市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

2010年ポストクリスマス

2010-12-28 | 日常
  ぼくに作曲の能力があるならば、ポストクリスマスという曲を作って見たいと思う。クリスマスが12月25日というのが、巧妙であろうか。ポストを味わう間もなく正月休みになだれこんで、キャーキャーを騒ぐテレビ並の締めくくりとなって、足元の穴を忘却できるからである。今朝、目覚ましの音を消してちょっと息をついて、起床したら、すでに午前8時であった。なんだこれはと驚く。6時半から15分くらい過ぎたかなと思ったのに、太陽が昇っていた。

 今朝は出勤して、スタッフに年末調整によってこの一年徴収された税の過払い分を戻せるのだった。これは現金を封筒に入れて、手渡していく。このときは事務長としても気分がいい。一万円であろうと、3万円であろうと、これで家族でランチでもしてくださいというと、これで十分ですと、満願の笑みでこたえられたりして、自分がサンタクロースになったみたいだ。だが、理屈からいうと、この金は当人の金で増えたわけでも天が落ちたものでもないのだ。しかし、天恵のように幸運が来たと浮き立つ気分になるのだ。税務署もかんがえているわいと思う。

 わずかなお金が舞い降りる、たとえ自分の年間収入の一部であったのだが、それが幸福感をもたらすとは、まさに貧しき者よ、幸いなれではないか。同じころ、ボーナス100億円以上ももらうという、米国企業の最高経営責任者という老人たちは、100億円をどういう感じで受け取るのだろうか。もう生きる時間が少なくなってきているのに、その金どうするつもりなのだろうか。それはそれなりに金への欲望は衰えないのであろう。ヘッジファンドに余剰金を寄託して、レバレッジ手法で、利益を求める投資資金が、何千兆円と世界中を駆け回る現実があるかぎり、金への執着そのものが幸福感なのだろうと推測してしまうのだ。一億円もってランチを一家で楽しめないだろうな。すぐに人生は終わるのに、ごくろうかなことだと、つくづく思うのだ。ぼくにもぼくの過払い税が帰ってきた。しかし、今朝は腹が痛い、嘔吐下痢かもしれない。

 先々週に見てまわった横町の看板を思い出した。昔は、この辺りは橘通り7丁目といわれた裏通りだ。

 (有)松古堂島井表具点  枝本化粧品店 深江アパートの一階、補正リフォーム毛利  たばこ酒類菓子切手(有)坂田商店 中国数学研究室 焼肉
焼きそばお好み焼き 味の店大阪屋ホルモン 文林堂 質流れ品販売 買い取りも致します鈴の屋 ダンス用品 ティー&ランチ いなり 麻雀和wagomi)倶楽部 契約駐車場北隣 仕出し弁当まいらんち フランス料理雲の平・・・・

 いまごろはこういうことば使いはしないなあ、こんな看板でじっさいに商売が続けられているということが、不思議でさへある。うらぶれて裏町で、これらの看板を見て廻っていると7丁目の夕日という感じにつつまれていった。ここにはクリスマスも、電飾ツリーも縁がないだろうが、なんかひどく想像をかりたてられるポストクリスマスがここをつつみこんでいるようだった。年明けにまた行ってみようか。
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断捨離(だんしゃり)」

2010-12-17 | 生き方
  水曜日(12月14日)午後3時ごろ、デパートカリーナのあたりをぐるぐると廻った。刀削麺(とうしょうめん)というラーメンを出す店を探した。麺や牛肉を包丁で削りながら、鍋に落していくのだそうだ。その店はなかなか発見できなかったが、それにしても横町には人影も無く、師走の賑わいなど、どこにも無かった。デパートが3点も固まった中心市街地もまさに師走はなく、どんよりとした曇り空の下で冷えていた。10年ほど前は師走といえば、商店街には人がきぜわしく往来し、ジングルベルが流れ、デパートの食品売り場などは、熱気であふれかえるようであった。モノも食品もどんどん売れていき、客たちが手にしたデパートの買い物袋が幸せ家族を感じさせ、それが師走であった。今は消えた。

