市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

サロンコンサートの核心がつまめない

2008-08-31 | 文化一般
 日高時計本店プロショップで、企業メセナのコンサートが、毎月開催されているというニュースは、わかりやすい明晰な文化情報である。それで、今月の内容はと
インターネットで検索する、だれでもやってみる検索、ホテルの予約、温泉探しなどなどと同じ、簡単な情報入手である。

 ところが、そうは問屋が卸さないのだ。キーワードに日高本店プロショップを入力、当店のサイトを開いても、コンサートの情報などどこにもないのだ。それで
そこから「日高本店」へ飛び、そのサイトに入る、しかし、そこも変わらない。そこであちこち探すと、ホームというボタンがあるので、ここをクリック、すると、まさに忽然として、日高本店ホームページのトップが現れる。そこで、メニューにインフォメーションとあり、下に、HIDAKAVOICE Vol.4 Vol.3をクリック、それでもまだだ、思いついて見出しの「インフォメーション」をクリックすると、商品販促のイベントがずらりと並び、その一連の最後にやっと「スプリング ミュージック フェスティバル」を探し出した。やったあーである。こんなことで、やったもなにもないんだが・・
 
 しかし、その情報は、5月26日のコンサートまで、それ以後はどこを探しても終に見つからない。7月26日の外山、浅生のデュオ・フルートコンサートも夕べのスプリング ミュージックのまとめも情報も無いのであった。しかたなしに時間は直接電話して確認した。

 宮崎市では貴重な企業メセナのコンサートが、こんな迷路のような情報でしか伝わらないというのは、想像もしなかった。夕べ、会場で貰ったのは、9月6日に迫った金庸太のギターコンサートのチラシと、みやざきアートフェスティバル2008の
詳しい日程と内容の一覧になったパンフレットだった。これで、10月19日からは、カールF.ブヘラ 提供 サロンコンサートは、新しい催しになるのだ。しかも今回は主催はそれぞれの実行委員会、しかも有料1000円もしくは2000円となる。

 しかしこのファスティバル昨年秋、2007年は宮崎文化本舗主催で、出演団体もそれぞれ主催者があるという形式であった。今回は、日高本店かと思ったら、主催は出演者それぞれと、フェスティバル2008実行委員会と変わり、事務局は、はにわ広告事務所内となっている。

 そこでだ、だれがなにしようと、どうでもいいんだが、とにかく分かりにくい。
関心を引かれるカールF.ブヘラ 提供 サロンコンサートの流れはどうなっているのだろうか。この10月のフェスティバルの間の外山・浅生のフルートデュオと6日の金さんのギターは、どの分類に入っているのだろうか。まるで葉境期のようにサイトに情報も掲載されてない。企業メッセという稀有の文化事業は、ばらばらに
分裂しているのだ。どこが主催か、だれがプロデュースするのか、この一番大事な部分がぼけてしまっている。その時間的流れも明確でない。

 何回が、コンサートの進行者は、ここでコンサートでお世話になっています外山友紀子さんに司会をしていただきますと、マイクを渡した。そこで思う。日高本店プロショップ側は、コンサート開催で、外山さんにどんなお世話になったのか、そこを知りたいんだ。企業の支援を受けての実施に演奏家である彼女が世話を貸すのであれば、いったいなんなのだ。それはプロデュースという、大きな仕事ではないのかと想像するのだが、そんな情報などどこにも、見つからなかった。

 たしかにプログラムを見ても、チラシをみても、「ムード」は溢れている。しかし、どうやって、このコンテンツが生まれ、どういう経過をたどり、これからどういう方向に向かうのか、そのコンセプトは明確ではない。ここを、もっと押さえ、記録に残し、役割をはっきりしていかねば、メセナが効果を発揮しないのではなかろうか。いかにも宮崎的な、責任をはっきりしない、まあまあまあの心情世界を感じるのであるが・・。

 



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カールF.ブヘラ 提供 サロンコンサート

2008-08-30 | 文化一般
 スイスの高級時計製造販売するカールF.ブヘラ社がメセナするコンサートが、宮崎市の日高本店プロショップで、年初から毎月一回開かれてきて、今夜は半年の区切りとなり、そのコンサートとパーティに参加する。

