今朝、6時半にチップを散歩に連れ出した。ところが、赤江大橋への優雅な取り付け道路まで、また反対へ去年できたセブンイレブンの先まで、おおよそ700メートルの商店、住宅の並んだ市街が、快晴の空に眺められた。道路も、その両側にゆったりと並んでいる家屋、住宅、スパーや医院、美容院、居酒屋、コンビニ、保育園と、会社事務所と、ゴミ一つも感じられず、台風一過の青空の下、涼風に吹かれながら広がっていた。
1994年、9月インドから帰った朝に感じたとおりであった。どこもかしこも、洗剤で洗い流し、洗ったあとを、ワックスをもって磨いたように感じられたのだ。その市街は、どこもかしこもであった。インドのベナレスやニューデリーの溝が溢れ、糞が溢れ、穴ぼこから汚水が溢れ、商店になった巨大で多層のテントは100年余もの塵埃でコンクリートのようになり、その商店街らしき通りで、どこを見ようと清潔でピカピカのものは存在しなかった。その輝く道路や建物は、驚異的でさへあった。あのとき宮崎市街をみて、すぐに思ったのは、選択され、磨かれる、その管理費は、生活のどの部分に課せられているのかという思いであった。それはインドとは桁違いの物価であり、税金や規制や規則であるはずと認識できた。その道路磨きの分担は、目に見えないが、心身からエネルギーを知らぬまに奪っているのではないかとも思えたのだ。その道路には、人影一つも見えなかった。それは今朝も同じであった。
昨日(2011年9月2日)のNHK朝の連続小説「おひさま」で貧困家庭のため幼少で奉公に出された陽子の友達が、結婚して自分の店を開くと故郷にかえってくる再会の話であった。心温まる再会であり、良かったと心が和むのだった。彼女は店はいつでもだれにでも開かれている、こんなやりがいのある仕事はないと言うのだ。陽子も嫁入り先の蕎麦店を生涯の仕事と選んでいるので、この店はだれにでも開かれているという言葉のすばらしさに感動するのであった。これもいいシーンであった。ほんとに店はそうありたい、そして店で名も無く貧しく、美しく生涯を働きの場として選択できるのならば、こんな楽しい、充実した、人生はないであろうと感涙したのだった。
しかし、しかし、店はだれにでも開かれているが、「だれも店に来ない」という現実が、より現実なのである。ぼくも次男とカフェ・雑貨店(これこそ、彼女が奉公に出されて帰ってきた安曇野に開こうとした店である)を開いて3年間で、1000万円を消費して、閉店した。経営が悪かったといえはそれまでであるが、個人の努力・経営ではどうにもならない、市街地の無人化という現況があったのだ。ここが「あさいち」の不思議な主張なのである。作者はとういう現実感や提案で、このドラマを書きつづけられたのだろうかということである。いや、そういうケチなぼくの解釈が可笑しいのかもしれない。感動すれば、それでいいじゃないかと、すこし素直になれと、ほんとこのアサイチは止められない楽しさを、毎朝与えてくれてもいるのだから・・。
そこで、またインド映画を思い出した。インドの市街は、汚れているばかりでなく極貧者に溢れかえっていた。滞在中、ホテルを一歩でて市街を歩き出すと、その極貧者にびっしりまといつかれて、それらを振りほどくのに努力が要った。そればかりでなくて、ホテルのドアはうまく閉まらず、シャワーは水しかでない、テレビはかすんでよく見えなかった。街のテントの並んだ市場では、こんなボールペンなど捨ててしまうようなペンが数本ならんでいたりする。雨が一時間も降れば、道路は浸水してとうとうと下水のようにガンジス河岸に流れ込んでくる。タクシーの多くはワイパーも取れたままのものもあった。こんな暮らしの毎日で映画館に入ったのだ。ほとんどがミュージカルで、映画の中では、家は豪華、テレビも冷蔵庫も新品で、道路は舗装道路で、新車が走り、家族はファッションでつつまれ、豊かなる生活を謳歌する。映画館は一等席から三等席まであり、極貧者もスクリーンすぐ下のシートでわいわいとうれしげに映画の単純なミュージカルを楽しんでいるようだった。こんな人をバカにしたような映画を見て、腹が立たないのだろうかというのが、ぼくには、おどろきであったのだ。
今、ぼくは毎朝、NHKの朝ドラを見るために午前8時までに例のイングリッシュブレイクファストの朝食を作り終え、それを入れたてのコーヒーとともに居間の42インチデジタルテレビの前に並べ、食べながら楽しんでいるのだ。腹は立たない。インドの極貧者たちも、そうだったのだと、今は思いだしている。幸いインドが、世界一の経済大国に成長する確率は、中国を抜くと予想されている。映画は現実になる。日本も「あさいち」が、現実になる要素があるのかもしれない。そこをどう嗅ぎ付けるかが、問題であろうか。作者の意図はそこにあるのかどうか、これから見えてこよう。
