市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

快楽の出現

2010-02-20 | 生き方
 今年の「どくんご」受け入れは、実行委員会が宮崎市で出来るかどいうかにかかっているので、委員会の設立について、山崎にはっぱをかけてきている。委員会の条件として、チケット販売枚数を委員一人が7枚くらいにして、とにかく無理せずに企画を実現できれば、まずはそれでいいとしてと、彼とも何度も話し込んだ。

 だれもが横並びの快楽以外を発見しようという意欲が消えてしまっているように思う。快楽というのは、麻薬による心身の消耗を代償にすることでなくて、栄養を補給し、心身の充実をもたらしている活力を自覚させるものである。金のかからぬもので、読むことと、しゃべることがあった。だが、読まず、しゃべらずで、孤立感は深まっているのではないか。ほんと、しゃべる相手はまったくといっていいほどまわりから消えていっている。

 みんな自由な時間を奪われて、サービス残業、残業の毎日でそれを解決しようもない。ぼくの優秀な実行委員たちも、ここ10年あまり一人、また一人と会社や官庁やの過激な職務に呑み込まれていった。また話をしようにもかってのかれらたちとも、その忙しさであえる時間がすりあわせられないのだ。こうして10年ちかく経つと、彼、彼女にしても、もはや快楽に意識を積極的に向けることがなくなっていく。ぼくらがその後企画したイベントの券も、もう買うこともなくなってくる。おそらく本人は、忙しさのため仕方がないという意識であろうが、実は意識できないが、快楽への欲求が消えてきているのだ。

 一日が終わって、もう快楽をみつけるエネルギーは残っていない。そこで、もはや見つけるのでなく日の終わりに与えられるのだ。ブロイラー的給餌の快楽ともいえる快楽に身をゆだねるのだ。食っている快楽は、殺されるために食わされているという自覚はブロイラーの動物たちは予測も反省も不可能であろうが、人もたいして違わない状況になっていっているのではないか。

 自分で能動的に行為して快楽をみつける必要を排除するかのように、快楽は給餌塔から供給されるよに身の回りを埋めてくる。書店に行けば平積みの本や店長おすすめの本、店長おすすめは、あらゆる商店に掲げられている。クリスマスの電飾、フラワーショー、えれっこちゃ宮崎総踊り、そして国際音楽祭、映画祭、演劇祭、県や市の美術展などなどと、自分で動く必要のない快楽の電車が、ことしも軌道を走っていくだろう。

 しかし、疲労した心身に食い込んでくるのは、なんといってもテレビによる快楽であろうか。僕はテレビの視聴をかなりするほうだが、それでも紅白歌合戦は、もう30年以上見たことはない。一年の終わりの貴重な時間をこんな番組に費やすのがあまりに惜しいからである。ところが、テレビを視聴しはじめると、きまって女性のアナウンサーが画面いっぱい現れて、満面の微笑て「BS!大好き!」と執拗に繰り返してくる。この主語のないアナウンスをは、いいようのない不快感を立ち上らせてくる。それでもここを消せない、すぐにニュース番組がつづくからである。ぼくのテレビは半分壊れているので、画面を消すのがなかなか手間がかかるのである。

 よく考えてみようではないか。ここで、主語があって、アナウンサーが「私はBS!大好き!」といえば、それはそれで彼女に素朴さを可愛く感じるかもしれない。しかし、それはそうじゃなくて、「私たちは、BS!大好き!」のつもりか、そうでもなくて、もっとぼくにむかって「みんな、BS!大好き!」と宣言しているのであり、あなたも大好きであるはずと、何様のつもりか告げているのである。もし、これをマクドナルドが「マック大好き」と、またユニクロが「ユニクロ大好き」イオンが「イオン大好き」と、臆面もなくテレビの画面でアナウンサーが満面の笑顔をで言ったら、てめえふざけるなと、多くの視聴者は激怒するはずである。なぜNHKなら「BS!大好き!と宣言できるのか、それはとんでもない傲慢さであり対象をなめた行為であろう。こんなナンセンスな言葉を飽きずに繰り返すアナウンサをみるたびに、人間とうよりロボットがしゃべっていると、思えてしまうのである。


