市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

宮崎映画祭(2011年度第17回)ロウ・イエ

2011-07-28 | 映画
 ロウ・イエ映画について語っている最中に中国で高速鉄道の追突事故が起こった。政府のとった対応は国家の威信であったが、個人の命を無視した対応に中国の民衆の反乱が起きている。政府の力ではどうしようもない民主化が進んでいくことを、この高速鉄道事故は、図らずも実証した。政府の都合だけで、民衆をコンとロールすることは不可能になってきたのだ。新聞も雑誌など大衆メディアも、個人インターネット情報メディアも世界の情報のネットワークも、当然のごとく活動し、真実を公開するように中国政府を圧し始めている。共産党一党独裁の全体主義支配などとは、現在の情報化社会、グローバル世界のなかでは、幻想にすぎないことをはっきり示しだしてきている。時代はすでに天安門事件でなく、本質的に変わってきているのをまざまざと知ることができる。

 その「天安門、恋人たち」が公開された2006年は、折りしもカナダ人の写真家エドワード・バーティンスキーを追ったドキュメンタリーが公開された。彼は中国をはじめアメリカ、ドイツなどと産業発展で影響を受け、開発を強いられた風景の変化を取り続けている。2008年6月に来日して『いま ここにある風景 エドワード・バーティンスキー:マニュファクチャード・ランドスケープ「CHINA」より』のドキュメンタリー映画が公開された。かれの写真や映画の一端を、ーチューブで視聴して欲しい。経済発展の裏でどれほど破壊が進んでいるのか、その歪みの想像を絶した破壊と非人間的風景が、この小さなパソコンのモニターからさへ、圧倒的に伝わってくる。そこで、にもかかわらず、そこには否定しようもない美があるのだ。文明がわれわれを否応なく飲み込む悪魔の魅惑というような美があるのだ。これが映像の強さとなって、多数の人々世界の大衆の注視をひき付けている。まさに美こそ核となるアートの普遍性と凄さ、これがある。この普遍性がある。中国の今を考えるとき、どこまで普遍性を引き出すかが、課題であろうと思う。それは、もはや独裁とか中国政府のエゴといった問題よりも同じ環境の危機を背負う人間の問題としての「視点」が必須になろう。ロウ・イエの映画作品をつづけて語ろう。

 
 『スプリング・フィーバー』(2009年ロウ・イエ中国・フランス製作 監督ロウ・イエ)

 男たち3人の同性愛を描いたこの映画もまた暗い結末で終わる。なぜ、かくも暗いのか。それにやっぱり前作天安門とおなじように、たんたんたる日常性が描かれる。禁断も劇的反転も反抗も非日常性もないのだ。およそフィーバー(熱狂、興奮)の気配は実は描かれてない。暗さと日常性、これが2作の共通の特性である。

 ただ、「スプリング・フィーバー」を「天安門、恋びとたち」の前に見たなら、ロウ・イエ監督の映画製作にかなりの斬新さを受けたのではないかと思う。政治とかなんとかの問題よりも映画としての独特の表現に惹かれたかもしれない。しかし、そうだとしても、やはり中国の政治への批判が根底にあることはまちがいなく、これぬきに彼の映画は語れないとは思う。監督は、こんどこそ純粋なラブストーリーだと語っているが、ラブ・ストーリーをなぜかくも平板な日常性の域にとどめているのか。前作の共同脚本を担ったメイ・フォンに今回は担当させている。人と人の間の日常を描くという意図をかれが生かすことができると、任せたということだ。

 さて、登場する3人の関係は、主人公ジャン・チョンと、同性の恋人ワン・ピン、その妻リン・シュエ、、リンに夫の尾行を依頼された探偵ルオ・ハイタオと、かれの恋人リー・ジンの相関関係として愛がもつれあって進んでくわけである。異性の愛、同性の愛がもつれあい、尾行するルオもジャンを恋するようになり、リージンと関係は危機になる。この相関は、同性愛とい社会的に否定される愛ゆえに悲劇の結末を迎えるということになる。これだけの相関であれば、ストーリーはどこまでもドラマチックに展開するのだが、映画に挿入された作家ユイ・ダーフの小説「春風沈酔の夜」の一節「こんなにやるせなく春風に酔うような夜は、私はいつも明け方まで方々歩き廻るのだった」と恋人たちは読み上げる。この個人の繊細な情感にこそ焦点はあるということが主題とされている。一見狂おしい同性愛という愛を主題にしながら、これもまた個人のさけられぬ感情であり、人生であり、「人間の間に存在する愛である」ことを描いたのだという。この個人であること、このいわば当たり前のことが「全体性への帰属、個人を飲み込む集団志向」を強行する中国政府への告発となることを、かれは訴えているといえるのではないか。

