市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

崩壊市街 上野町=涙町 市場から公園へ

2005-10-16 | 崩壊宮崎市街
 今朝の新聞記事にある「旧黒迫町遊興街、大成座(映画館昭和40年初期に閉館)前のk字路」の現在である。戦後から、ここは花や野菜の露天市場であったが、数年前に閉鎖されバージニアビーチ公園と灯台になった。

 露天市場はかっては風物詩であったが、周りの商店街と市場商人たちは対立を深めていった。つまり「天幕張り」の出店が、あまりに不潔、営業時間についても野放図、商業環境、住環境の悪化と自粛を要請する商店街と、多少の汚れも喧騒も人気のうちと主張してゆずらぬ市場商人の対立は、しだいに一切の協力関係までも否定するほど深まっていった。

 これはエゴといえばエゴであるが、界隈で売り買いが命である商人たちにとって、両者とも引くに引けぬ主張であった。

 結局、最後は私権のはいらぬ公園化して、問題は解決された。多分、両者の対立を解消する方法としては、市としてもこれしかなかったのかもしれない。

 今、周りの商店街は、このきれいになった公園を交代で掃除していると聞いた。
きれいならそれでいいのかなと思う。もっと両者が協力しあって、街の風物詩としていかされなかったのか。話をきくともはやそんな心情ではなかったようだ。

 それで解決は、街を管理化して私権の入らぬようにした。それが街を涙町化していく。まさに街はエゴとエゴの修羅場でもあるわけだ。それをいかにコーディネイトしていくかが都市計画といえる。ただ管理化だけでの解決とはやはり恐ろしい。

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