市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

ホリエモン2

2006-01-31 | Weblog
 この一週間、大メディアは毎日々ホリエモンだった。虚業家ホリエモン、ホリエモンを取り巻く女たち、ホリエモン逮捕、監獄に落ちたホリエモン、世の中なめてたホリエモン、ホリエモン錬金術に操作のメス、ライブドア崩壊の危機、ホリエモン転落刺したのはフジテレビ、ホリエモン六本木セクハラの夜、カジノ旅行極秘同伴していた美人タレント、虚業家ホリエモンの末路、ホリエモンはただのITピエロ
ホリエモン虚飾の全資産、ホリジェット、世間をなめた六本木族などなどと何百と拾える。

 つまり新聞・雑誌・テレビの大メディアとうのは、ライブドア事件の現代文明的分析などなどどうでもいいわけだ。読者が欲するものをのみ投げ与えていると、このタイトルを見るとよくわかるよね。前回、かれは世間という観客のまえでは、大根役者と言った。日本社会は嫉妬天国、嫉妬偏執狂、嫉妬パラノイア集団だ。それを忘れて、30億の自家用ジェットに美人タレントを乗せてとか、六本木ヒルズで、満ち足りた表情で記者会見とか、世間の嫉妬にガソリンをかける毎日をすごしてきたんだもの。今やメディアは、ここを書けば、売れまくるよね。よかったねえメディア、錬金術が出現して。だから、ホリエモンはなにかやるなら目刺を食いながら、投資資本の変革などとうそぶく役者であるべきだったかも、しかし、32歳の若さでは無理だったかも。本当の悪者は姿を隠すのではないのか。

 彼はこうなるまえ、「テレビ・新聞を殺す」といっていた。ひどく興味を引かれた発言だったのだけど、江川昭子との対談で、こういっている。

 (江川)みんなが注目すると大きく扱われるが、埋もれている話を発掘できないのでは?

(堀江)埋もれていることを発掘しようなんて、これっぽっちも思ってないんですってば。そういうのは情報の受け手、興味を示す人が少ないわけですから。ニッチな情報なわけですから、いいじゃないですか。一応ネットには載せておきますから、(興味のある人が)勝手にアクセスして下さい、と。

(江川)例えば、イラクのこととか、新聞ではもうあまり載らない。でも……

(堀江)いいんですよ、(そういうことは)みんな興味ないんですから。興味ないことをわざわざ大きく扱おうとすること自体が思い上がりだと思うんです。

 このメディアの一面の真実で、今まさに彼は地獄を見ているのだ。いや、そうおもってないかも。

 ほんと、これからの彼の活動がたのしみである。無一文からの彼が。


 
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突然、下痢!!

2006-01-30 | Weblog
 先週金曜、夕食を食べた直後、妙に胃に膨満感があり、たかがお茶漬けいっぱいとコーンスープのみでおかしいなとそのままに終わった。それから、数時間後に、下痢が起こり始めた。どういうわけか、さっぱりわからなかった。就寝してからも何度もトイレに行く始末で、夜が明けた。

 風邪と診断された。食欲が無いだけで、頭痛も腹痛も無い。ところが、何にもやりたくなくなる。頼まれているチケット売りとか、新年宴会への参加、定期的会合、人との約束、人との会合、親戚との付き合い、手紙の返事、メールの返事、送られた本への礼状や感想、時には批評、さまざまの電話連絡、その他が停止する。病気になったため、仕事以外のせっかくの自由時間を占有する日ごろの交際や義理がなんと多いものかを再確認できた。生きているとはこんなにめちゃくちゃのしがらみの網のなかにいるのかと驚嘆した。それらをひとつづつ切断していくのが、これからの人生かともおもうのである。

 年賀状を止めようなんてまだ序の口でしかない。
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ホリエモン

2006-01-25 | Weblog
 ドラエモンに似た丸顔のホリエモンをどうも憎めない。まさに蒸留水のように金銭賛歌を掲げ、行動し成功してきた。体制の権力機構のなかで、この蒸留水をぶっかけて神経を逆撫でするようなことを平然とやってのけることに、若者たちは変革の希望、夢、魔法をみせられたようだ。

 たしかに欲望を内に深く秘しならがほりえもんを批判した日枝久フジテレビ会長のほうが、何倍も悪党じゃないのかな。彼に会ったことはないが、前文芸春秋記者の中川一徳の「メディアの支配者」(講談社2005年6月発行)の主役、日枝久の人物像をみると、こんなのがメディアを支配するとは怖いよ、ほんと!!