 街の商店の展示ホールを会場に開催される形式のサロン・コンサートである。ぼくが参加した限りではいつも定員(100名)オーバー気味の満席であった。まさに小規模のコンサートであるが、私はこのささやかなコンサートに関心を抱かざるを得ない。なぜなら、それは専用の音楽ホールでなく、商業店舗の展示室を利用してのコンサートだからだ。それはオルタナティブなコンサートで、このオルタナティブには「・・の替わり」という意味以上に「新しい」という意味を含んでいるから。

 ではなにが「新しい」のか。まず、それはステージと観客席の仕切りが、かぎりなく薄いということだ。メディッキット県民ホールでのステージと指定席の厳然たる区分を思い浮かべて欲しい、プロショップには仕切りは無いも同然である。さらに建物と周りの建物の間にも区別は無い。教養的、ハイカルチャー的、ハードとして聳え立つ県民ホールとはまさに異質の建物である。

 ステージと客席の近寄りは、演奏者と観客の区分が無いということになる。つまり演奏者と観客がともに音楽を作り上げているということになる。なぜ、観客は音楽を創っているのか。音楽という物理的音響は、観客という受け手が意識して感じて、初めて音楽となりうるからであるからと、解釈することが出来るからだ。それほど、観客の存在は欠くべからざる要素であり、それを自覚させることが,
できるのが、オルタナティブ空間である。観客はブロイラーの鶏ではないことだ。

 毎回の常連になった人も多いと聞く。それはこのサロン・コンサートが、指定席に向かって与えられるだけの給餌的な演奏でなく、自分も参加していたという余韻が残るからではないからだろうか。

 しかし、このサロン・コンサートについては、あまりにもなにも知られていない。これがまた興味を引く宮崎市の文化状況であろうか。
 
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首が回らないのが治った

2008-08-28 | 生き方
 首は、また回りだした。今日、試しにプールでクロールとバタフライを泳いでみた。クロールでは首は左右に、バタフライでは、首を前後に振る。どちらもごくゆっくり、おそるおそる全部で200メートルほど泳いで、終った。首は動いた。水中ではやわらかく動かせる。後は鈍い痛みが、あるだけでなんとか日常に戻れた、思ったのだが。

 ぼーぜんとして、集中力はない。コメントで、mkさんという方が、ドキュメント映画「いまここにある風景」の感想を投稿していただいたので、これが興味を引き、その返答を書きたいのだが、出来ないでいる。中国の産業化にともなう国内の
恐るべきというか、風景の変貌を記録した写真家のドキュメントで、今全国各地で上映が始まっている映画である。ぼくも見てみたい。なんかこのカナダの記録写真家の写真をみると、いろいろと言いたいことが湧き出てくる。

 さて、そんなこんなで、うとうとしていると、このギャラリーをシェアしている「小鉄」〔シーズの雑種犬、10ヶ月)が、今日の午後に限って吠えまくる。蟹がまわりにいるので、それに向かってほえつづけるのだ。蟹は、平然と近づきうろうろしつづけるので、そのたびに一匹づつ箒で払いのけねば鳴らず、こっちも落ち着けない。車の下に逃げるのを、下をのぞいたりしていると、また首の痛みがもどりそうで、とうとう小鉄のゲージを風通しにいいテラスから、ぼくの机の隣に引き込んで、エアコンを入れた。

 エアコンは、日中はつけないので、つけると急に、一日が終ったみたいに感じられて、仕事はもう止めた。明日だと観念した。

 日曜からの4日間、激痛の首をかかえた生活のストレスが、吹き出てきたのだろう。ほとんど、ものをかんがえられない。意欲もない。あるのは、食欲だけ。これで食欲も消滅していくのが病であろう。それに病棟に移り、住み慣れた住居も。幸福の基本、食、住、健康がすべて無くなる。まさに恐ろしいことだ。しかし、これは必然の未来!
 