 「天安門、恋人たち」での彼の表現は、まったく同じ手法である。まさに、ロウ・イエの世界であり、ゆえにロウ・イエを好きなものにとっては、すプリング・フィーバーはいっそう魅力的な作品であろう。このことを否定するつもりは毛頭ないし、話は、このことでなく、別の視点のことを語ろうとしている。今思い出しているのは、1994年オーストラリア映画「プリシラ」である。この映画も3人のゲイ、ドラッグ・クィーンの物語である。1人が性転換者、1人はバイセクシャル、もう1人は若い女装フェチで、砂漠の真ん中で開かれるショーに参加するため「プリシラ号」というバスにのって、砂漠を旅していく。そのドハデで衣装と荒涼とした砂漠の対比が目を奪った。3人ともお笑い芸人だが、旅の先々で差別や同情やと出会いながら、次第に人間愛を深めていく。とくにバイセクシャルのかれは、ショー会場で別れた妻と息子に再会し、はじめは仰天して失神するが、やがて息子にゲイの愛も人間愛だと理解させることになるというハッピーな結末に至るわけだ。

 移動、行動、非日常、熱狂と興奮、歓喜と、派手派手で、脳天気で、楽天的で、かれらも同性愛の差別に苦しめられながら、幸運を戦いとるという物語でスプリング・フィーバーと逆の世界が展開する。こういうデザインが描けたのは、国という土台が違うからである。この二つの作品を併置して、どちらが優れている作品かと、問うことはおよそ意味がないだろう。しかし、どちらが面白いかということは、問うことができる。そして、答えも明快であろうと思う。どちらも好きだという人もいるかもしれない。それはそれ、こんな馬鹿話は意味が薄いという人が、スプリング・フィーバーを挙げるかもしれない。だが、自分はどちらかと自問の材料にはなるにちがいない。ちなにみ「プラシラ」は1996年第2回宮崎映画祭の上映作品の一つであった。当時のぼくは、映画祭の実行委員でもあったので、この映画を記憶していたのだ。

 あ、ついでに言い忘れたが、ぼくはプリシラを、もう一度見たいと思う。

 さて、もう一つの作品は、『いま ここにある風景 エドワード・バーティンスキー:マニュファクチャード・ランドスケープ「CHINA」より』のドキュメンタリーである。この映画もさることながら、バーティンスキーの撮影した中国の今を撮った写真に現代文明の黙示録を知らされるような現在の今、そこに未来の恐ろしい崩壊の予兆を受け取らざるを得ないのだ。この風景は現代中国のまさに人間個人の埋没を推し進める風景でありながら、日本の風景であり、未来でもあるからだ。ここで、われわれは、中国と共通の問題をかかえていることが、即差に理解できよう。すでに共産党一党支配体制による個人の抑圧という強権は鉄壁ではなくなってきている。その壁の向こうにあるものが、解放でも天国でもなく、新たな人間生存の問題として横たわっている。このまさにSF未来風景の環境にいかに向き合えるか、この現実の克服へと、アーティストの課題は向かいはじめているのではないかと思う。とくに3.11の東日本大震災、福島原発事故炉心崩壊を起こした以後の日本社会を考えるときは、中国もアメリカもないように思えてならないのだ。ロウ・イエ作品はこの課題へと向かっているとはおもえないのである。いや、そうでないかもしれない。こういう言い方はまちがっているかも。しかし、これまでの2作品からは、こう言うしかない。
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宮崎映画祭(2011年度第17回)「天安門、恋人たち」を見て

2011-07-27 | 映画
 前回に続くが、三日前の土曜日午後、窯焼きパンのカフェに出かけて、今度は蒸し暑さで、さすがに庭のテーブルには座る気になれないで、パンの山積みになった店内のカフェに座った。自転車だったので、身体にべっとりとはりつい暑気は、十分な冷房でたちまち遠のいていった。あんパンとピーチのジュースと熱いコーヒーと冷水を並べて、外をながめながらゆったりとした時間を過ごした。書こうとしている映画天安門、恋人たちは、今ここにある消費の光景とは、あまりにも対照的であるのを思い出すのであった。


   『天安門、恋人たち』(2006年中国・フランス製作監督ロウ・イエ)

 この映画は、映画祭公開の前に試写会があり、宮崎市民ホールの小会議室で見た。タイトルの天安門(事件)があるわけでもなく、北京の北清大学の学生たちが、政治や民主化運動を語るでもない。地方都市から北京の北清大学に合格して、進学してきた美人女性ユー・ホンは、チョウ・ウエイと出会い、二人は恋人となる。学生寮の狭い部屋でくりかえされる、二人の性交シーンがえんえんとつづく。思想もなく革命もなく、愛をむさぼりあいながら、満たされぬ想いがユー・ホンを孤独に追い込んでいく。見終わって感想をしゃべるのだが、端的に言ってポルノとしか言いようが無かった、他に何があるのかと、加賀さん(今年より同映画祭実行委員長)には印象を語った。そのまま、この映画をもう一度見ようという食指はうごかなかった。