 それに比べると、武部のあの絶叫、幼児顔の竹中のくしゃくしゃの抱擁「ホリエモンはわが弟です。わが息子です!!」のテレビシーンは何度見ても寅さんより笑えた。その台詞にホリエモンは、茫然自失、そりゃちょっと違うんじゃなあい」という凍りつく表情。違う世あんたは。まだ若い。今のままじゃ、かれらと、同族で、役者ぶりは大根以下。
 
 ほりえもんよ。聞き給え「幸いなるかなムイチモンよ、天国は汝ものなれば、人はパンのみによって生きるにあらずや」である。
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雨と自転車

2006-01-23 | Weblog
 真冬の雨の日に街に自転車で行くときはどうするか。手袋は、100円ショップの毛糸の手袋。毛糸は水をはじき、ぬれても保温性がある。化繊の毛糸編みでも十分に用を足す。靴は、ハンズマンなどで山積みされているビニールのスニーカーで1000円以下のもの。これらは濡れるのが惜しいのでなく濡れて楽しいのだ。

 なんといっても一番やっかいなのは、走ることでなくて、レインコート。人通りの多い歩道でごぞごぞ抜ぎはじめると、ホームレス気分になるから。で、ぼくが利用しているのが、アゲインビルの南玄関である。ここは破産したデパート、だが今も営業されていて、南玄関から入るものはほとんどいない。閑散とした玄関で、ゆうっくりとコートをケースの収めると、手提げにも収納可能となる。後は自転車をおいて、街中に歩きでる。100メートル半径で、商店はこの周りにすべて詰まっているので、快適な買い物も楽しめるわけだ。駐車料金も何時間いても無料である。

 自転車で走るだけが目的なら、雨中は風景は、しっとりとなり自己集中が高まる。それに車輪のはじく水の音もいい。何十キロと走っていくうちに外界と自分の一体感は、溶け合うような感じになってくる。だれもこんなことをやらないと思うとなお気分がいい。単に思い上がりかもしれないが、反大衆である快感はいい。

 雨でも晴れでも真冬でも真夏でも自転車で走るのは、高校生だが、なぜ彼らは成人後には自転車を放擲するのだろうか。もったない、感覚の忘却は!! 

 
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夢と希望? 綾宮崎自転車 その3

2006-01-20 | Weblog
 その舗装が一般自動車道と比べて悪いのは、自転車が自動車に比べて劣った乗り物とみなされるからである。だから、この程度の歩道で十分ということだ。

 確かに輸送能力という視点からいえば、自転車は自動車には負ける。内燃機関で走るのと足で車輪を回すのではお話にならない。自動車は人を魅惑するが、自転車は大衆を魅惑させない。自動車はステイタス・シンボルにもなりうる贅沢品であるが、自転車は、実用品にすぎない、所有して妬まれるよりも、貧乏人にみられる、などなどとこの産業、経済社会の基準からいえば、上流でなく下層に属する。なら、舗装もこの程度でいいとなる。

 しかし、同じ郵送機器でありながら、自動車が絶対に敵わぬ機能がある。何キロもただで走れる。税金もかからない。人を殺さない。自動車にいくら乗っても体力は増さないが、自転車は体力を増強する。無料で、人にも環境にも優しく、健康にいいという快楽が、自動車には絶対にありえない。つまり、これは今流行りのロハスの視点である。ロハスは健康で環境を破壊せず維持できるライフスタイルという意味です。

 どちらが上位という固定的価値判断から自由になり、ものの本質を判断する知性があるならば、自転車道には、自動車道よりも滑らかな舗装が最適であることが、自明になるはずである。この視点と知性が働かなかったのが綾・宮崎自転車道なのである。