 だれの人生も短い。中国人もまた然り、こんな人生のために自然を変えるなと、ほんと思うばかりである。

 
 

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幸福かどうか

2008-08-27 | 生き方
 僕は幸福は、蛇口をひねればいつでも水がでるくらいのあたりまえのこととして、食事が可能なこと、安全で隣近所の騒音がはいらぬ住宅で、今日も明日も過ごせること、体にどこも痛みがないこと、この三点さへあれば幸福だとしている。

 この三点セットの一点が、日曜日に崩れたのだ。朝起きると、首のあたりが重く
鈍い痛みがあった。もう何十年も起きなかった、首の寝違えかなと感じた。その夜
明け方近所に落雷があり、どーんという爆発音で目がさめ、隣に寝ているシーズ犬を、身近に引き寄せたときの姿勢に無理があったかもしれなかった。

 この不快な痛みをいっそうしようと、午後4時ごろ、庭の草むしりをやった。一時間ほどで終ったが、その後、突然、激痛が首の周辺に発生した。あ、これこそ寝違えだ。午後11時就寝するも一睡もできず、夜が明けた。

 月曜、午前10時ごろ鎮痛剤、ロキソニンを服用した。と、午前11時には痛みが消えていった。その後、治ったわいと、生活を送って、夕方、午後6時ごろ、まさに突然のように激痛が始まった。前よりももっと激しいのだ。午後10時にロキソニンを服用したが、こんどは痛みは治まらなかった。治ってなどいなかったのだ。

 首が少しでも動くと激震、左手をあげられない。背中がまげられない。ものを考えられない。椅子に座り目を閉じて、過ごすしかなかった。

 ここ何十年も痛みなどなかった体が煮えくり返るように激痛で滾りだした。その時間、マズローが説いた、あの幸福の5段階の条件、人に認められたいとか、権力への志向、金メタル、貨幣、情報発信、自己実現、創造への実現、この激痛のまえでは、どれもこれもなんの幸福でもありえないと思えた。

 人の肉体とは、耐震偽装建築以下のか弱い建築物なのであると、実感させられるのであった。脳みそもまた肉体の一部でしかない。その脳に宿る価値観も芸術もすべて、激震がくれば一挙に崩壊・消滅するものでしかないのだと、再認識できた。

 根性とか、忍耐とか、努力とかの美名のもとに、この自分の繊細な肉体を酷使してはならない、自分を支える肉体に愛を払わずに、なぜすすんで酷使できるのか。
それはほんとうに自発的な意志に基づくものだろうか。

 さて、今日水曜日、投薬、筋肉弛緩用にビタミンB、ボルタレンテープ(湿布剤)
漢方薬「芍薬甘草湯(シャクヤクカンゾウトウ)を連用した。その効果あったのか、今朝は大雨の中を車を運転できるほどになっていた。

 この激痛はまもなく治まるだろう。しかし、収まらぬ激痛は、われわれを容赦なく襲うはずである。そうなったとき、なにが自分の状況を納得させてくれるものになるのか、ここは日ごろから自覚しておくべきであろう。ともあれ、三点セットの
幸福が、また戻ってくることに感謝しなければと思う。それ以上の幸福を望んではならない、確かにそう思えるのであった。


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鍋(生活)と、じゃが芋(文化)

2008-08-19 | 街シーン
 鍋のなかの水にじゃが芋をほうりこんで、ひとりで水が沸きだすという、熱力学の反対が起きることはありえない。つまり、高千穂通りという生活の場を活気づける、ために生のじゃが芋(アート文化)を投げ込む装置という「T-ステージ」は、機能不能どころか、街のゴミと化している。生活の邪魔者である。なによりもデパート「カリーノ」の入り口の邪魔、そして、自転車駐車の妨害物となった。

 そこに一人の女性ガードが駐輪禁止と整理をやっている。実は、その女性と会話を交わすようになっていったのだ。ある日、ぼくはT-ステージに意図的に駐輪していた自転車の鍵が不明になったとき、彼女は自分のことのように心配して、探してくれたことが契機になった。あれから、ぼくは、彼女に協力して、そこに駐輪をしなくなった。だが、彼女がいない限り、駐輪は続行するつもりではある。こんな馬鹿げた歩道の占有は絶対に許せないからだ。