 そして映画祭当日に、「お引越し」を見ようとやって来たら「天安門」であった。と加賀さんが会場の入り口に立っていて、帰ろうとしたぼくを引きとめて、天安門をこの映画館でもう一度見るようにとすすめられた。「ポルノとは、ちょっと違うと、思うんですよね・・」と彼女は言うのであった。たしかにポルノと切ってすてられない、なにかがある、やはり天安門かな、いや中国政治への批判なのか・・。なにかあるような、「とにかくもう一度見て」と乞われて、よし今度はロウ・イエが二人の恋人をどう描いたか、そこだけを追ってみようと館内に入った。

 そしたら、今度は、きわめて単純な、ありふれた大学生という若き日の男女の恋物語だとすらりとついていけた。相手をすべて所有したくなる恋のすれ違いで、破れていった恋であった。こんな話は、凡庸であるものの、この主題は手練手管を使って、文学に映画で繰り返されてきている。この映画では、たいした山もなく展開もなく、落ちも平板、なんとも既知の常識そのものの恋の悲劇が進んでいくばかりであった。だからこそ、この物語が印象にのこらなかったのだ。それは壷に描かれた薄い平凡すぎるデザインであったがため、印象にのこらず、その土台の壷が、その壷の実在だけが残ってしまったのだ。その壷の正体は、しかし、試写会の会場では分らずじまいであったのだ。
 
 見終わってありありと分ってきたのは、この壷の存在であった。それはロウ・イエが表現した中国社会、1989年の首都北京、その大学おそらく北京大学をあらわす北清大学を中心にした中国である。それは、目を疑うような大学女子寮の内部で現されていた。経済発展以前の寮である。今と対比して、近過去の風物を並べて失われた空間の美や豊かさを示す手法は多い。しかし、これとは、本質的に違うのだ。この古さには、美と豊かさなどはないのだ。4人部屋なのか、木製の2段ベッドが向き合いにあり、汚れきったあり合わせの布でし切ってある。窓もなく、片隅ではごぎぶりが這い回っているような不潔さが漂っているのだ。学生たちは、このベッドに腰掛けて、タバコの煙にまかれながら、酒を飲んだり、食い物を食ったりし、ときには空いた部屋でセックスをしたりして過ごす。一見したとき、ここは、捕虜収容所と思ったほどである。

 米国のディスコ音楽ががんがんと流れ、学生たちは飲んだり、食ったり踊ったりするホールの中で二人は一目惚れとなるのだが、そこから、女子寮は、二人の性交の部屋となる。教室では、授業よりも、騒然としたムダ話が飛び交い、そしてひたすら遊びと異性を求める学生たちの姿が溢れかえっているのだ。天安門へという民主化デモへの運動は、そんなある日起こり、学生たちはディスコに大挙おしかけるお祭り騒動となって涌き上がる。たちまち銃声にけ散らされて、逃げ惑い、ユーホンも寮ににげてくるだけだ。天安門事件とは、このシーンだけが挿入された。映画が発禁になったとき、ロウ・イエは政治は主題ではない、描いても無いと言ったそうだが、はたしてそうなのか、正面切って描かないからこそ、中国の80年代政治の暗さが、観客に衝撃を与えるのではないか。先進国の欧米の知識人の中国批判を満足させる重たいリアリズムがかれらを心地よくさせたのであろうかと、思うのである。

 ユー・ホウは、ある日、チョウ・ウエイの浮気を知って、かれの室に泊まろうとして激しい争いとなり、自分の室内に帰ってくる。部屋では1人の女性が、楽器、小さな竪琴を弾いている。その前を怒りのまま横切って、2段ベッドの端で、いきなりスカートをまくりパンツを膝まで押し下げると、しゃがんだまま、排泄行為に入るのだ。この光景は、一体何を意味するのか、いや排泄と見るほうが間違いだったのか、信じられないままだ。しかし、たしかにパンツを膝まで下ろし、排便するしゃがんだ姿勢で、怒りをおさえつづける姿に、排便のほかになにを想像しよというのだろうか。しかも、同じ部屋のベッドに腰を下ろして、平然と竪琴を奏でつづける相室の女性の動じぬ姿は、なにを意味するのか。以前、中国でうんこをするとき、囲いもなく溝の上の梁に一列にならんですると聞いたことがあるが、大小便の姿は、恥ずかしいものでもなく、きわめて日常的な習慣だという。そう思うしかないのであるが、しかし、この光景、しかも中国の名門大学を意味する大学寮の部屋で排便とは、このシーンを中国政府は、認められるのであろうかと、思うのだった。まさにこの光景こそ、痛烈なギャグではないか。しかし、ギャグなど挿入のしようもない、重たいリアリズムシーンが、この映画の基調ではある。