 そう、ロボットだ、われわれも快楽享受用にロボット化されるのだ。大好き、大好きといっているのは、実は自分自身であるが、本質はもうなくなっている。その意識あるいは自我、ここにはもう自分の言語はなくなっているからである。自分がいて、その自分が、自分なりの快楽を出現させるということはもはやなくなってきつつあるのではないか。そう甘い世の中ではないというのが、モノではなくて、意識の低下、困難のことを指すことになりそうだ。そうであるから、実行委員会は人間への道になるこもしれない。































 

 

 






 

 

  






 

 

 
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犬よわが犬よ

2010-02-16 | 日常
 ここ2年ほどぼくの飼い犬チップについて書いてない。ベンガル生まれの血統書つきのシーズ犬で、申し分ない容姿をしていたのだが、アトピー性の皮膚炎を秘めていた。そこで、かれのアトピーをどう抑制するか、したかでたびたび当ブログに書いてきた。マッサージを思いついて、その治療効果も報告した。ここ数年皮膚炎も沈静していたので、書くこともなかったわけである。ただ、今でも、いつも犬の生き方をみるにつけて、犬こそは、尊敬できる存在ではあるのだ。

 だが、かれはあっという間に12歳を迎えようとしている。歩行も弱まりつつある。ふたたび首の下、腹、四肢の体毛の薄い部分に皮膚の炎症が現れ、赤黒く変色している。マッサージも効果がなく、ついに動物病院に家内が連れていったのだが、なにを思ったのか、体毛をつるつるに剃ってもらっていたのだ。ここ一週間、春のように暖かく、膿がでたり、潰瘍ができたりする体を清潔に保たたせようとしたのだろう。この処置はチップを困惑に陥れ、朝夕は寒さで震えるようになってきた。朝の散歩を四肢を踏ん張って外にでたがらぬようになった。出てもつねに止まり、歩くのを拒むのが、以前にまして激しくなったのである。そこで、急遽、セーターを着せることにした。というよりかれに着てもらいたくなったのだ。

 以前、衣服を着せて歩く飼い主のペットをみるたびに、ありがた迷惑なかわいがりだと飼い主を笑っていたのだが、今はこうするしか思いつかなくなったのだ。純毛の体毛ならダウンなみの保温力しかも、雨にも耐えられる防寒性を持ち、おまけに体温41度で、厳冬などなんのことはなかった野性の力があったのだが、体毛なしで老骨、アトピー炎、体力低下では、この冬空に人の着せるセーターがなくてはならなくなったと、ぼくは思うしかなかった。

 ナフコのペット用品売り場で、調べるとあまり種類はなく、保温性のあるものもなく、半額とあるので、一点を選びカウンターに行くと、2千2百円の正常価格だというので、それならペット専用店でもっといいのを見つけようと、買わなかった。専門店にはチップも連れて行ってその場で、体長、首、胴周りを計測してもらい、毛糸性のセーターと内側に保温の綿をつけたチャンチャンコのようなものを選ぶと、2点なら1500円だと言われて安いと、驚いたのだ。そこで、リード綱をつける胴輪を選ぶと、こんどは3200円というのだ、こんなチャチナなものがどうしてジーパンよりも高い値段なのかと、納得できない、いや簡単な首輪さへことごとく2000円以上もするので、たまげてしまった。こんな程度の縫い品だったら、100円ショップにあるにちがいないと、こちらは購入しなかった。

