今年の8月は、連日のように積乱雲の涌き上がる光景を楽しめた。日本列島には
太平洋高気圧がどっかりと腰を据えつづけた。日本中、37℃、38℃という猛暑につまれる恐るべき異常気象だというが、宮崎市は、せいぜい33℃くらいの暑い日があったくらいで、例年より低温気味の夏がつづいている。今朝などは明け方驟雨があり肌寒いくらいであった。8月29日の日曜日はサイクリングに行ったのだが、気温は終日29℃であった。南方海上で熱せられた大気が、宮崎市上空に入ったときに、
冷やされて、連日、積乱雲のみごとな発生となっているのだろう。つまり、宮崎市街で大気は冷やし、低気圧は含んだ水蒸気を結露させ、上昇気流をはっせいさせとエネルギー交換が起きている。空一面の積乱雲の活力は、心をときめかせる。
昨日の日曜日(9月5日)ひさしぶりに、ぼくは橘通りという中心市街地をぶらぶらと歩き回ってみた。この2週間前に街中でイベントがあり、シャッター通りに露天市が開かれ、音楽ライブや太鼓や、演舞なども行われた。人々は、その市のまわりに集まり、流れていた。群集による雲とたとえてみることもできよう。しかし、その雲は、翌日は消え、発生しなかった。理由は簡単である。群集/積乱雲を発生させるエネルギーが存在していないからである。これは人工雨か人工雪の一日だけの人為的なエネルギー発生装置によるものだからである。市街にエネルギーを発生させる自然が失われて何十年経ったのだろうか。
戦後30年代までにぎわいをきわめた大成銀天蓋(戦後最初のアーケード設置)も
青空市場(戦後最初の集約型市場)も道路整備・環境整備という美化(シンガポール幻想)が推進されたが、エネルギーは発生しなかった。今は、アーケードも取り除かれ、青空市場の多くの店も閉じてしまし、炎暑だけが、空しく通りを燃えさせている。
ぼくは、なおどんどんあちこちの路地や横丁を飢えたように廻っていくと、いやでも空き店舗が眼に入ってくる。そんな店舗に、思い出のある店も多々あるのだ。その記憶、かってのぼくの人生が、えんりょえしゃくなく抹殺されたのを感じざるをえないのである。その中で「くろき製茶」の空き店舗があった。ここはお茶を普及させるためオーナーのくろき製茶社長が、無料でお茶をだしている喫茶店であったのだ。無料じゃ来にくいと店長になんども提言したのだが、がんとして無料をつづけていた。だが、やがて有料に変わり、やっと落ち着いてこられるようになったが、お茶の展示場を拡大して、残りのスペースで、ふたたび、無料サービスとなった。他方、くろき製茶は、霧島町にもうひとつ販売店がり、2階を有料のカフェとし[Eーちゃふぇ」と言っていた。200円くらいでいいお茶が楽しめた。それにこの室内のインテリアは、すばらしいセンスの空間であった。吹き抜けの2階で、オーディオ装置も高価であり、音楽が流れ、ビュッフェの実物版画やモダンアートの版画もかかっていた。しかし、ここもいつのまにか、閉鎖されてしまった。ほんとうに贅沢な空間であったのだが、人が歩かぬ街では、やっていけなかったのだ。
これが国際音楽祭の、また街中ステージ(T-ステージ、高千穂通り路上)23億以上の建設費をかけた橘通りの宮崎市アートセンターのある市街なのかと、胸をかきむしられる思いを抑えながら、近くの路地に入っていった。すると一匹の白い猫が建物の隙間から、ぼくをのぞいているので、ちっちっと舌を鳴らして呼ぶと、のこのこと寄ってきた。そこで背中をなぜてやるとごろんと横になってしまった。飼い猫にしては薄汚れているが、ちかくにすてられたのかもしれない。街を捨てるように。すると知人のピザ店の店主がひょいと路地に出てきた。近所で餌づけして飼っているということだった。この猫はとんでもない変な猫なんですよというのだ。どこが変なのか、よくわからないが、ぼくにっとてはいい猫だった。日曜だというのに猫一匹がいるだけとは、なさけないなあと話すと、そうです、どうなるんだろうと、かれも不安げであった。イベントや祭りで人が集まっても、客がくるわけもないんですという。そうだと、思う。太鼓たたいて人が来て店をいっぱいにしてくれることなんか想像もできないよねと相槌をうつしかなかった。街にエネルギーを沸かすにはどうすればいいのか、わからない。分かる方法はあるはずだが、今は街起こしに金を浪費するよりも使わぬほうが大切かと、話をつづけたsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/9a/03dce6afd486008b1fbb48028c4755b4.jpg" border="0">