1994年、9月インドから帰った朝に感じたとおりであった。どこもかしこも、洗剤で洗い流し、洗ったあとを、ワックスをもって磨いたように感じられたのだ。その市街は、どこもかしこもであった。インドのベナレスやニューデリーの溝が溢れ、糞が溢れ、穴ぼこから汚水が溢れ、商店になった巨大で多層のテントは100年余もの塵埃でコンクリートのようになり、その商店街らしき通りで、どこを見ようと清潔でピカピカのものは存在しなかった。その輝く道路や建物は、驚異的でさへあった。あのとき宮崎市街をみて、すぐに思ったのは、選択され、磨かれる、その管理費は、生活のどの部分に課せられているのかという思いであった。それはインドとは桁違いの物価であり、税金や規制や規則であるはずと認識できた。その道路磨きの分担は、目に見えないが、心身からエネルギーを知らぬまに奪っているのではないかとも思えたのだ。その道路には、人影一つも見えなかった。それは今朝も同じであった。
昨日(2011年9月2日)のNHK朝の連続小説「おひさま」で貧困家庭のため幼少で奉公に出された陽子の友達が、結婚して自分の店を開くと故郷にかえってくる再会の話であった。心温まる再会であり、良かったと心が和むのだった。彼女は店はいつでもだれにでも開かれている、こんなやりがいのある仕事はないと言うのだ。陽子も嫁入り先の蕎麦店を生涯の仕事と選んでいるので、この店はだれにでも開かれているという言葉のすばらしさに感動するのであった。これもいいシーンであった。ほんとに店はそうありたい、そして店で名も無く貧しく、美しく生涯を働きの場として選択できるのならば、こんな楽しい、充実した、人生はないであろうと感涙したのだった。
しかし、しかし、店はだれにでも開かれているが、「だれも店に来ない」という現実が、より現実なのである。ぼくも次男とカフェ・雑貨店(これこそ、彼女が奉公に出されて帰ってきた安曇野に開こうとした店である)を開いて3年間で、1000万円を消費して、閉店した。経営が悪かったといえはそれまでであるが、個人の努力・経営ではどうにもならない、市街地の無人化という現況があったのだ。ここが「あさいち」の不思議な主張なのである。作者はとういう現実感や提案で、このドラマを書きつづけられたのだろうかということである。いや、そういうケチなぼくの解釈が可笑しいのかもしれない。感動すれば、それでいいじゃないかと、すこし素直になれと、ほんとこのアサイチは止められない楽しさを、毎朝与えてくれてもいるのだから・・。
そこで、またインド映画を思い出した。インドの市街は、汚れているばかりでなく極貧者に溢れかえっていた。滞在中、ホテルを一歩でて市街を歩き出すと、その極貧者にびっしりまといつかれて、それらを振りほどくのに努力が要った。そればかりでなくて、ホテルのドアはうまく閉まらず、シャワーは水しかでない、テレビはかすんでよく見えなかった。街のテントの並んだ市場では、こんなボールペンなど捨ててしまうようなペンが数本ならんでいたりする。雨が一時間も降れば、道路は浸水してとうとうと下水のようにガンジス河岸に流れ込んでくる。タクシーの多くはワイパーも取れたままのものもあった。こんな暮らしの毎日で映画館に入ったのだ。ほとんどがミュージカルで、映画の中では、家は豪華、テレビも冷蔵庫も新品で、道路は舗装道路で、新車が走り、家族はファッションでつつまれ、豊かなる生活を謳歌する。映画館は一等席から三等席まであり、極貧者もスクリーンすぐ下のシートでわいわいとうれしげに映画の単純なミュージカルを楽しんでいるようだった。こんな人をバカにしたような映画を見て、腹が立たないのだろうかというのが、ぼくには、おどろきであったのだ。
今、ぼくは毎朝、NHKの朝ドラを見るために午前8時までに例のイングリッシュブレイクファストの朝食を作り終え、それを入れたてのコーヒーとともに居間の42インチデジタルテレビの前に並べ、食べながら楽しんでいるのだ。腹は立たない。インドの極貧者たちも、そうだったのだと、今は思いだしている。幸いインドが、世界一の経済大国に成長する確率は、中国を抜くと予想されている。映画は現実になる。日本も「あさいち」が、現実になる要素があるのかもしれない。そこをどう嗅ぎ付けるかが、問題であろうか。作者の意図はそこにあるのかどうか、これから見えてこよう。