ひさしぶりの小雨で、朝から降っている。氷雨でないのでそう悪くは無い。
その後、三木ちゃんから「もしもしガシャーン」の宮崎公演の4月公演受け入れについては連絡がない。今朝、どくんごのブログを見ていたら、同劇団のたかはしみちこが、3月からのどくんごの練習に、参加できるか、ということは客演できるかどうかということを、どくんごに問い合わせていた。となると、この春の宮崎市公演はどうなるのだろうか。
この「もしもしガシャーん」という劇団は、宮城県仙台市に1999年12月に旗揚げ。2004年埼玉県に拠点を移して、現在、代表は奈尾真、所属人はたかはしみちこのふたりだけの劇団である。活動暦も10年を越える。実は、2005年4年6月19日、20日、21日の3日間、宮崎市の東宮花の森団地での劇団「どくんご」のテント劇「ベビーフートの日々」に二人とも客演した。東北大学演劇部のオービーというが、当時二人ともまだ20代そこそこの男女に見えた。とくにたかはしみちこは、どこか保育園のやさしい保育士のようだった。だが、舞台では、港町の食堂に働く女となり、蟹をばりばりと食いちぎり、夫を責めるというグロテスクと純真さが同居する怪優ぶりで、その土の匂いのする土俗的存在感で観客を魅了した。その後、どくんご巡演で、多くのファンが出来たようだ。そのたかはしみちこと代表の奈尾真の二人が、宮崎市で上演をしたいということだった。それも、どうしても宮崎市でやりたい、手間はかけさせない、観客も20名もあればいい、場所も自分たちで探すからというのだという。その話は、小春の最終公演の日12月6日に東宮花の森の会場で、三木ちゃんから聞いた。その後、自分が引き受けたいと決意を告げたのだ。ぼくがやれないし、だれもやらないなら、自分がやるというのであった。
そこで思い出すのだが、前回書いた、実行委員が5名で、チケットが各委員5枚しか売ることができないなら、25名でやればいいではないかということだ。ところが、このもしもしガシャーンの公演は、多くの公演で、定員25名を標榜していたのだ。この一致がおもしろいのだ。さて、話はここから進めてみたい。
委員が5名、各人が5枚のチケットを売って、25名の観客で一夜の上演を終るという演劇上演にどんな意味があるかということだ。まあ、一般からみると、好きなものが集まり、世に知られてない、マイナーな芝居を、対抗文化として公演する。25名の観客と5人の実行委員が満足する。それは、おなじ穴の狢である。感動しようと、しまいと、社会には。なんの影響もない、さらに意味もなければ価値もない、ということになろう。これが、これが観客数から判断する自明(当たり前)の理であろう。
しかし、芸術的イベントの影響は、参加者の意識がどれだけ活性化されるかにある。つまりそこで一人、一人がどれだけ自分であるかということが問題である。宮崎市の行政イベント「えれこっちゃみやざき」で人は自分を自覚するより群集に化して、その一員となることだろう。そこには芸術によるほんとうの開放感はない。じつは群集として疎外されているのだ。群集の抑圧が解放されるのは、暴力においてのみである。このような大量のイベント参加者になんの意味があるというのだろうか。
さらにまた、この5名の実行委員たちと集った25名のネットワークは、わけもわからず、あるいは割り当てられた動員であつまった一人、一人の「ふれあい」とは、本質的に違う。このふれあいは、文字通り体がふれあっているだけである。ふれあいとは、お互いに意識が触れ合うことが必須である。つまり心が重なるというか、そのような相手の許容が必要になる。5名によるチケット販売を通して集まった25名には、じつは、物理的に隣り合った関係でない、ハイバーリアルつまり超常的な関係がじつは発生しつづけるのだ。
5名と25名、すべてにとはいわないが、この結びつきには、想像も出来なかった縁が、じつは現れている場合が多い。ぼくは30年ほど、このような実行委員会の経験を重ねてきて、