 案の定、100円ショップには、リード綱、首輪、胴輪などがずらりと下がっていた。その中の胴に装着するリード綱に目を奪われた。ああ、これこれ、ぼくが欲しがったのはこれではないかと歓喜したのだ。つまりこれは、輪投げのロープのようになっていた。両前肢を通し、背中で管になっている金属管をグーっと押し下げると、ぴたりと装着できるようになっている。簡単明瞭、はずすときは管を上にずれせば、ぱらりと足元にリード綱は落ちるのである。なぜこれがありがたいのか、今している胴輪は、部品が内側つまり皮膚側から鉄の鋲で留められていて、その鋲の不細工な突起が、皮膚に喰い込んでしまう。それで散歩の後や寝るときには、たびたび、七面倒な胴輪をはずす作業をしていた。そこで、鋲のないもを探していたのだが、高級品以外はみんな荒々しい鋲止めであったのだ。構造を変えれば一本の紐で可能だったわけである。その綱をみつけた。たったの100円である。先週土曜日の話であった。

 夕べだったが、真夜中に節子がなにか作業をしだしたので、聞くと、チップが起きてきてセーターを着せろと吠えたというのだ。夜寒くなったようだと話てくれた。そうか、望んで着用されたかと、安心して眠りに落ち込んでいったのだ。

 大量販売店だからなんでも安いとは限らない。専門店だからなんでも高いとは限らない。常識はたちまちひっくり返るのであった。だいたい常識をひっくりかえす行動をしているので、うまくこれが活用できた。そして、商品の本質的機能と価格はなんの関係もないというとことを思い知ったのである。価格をどうみるかは、こっちの切り開く欲望との勝負であろうか。そこで思うのだ、芸術家の出演料や作品の価格である。故アイザックスターンの出演料は、宮崎市国際音楽祭では5000万円であった。ぼくが関わった、無名のアーティストは、5万円が高いほうであった。かれらと比べてアイザックスターンの芸術的感動が1000倍と計測できようか。 
 
 商品の価値と価格とは、関係ないということだけを言えるだけではないかと思うのであるが。まあ、買いたい人は、だれに遠慮なく買えばいいし、これが消費を活性化しよう。だが行政として税金を当てての買い物ならば、他を当たる行動はなかったのかといえるのではなかろうか。いや、いまごろそんなことを言っても遅すぎる、床屋清談にすぎない。あほらしい話でしかないだろう。そこで思う、ほんとに人より犬は、ぼくには納得がいくのだ。よけいな教養も芸術も必要としないし、それで自分を生きているし、だからより文化的ではないかと・。



 

 
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ラウルスコンサート 悲哀 

2010-02-13 | 宮崎市の文化
  夕べ、宮崎県立芸術劇場(メディキット県民文化センター)でラウルスコンサートに行った。その夜もまた、これまでの数回のコンサートで感じたような、淋しさ、悲哀感を感じることが出来た。演奏を楽しむよりも、この感情につつまれる夜のひとときを楽しんでいたのではないかと、終わってみれば思うのである。悲哀のクラシックコンサートを、今年も心に残してしまった。

 今から述べることは、その悲哀の正体についてである。出演者は14名(女性12名男性2)の内、9名(女性8名男性1名)が宮崎学園短期大学(前 宮崎女子短期大学)の非常勤講師である。ピアノの片野郁子さん1名だけが同短期大の準教授である。この出演者の顔ぶれからみても、ラウルスコンサートは、宮崎学園短期大学の音楽教育を世に問うコンサートではないかと解釈してもおかしくないであろう。だが、しかし、その夜のコンサートがなにを目的にしているのか、プログラムを読んでもわからなかった。そんな共通の目的など必要ない、それぞれの演奏家の演奏の場として聴衆をまえにステージに立つというのであったのか。それならプログラムのどこかで、略歴だけでなく、その思いを記してみてもいいのではないかと思われたのである。ぼくの知人の外山由紀子は、例年になく熱心に聴きに来てほしいと言われたが、それは観客数を増やすためだけではなかったようだ。ということは、自分の演奏を聴いてほしいということではあろう。ステージの彼女の演奏はひさしぶりに迫力があった。

