市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

高齢者

2006-06-29 | Weblog
 月曜だったか、ボンベルタ裏で、スーパー老人と銘打って、10人近くの60代70代の高齢者たちが、ストリートダンスを演じていた。合間に前後にどれだけ前にかがめるかを、若い男性司会者のやんややんやの掛け声で、曲げてみせた。高齢者の本質はもっとべつのところにあるのではないか。

 いくら体が柔軟でも若者には適わないのだ。高齢者の体とは、元気だなどと人前で見せるほどものではない。

 しかし、高齢者にまったく魅力が無いとはいえない。それは体力より人格の力である。そばに居るだけで、心と体の波動が伝わってくるような刺激的人格を感じさせる高齢者がいる。めったに居ないが、居るのだ。

  高齢者の健康であることは、なによりも幸いである。だからこそそっと静かに内に潜めて、本人も家族も回りも彼、彼女の幸運を感謝すべきではないか。
 
 しかし、そのスーパー体力?がいつまでつづくのか。ここが肝心なのである。 

 「誰がために鐘は鳴る」 人の不健康は、自分の不健康と想像する英知こそ老人の能力である。

 司会者よ、老人は芸する猿ではないのよ!!

 

 
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口内炎

2006-06-28 | Weblog
 何年年ぶりか、口内炎が舌右先端に出来た。昔は原稿を書くとき、かならず出来た。それはなくなったから、それだけストレスが無くなったのかもしれない。こんどの口内炎がなぜ出来たのか原因不明だ。

 そのとき、歯を磨くのにいい歯ブラシを購入できた。豚の毛が40パーセント含む
握りも毛の部分も普通の歯ブラシの2倍以上もあるものだ。

 これはいい。何分でも磨いていたくなるやわらかい触感、そして握りの大きい柄はじつに使い勝手がいいものだ。太い径の歯ブラシとは、めったに無い。小さく格好いい、おしゃれ。しかし、そんなものは何の役にも立ってないのを今知った。

 この歯ブラシは桑畑整形外科の隣の薬剤局で購入したものだる。

 口内炎で悩んでいる神経過敏の方々にお知らせします。大雨、猛暑、高湿度曇りの交互にくる6月、さすがに体調が狂う。
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やればわかるのに!!

2006-06-27 | Weblog
 昨日の猛暑は、夕べ遅くから雨となり、今朝は曇りとなった。節子を桑畑整形外科に送ったら、珍しく来院者はすくなかった。チップの散歩のあと、節子を押しのけて、ベーコン、卵と、ピーマン、キャベツ、シシトウの野菜炒め、トースト、コーヒーを淹れ、牛乳、ヨーグルトとバナナを添えた。調理から食べ終わるまで、30分で済んだ。節子は台所のまわりの整理整頓をしていた。これでいい。 


 さて、自転車道と標識のある青島バイパスは、運動公園からつづくが、自動車でなければ入り口はわからない。おなじように宮崎ー西都原古墳群への自転車道もスタート地点への入り口は、わからない。

 運動公園近くになって自転車道を出るために側道に入ると、その末端は10段ほど階段になっているのは、先日報告したとおりである。これなどは生命の危険関わってくる。あまり走る自転車がないのだから事故も起きないだけの話だろう。

 西都原古墳群への自転車どうは、旧国鉄妻線の跡を自転車道にしたのだが、その快適な直線道路が、以前の踏み切りの位置に、かたっぱしから横断柵が設けてあった。たがいちがいの柵を通るには自転車を降りて、通り抜けねばならなかった。こうなると、走っているという感じはうせる。こんなサイクリング道は、まったくナンセンスだった。数年後には、この柵は撤去された。

 市街地にもいつかは大事故が生じるままほっとかれる道路もある。宮崎駅の南の高架の東がわにそって自動車の走れる道路がある。「文化の森」前の道と交差する。その十字路の南は、歩行者・自転車道と標識がある。ここに入ろうとある夜、自転車で走って来たら、なにかに激突して横転した。なんと歩道の縁が15センチほどの高さだったのだ。十字路の対面が歩道の縁などとは、だれが想像できようか。