 それはそうとして、彼女の勤務であるが、宮崎市民の何人がその実態を知っているのだろうか。彼女は年のころは40歳前後の小顔のいい顔をしている。なぜこんな仕事についたのか、止むをえぬ生活の事情があるのだろうと思う。それほど、この仕事は、大変だと思われるのだ。彼女の勤務時間は、朝の10時からカリーノの終る午後10までという。この炎暑の路上で、朝の10時から夜の10時までである。ここのところの猛暑のため、一時間勤務で30分休憩という措置がとられだしたという。それにしてもだ、あなたやれますか。
 
 青い分厚い綿の長袖の制服シャツにネクタイ、制帽、白い手袋で、一日中、ここに自転車を止めないでくださいと、ていねいに同意を求めて、整理と監視を行なうのだ。どうかんがえても、彼女自身が、ここに自転車止めていいじゃんと意識してしまうのではないか。ぼくには、いつも止めてと優しかったが、ぼくは止めない。
止めないことに彼女への協力という意味をみいだしたからだ。しかし、彼女に意味はあるのだろうか。

 猛烈な日射、アスファルトの炎、ぼくは、猛暑のサイクリングでこの過酷さを体感しているので、その労働がよく理解できる。休憩時間は、デパートの部屋でというが、もちろんエアコンにはかからない。これをやると体調が狂うからだ。そして、午後7時半に日が沈み、やっと夜の10時に、長い一日が終る。

 この無為意味極まる駐輪整理という過酷な労働を強い、かつ税金の無駄遣をやるのがT-ステージの「結果」である。その発案者の文化意識が、どれほど冷えたじゃが芋であり、生のじゃが芋が水を沸かしだすという妄想であるかを、一日をはたらく一女性ガードは明らかにしている。これこそメッセージのある文化なのではないかと思う。

 彼女は、盆が終って、こんどは工事現場の安全整理に移動になると聞いた。これを聞いて、ほっとした。良かったですねというと、ええと笑ってうなづいてくれたが、彼女は内心はどうなのか、よくわからない。そして今やゴミというより、高千穂通りのかさぶた(Scab)と化したT-StageからT-Scabとなったものの撤去を望みたい、そうすること、それが文化発信ではないか。
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自転車

2008-08-18 | 楽しみ
 盆休みには、例年のように綾、青島、西都原へのペタリングをやろうと思っていたが、来客、訪問などとあっというまに時間がなくなった。最終の日曜日に、曇った夕方、青島へ向かって、一つ葉大橋を渡って出発できた。

 すぐに気分は爽快になってきた。一センチ刻みで反応するハンドル、車体というぎしぎしした感じのない感覚、軽く、靴を履いたよりも違和感がない車体が快感
である。日ごろ乗っている普通の自転車、これもかなりいい自転車だが、まったく
同じ自転車というには、あまりに動く感覚がち違うのだ。ひさしぶりに感じるこのサイクリング感覚に、朝から不快であった気分も体調もぐんぐん晴れ上がっていくのであった。このスポーツ用に特化された自転車の素晴らしさは、なんど言っても言いたいりないくらいだ。自転車でもなく、自動車でもなく、肉体の一部となる機械とは、発生期の未来派の絵画を感じるようなものであろうか。

 普通の通勤用のものは、もう8年乗ってきたが、やっぱり自転車という感じだ。あちこちで、がたがたときしみや異音がする。車体は、思うように反応しない。重く、鈍く、取り回すにも、時間がかかる、つまり一瞬で思いどおりに動かない。まさに手になじまない道具を使っているようなものである。だから、市内をあちこちするには、かえっていいのかもしれない。がたがた、ごとごとと街路をこいで行くほうが、街という感覚、さびれた夕方の街の哀愁を感じることも出来る。

 青島前の商店街は、猛暑の夏で人通りも多くシーズンの活気があった。しかし、建物のほとんどは、手入れがなく、看板は古び、おまけに廃墟のような無人の観光ホテルが通りを覆っている。いかに普段が寂れた観光地なのかを、隠しようもないのだ。阿蘇外輪山を取り巻く、観光地とくらべると、その衰退ぶりは恐ろしいくらいだ。だれがこういう街にしたのか。というような憤りも覚えながら、声につられてカキ氷の店に入った。ガリガリと氷の粒のある懐かしいカキ氷であった。