 多分、他の出演者も学校行事としては意識には上らなかったであろうと思う。だとしたらこれだけの講師陣をそろえてのコンサートとは、なんなのだろうかということである。それと、この講師陣の略歴を読んで、これほどの研鑽を積みながら、宮崎市では短大の講師しか仕事の場所がないのかという文化の悲哀である。この思いが冷たく会場を流れていると感じないではいられなかった。

 聴衆の一人として、この冷ややかさのために、シーンとして彼女たちの演奏を眺めているしかないのだ。拍手をしたくても、拍手のスタートが切れない、それが場違いになるような気がするのであった。盛り上がってる場合かという冷ややかさが、漂う。演奏家自身も授業時間なのかと思えるような演奏で、型を敗れない。しかも生徒でない聴衆になにかを訴える目標も意識も感じられなかった。形式があり、形式で終わるステージがすすんでいく。どうしてこういうコンサートにしゅつえんしなければならないのか、それがまたぼくを包み込むのだった。

 この夜だけは、彼女らに非常勤講師の自我が開放される一夜であるのだろうか。もっと宮崎市では、彼女らの才能を生かし、生活を保障できる制度があってもいいのではないかと、ぼくは、そのことを思い続けていたのだ。たぶんこうすれば可能ではないのかとか・・。また同じく、このような状況でも、一人一人の演奏家は、今後も演奏家としてありつづける意思をステージから感じ取れるのでもあった。こうして、メディキットセンターの快適な椅子の背に体をあづけながら、環境と演奏家の葛藤から生まれるであろう未来図とかを描いて、コンサートを楽しめるのでもあった。

 彼女たち、アーティストというジャガイモであろう。そのジャガイモをたぎらせてうまいボルシチューを料理できる台所も料理人もいない宮崎市の荒野が楽しいのだ。かくして悲哀感そのものは、文化格差だけがある宮崎市の荒野をどう進むのかの楽しさに向き合う楽しさにに変わっていく、そんな夢想の一夜でもあったのである。ここの可能性を感じ取らねばともおもうのであった。ではどうすべきなのかと。
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遠隔のコミュニティ

2010-02-06 | 宮崎市の文化
 コミュニティ税というのを先日退任した津村市長は残したが、コミュニティが存在してない宮崎市内住宅街を、かれは認識できなかったのか、昔風なノスタルジーで縁側でおちゃを飲み交わす情景を幻想したのだろうか。どうもこの人は、ほかにも都市幻想を抱いてきたように思う。シンガポール幻想などが、今あらためて想起される。シンガポールのようのきれいな市街に宮崎市をなんとかして開発し、市街活性化を図るとしたが、結果は逆だったと思われる。幻想だけが事実として残った。

 いや人は、津村さんにかぎらず、それぞれの幻想をもって現実に対処しているのは間違いないし、まさに普通のことであろう。そうそう、日曜の自転車ぶらぶら散歩で、コミュニティ不在に変わるものをと、痛切に思ったのはあの奇妙なデザインの住宅が、場のなかに孤立して建っていた風景の虚しさばかりでなく、その前にもうひとつ不安な建物を見ていたからだ。

 その建物は、老人ホームであった。宮崎市近隣の町の住宅街や、街道にそって老人を対象とした、ケアホームや、福祉機能を備えた病院やがあちこちと建設されている。数ヶ月前に見たのは「ひだまり2号館」という老人ホームであった。まだ昔の林が残る道筋に静かに建てられていた。家内はいい名前だわと言うのだが、ぼくには淋しすぎる命名であった。そのホームを探して道を辿ったのだが、分からなかった。道筋を間違ったのだろう。ところが、分かったが、その1階は、7メートルは高さのあるガラス壁面となっていた。その内側は、食堂になっていた。そしてここは老人ホームであった。隣接して、ロビーになり椅子に座っている老人の姿も何人か見えた。