 開放感のない陰々としたシーンと、激情のように沸き立つ群集シーンは、天安門のきわだつ表現である。この壷の表面で恋人たちの葛藤が深くなっていく。はじめ、せリフがないといったが、ヒロインのユー・ホウの表情が、じつは多くを語っていたのだ、性交における喜びよりも虚しさ、日常のあてどもない空白の日々、それらの空しさの表情だけが見事に表現される。それは若い学生の恋というような個人的な人生など、なんの意味をもないと、経済発展に驀進する中国社会の全体主義への絶望と重なっている。ロウ・イエは映画のシーンにこの想いを込めているのだ。それを意図したかしないかと問う以前に、かくも暗く否定的に壷を表現せざるを得なかった内面に、祖国へ突きつけるノーがあったと言えよう。それは大胆であり、巧妙であり、創造的な奇才を感じさせた。

 しかし、ぼくは、この映画の表現に共感できないのだ。製作された2006年といえば、すでに中国には2億人とも2億5千万人ともいえる中間所得層が大都市を中心に誕生している。もし、部屋で大小便するような、ごぎぶりが這いずり回るような中国の未開発住居などはいっそうされていたろうし、また、こんな、その遅れなどは、いっしゅんに片付けられる都市問題に過ぎないのだ。また今や、世界中の商社や、工場、チェーン店、サービス産業が集まってきている北京やその他の大都市で、この中間層には、ぼくらと同じようなアメリカ的消費生活やライフスタイルが始まっていると思うのが妥当であろう。ゴキブリが這い回るような暗さはもはや意味をなさない。共産党一党独裁で、民主化が抑圧されている中国社会も、変わってこざるをえない。中国の暗い、鬱屈したイメージでは、89年以降の中国の本質をとらえることは出来ないのではなかろうか。われわれと同じような消費文明の巨大な危機こそ問題で、未来の危険こそ共有しているのではないかと考えられる。

 こう思うときに、ロウ・イエの手法は、このままでは、早晩行き詰ってくるはずである。映画もっと、楽しくし、異相であっても未来を孕む歓楽的なシーンで、問題の所在を明らかにして、告発、解決への希望を提示するのが本筋と、ぼくは思うのである。現在、いろいろと国家の対面だけを前面に押し出している中国政府もグロバーリズムを抱え込み、次第に民衆主体にならざるをえないだろうと思う。この映画を見て、中国の共産党一党支配の人民抑圧をイメージしていく、独裁政治に過度に反応することは、問題をとらえられないかもと思うのであった。


 
 


 








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宮崎映画祭(2011年度第17回)天安門,恋人たち」を語る前に

2011-07-23 | 映画
 中国のロウ・イエ監督作品『天安門、恋人たち』を語るのは、難しい。たしかにロウ・イエ監督はかれの祖国中国を意識しての映画であろうが、2回見たが、分ったようで、今また分らない。中国とは、なにかが分らないのだ。だんだんこの映画について語るのが、むつかしくなりつつある。今日は土曜日である。しばらく、蒸し暑い曇天の午後だ。ぶらぶらと出歩くしかない。

 午後2時過ぎから、真夏の暑さと蒸気のような湿度となってきた。すでに全国で2万人を越えるの熱中症患者が出たと報道されている。あまり熱中症と騒ぎたてると、精神的にストレスを受けて罹患してしまうのかもしれない。要は、精神をまず強靭に保持すべきなのだろうと思う。

 先日水曜の午後からは、休みなので、ママチャリで北郊外をぶらぶらしていると、競馬場の塀沿いとなり、そこにとつぜん、窯焼きのパン工場兼カフェにぶっつかった。スペイン風な大きな店構えが、いい。中には自家製のパン、ややドイツ風な黒っぽいパンは店を埋めていた。わりと手ごろな値段なので、2種類ほど購入コーヒーがいっぱいだけサービスというので、紙カップに注いで、庭のてーブルに運び、ここで本をよみながら4時半ごろまで過ごした。コーヒーが意外とおいしかった。それと、パンはそれほど美味いとは思えなかったが、滋養たっぷりというのがドイツパンらしかった。いい時間だった。

 店の正面は、昔の「花が島競馬場」で、今は「宮崎育成牧場」となっている。この前の道を進んでいくと、やがて日豊線の線路沿いとなって、線路とともに宮崎駅までえんえんとつづいている。この道路に入れば、北へすすむと、自然にパン店にたどりつける。みごとに分かりやすい場所だ、これを反対方向からくると、たとえば山崎街道から探すと、どういう道筋だったのか、今だに分からないのだ。

 肩が凝る。やっぱりインターネットに触れると、神経が苛立つのだろう。その点読書は楽だ。

 しかしブログをつづけねばらぬという意思、依怙地さだけはつついている。これはちょっと可笑しいのかとも思う。だが、こんなパンを食べコーヒーを飲んでいる午後は、なにより基調な時間である。『天安門の恋人』を書きはじめなければならない。今、このときに日傘の下の庭でのんびりしている生活と、ロウ・イエ映画の信じがたい、かれの映画の北京の学生寮とが、どう関係するのか、ここから考えていこうか。
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2011年度宮崎映画祭 個々の作品について 1