 この「断捨離」とは、家のなかの使用しなくなったモノをすっぱり捨てて、もはやモノ依存の生活から離別し、新しい人生を開こうという生活革命の用語であるらしい。その断捨離の実践映像が、NHK12月16日のクローズアップ現代で放映された。とある夫婦のアパートの一室、開かずの間として、そこはまさに、今はもう使用していない品物が、山のように積まれていた。それを思い切って捨てた夫婦の新生活が放映された。捨て去った後の部屋はフロアーは新築当時のように光、そこは新しく家族の団欒の間に生まれ変わり、新らしい生活がはじまったというのだ。また父母を看取った一人娘が、遺品を整理し、すっきり広くなった家に、一人で生きる新しい意欲が涌いてくるのだと報じられた。ゴミのように家屋に溢れる品物を、思い切っての廃棄した決断の結果は、たしかに目をみはる快適空間を生み出してくる。新生活の場として目を奪うのであった。

 ここで一人のモダン僧侶がコメンテーターとして登場し、モノの過剰、情報の過剰を自分の意思で斬り、そのことから真の生活をとりもどすことを説いてみせる。その煩悩に捉えられた心から解放されたかのような、モノの無いぴかぴか、清潔な空間が我が家に現れる。断捨離の功徳というわけか。

 だが、ちょっと待って欲しい。ここには気付かれてない大きな問題がある。
あなたが踏ん張って廃棄処理したもの、その山のようなモノは、あなた一人で消滅したわけではないということである。だれがゴミ焼却場に産廃処理場に運んでいって目の前から消してくれたのかだ。水道を捻れば、水がでるようなものではない。わが隣近所でもときどき山のように燃えるゴミがだされる日もあるが、雨の日など、それを懸命にごみ収集者に運びこむ一人、もしくは二人の収集員の労働をみると胸が塞がれるようである。それは30キロの山中のゴミ処理場までも労働はつづくのである。このような排出を断捨離の意欲で、全戸がやったら、事態はどうなっていくのだろうと、想像しなければならない。

 ぼくは、いつも思うのだが、都市の住宅街を山の上から見下ろしたり、自転車で走りぬけたりするときに、市街を覆う住宅が、それそれゴミ処理場、産廃処理施設の役目を負っているのだと想像するのだ。多分4分の3、あるいは3分の2くらいは、不用品、ゴミと化した物品で部屋は覆われているのはまちがいない。ほとんどいのマンション・アパートの片隅の窓際をみてみよう。たいがいが、その窓際に重ねなられた段ボール箱を除きみることができよう。また玄関わきの傘たてに100円のビニール雨傘が10本もつっこまれていたりする。このような不用品を、全家庭がゴミだししたならば、処理はどうなるのか。どれだけの償却費用がかかるのか、その経費はどうする。人権費だけでも、現在の何十倍とかかってくるはずである。われわれ各人が断捨離で新しい生活を楽しみたいということは、このことと関係しているのだ。

 不必要になったら捨てる。そして、広くなった部屋でさっぱりするとは、他人を犠牲にしてのみ成立することでしかないのだという、問題を想像してみようじゃないかと、思うのである。

 ぼくの10畳のプレハブも衣類、スポーツ用品、本などで、足の踏み場もないくらい埋まっていた。先日、スティール棚を購入して、整理しようとした。いやその前に知人が軽トラで産廃処理場まで運んでくれるとも提案してくれた。だが、その部屋を何度かみながら、物品の配置を考えてみた。そして日曜日、その案によって、朝の10時から午後6時までかかって配置し終わった。そしたら、およそ6畳くらいの空間が出現した。ここは日当たりがいいし、冬の昼間の書斎としてもチップの昼寝の部屋としても最適となった。いやあ、品物をすてなくて良かった。世話になった品物であるし、無用になったら焼却炉に放り込むというのはね、それを思う。節子は、かねがね、モノをすぐ捨てるぼくの精神を批判していた。一言、モノだって心があるよ、かわいそうじゃないと。そういう言い方もあるのだと、今は思わないでもない。それとどうじに思う、この整理され天井ちかくまで重ねられ,治まってしまったモノ、本をみながら、おれは、国家の全廃処理に奉仕しているのだと、誇りうるのだ。固定資産税まで支払ってゴミ処理場の役目を背負っているのだ。いいじゃないか、それで満足しようなと。