 その天井までとどくガラスを通して、見えるのは、畑であり、雑木で視界は区切られ、荒地となって廃材の捨て場に貸した広場もあった。目にするのは風景とうよりは、無用になった土地という感じのものであった。その土地を見ても楽しさはない。寂しさという詩情もない。ただ土地があるだけという広がりだった。

 あの豪華ともいえるホームの球面ガラスの内側の食堂やロビーで、この外部の土地を風景としてみるという境遇に、ぼくがなった場合を想像せざるをえなかったのだ。この球面ガラスの中は、外部の土地以上に淋しいのではないのだろうかと。もう、一人では、外に出てもいけないし、出たとしてもなにもないのだ。自動車はもちろん、自転車さへ乗り回せる身体的能力はなくなっている老人にとって、ここは、いっそうの隔離感を募らせる構造ではないのか。そして、その構造が、精一杯の善意でしつらえられているのだ。この断絶が不安であったのだ。ここもまた場とは、微塵も関係ない、設立者自身の企業目的のために建設された老人住宅ではないかと、思うのだった。

 おそらく、このような老人ホームでの生活を送らねばならぬ日々が、ぼくには10年くらいで来る可能性を考えておかねばならないと思う。だが、ぼくは、老人ホームがあるなら、宮崎市の中心市街地のどまんなかのマンションスタイルのホームに老いたる姿態を収めたい。ロビーの外には街の賑わいやさざめきや灯火が見える場所を感じていたい。喫茶店や書店やレストランや専門店、ショッピングセンターへのシャトルバス乗り場、駅という都市性がある。感じるばかりではなく、外へ身体を使って出歩きたい。ぼくは朝から晩まで外で遊びまくるのだ。体が動く限りである。そして、ついに体が動かなくなったら、そのときこそ、どこでもいいから放り込んでもらえばいいという、人生の末路を終わらせたいのだ。

 そのとき、ベッドの空間にコミュニティが現れてくる。隣近所といっても、何十年もお互いの家の中に招待しあうというような付き合いはないのが、いまの近隣であろう。付き合うのは、もっと遠い存在であろう。その遠きにあるのは、想像界の存在、たとえば、遠隔地ばかりでなく、インタネットでつながっているとか、そうした電子的つながりのコミュニティも存在しうるのである。ベットでは、その近隣たちが遊び相手になるというわけだ。その精神力はなんとか保持できるだろうか、つまりぼけなければ・・。

 いや、話がそれたが、ぼくがそのベッドに閉じられる前の段階のコミュニティとはなんなのか。これを今年はかんがえなければと、思うのである。これはまだかけなかった。 
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コミュニティ

2010-02-04 | 宮崎市の文化
 今週の日曜は、もう1月が終ったかと思った重たい曇り日だった。霧雨のように雨も通り過ぎたりする朝であった。風邪も抜けたし、無風だし、サイクリングに出た。この日ばかりは、あても無くさまようがごとく、野に出た。風景は煙リ、夕暮れのようにぼんやりしていた。

 で、存分にぶらぶらして午後3時ごろに、国道10号線に沿って町並みがつづく佐土原町の街に入った。ここはまだ小さな商店が、地衣類のように国道脇にしぶとく1キロもつづいている。さすがに食堂系が大部分ではあるが、喫茶店などが3店舗も生息しているという点でも、まだ生きている街という感じがするのである。

 10号線の街路の北端から東へ横切って、住宅街に入っていった。その入り口に、蓮光寺というお寺があった。その石垣のうえに堂々たる撞木堂がまさにあたりを圧するようにあった。こんな大きな鐘をみるのぼひさしぶりであった。ここからまわりに広がっている住宅地であるから、この寺院を中心にまとまっていのだろう。まるで、教会のあるヨーロッパの集落ではないかと、地方の集落の共同社会を思うのであった。ここから、自動車が2台すれ違うのは無理な道路を南へ辿って行った。