 帰途、子供の国と海岸の間を木花運動公園に至る、遊歩道を走る、ここは、雄大な海岸風景を楽しめる、この景観に比べるとハワイなど玩具の人口海岸にすぎないのである。この手付かずの自然をまだ残す海岸は、全国に誇りうる景観であろう。
それにしても、なぜ、観光客は、毎年、宮崎県庁に何十万人と押しかけ、物産館で行列しておみやげを買い、それだけで帰っていくのだろうか。ここまで、やって来て、この自然を満喫して欲しい。

 ここを一気にはしり抜け、飛行場脇を抜け、一つ葉大橋を超え、山崎街道入り口に着いた。55分かかった。一時間足らずで、日常を、まさに超えられるとは、かんがえてみるとすばらしい自然都市ではないだろうか。これも自転車あるゆえだ。

 なんかおもしろことないかという人に自転車をおすすめする。

 
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勝ち草、負け草

2008-08-09 | 格差
 草には自己判断とか、他者との比較とか、自己改革、現状から脱出、反抗、向上心などの意識は無いと、普通は考えられている。と、思うのだけど、どうだろうか。僕の家内などは、草花でも草でもペットにするような配慮をする。しかし、草に個の意識は無いとしても、いいようなので、勝ち草、負け草と分類してみた。しかし、草にたしかに個の意識はないと断定できるのだろうか。

 
 猛暑のつづいていた、先週、とうとうたまりかねて、ギャラリーから見える門口のつづじの植え込みに、繁茂する草の除草をすることにしたのだ。つつじは枯れ始め、中心に植えられた2メートルほどの木の半分くらいの葉が焼けたようになってしまった。水を夕方注いでも効果がない。そこで、日射の中を草を抜き取ることにしたのだ。

 今や、30センチ高のつつじの3倍も4倍も丈高く噴水のように青い、みずみずしいさーべル状の葉を吹き上げている草、これが、この花壇で最高の勝ち組である。どうして、この強烈な日射の、炎天下に、茂りまくり、かつ水を浴びたように
しているのか。

 負け草は、やはり元気なく枯れたものも混じる羊歯や、よなよなと細い、複雑な形状で枝分かれしたつつじほどの高さの草、そしてなぜか新緑のあざやかさをもつ
よもぎ、これは勝ち草かも、しかし可憐なので、負け草にした。その他、毛のようなつる草などが、生息しつづけていた。

 除草にとりかかると、いきなり分かった。サーベル状の猛々しい草は、それぞれが、つつじの一本、一本の根本に食い込んで、自分の根を下ろしているのだ、そこから、つつじの根の栄養分まで横取りしている。そして、たいした努力もせずに自分の根を、つつじの根の空間に下ろしていたのだ。羊歯や他の草花は、どもでも思いついて空き地に根を下ろしていて、力は弱い。勝ち草は、他人の根を利用し、しかも樹木ほど巨大になると、これを避けて、もっぱらつつじを狙い打ちにしているのだ、こうなると、樹木に意識がないとは思えなくなる。こいつは許せぬと、一本一本、抜いていった。またよもぎは、その地下茎のたくましさと、ネットワークで勝利しているのが、わかった。

 さて、このほかに除草を定期的にやっている場所が、建物に沿った50メートル
幅3メートルの農道の私道があるが、その一斉除草である。ここは、電動カッターで一挙に借り倒していくのだ。ここで、一番刈りやすい草は、このサーベル状の草であるというのが面白い。快適なほど、なぎ払える。これは快感だ。ところが、よわよわしい草は、回転歯にまきつき、朝露でも濡れていてはお手上げである。ここでは負け草が、抵抗しぶとく、ぼくにいわせると勝ち草となる。