 危険箇所に対策はなく、安全な場所に余計な対策がなされている。この非現実感覚はまだまだいっぱいある。やればわかるのに。
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この一週間

2006-06-26 | Weblog
 今日は、真夏の快晴。猛暑で、湿度も高いが、風が強く吹くのが爽快である。さて、先週日曜に佐賀医大を退院して、まるまる一週間が経った節子の右足は、左足の膝下部分よりも2倍くらい腫れてきた。松葉杖でやっと這うようにして歩く。しかし彼女は、可能な限り家事は手を抜かずにやるのだ。これは女の本能だろうか。こんなことを言うと女性差別といわれるかもしれないが、ぼくなら、毎晩外食して手を抜くけど。

 足が腫れるというのは、リハビリで傷をそっとしてないからだ。そっとしておけば手術跡の15センチの切り口をもつ内部の傷は納まるだろうが、膝が曲がらなくなる。だから、無理して曲げ続ける、したがって腫れる。心配はない。

 そこで、ぼくも節子の家事の手伝いを積極的にしているわけだが、手を抜く料理をやる。たとえば、味噌汁は、お湯をぐらぐら沸かし、味噌を溶かし、出汁の本を入れる。その味噌湯を、千本切りにした大根、にんじん、ピーマンにぶっかけ、ねぎを浮かべて終わる。これがおいしい。新鮮な野菜の香りとしゃきしゃきした歯ざわりがいい。なにより、正確に量がわかるので、一滴も残らない。節子の味噌汁は必ず、2回にわけられたが、後の味噌汁は、飲みたくない。それはない。

 料理の合間に包丁も鍋も釜も、皿もまな板もみんな洗い終わり、収納する。どうじに風呂を沸かす。食後は、風呂と選択を平行してやる。といった具合である。まだあと2,3るが、いずれ記してみたい。

 現実は複雑系だから、いろんな変化が予測できない。家事もどれだけ変化可能か
面白い。非線型である。女性の性格そのものでもある。
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生活感

2006-06-24 | Weblog
 月曜に節子は退院して、今日は土曜だ、十日間かかってほぼ空にした冷蔵庫は、今や、肉、野菜、牛乳、種々の冷凍食品、化粧品までと満杯になった。空の冷蔵庫を見たとき、全部食ってしまってあとは食うものはないじゃないね、自分のことしか考えないが感想だった。まあ、目下期限切れの食品パックや残飯類がないのが幸いである。
 
 さて、昨日につづくが、どうして役人というのは、日常という感覚が働かないのだろうか、「この公園で犬の放し飼いをしないでください」は、「食中毒」の掲示場のまえに、これも何十年も掲示されたまま。今頃、頼まれても犬の放し飼いなどする飼い主はいない。いや、野良犬さへ通りを俳諧していないのである。

 森山大道が昭和30年代に撮影した「野良犬」は、ポスターで市販されているほどの名作だが、この野性の独立と不安をかかえた野良犬の存在さへ不可能になった、自動車社会の街頭について、思念することなど、かれらにはないのだろう。

 日常を思い浮かべられない。かれらも暮らしはしているはずだが、その暮らしで感じるこまごました日常感覚は、行政という仕事をするときは蒸発しているのだ。

 この想像力の枯渇、その先に何が生じる・・
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なにも考えずに

2006-06-23 | Weblog
 先週土曜日夜に宮崎の建築士の研修会で、「都市宮崎 デザイン・レバレーション Design Revelation」というスライドを使ったトークをやった。「都市景観造り」無意味だと主張した。

 まあ、しかし、考えてみようじゃないか。不幸にして認知障害の疾患になった設計者に住宅や高層マンションを設計・施行してもらおうと思うだろうか。つまり、現実感覚が壊れたものに都市デザインを任せられないということである。