 つまり道路とう形だけを作った。その形はES細胞となりすべてとなるという夢と希望を幻想させたといえないか。こんな夢からおさらばしよう。

 アメリカ生まれの造語
「ロハス」とは、
Lifestyle of health and sustainability
という英語の略。



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夢と希望? 綾宮崎自転車 その2

2006-01-18 | Weblog
 昨日述べたように、この走るに値しない綾・宮崎自転車道に、なぜ存在価値があるのかである。初めは、堤防はまばらに舗装されているだけだったので、この自転車道は有用であった。ところが、アスファルトの滑らかな舗装になってしまったので、コンクリート道を選ぶ必要がなくなった。先日行った西都市パルコが宮崎市の中心市街地やイオンショッピングモールと隣接されたため無用になったことに一見似ている。しかし、大きく違う。

 西都市のパルコは買い物の場としては存在価値が無くなったが、この自転車道は走らなくても存在できる。堤防を自転車道と出来ないからである。つまり、同質のショッピング施設ではなく、「別のもの」だからである。

 そう、堤防を走っていても自動車が溢れれば、一瞬にして自転車道に移動できるのだ。堤防を走っていても、いつも綾・宮崎自転車道を行っていると、わくわくした気分を味わえる。この綾・宮崎自転車道はいつでも付き添い、いつでも帰れる道路、まあ、故郷のようなもの(なんとう賞賛、作ってやつはそこまで自覚はなかったはず)そして、それはハンドルの遊びの部分のように無用でありながら無くてはならぬものなのである。

 この母なる場、悠々たる遊びの自転車道なのである。だったら、下らぬ場所に花壇や植樹をしてまわるより、ここにこそ花や植樹をしたければすればいいんだ。そして最高の舗装を。

 そして州一の、いや日本一のサイクリング道路を作ることは、具体的である。実現のビジョンも明確な夢となる。九州一の景観づくりの、「九州一の景観」とは具体的になんなのか、だれも語れない。これこそ夢を語る風説であろが!!

 で、もう一つ、自転車道はなぜ舗装が悪いのであろうか?!
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夢と希望? 綾宮崎自転車道

2006-01-17 | Weblog
 1月15日、綾宮崎自転車道を丁寧に走ってみた。これまで何十回と綾に走ったが、終始一貫、この道に忠実に沿ったことはなかったから、今回はなにかの拍子だったのかも。だって、ここだけを走る気にはとてもなれなかったから、舗装の悪さと堤防の陰という位置が閉塞的であった。 
 
 この日陰、閉塞の道路を走るとは、負け犬、下層階級に向くかもとのアイデアもあったし、先日、ふとみると、舗装が宮崎市寄りの大部分、し直されていたと見えたのに興味が引かれもしたからである。

 そこで、結論から言えば舗装は、ダメ、大事な部分は抜け落ちるか、面倒な部分はごまかされ、走るには値しない綾宮崎自転車道であった。しかし、しかしだ、
ぼくは、この自転車道の存在は、高く評価している。なぜか、そのわけ後で。

 欠陥の一つは、コンクリート舗装であること。今一つは、2箇所の道路標識の欠落である。一キロごとに建てられた道路案内標識もこの2箇所が抜け、桶に穴が開いた。最初は、瓜生野の八紘クレーンまえの堤防、道はここで堤防上になるのだが
指示がないので、自動車道沿いに走っていった。つきが、綾町入り口、橋を超えて
街中へと向かうのが自然だが、標識があいまいに立っているので、そのまま川原を走った。どうもここも堤防の上らしい。工事中で通行止めだったのだ。心理的にいっても、まず綾町の中心部に向かうのが綾宮崎自転車道と思うはずである。

 舗装は見晴らしのいい堤防の上のほうが、アスファルトでコンクリートの自転車道よりずっと走りやすい。物好き以外にはわざわざ堤防下に降りてコンクリートの日陰を走るわけがない。

 こんな自転車道がなぜ存在する価値があるのだろうか。
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マチES細胞 夢と希望の廃墟から 2

2006-01-16 | Weblog
旧国鉄「妻」駅の跡地は、寿屋を核とした街づくりだったが、その町角の流行ったラーメン屋も消え、広場の噴水も埋められ、撤退した寿屋は、西都市文化会館に転用されていたが、薄暗い倉庫にしか見えなかった。近くの喫茶店もみな跡形も無かった。街づくりは10年も経ずに崩壊した。なぜか、隣にもっとましな街があったからである。つまり宮崎市である。高速バイパスの開通によって、宮崎市の商店街は隣になったのだ。