2011-07-21 | 映画
 面白い映画とは、なんだろうと、定義することは出来ないように思う。ことばで締めくくったとたんに、実体が抜け落ちてしまう。これは生きるとはなんだろうと、定義しても意味がないに似ている。まずは、個別の映画を語るほかに面白い映画を説明できない。映画祭とは何かを述べてみたが、いろいろ理論的には、述べられるが、この面白い、面白くないが、映画祭を支配していることも間違いない。料理が、美味いか、不味いかが、まずはなんといってもレストランの評価を決定づける。

 ということで、そこで2011年度の宮崎市映画祭上映16作品中、私の見た7作品について、個別に語っていこう。

 『SRサイタマノラッパー2 ~女子ラッパー☆傷だらけのライム~』

 この日本映画はタイトルを読んだときに、あまり気乗りがしなかったのだ。ラッパーという音楽も好きでないし、あのラッパーのファッションも魅力もなかった。こんなものをわざわざ映画で見てもという感じであった。しかし、みおわって、この先入観はもののみごとに打ち砕かれた。それ以上に、日本のミュージカルも、ここまで進化したのかと、驚いたのだ。もともと和製ミュージカル映画で音楽が、生活の場で語られることもないし、ということは音楽が人々の生き方との関連が描かれなくて、音楽もダンスもステージで上演され、それが音楽であるということでしかない。崇高な芸術としての音楽はステージの上で上演されてすべてであるというという在り様にいつも欲求不満を覚えていたのだ。だがこの映画でついにステージがすべてでない音楽に接しえたのだ。

 詳しいことは知らないが、ラップは、しゃべる音楽だとは知っていた。知っていたとうより、これだけしかラップについて知らないのだ。この恐ろしいほとの無知、無関心の私でも映画は、十分の対応していた。物語の進むにつれて否応なくラップに惹かれていったのた。さらにこの映画のもう一面は、昔風に言えばラッパーというプロレタリアの物語。蟹工船というプロレタリア文学を連想される若者もあろうか。それじゃ古着が古すぎるので、三浦展(みうらあつし)の特設する「下流社会」の人たちであるラッパーの物語であるとも言える。女子ラッパーと下流を重ねてみると、この映画はぼくにとって刺激的でいっそう面白かったのだ。下流は「ファッションは自分流である」「面倒臭がりだらしない」「未婚である」三浦の定義に良く当てはまる女子ラッパー、男性も二人も加わって、下流の宴が、展開してと・・物語は進みだしていったが、意外の進行がぼくを興奮させ、誘惑と共感の渦に巻き込んでいった。

 200年の初頭に高校を卒業して10年くらい経っている時代、今はこんにゃく製造の家業で働くアユムはある日、埼玉からやってきた二人の男性ラッパーに出会ったことを契機に、ふたたび、5人のバンドの再結成を図る。元メンバーは倒産した旅館の娘ミッツー、ソープ嬢のマミー、男より男らしい無職のクドウ、ダンサー志望のフリターのビヨンセである。不景気のつづく地方都市で彼女らはこんな職でしかみつからなかったようだ。まともな定職につけないラッパー、ラッパーだから生活もまともにできないという、だらしない、ぐうたら希望もない、ただ生きているだけという下流ぶりを、全身で表現するアユムの登場は前半の圧巻のシーンである。寝床から這出る様に起きてくる半裸の肥ったアユミのだらしなさぐうたらさが、圧倒的だ。犬か豚、本能的な生のほかには、思想も感情もない即物的生活が全身からにじみ出ているのだった。その彼女がラッパーとして活動を始めだしてくるに連れて、次第に魅力が出てくるのだ。それは同時にラップの魅力も浸透していく。

 ラップの伝説のDJタケダ先輩の野外ライブの聖地河原を知っているアユムたちと聖地を探しに来た男性ラッパーとの争い、これを偶然目撃していた釣り人の屈強な男性二人が、男のラッパーを女を脅してどうすると出てきて、男性ラッパーは、逃げ出していく。ラップを暴走族かジャンキーか、不良の証としてとっちめるという段階で笑わせながら、ラップの深層に入っていくのが、巧妙な導入になっているではないか。破産したホテルにあった高校時代に登場したステージ、その前に詰まれた当時の楽器や音響装置、その倉庫になった前で仲間たちで、ラップでしゃべりあい高揚していく仲間たち。今やコンニャクの配達の途上で、あるいは歩いていく橋のうえでラップを口ずさむアユムと、ラップは次第に日常の暮らしの場に再現されだしていく。その最初のクライマックスが来る。