 ぼくの「禁止」や「サイクリング道路」の現状についてのブログを読んでもらえばお分かりいただけると思うが、いったい行政はなにを考えてこういう禁止掲示や道路づくりをやっているのか、理解不可能なのである。

 青島バイパスの自転車道から、外へ出る脇道の先端部は階段なのである。夜だったら転落して大怪我をするところだった。潮見町を過る道路公園に「食中毒が流行しています。この池で遊ぶ人は注意してください」と意味不明の看板が同じ場所にもう何年も掲示されている。

 この最大の問題は、現実つまり、ここでは街で暮らす人々のことだが、その日常ぶりがまったく関心の外であるし、また理解もない。階段のある自転車道などとは
日常感があれば、考えようとしても思いつかない。食中毒が何年も流行というのか。この無意味は掲示板は、なにを目的にしたものだろうか。

 どうだろう、これは認知障害疾患と変わらないでしょう。その人たちが都市行政をやるのである。その要請で建築士が働くという構図になる。止めががベターだ。

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禁止・禁止のつづき

2006-06-22 | Weblog

ここまでに、以下のブログで「禁止」の信じられない非現実性を書いたので参照してください。ここから論が始まりますので。つまりお役人の意識はどうなっているのかが、第一の問題。なぜ、こういう意識が疑問も反省も無く通用するのか。そして第3に、この人たちが都市景観をつくるとう義務感に駆られて宮崎市の都市づくりが動いているということである。

 どうなるのか、決まってる廃墟になる。多くの市民が働き場を失っていく。

 

 ウェブログ 公開中 2 0 禁止・禁止・・・ 2006-05-16 11:20 Weblog ウェブログ 公開中 0 0 禁止 2006-05-13 11:18 Weblog ウェブログ 公開中

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一難去って

2006-06-21 | Weblog
 節子はリハビリが始まった。毎日、クリニックに送迎しなければならなくなった。前よりも忙しくなった。一難去って、また一難か。ただ、これは希望がるからなによりだ。

 今月は、癌や心臓発作や、副作用と深刻な病状に陥った友人・知人の報告をつぎつぎと受けてきた。末期の肺がんをイレッサで乗り切った知人は、副作用の全身蕁麻疹がついに火傷状になって、激痛で夜も眠れなくなったという。糖尿病の知人は
心臓疾患もあり、運動しなければ糖尿病がすすみ、運動は心臓に悪いと苦しんでいた。口中が、荒廃して食欲はもちろん、水も服用が困難になった大腸がんの知人と
耐え難い病状を知る。その知人・友人のまわりにも同様の病状の知人・友人がいるし、その先もまたと、ひろがる。

 昼間働く人々の一枚下は、この重篤な病気をかかえる人々に広がりなのだ。いつだれでも、こっちの層に移行することになるかもしれない。これほど、健康?と病気は2層になって日常生活を作っているのだ。

 このような病状の苦しみをじかに知り、見ると、痛みのない体以外に何が必要かと思う。名誉など屁の足しにもならない。地位も存在しない。金も解決できない。つまり、努力して何かをうることなどまったく無用な業である。

 一番先に排除すべきは、努力を捨て去ることだろうと思う。努力のほとんどは、
地位であり、名誉であり、金であり、自己幻想の獲得である。そして、その幻想は最後の病状によって嘲笑される。つまり優勝を目的に努力して、全身衰弱、骨折、麻薬中毒に落ち込むドリョクを連想させる。

 ではどうやって毎日を過ごすのか、ぼくは一つの指針として、犬や猫の生活が可能なようなドリョクがいいのではないかと思う。名誉も地位も欲せず、誰にも迷惑かけず、たった一人で楽しみ、いちまいの皿と椀と首輪だけの遺産しか残さない生涯とは、すばらしい。