 さてこれからどんな「街づくり」をやられるのか。日曜の真昼というのに人影も無い中心市街地である。もう西都市民は、中心市街地など必要としてないのだ。

 隣接する宮崎市の中心市街地や、なかんずくイオンショッピングモールと同じような商店街を作ってもとうてい太刀打ちできない。まさにムダである。今は「街づくり」という浅はかな知恵と決別すべきだ。近未来への洞察力もなく、科学的データーもなく愚かなるアイデアによった街づくりをくりかさぬことだ。街が言葉一つで活性化するES細胞などありえない。「街づくり」は、宮崎市の「九州一の都市景観づくり」とおなじく虚言である。

 西都市にもわが街にも「街づくり」というポスターを二度と貼るまいと思う。

 帰途、夕焼け空に胸を広げ、空気をいっぱい吸いながら自転車を走らせて一時間20分で宮崎県庁前に帰りついたのである。
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マチES細胞 夢と希望の廃墟から

2006-01-11 | Weblog
 サイクリング再開の予行で、綾町、青島、西都市と年末、年始と走ってみた。15年前は100キロは遊び半分で走れたが、現在はわずか50キロでもギヤを神経質にチェンジしなければ、膝が持たなくなっている。目もカールツアイスの双眼鏡なみに風景は明晰に見えたのに、もやがかかったようだ。あのころは、寒風にわざわざ向かって、肉体の限界で頭が真っ白になるのが快楽であった。今はそよ風さへ、避けたくなる。そう、サイクリングに不向きの肉体に衰亡したことを、明確に自覚できるのであった。夢と希望は廃墟になり、そこからの再出発である。やれるかしら、いややれる形のサイクリングをやるしかないと、まずお断りし、出発である。

 宮崎神宮から平和台団地を超え、カフェ松本の前から5キロのややきつい勾配を上り、一気に7キロ下るバイパスを走ってみた。あれが超えられれば、近郊めぐりの自転車走プロジェクトも望みはあるかと、やってみたわけだ。24段のギアをフルに変えながら、ぜいぜいと息はきながら、なんとかやりおおせた。

 今度の走行で、自動車でしか走るしかなかった道路というものが、肉体的に把握できるのだったが、これは衝撃であった。道路とはなんなのだろうかと、考えさせられる。ただ、今日は、3年ぶりの訪れた、西都市の中心、旧国鉄「妻」駅の裏に展開していた商店街のことをまず語りたい。

 そこは、まさに廃墟と変わっていた。かってわざわざ、そこのラーメンが食べたくて訪れた広場の角のラーメン店も、無くなっていた。真昼というのにベンチに
横になった労務者が一人いただけだった。
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2006年始まったですけど・・・

2006-01-07 | Weblog
 ブログの名称は、じつは「野」に変えようとしたけど、このキーワードで検索すると多すぎてしまうので、「市街・野」のままにします。野とうのは、野原とか、原野とでもいいのだけど、自由で、ぼうぼうとして、のっぺらぼうでないですね。
去年の市街と周縁という概念は、均質と複雑、管理と自由、依存と自律、服従と独立というようなイメージに変わったかなと思う次第です。ややこしいですかな。

 31日青井岳温泉に行き、3日まで毎日午前11時ごろ行き、2時前にとんかつ定食、浴槽での1時間半は思考停止を楽しめました。家から車で35分ですが山峡にあるので遠い場所に来た感じになり、エスケープが高まります。はじめは県内温泉めぐりと思っていたのですが、「めぐる」という贅肉を止めたので、ひたすら温泉だけを楽しめました。しかも夕食の支度もいらなかった。昼食のボリュウムがありすぎて。入浴料金400円、定食1050円。4日間二人で通って一人分の年末ホテル料金よりも安かった。夜は「寅さん」を見て後は寝るだけ。
 
 読めた本は:ジークフリート・レンツ(独)「遺失物管理所」
       垣根 涼介 「君たちに明日はない」
 
 これがどちらもた人を食ったような小説で、前者は出世をしたくない鉄道員のリストラ物語、後者はリストラを請け負うアウトソーシング会社の社員がいかにして、要請された会社の社員を退職させるかの奮闘記。ところがこの2作ともタイトルとは反対にじつに明るく希望にみているのだから、不思議な人情物語でした。

 まあ、こんなところで新年が明けたというところです。

 

 

 
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