 再起を起こして、最初の演奏依頼が来る。出演料も思いのほか高額で、彼女らの最初の目標が達成されたのだ。10年ぶりにラップの衣装を引っ張り出して依頼主の会場で出演をまっていると、ステージは、プールサイドで、水着でやってもらうという注文であった。ラップが何なのかも理解できなかったが、若い女性たちの色気のある出し物としての依頼にすぎなかったのだ。ここで迷ったが、伝説の野外ライブ再演のための資金稼ぎとして、彼女らは出演を引き受けざるをえなかった。

 このシーンは傑作であった。水着を着て、ラップを歌いながら、ダンスを踊っていく。プールに観客は数人の男性たちが眺めているばかりだ。水着姿のラッパーとヘタウマのダンスと、ラップ音楽、このどれもこれもアンバランスの三つが、不思議に釣り合って可笑しい。その滑稽さのなかに哀愁がある。懸命なダンスに哀切があり、ラップの掛け合う言葉が重なる。仲間の一人、腹をたてたか、ダンスができないのか、ただつったっているだけというのもリアルで笑えた。ラップ音楽の特性が、逆にわかりやすく伝わってくるのだった。プールには数人の男たちしかいないが、スクリーンからは、ラップ音楽、びんびんと客席に伝わってくるのであった。

 しかし、これ以後、ステージは無く。野外ライブのため貯金しつつけた資金も堕胎料として持ち逃げされ、それぞれの暮らしはさらに圧迫され、ついに仲間は四散してしまい、アユムの計画は完全に頓挫してしまう。やがて平常心に戻ったとみられるアユムは、コンニャク製造の家業に精を出すようになり、やがて母の一年忌がやってくる。黒い式服を着た親類縁者や近隣者の間で、法事がすすんでいく会場に、仲間たちがやってくるのだ。若い男性ラッパー二人も顔を出す。この必然は、ぼくはよくわからなかったが、こうならなくては、この映画のメッセージは伝えられなかったろう。それが、問題だ。普通の音楽映画であれば、ここで本願のステージが適い、大成功のうちに終わると言う構図になるのだが、法事と言う葬儀場で終わるというのが凄いではないか。

 黒い喪服の間をラップで、もう一度ラップをやろうという仲間たちの喋りがアユムによみかけつづける。しかし、動かない。動けないのかもしれない。だがしだいに彼女もラップの衝動に芽生えだして、ついに仲間とラップの演奏に入っていく。そのラップのなんと法事の式場に似合っていくことか、これが爽快な感動となって私を包み込んでいったのだ。

 この映画は、ラップを拠り所にもう一度人生を生きるという暗示をするシーンで終わるのだ。プロレタリアといい、下流社会といったが、これは社会の底辺を主題にした左翼文学でも映画でもないのだ。下流を社会・経済問題として分析する文庫本でもない。じつは人間の問題なのだ。ラップという音楽の可能性の讃歌である。それを示すための卓抜したアイデア、創造性がある。また、登場した女性たちの特にアユムの魅力は、音楽のヒロインにありがちな美貌というのとはおおちがい、まさにラッパーという動物的ともいえる生きるエネルギーを発揮して魅力があった。観客を元気付け、楽しませ、解放させ、スクリーンでみた現実が、見終わった後でさらに新しい意味を拡大し持続していくいうのは、面白い映画の典型だと、私は思えた作品であった。
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宮崎映画祭(2011年度第17回)今夜終り

2011-07-09 | 映画
  今日土曜日7月9日、宮崎映画祭は、宮崎キネマ館から、宮崎市民プラザ内のオルブライトホールに移して終わる。クロージング作品は行定勲監督の「今度は愛妻家」で、監督と脚本家伊藤ちひろ、カメラの福本淳のトークショーも開かれる。

 おそらく今夜は見に行くだろうが、いつものようにトークショーには出席できない。ぼくにとっては退屈だし、無意味だろうと思うからである。さらに、ゲストを3人も招く金があるなら、なぜ上映作品選出に投資しないのかという提案を今年もまたしたく思うからである。

 今年の映画祭は、例年にもまして、テーマを前面に押し出すという実行委員会の意図を強く感じたのであった。昔の名作、二十四の瞳、羅生門、スペースカーボウーイは、おなじみの映画祭らしいお祭り作品であり、これを除く新作12本が上映され、その中の、キック・アス(2010 イギリス・アメリカ作品)ヒーローショー(2010 日本) 天安門の恋人たち(2006 中国)スプリング・ふィーバー(2009 中国)の4本が成人指定映画である。キック・アスとヒーロー・ショーが、過剰な暴力シーンにより指定、ロウ・イエ監督の2作品は性表現で成人指定とされている。興味があるのは、2010年の作品が暴力表現で指定になっていることである。およそ、上映作品のお祭り部分を除くと、40パーセントが成人指定作品となっているとは、きわめて特徴のある構成ではないかといえよう。すくなくとも、観客からこどもは省かれてもかまわないということななる。