 おれはなんにも人生でしなかったと思いは、重篤な病気の苦難を耐えさせてくれるかもしれない。政治家などは、どうやって病気に耐えているのだろうか、24時間中、耐え難い痛みに晒されながら・・・。

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チップ

2006-06-20 | Weblog
 チップのマッサージをつづけて10ヶ月経った。その後、皮膚炎はときどき赤く炎症を起こすが、数日中に沈静する。今日、狂犬病の予防注射に行った。皮膚炎についてはドクターは健全と言っていた。

 マッサージで不治だと断定された皮膚炎が、一応治まってきている。

 ぜひ、愛犬にマッサージをしてください。
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節子退院

2006-06-19 | Weblog
 昨日、日曜は節子が退院なので、佐賀大和の佐賀医大に迎えに行き、自宅に連れて帰った。神戸製鋼のチタンと、軟骨の働きをすうる京セラのプラスチックでできた人工関節を嵌めた手術だった。術後の痛みもそうなく、3日目からはリハビリりも開始された。病院に着くと、彼女は、一緒に、知り合いになった患者さんに挨拶まわりをしていた。

 とくに看護師さんたちとは名残惜しそうであった。彼女たちの立派さをなんども口にした。
 
 「病院は楽しかった」 と友人に感謝しどおしであった。

 三人で付近のレストランで食時、再会を約して、ぼくらは宮崎へ向かった。そのレストランの玄関を杖で痛そうにあるく老女をみても、パーキングエリアで支えられて歩く婦人を見ても、手術を早くすれば早く直るのにと気になる様子だった。

 今朝は、家事労働は半分以下になった、実に楽だ。1人でやると、あれこれ段取りにも疲れるか、これがない。たちまち料理も掃除も進むという具合であった。大量の洗濯ものも干せた。まだちょっと動きが不自由だが、節子も家事をやれた。

 冷蔵庫がほとんど空っぽになったのに、彼女は気がつかなかった。またいっぱいつめられると思っただけかもしれない。

 膝を抱えてあえぎながら、生活している多くの高齢者の方々に、佐賀医大で早く手術されることを、二人して思うにであった。

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ゴダールの映画

2006-06-17 | Weblog
 今朝は土曜、孫は来ないのでゆったり出来る。ご飯は今日はいらないとして、台所の床を拭き掃除にかかった。つい床クリーンを噴射してやりはじめたら、40分もかかってしまい、腹が減ったので、ジャガイモを蒸かし、もちを焼き、コーヒ豆を挽き、実験のため魔法瓶につめた。チップの散歩、食時としていたらまた無限刑罰機にかかってしまった。

 夕べ、誕生祝をしてくれると約束していた友人に食時に呼ばれた。くるんテープにしたら、そんなに安くていいのねといわれたが、食時よりも雰囲気だよと内心は思う。

 テーブルにつくなりウイングのママの様子を話し合い、こんごの支援活動をどうするかを話し、ある案には辿り着けた。常連のだれかれも心配しているということが、次第にわかってきたし、支援の具体的な集まりを開くことに話は落ち着いた。ママの人柄の良さが、そうさせるのだと、つくづく思う。
 
 この話が終わるやいなや、ゴダール的難解さは、不愉快きわまりないとなり、先年も日本映画で映画祭で公開された「明るい未来」という映画を二人とも思い出した。そのこき下ろしが、まだお互いに怒りがおさまらず始まった。あのとき、多くの映画批評家が賞賛した作品をなぜぼくが批判するのかと反論を書いたやつがいたが、おれの論点には触れず、日本のアホ批評家が良いから、おまえは間違いという論理に開いた口がふさがらなかったよなあと、そうよね、ばかだらねえと日本映画は大衆娯楽映画に限ると不遜な思いを共感しあえた。

 後、ビーフラッツで、閉店時間を忘れて30分も居候してしまった。コーヒーぼくが出すといったら、友がしはらった。そして友の天井の開く、新車で夜の道を疾走し、10じごろ、じゃと車を降りた。

