市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

悪の役割?

2007-02-27 | Weblog
 イベントの成功打ち上げの席で、ぼくは委員の一女性の話を聞いた。というのも前の席に座った彼女が、胃のあたりを少し両手で押さえるようなしぐさをしたからである。
 「どうしましたか?」 「いえ、先日のことを思いだしまして・・」
 
 実は先日、彼女は、イベントのお礼である人物、親子ほど年の違う人に挨拶に行った。彼はすぐに彼女を食時に誘った。彼女は礼儀として誘いに応じた。で、その席での話しだ。彼は、席に着いたとたんに彼女に向かって、いかに自分の芸術が素晴らしいか、自分の活動が評価されているかをしゃべり始めだした。止まりようもないので、たまりかねて彼女は素晴らしいです。ほんと・・さんの業績は良くうかがってきましたと言ったところ、それをまともに受け取られますますハイテンションになり、一時間近くにもなり食べる楽しみも消えてしまったというのだ。

 「こんなお世辞をまともに受け止めるなんて、信じられます」ときれいな眉を動かし、しぐさで「素晴らしいですわ」のお世辞をくりかえしてみせた。
 「女の言葉の裏を感づかないなんて、トラに餌を手でさしだすようなもんね」
 ここで笑って終わりだが、彼女は目をすえたように固まっているのだ。
 「その人、もう生命力が弱っていたんじゃないの、それで若いあなたにすがろうとしたのかも」
 「生命力はすこしは弱ってらしたかも。でも、後で聞いた話では、その賞をもらうためには、選考委員の知人に、電話、面会をくりかえし、行政やメディアの教え子などにも賞を与えられるようにと、執拗な要請されたと聞きました。そして、とうとう取られたんですよ。凄いですよ、そのエネルギーは!」
  「ふーん、<無知こそ力なり>のオーエルの言葉があるけど・・」
 「そうなの、そうなの、無知こそ力なりとは本当ですね。普通の人なら恥ずかしくて出来ないことでも、どんどんやれるには、無知で無いと出来ないです」
 
 ややあって、彼女は小顔をひたとこちらに向けて「でも、怖いですよね、こんな人が名誉を得て、力を持つのが通るなんて・・・」
 同じく表現を志す若い彼女にっては、この現実は、いやだし怖いだろうと思う。

 「ぼくは怖いとは思わない。才能もなくて世界をかえられませんよ。現になんもぼくには影響も与えないし、街なんら変わっでないし。
 それに人はあっという間に年取ってしまう。超高齢になってごらん、毎日は心身の衰えとの戦い、そしてついに死だ。その人生晩年に「賞」がなんの役に立つ。心の支えは強い自我、これは知性といってもいいけど。彼には耐震偽装された自我しかない。人生の終末期のストレスに、偽装自我はたちまちクラッシュする。そして
重篤な心身の病気になるでしょうね。神様は最後に人生の意味をを示すのかな」
 「それなら、若いときに、気づかしてあげればいいのに」
 「いや,神さへ改心させられない悪というのは存るのでしょうね。悪があるから正が理解できるように悪の存在を放置する。彼も悪の役割を担って人生を終わるのでしょうね。これも運命かも。あなたどっちを選びます・・?

 彼女ようやく顔をゆるめるような気がした。いや緊張のひと時でした。


 

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外人さんの芝居

2007-02-26 | Weblog
 24日土曜、デパート・カリーノで、宮崎在住の外人さんたちの芝居を見た。数年前もみたことがあったが、そのとき面白かったが、今回も面白かった。どこが面白いかというと、宮崎市の素人劇団との違いが面白いのだ。

 「モモ モアモア」と単純な童話の芝居で、宮崎のチキンなんばんで育ったモモが
フクロウと狸を友達にチキンなんばんの料理コンテストに優勝、やがてシンガーポールでの国際大会に出発するまでの夢の青春が描かれる。物語は桃太郎にアイデアを借りたのか単純明快、45分のコミックであった。

 どうもわれわれが芝居を上演すると、芝居という呼び名でなくて、演劇という言葉のほうが合う雰囲気になる。役者も舞台では、非日常的な動き、セリフ回しで、異様な緊張感が漂ってくる。演劇がなかなか大衆に溶け込まないのもこのバリアーがあるからだなと思う。ということを外人さんの芝居を見るたびに感じてきたのだ。
 