 なぜ、実行委員会は、こどもは除くという視点を擁いたのであろうか。さらに半数近くを成人指定にされたほどの過剰の暴力と性の表現する作品を映画祭の構成に組み込んだのだろうか。その意識はどんな動機から生じているのだろうか。これを解明しなければならないと思う。もちろん、これは実行委員会に聞いてみれば、わかるというものではない。彼ら自らが、そういう選択を選んだ2011年という文化状況が、興味を引く。かれは、今日にどのような自覚を持ったのか、それを考えてみたいのだ。

 それと同時に、宮崎映画祭とはなんなのだろうかという問いも、発して自分で回答を見出す衝動にも駈られる。映画祭となにかという問いに答えをみつけるには、一つは映画のコンテンツとはなにかということを説かねばならない。二つ目は、映画祭に参加する観客とは何かと知ることである。この観客は、映画に日頃から知的関心をもつ層と、これには、オタクから知識人といわれる人種がふくまれる。あと、大衆という言葉でくくるしかない一般人がいる。ここで、きわめて大事な点は、映画は、他のどんなアートよりもオタク、知識人、一般大衆をことごとくひきつけまきこんでくるメディアであるということである。

 そこで、またややこしい問題がある。オタク、知識人、一般大衆と、どの層が映画のコンテンツを正当に評価できるのかということである。いっぱんには、オタクや映画評論家が映画を一番知る能力があるというように思われている。なぜなら大衆には、映画の情報に疎く、さらにこれらを論理的に分析する論理も使えず、ことば希薄という見方で、劣位の層と見られている。

 しかし、この見方に一般大衆とひとくくりにされる「にんげん」の実態のディープさを知らない、考えたこともない、それこそ通俗論に囚われた知識人のひとりよがりにすぎないのだ。いわゆる知識人の言語は、大衆文化がときおりのぞかせる深海のような深さにくらべると、浅く、しかも単純明快でしかなく、わかりやすくて、論理で処理しやすい。だから、観客が知識人やオタクだけなら、映画祭の作品構成など、単純きわまるもので埋めればことが終わるのである。だが、一般大衆というこのディープな存在に思いを馳せると、映画のコンテンツは、想像以上に、多種多様、動的であり、その解釈は、オタクや知識人の明快なわかりきった浅い言語ではとらえられなくなるという事態になっていくのである。このことは、ものすごく大事だ。これらに一つの視点をえて、ようやく映画祭とはなんであるかが、少しわかってくるのではなかろうかと思う。

 映画祭は今夜で終わろうとしている。今、ぼくが直面ささせられえいるのは、この問題である。
 
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この青空も敵の空 この山河も敵の陣 

2011-07-04 | 生き方
 このタイトルは、「空の神兵」の歌詞である。もちろん「空の神兵」は軍歌である。前回に述べたように、軍歌を超えた普遍性があると言ったが、それを語ってみたい。この一節は、じつは、曲そのものを聴き、前後の歌詞を知り、その中から生まれてくるイメージを直接耳にしていただけば、もっと話はわかりやすくなるはずである。

 1942年に発表されたこの曲は、およそ日本の戦争中の軍歌とは想像も出来ないようなエキゾチックな雰囲気で始まる。なによりもおどろくのは、まさに敵国のどこか西欧の広い野の村にある教会の鐘の響きとともに曲ははじまるのである。もしくは、勇壮な軍歌らしい前奏のメロディで、歌詞が始まる寸前に、この鐘の音が響き渡る。それは空をイメージさせるのだ。その空に落下傘が開くのだ。戦闘よりも、落下傘が開く美しさに作詞家梅木三郎と作曲 高木東六は意を注いでいるのがわかる。この導入部の美しさに聴くものはまず打たれずにおれない。その一番の歌詞は、

  藍より蒼き 大空に大空に たちまち開く 百千の 
  真白き薔薇の 花模様  見よ落下傘 空に降ふり  
  見よ落下傘 空を征く 見よ落下傘 空を征く

である。ここには、落下傘の美を歌う以外のなにもない。戦争中に軍部にむけて、このような大胆な歌詞を冒頭に置いたのは、稀有のことといえよう。

 つぎに問題の2番の歌詞は、以下のようである。

  世紀の華よ 落下傘 落下傘 その純白に 赤き血を  
  捧げて悔いぬ 奇襲隊  この青空も 敵の空 
  この山河も 敵の陣 この山河も 敵の陣

である。ここで、ようやく軍歌、つまり戦意高揚がうたわれているが、それでもなお、軍歌とはどこか違う。それは、パラシュートで空を降る若き兵士の赤き血を捧げて悔いぬ、純粋きわまりない心情を感じさせるからである。大空で孤独である。しかし、怖れない。この決意で空を降るかれらの美しさに感動させられる。戦闘ではなく、人を歌っているのだ。もし、この敵ということばを「困難」とか「不正」とかに置き換えてもいい。これは人生の在りかた、現実を象徴している。青臭いとよく言われるが若者の純粋性は、社会と戦っていかねばならぬ孤立を、抱え込む。それは人生の現実であろう。こう思い、その兵士に思いが重ねると、感動と、現代に生きる勇気をあたえられて、胸が熱くなる。これは戦争ではない。生きる勇気を鼓舞してくれるのである。このような解釈で、3番、4番も十分に受け止めることが出来る。