 夜12時ごろ、ふと思いだした。あれの誕生日の話はまったく出なかったことだ。
そんなことを思いつきも、祝うほうも祝われるほうもしなかったのだ。ああ、これは良い誕生祝いであったな、おごってくれてありがとう。あんたも元気で。
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映画祭 ゴダール

2006-06-16 | Weblog
 ゴダールの「アワーミュージック」はちんぷんかんぷんの映画だった。夕べ、終わった瞬間に「ナンセンス!」と、男が叫んだ。声は若者の声ではなかった。

 ぼくはナンセンスと断定できるほどすっきり否定はできないが、すくなくもと「ちんぷんかんぷんの映画」と遠慮なく言わせていただく。

 なんという暗い絶望的な映画であろう。人間を音符とすれば、奏でる音楽は世にも奇怪なるグロテスクな音楽だろうと、Touch the Soundで言ったが、まさにぼくらの音楽は、過去から現在、未来へとつづく破壊と暴力の世界を奏でていた。

 このミュージックに包まれて、ヒロインはゴダールに解を求めて近づく。しかし、ゴダールは、ちんぷんかんぷんの言語しか話さない。それは、ラカンやデリタ
ボードリァールなどのフランス現代思想家たちの理解不可能の言説と似ている。だからこそ、ここになにかあるとわかものたちは、凝縮したようにひきつけられるのだろう。

 登場するゴダール(これは本人なのか、役者なのか、まあどちらでもいいいのだが)彼は、だれともコミュニケートしてない。相手との感情の交換、流れはないのが、よくわかる。言語の鎧のなかに閉じこったフランス知識人の奇妙な人格が、いっそう目の前のボスニアの悲劇を浮き立たせていた。

 だれも救えない、後は死ぬしかないという声だけがした。男ハ「ナンセンス」と叫んだ日本はまだまだ恵まれているのだ!!
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映画祭つづき

2006-06-15 | Weblog
 今朝は、ヨーグルトにバナナ、茹でたジャガイモだけにした。雨は朝から烈しくチップの散歩に手間がかかると思えたので、料理は止めた。
 
 夕べは、映画祭の映画[Touch the Sound」をもう一回見た。内容をもっと理解しようと思ったのだ。しかし、これは失敗だった。理解、つまり理屈で解釈しようとして、かえってわけがわからなくなった。世界は音楽である。人は楽譜をつくる音符であると、ヒロインが言うところがあるが、多分、個性の存在、その全体の調和を比ゆ的に表わそうとしたのだろう。ところが、それを聞いて、人間音符の奏でる音楽は信じがたいほどグロテスクな音楽、奇怪な悪の賛歌、自然や他のいかなる生物とも異なる醜悪なるメロディーではないかと、いうように分析思考が発展して、全体の美しい比ゆが捉えられなくなった。

 テント劇「ど」の解釈をめぐって、実行委員長と意見をぶっつけあったが、彼女は明晰にもの表現しても魅力を感じない、暗示や、ある種のあいまいさの方が信頼できると言った。絵画は言葉でいいあらわせぬものを、表現しているから好きだと言ったのを、思いだした。

 音は言語や形を越えている。この映画でそのような音の存在を感じただけでよかったのだ。2回目の理解しようとした分析では、内容は蒸発してしまった。

 今夜はいよいよゴダールの「アワーミュージック」を見ることが出来る。
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家事男の記

2006-06-14 | Weblog
 今朝の節子からの電話で、来週月曜には退院できると伝えてきた。手術は6日午後だから、膝関節をチタン合金製に置換して2週間だ。もう退院!!と絶句した。一週間目には歩行器で1人で歩き出したというから、退院は可能になったのだろう。いずれにしても現代医学の進歩、その実践をする外科医に感謝する。
 