 曇り空で、冬の夕方が近くなって、あたりはうすぐらくなり、森閑とした住宅街は、思いがけないほど広さを感じるのであった。そのうちに、この住宅街は、ここ40年ほどの間に、住宅が建てられてきたことがわかる。セメント瓦の家屋から、プレハブ、ツーバイフォの家屋、本瓦、ウダツのある城に似せた和風建築と、新旧入り乱れて建てこんでいる。まとまりの在る集落という印象は、寺のまわりだけであった。増殖していった住宅街がおどろくほどの長さでつづいていくのであった。

 そして、ぼくは意表を突かれた住宅に出会ったのだ。最初のものは、どこから見ても、湯布院か、霧島山麓などにある中型のペンションにしか見えない住宅が、道路から小高く敷地を設けて建っていた。ペンションではなく、まさに個人住宅なのであった。つぎに樫か楡がわからないが、径が10センチほどの枝、幹かもを30センチほどに切ったものが、高さ1mくらいに積み上げられ、それがビニールで覆われたものが、敷地の周りの塀にそって、まさに塀のように積み上げられている。薪の塀である。しかし、そこは、窯元とも思えないし、これも普通の住宅で、ここも瀟洒な造作である。

 なんだろうあの住宅はと、思いつつ行っていると、目の前に全体が、屋根までも覆って、薄紫に塗装された大きな2階家が見え出した。折からの薄暗がりのなかで、その薄紫は蛍光を発しているように、シュールな塗装であった。近づいてみるとゲームセンターと壁に薄く描かれていたが、日曜というのに戸がしまり、人影は無かった。だれかここでゲームをするのか、したのだろうか、どんなゲームなのか。

 それからまた常識的としかいえない住宅がつづき、川が近くなったのかその支流の縁に、こんどはメカニックというか、機能的というか、現代風な、どこか金属的な感じのする2階家が支流を見下ろすように建てられていた。さらにおどろくのは、この家屋の入り口、門はないのだが、若い女性の等身大のセミヌード彫像が2像建てられていた。川を見下ろすところにも像があり、軒の上の屋根にも座って足を垂らしている。たぶん、これはこの家の住人が制作したものであろうかと思われた。このメカニックな建物の2階は制作アトリエのようだ。表札がないので、だれかわからないが、奥の玄関には表札があるようだったが、そこまで踏み込んでいく勇気はもう消えていた。

 ここに隣接した屋敷の入り口には、ここより私道と札が立てられて、スペイン風の大きな住宅であり、どこからどうみてもそれはスペイン風であったのだ。

 このショッキングな住宅たちは、デザインのショックでなくて、建物が建てられている土地、つまり場所とは、微塵も関係がないという絶縁状態の在り方ではなかったかと思う。場所をまちがえたというか、もしデザインが場となんらかの交流のようなものを発するとするなら、そんな相互関係がなんら発生しないということである。誰も見ないし、関心もないし、ただそこにあるだけの話しである。ということは、建築主にとっても、その場になにか自己を主張するのでもなく、なにかを与えようとしたり、なにかを期待したりするのでなく、場とは関係なく、ただこういうものを造りたいから造るという意図だけがあるとかんじられたのであった。

 つまりそれはどういうことなのだろうか。それはコミュニティという関係性がまったく無いという日常を表しているのだ。もちろん、それは建築主がまわりと対立しているわけではない。近所付き合いはあるだろう。しかし、お互い行き来する仲ではない。住宅は集落、大きな集落は40年かかって形成していったのだが、隣近所の親密なコミュニティは形成されなかったし、その必要さへなかったし、これからも期待できないということを、これらのデザインは示していると思えるのであった。

 もちろん、コミュニティが形成されなかったことを、否定するつもりはない。コミュニティは、なくても結構いいのではないかと思えるのでもあったのだ。自転車で空漠としてふらふらするのもコミュニティからのエスケープなのかもしれないのだから。しかしその虚しさが染みてはくるのだった。ただ、コミュニティに替われるものがあること、それは、予感することはできる。それは、もう近隣とか、住宅地とかの関係性とは異質のものであるようだ。それはなんなのか・・・
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