  
  敵撃砕と 舞い降る舞い降る まなじり高き つわものの  
  いずくか見ゆる おさな顔  ああ純白の 花負いて 
  ああ青雲に 花負いて ああ青雲に 花負いて

最終歌詞:

   讃えよ空の 神兵を神兵を 肉弾粉と 砕くとも 
  撃ちてしやまぬ 大和魂 わがますらおは 天降る  
  わが皇軍は 天降る わが皇軍は 天降る

 
 ここで、私が言いたいのは、すぐれて芸術は、時代を超え、普遍性をもっているということだ。この芸術性が、人々に真実を自覚させ、生きる目標と行動を示唆するということだ。たとえ、戦時中の軍歌といえど、芸術の普遍性が滅びないということである。

 この軍歌にはジーンときて、いつでも涙することができる。あさいちでは泣けない。このドラマには、本当の現実がないからである。
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時代はどう変わりつつあるのか?

2011-07-01 | 社会
 NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」は、3月11日以後、脚本を書き改めたと思うほど、毎回、毎回、みごとに泣かせる場面を繰り出してきて、現在もまだまだつづいている。終わるとアサイチのコメンテーター若い男女二人が、感極まった表情で、今朝のシーンを反芻して、よかったなあとうなづきあう。それから、やおらゲストを交えての朝一番の情報を紹介する番組に入っていく。

 どうして、こうも毎朝、毎朝、泣けるシーンを繰り返していけるのだろうか。泣けるということが、快感であるがゆえであろう。ぼくなんか見るたびに、白けてしまって、どうにも感情移入ができないのだが、これで素直に泣ける人は、ある意味で幸せであろう。涙を流せば、気分は爽快になれる。とくに、涙が自分の切実な身の上のことでなく、ドラマの世界の出来事であればなおさらである。

 「おひさま」は、泣くことによって、涙する自分が、自分を超える存在と一致して、弱い自分を超えていける力強い涙になるように設定されている。だから、泣いていることは落ち込んでいるどん底ではなく、泣くことにより不幸にめげない内面の強さを世界に示すことになるのだ。だから、それを見るものも、感情を解放されるのだ。こうして、毎朝、毎朝、視聴者は、涙を惜しみなく流す。それは、「国民の涙」といってもいいだろう。コメンテーターも安心して、今日も泣けましたといえるのだ。しかし、かく消費される連続テレビ小説「おひさま」は、NHKの商品であり、それを同じスタッフが、すばらしいすばらしいと誉めそやすのは、あまりに厚顔すぎるのではなかろうか。しかし、国民のすべてが涙するドラマであれば、自分もまたという思いからのコメントなのだろう。

 涙のアートして、すぐに連想できるのが、戦時中の軍歌である。その中でもとくに「愛国歌」といわれた流行歌、映画主題歌などである。勝ってくるぞと勇ましくで有名な「露営の歌」出征兵士を送る歌、戦友、暁に祈るなどなど、感動の涙がトーンとなる軍歌は、なんとおおいことだろうか。軍歌でありながら涙がゆるされるのは、涙が自己を超越させ、国家と骨肉化できるからである。

 こんな軍歌のなかで、なぜか「空の神兵」だけは、軍歌を域を超えているのだ。陸軍落下傘部隊の歌であるが、その歌詞の美しさは、時代を超えて現在でも空を降るパラシュートの美そのものを歌っている。しかもとりようによっては、世界の不正と勇敢に戦う若き戦士の精神をも象徴している。それは戦争でなく、純粋な正義の世界を暗示しているのだ。ぜひ、ユーチューブで視聴して欲しいものだ。ここに涙を超えた表現の力もまた感じられよう。

 涙の心地よさに陶酔して、本質がぼけてしまう危険は考えていたほうがいい。もともと日本の近代芸術には、涙の価値がおおきな比重を占めている。たとえばゴッホ、その絵画に多くの日本人は、涙を嗅ぎ取るのだ。ベートーベンも涙、エディット・ピアフの「愛の賛歌」も涙、私小説の世界をささえるのも涙、しかし、これらのアートの本質は涙ではないのだ。もっと社会と個人が、自分を賭けて対決してこそ、生まれてくる真実なのであるが、そこまではなぜか探らずに涙の域で満足してしまいがちなのである。

 そういうことを考えると、今また時代は、涙の価値を再確認させようとする時代に入っていきそうである。時代は変わりつつあるのか。
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