまけに一方交通の規制も拍車を駆けた。なんで文句を言わなかったのかな。しかし、ここ1,2年の変容は想像をぜっした急変をしている。まさに舞台装置の如しだ。どんな第2幕が始まるのか。

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