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宮崎市の師走の町で

2010-12-11 | 生き方
 昨日は、真冬の寒冷で、宮崎県で初氷であったという。もちろん、ここ宮崎市では霜もなかったが、手袋をしていてもかじかんだ。寒風が吹き、師走の中心市街地にでてみると、いきなりデパートの垂れ幕ポスターに「じぶんの町を良くするしくみ」と明朝体の赤い活字体の文言が目に入った。きりりと意識を刺すようなフォントのポスタがおおいかぶさってきた。並んでいた「がんばろう宮崎」と「1000,000人のサンタクロースキャンペーン」とくらべて、この奥歯にものがはさまったような言い方に違和感と不快感がどっとつきあげてくるのを感じたのだが。

 じぶんの町を良くするしくみとは、かんがえてみると、なんにも具体的な意味はつたえていないのだ。この不愉快さがあるのだった。こういう垂れ幕を手間隙かけて製作、デパートに垂らすよりも、このデパートの裏側にあるポケットパークと愛称された場所を、以前のように自転車が気楽に停められるようにするほうが、よっぽど「じぶんの町を良くするしくみ」になるではないか。そう思えないか。だいたい「町と良くする」とは、具体的にどういうことなのか、そのコンセプトはあまりに広がりすぎて、つかみようがないのである。たとえば、例の前宮崎市長であった津村氏のシンガポール幻想による駐輪禁止、看板規制、歩道整備などなどによる街中のお片づけの大衆受けの「良くする」都市整備を連想させられる。これも良くするとしくみと、いえぬことではないが、このために中心市街地の賑わいが消失したことを併せてみると、良くすることではなかったのだ。町、街の都市的仕組みを、良い、悪いで一言でもんきりポスターにされることではないのである。

 むしろ、この文言を「じぶんの町を悪くするしくみ」と変えたほうが、意味は明確に伝達していけるのではないだろうか。悪いということは、きわめて具体的にイメージできる。だれもこうであったらと、それぞれのイメージを確かめられる。この文言が回覧板のような明朝体フォントでなく、手書きで荒々しく書かれていたら、この垂れ幕は、師走の街を気ぜわしく往来する人々を挑発できよう。今年のしめくくりとして、じぶんの町を悪くするしくみを、考えさせてくれる。心は、生き生きとなる。悪い町、悪い場所ほど、想像力をじつは書き立ててくれるのは、アートの生まれる状況となりうるのだ。

 もちろん、こんな冒険などだれもしないであろうから、やるならこちらでやるしかないではないか。しかし、資金を出してくれるものもないだろうし、製作しても、デパートが壁面を使用させてもくれないだろう。だいたいそんな意識や発想があるなら、せっかくの自分のもっているポケットパークのバックヤードに鎖を張って駐輪禁止にして、人々も散らすようなことは思いつきもしなかったろう。で、どうするか、その代案として以下のようなことを考えてみた。
 
 垂れ幕にかわり、人差し指の先に納まるようなポスターを作る。そのなかに「じぶんの町を悪くするしくみ 連絡先090-・・」とあるだけのポスターでこれを、電柱やら壁やら軒下やら店のテーブルやら柱に貼付させてもらう。これを気付いたものだけが、このポスターに反応できるようにする。実はこのアイデアは、今年の宮崎映画祭第16回で上映された「亀は意外と速く泳ぐ」で、毎日なにも生じない平凡な生活にあきあきした主婦が、ある日街の中の階段の通りで、つまずいて転んだとき、倒れた目の先の石段に小指の先ほどの広告が目に入るそれは、スパイ募集の広告であった。この奇妙な広告のパクリである。このような広告に応募したという点でスパイの資格十分と採用されるのだが、こちらもまたこのポスターに関心をよせる市民がいたとしたら、それだけで町は良くなっていく契機となるであろうと思うわけである。

 今年も先月にチケット売りのワークをしたのだが、この体験から、ここ数年の間に、ほとんどの人々が、「じぶんが関心がないものには、まったく関心を働かせることはない」という実感をもつようになってきている。自分で光をはっして、未知なるものを照らしてみるという意識が働くことが衰弱の一路をたどっている。だから、光っている電飾のようなものにしか関心が向かない。これこそクリスマスのツリー飾りの電飾に群がることになるのだろうか。これではじぶんの町は良くなることはないであろうと、今日も師走の町で思うのであった。

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