そのような例は無数にある。たとえば、昨年の小春公演で、最初に共催を進んで引き受けてもらえた「天空ジール」の福田さんとの出会いであるが、じつは、ジールのスタッフで、イベントマネジャーをしている中島さんは、1994年、インド旅行をやったグループの一員であった知人中島女子の息子さんであったのだ。この事実だけで3人の話し合いは、遅滞なくすすんでいく。また小春マイノリティオーケストラでは、そのテーマというべき選曲「不滅の民」は、たまたま同日やってきた「どくんご」劇団のかってのテーマ音楽として使用されたことがあり、そのぐうぜんにかれらはおどろき、小春との共感が深まっていくようだった。
テント劇どくんごにテント設立を受け入れてもらえたヨートハーバーの社長は、ぼくの知人とスキューバダイビングをする同好の志であったことをあとで知った。さらにその臨海公園の社長を紹介してもらえた松浦さんの亡夫とは20年ほど前、ぼくの実行委員であったしのぶちゃンらとヨット遊びをしたときヨットを操ってもらった人であった。これも後で知った。その他、こんな縁というものはまだまだ無数にある。この縁というものは、このネットを起点として、一挙に拡大していける。なぜこういうことが起きるのか、それは、あるイベントを自覚的に着手し、さらに一人、一人にチケットを売るという選別の瞬間に無意識的に、自分との関係性に根ざすことになるのだ。そういう意識のつながりに自分との関係のある人々が、現れやすいということになるのではなかろうか。人とはまさに関係性の中にしか存在していないのだ。
意識して自発的に集まる30名のネットワークは、この関係性の人間らしさで、発展していく動因を内在している。不思議な真理ではないか。そこに希望がある。
ということで、この5名+25名は、まさに小さな観客であるが、実は細胞でいえば大きな自己発展のエネルギーを内部にもっている集団である。これはたんなる群集として集まっている集団とは、本質的に異なった生きている細胞といえるかもしれない。
その後、三木ちゃんから「もしもしガシャーン」の宮崎公演の4月公演受け入れについては連絡がない。今朝、どくんごのブログを見ていたら、同劇団のたかはしみちこが、3月からのどくんごの練習に、参加できるか、ということは客演できるかどうかということを、どくんごに問い合わせていた。となると、この春の宮崎市公演はどうなるのだろうか。
この「もしもしガシャーん」という劇団は、宮城県仙台市に1999年12月に旗揚げ。2004年埼玉県に拠点を移して、現在、代表は奈尾真、所属人はたかはしみちこのふたりだけの劇団である。活動暦も10年を越える。実は、2005年4年6月19日、20日、21日の3日間、宮崎市の東宮花の森団地での劇団「どくんご」のテント劇「ベビーフートの日々」に二人とも客演した。東北大学演劇部のオービーというが、当時二人ともまだ20代そこそこの男女に見えた。とくにたかはしみちこは、どこか保育園のやさしい保育士のようだった。だが、舞台では、港町の食堂に働く女となり、蟹をばりばりと食いちぎり、夫を責めるというグロテスクと純真さが同居する怪優ぶりで、その土の匂いのする土俗的存在感で観客を魅了した。その後、どくんご巡演で、多くのファンが出来たようだ。そのたかはしみちこと代表の奈尾真の二人が、宮崎市で上演をしたいということだった。それも、どうしても宮崎市でやりたい、手間はかけさせない、観客も20名もあればいい、場所も自分たちで探すからというのだという。その話は、小春の最終公演の日12月6日に東宮花の森の会場で、三木ちゃんから聞いた。その後、自分が引き受けたいと決意を告げたのだ。ぼくがやれないし、だれもやらないなら、自分がやるというのであった。
そこで思い出すのだが、前回書いた、実行委員が5名で、チケットが各委員5枚しか売ることができないなら、25名でやればいいではないかということだ。ところが、このもしもしガシャーンの公演は、多くの公演で、定員25名を標榜していたのだ。この一致がおもしろいのだ。さて、話はここから進めてみたい。