 さて、朝は味噌汁、納豆、おろし大根、目玉焼き、デザートにコーヒーとトーストにした。こんなものを作るのは手間はかからないのだが、だが、だが、問題はそうではないのが、ここ10日あまりでしだいにわかってきだした。この朝食準備の時間の流れのなかに、しなければならぬ付随のワークが水道の蛇口に水のように流れこんでくることだ。チップの散歩のあとの食時、そのための食器、別の材料の取り出し、配置。チップ用飲み水の取替え。

 流しの清掃、料理材料の片付け、切りくずの処理、ごみの種分け、ポリエチレン袋の引き出し、その合い間に洗面、洗濯ものの出し方と、取り込み、布団を干す、床に落ちた孫のパンツの収納、冷蔵庫の配置具合の再点検、調理器具の片付け、この間にもチップの散歩と食品の買い物、かってきた食品の収納、またまた冷凍庫中の廃棄食品の再点検。夕べの回覧板の隣家届け、郵便受けの各種領収書や請求書のチェック、新聞や広告の収納、夕べの本や雑誌の書架への配列、一部は勤務先へ持参、食時の後のあまった料理のパックと廃棄。シャツ、パンツ、靴の選択と着替え、電話で孫と親にどこに料理があるかと指示、かれらは、今日は遅刻している。掃除は、居間のテーブルと台所のそれ、玄関の戸締り、風呂場の干し物のかたずけ、残った目玉焼きのポリエチレンパックと冷蔵庫への収納・・・・

 朝食を食べるという単純なことのまわりに、これだけの多種多用なワークが発生する。なぜなんだ!自宅の生活で、単純な行動を起こすと、浴槽に足を入れたように、多種多様な仕事がつぎからつぎへと関連し会いながら、終わることの無いような波紋となり広がりだすのである。

 これは、カフカが小説で書いたような無限刑罰機に似ている。どうしたら、この刑罰機から逃れられ、いやこのシステムを制御できるのか、にわかに興味が湧き出した。節子が帰ってきても、しばらく家事全体を任せてくれるように頼んでみよう。その制御システムを発見するのがおもしろそうである。

 何が、無限刑罰機を生み出しているのだろう!!主婦方よ教えてほしい。
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映画祭 昔の作品

2006-06-13 | Weblog
つづいて「鴛鴦歌合戦」を語ろう。1938年作の白黒ミュージカルで、志村喬や片岡知恵蔵が歌を歌う。浪人志村喬の1人娘が、権力も地位も、金も払いのけて、浪人、フリーター片岡知恵蔵と結ばれるという物語である。じつに単純、明快、無声映画じみたシーンの連続であった。喜劇にしては大真面目であるが、どのシーンもおかしなギャグにしか見えなかった。観客はシーンとして見入っていた。あまりの素朴さに呆然自室の体ではなかったか。

 不思議に現在の村上フアンドやライブドア事件を思わせる。戦前、これほどの自己主張の強い娘たちが活動するというのも新鮮であった。あまりに撮影テクノロジーが過剰になっている現代映画にない素朴さに、かえって生き生きした映画の面白さをかんじさせられた。

 いわゆる活動小屋向けのミュージカルで、そのような映画の存在もあるのだと、シネマコンプレックスの時代に思う。映画はシネコンで、たった一人でゲームしているようなものだけじゃないと。

 さて、60年代フランスのヌーベルバーグ派監督6人のオムニバス映画「パリーところどころ」は、6人の男女ペアが描かれるが、みんな不幸なのだ。その不幸は、すべてパリ生活から生じている。つまり文明の爛熟からである。60年末の日本で、その爛熟をわかることなど、とくに宮崎市では不可能であった。このパリーの食事の味気なさ、住宅の粗末さ、近隣の崩壊、格差の広がりと、すべて現在の日本の状況が、すでに60年代のパリーにあったのだ。みなわかったようなカオをしてヌーベルバーグと言っていたが、今だからこそ、理解できるのではないか。思え、文化人はうそつきであると、あらためて思う。
 
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