太平洋高気圧がどっかりと腰を据えつづけた。日本中、37℃、38℃という猛暑につまれる恐るべき異常気象だというが、宮崎市は、せいぜい33℃くらいの暑い日があったくらいで、例年より低温気味の夏がつづいている。今朝などは明け方驟雨があり肌寒いくらいであった。8月29日の日曜日はサイクリングに行ったのだが、気温は終日29℃であった。南方海上で熱せられた大気が、宮崎市上空に入ったときに、
冷やされて、連日、積乱雲のみごとな発生となっているのだろう。つまり、宮崎市街で大気は冷やし、低気圧は含んだ水蒸気を結露させ、上昇気流をはっせいさせとエネルギー交換が起きている。空一面の積乱雲の活力は、心をときめかせる。
昨日の日曜日(9月5日)ひさしぶりに、ぼくは橘通りという中心市街地をぶらぶらと歩き回ってみた。この2週間前に街中でイベントがあり、シャッター通りに露天市が開かれ、音楽ライブや太鼓や、演舞なども行われた。人々は、その市のまわりに集まり、流れていた。群集による雲とたとえてみることもできよう。しかし、その雲は、翌日は消え、発生しなかった。理由は簡単である。群集/積乱雲を発生させるエネルギーが存在していないからである。これは人工雨か人工雪の一日だけの人為的なエネルギー発生装置によるものだからである。市街にエネルギーを発生させる自然が失われて何十年経ったのだろうか。
戦後30年代までにぎわいをきわめた大成銀天蓋(戦後最初のアーケード設置)も
青空市場(戦後最初の集約型市場)も道路整備・環境整備という美化(シンガポール幻想)が推進されたが、エネルギーは発生しなかった。今は、アーケードも取り除かれ、青空市場の多くの店も閉じてしまし、炎暑だけが、空しく通りを燃えさせている。
ぼくは、なおどんどんあちこちの路地や横丁を飢えたように廻っていくと、いやでも空き店舗が眼に入ってくる。そんな店舗に、思い出のある店も多々あるのだ。その記憶、かってのぼくの人生が、えんりょえしゃくなく抹殺されたのを感じざるをえないのである。その中で「くろき製茶」の空き店舗があった。ここはお茶を普及させるためオーナーのくろき製茶社長が、無料でお茶をだしている喫茶店であったのだ。無料じゃ来にくいと店長になんども提言したのだが、がんとして無料をつづけていた。だが、やがて有料に変わり、やっと落ち着いてこられるようになったが、お茶の展示場を拡大して、残りのスペースで、ふたたび、無料サービスとなった。他方、くろき製茶は、霧島町にもうひとつ販売店がり、2階を有料のカフェとし[Eーちゃふぇ」と言っていた。200円くらいでいいお茶が楽しめた。それにこの室内のインテリアは、すばらしいセンスの空間であった。吹き抜けの2階で、オーディオ装置も高価であり、音楽が流れ、ビュッフェの実物版画やモダンアートの版画もかかっていた。しかし、ここもいつのまにか、閉鎖されてしまった。ほんとうに贅沢な空間であったのだが、人が歩かぬ街では、やっていけなかったのだ。
これが国際音楽祭の、また街中ステージ(T-ステージ、高千穂通り路上)23億以上の建設費をかけた橘通りの宮崎市アートセンターのある市街なのかと、胸をかきむしられる思いを抑えながら、近くの路地に入っていった。すると一匹の白い猫が建物の隙間から、ぼくをのぞいているので、ちっちっと舌を鳴らして呼ぶと、のこのこと寄ってきた。そこで背中をなぜてやるとごろんと横になってしまった。飼い猫にしては薄汚れているが、ちかくにすてられたのかもしれない。街を捨てるように。すると知人のピザ店の店主がひょいと路地に出てきた。近所で餌づけして飼っているということだった。この猫はとんでもない変な猫なんですよというのだ。どこが変なのか、よくわからないが、ぼくにっとてはいい猫だった。日曜だというのに猫一匹がいるだけとは、なさけないなあと話すと、そうです、どうなるんだろうと、かれも不安げであった。イベントや祭りで人が集まっても、客がくるわけもないんですという。そうだと、思う。太鼓たたいて人が来て店をいっぱいにしてくれることなんか想像もできないよねと相槌をうつしかなかった。街にエネルギーを沸かすにはどうすればいいのか、わからない。分かる方法はあるはずだが、今は街起こしに金を浪費するよりも使わぬほうが大切かと、話をつづけたsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/9a/03dce6afd486008b1fbb48028c4755b4.jpg" border="0">
ぼくのブログにコメントを下さる人は稀有で、
おどろきです。こんごともよろしく。
さびれて、廃墟になってから、復活が起きると思うのです。どんな復活というか、イメージはないのですが、人が生きていくかぎり、廃墟はエネルギー源となるようです。