委員が5名、各人が5枚のチケットを売って、25名の観客で一夜の上演を終るという演劇上演にどんな意味があるかということだ。まあ、一般からみると、好きなものが集まり、世に知られてない、マイナーな芝居を、対抗文化として公演する。25名の観客と5人の実行委員が満足する。それは、おなじ穴の狢である。感動しようと、しまいと、社会には。なんの影響もない、さらに意味もなければ価値もない、ということになろう。これが、これが観客数から判断する自明(当たり前)の理であろう。
しかし、芸術的イベントの影響は、参加者の意識がどれだけ活性化されるかにある。つまりそこで一人、一人がどれだけ自分であるかということが問題である。宮崎市の行政イベント「えれこっちゃみやざき」で人は自分を自覚するより群集に化して、その一員となることだろう。そこには芸術によるほんとうの開放感はない。じつは群集として疎外されているのだ。群集の抑圧が解放されるのは、暴力においてのみである。このような大量のイベント参加者になんの意味があるというのだろうか。
さらにまた、この5名の実行委員たちと集った25名のネットワークは、わけもわからず、あるいは割り当てられた動員であつまった一人、一人の「ふれあい」とは、本質的に違う。このふれあいは、文字通り体がふれあっているだけである。ふれあいとは、お互いに意識が触れ合うことが必須である。つまり心が重なるというか、そのような相手の許容が必要になる。5名によるチケット販売を通して集まった25名には、じつは、物理的に隣り合った関係でない、ハイバーリアルつまり超常的な関係がじつは発生しつづけるのだ。
5名と25名、すべてにとはいわないが、この結びつきには、想像も出来なかった縁が、じつは現れている場合が多い。ぼくは30年ほど、このような実行委員会の経験を重ねてきて、
そのような例は無数にある。たとえば、昨年の小春公演で、最初に共催を進んで引き受けてもらえた「天空ジール」の福田さんとの出会いであるが、じつは、ジールのスタッフで、イベントマネジャーをしている中島さんは、1994年、インド旅行をやったグループの一員であった知人中島女子の息子さんであったのだ。この事実だけで3人の話し合いは、遅滞なくすすんでいく。また小春マイノリティオーケストラでは、そのテーマというべき選曲「不滅の民」は、たまたま同日やってきた「どくんご」劇団のかってのテーマ音楽として使用されたことがあり、そのぐうぜんにかれらはおどろき、小春との共感が深まっていくようだった。
テント劇どくんごにテント設立を受け入れてもらえたヨートハーバーの社長は、ぼくの知人とスキューバダイビングをする同好の志であったことをあとで知った。さらにその臨海公園の社長を紹介してもらえた松浦さんの亡夫とは20年ほど前、ぼくの実行委員であったしのぶちゃンらとヨット遊びをしたときヨットを操ってもらった人であった。これも後で知った。その他、こんな縁というものはまだまだ無数にある。この縁というものは、このネットを起点として、一挙に拡大していける。なぜこういうことが起きるのか、それは、あるイベントを自覚的に着手し、さらに一人、一人にチケットを売るという選別の瞬間に無意識的に、自分との関係性に根ざすことになるのだ。そういう意識のつながりに自分との関係のある人々が、現れやすいということになるのではなかろうか。人とはまさに関係性の中にしか存在していないのだ。
意識して自発的に集まる30名のネットワークは、この関係性の人間らしさで、発展していく動因を内在している。不思議な真理ではないか。そこに希望がある。
ということで、この5名+25名は、まさに小さな観客であるが、実は細胞でいえば大きな自己発展のエネルギーを内部にもっている集団である。これはたんなる群集として集まっている集団とは、本質的に異なった生きている細胞といえるかもしれない。