  そして、いっぺん除草してしまった後、ふたたび、もとの木阿弥に2ヶ月ほどで還ってとき、おどろくべきことが起こる、草の勢力図がいっぺんしてしまうのだ。最大勢力を誇っていた草は、なぜか、次回は退場してしまうのだ。これも不思議だ。草の名前を覚え、もっとこの草の世界を調べてみたいものだ。

 ともあれ、草の世界でも用意に、勝ち草、負け草と、ひとからげには出来ない、ということである。 
 
 
 
 
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歌詞とメロディー

2008-08-02 | 文化一般
 Aさんの小学一年生になった一人娘さんが練習しているヒップ・ホップダンスの練習曲のCDを貸してもらえた。ババ・スパークスの「ミス・ニュー・ブーティー」というのだ。tがlに発音されるので、ブリー、ブリーと聞こえるので、幼児たちは一斉にお尻を振ってリズムをとるという。

 その歌詞を読んでみる。スタートはコーラスで、始まる。

 そこら中でケツ振りまくってるぜ

 やっと見つけたぜ ミス・ニュー・ブーティ
 自信もって オレにソイツ(ケツ)をよこしてこいよ
 ・・・
 ・・・
 
 
 最高のケツ頼むぜ 特上のヤツだぜ
 タイトに締まったの頼むぜ
                  これを3回くりかえす。

  まさにひったまげた歌詞であるが、遠慮なくどんどんすすむ。脱いじまって、
 見せっちまえよ、思いっきり振っちまえよとか、ケツよこせよ、その気になれよとか、その間にコーラスそこら中でケツ振りまくってるぜ、最高のケツだぜ、特上のケツだぜが合いの手にはいり、すすんでいく。

 ついに「オレは昔はオッパイが好きだったけど
     今じゃオマエに知り合ってからは
     オマエの胸なんかどーでもよくなって
     最高の喜び覚えちまったぜ・・・」
 と、クライマックスの終章にたどりつくという次第になっている。
 
 どうみてもこの歌詞は凄い、性の露骨さで圧倒される。その歌詞で子供たちは
ケツを振っている。それはほほえましい光景であろう。ただし、歌詞がわからぬ日本人の両親たちにとっては。

 先日、Aさんの知人の姪(14歳)がアメリカから宮崎市の観光に、祖父母とやってきた。Aさんは、中学生といいながら、日本では大学生よりもはるかに成熟した女を感じさせるとおどろいていたが、その彼女にニュー・ブリティーを聞かせたのだ。とたんに彼女はおおよろこびで、歓声をあげながら、ビートにあわせて体を振り始めて止めなかったという。まさか、宮崎市で、この曲が聴けるなんてと驚いていたというのだ。両親も祖父のまえでも、この曲はかけられぬとも。

 日本の歌でこれほどの露骨な性を歌うとなれば、僕は、替え歌しか思い付かないのだ。
  
  一つとせえ、一人娘とやるときにゃー親の目前でせにゃならん

  あるいは、軍艦マーチのメロディで、「マン、マン、マンコの七不思議・・」

 などである。このエロ替え歌の真のおもしろさは、その風刺性なのだ。世間常識や仕来たり、礼節を徹底的に破壊する数え歌、校長の娘とやるときにゃー、退学覚悟でせなにゃならぬ・・とか、つづく。しかも戦前の歌だ。帝国海軍の軍歌マーチをマンコの替え歌にするという大胆不敵さ、ここに押し付けられた美徳を破砕する本音の勝利がこめられている。これは、まさに芸術でもある。庶民がつくりだした
天才的作品としかいいようもない傑作でもある。

 さてと、ミス・ニュー・ブーティの歌詞にも、ネイティブ・スピーカーが聞いたら、このような風刺性がこめられているのではないだろうか。

 姪によると、このようなヒップ・ホップが、毎週金曜の夜のダンスパーティでは
じゃんじゃんかけられ、よくみんなで踊りまくっているという。その会場は、もちろん学校のホールで開かれているというのだ。

 ほんと、まさにアメリカ万歳である。ぼくの孫もアメリカで成長させたいものだと思うのである。そこには個人が本音で生きられる空間が公的な場所にこそ設けられているという自由さがあるのだから。

     
  
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