それに外人さんといえど、白人、各国の東洋人、黒人、ポリネシア人と集い、ホールはまさに国際豊かだった。そして、最後には舞台は踊りと歌で盛り上がったのだが。かれらは、だれもリラックスしていた。演劇というのは、かれらにとっと、日本人のカラオケのようにきわめて日常的なことなのだろうと想像された。日本人は、演劇はまだまだ芸術のとっつきにくい表現であるのかと、思うのだった。

 だから逆に「美しい日本」などと虚偽の芝居言葉にだまされ易いのだ。
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なにが不快なのか

2007-02-24 | Weblog
 朝、なにげなく開いた新聞に大きな活字で「赤ちゃんポスト」と飛び込んできた。なんだこれは!と、目を疑ったわけだが、赤ちゃんをポストに郵便物のように投げ込むシステムとはと、理解不能、そして、またもや「女は子を生む機械」の不快さがこみ上げてきたのだ。

 読んだり、その後のテレビ報道なので、遺棄される赤ちゃんを病院内のポストに入れて生命を救うということだと分かった。目的は赤ちゃんの命を守るということである。しかし、不快だ、この不快感は避けようも無い。赤ちゃんをポストに投げ込む。この行為一点に赤ちゃんを物体とみなす意識があるわけだ。ぼくは、命の尊厳よりも計測された物体としての赤ちゃん固体を感じた。これはオーエルの恐怖国家「1984年」の小説、男女の恋愛を禁止して人口抑制を図る国家、サ・ミャーチンの「われら」赤ん坊を人工的に支配階級、労働者階級と遺伝子操作で区分する「素晴らしき新世界」のハックスレーの小説などを連想した。

 命を救うというより命の操作ではないのか。ポストに投げ込まれた赤ん坊の心理をかんがえてみただけで恐ろしい処置だ。

 母と子にかぎらず親子関係は、合理的に割り切れないどろどろの深淵を持っている。これはもう理論的に解決されるものではない。かりに赤ん坊が、親の元であっても虐殺もあり、親殺しもあり、引きこもりの一家破滅もあり、これが人間関係の複雑さであろう。これを数量的に処置していくとうい思い上がりを、赤ちゃんポストには感じてならない。

 つまり、赤ちゃんポストは、恐怖の解決でしかないと旋律を覚えるのだ。ここにもまた「個人」が大きな「正義」の主張のまえで数にされてしまう傾向、この不快を
感じてしまう。
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どんげかせんといかん!!

2007-02-23 | Weblog
 東国原宮崎県知事の「宮崎県はどんげかせんといかん」の言葉、宮崎今年の流行語大賞は、これに決まり!とぼくは思う。そこで、これを心から宮崎県ならず宮崎市にこそ、受け取り人として、津村市長に進呈したいものと思う。

 二、三日まえの朝日新聞の宮崎面だったか、ポい捨て吸殻禁止条例を制定した宮崎議会のことを読んだ。宮崎市の隣が鶏インフルエンザの猛火で燃えつつあるとき、こんな条例を策定するのに頭を使うとは恐れ入った。いや、街のあちこちにガラン、ガランと営業不振で張り紙が、告知看板が目立つとき、吸殻のポイ捨て禁止条例、笑っちゃうよ、ほんと。

 今日も昼にミックの玄関に、「3月21日(水・祝)をもって弊店いたします。」とタワーレコード MRT micc 宮崎店の立て看板にショックを受けた。本屋が消え、なにかと便利だった宮崎駅の100円ショップが消え、二葉自転車が消え、わたなべ
が消え、30年近くつづいたNTT前の喫茶コスモスが閉店し、駅前商店街のあちこちの店が閉店をしている。このガランとしていく街で吸殻ポイ捨て禁止条例、なにをかんがえているんだろうか。おかしいよ、税金使ってもっとすることがあるじゃろう、「どんげかせんといかん」

 そうじゃないですか。
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くろき製茶はいから通り店

2007-02-20 | Weblog
 この店は、山形屋の駐車場(リニュアル新館の東に隣接)の南境界にある2階建てビルの2階だ。窓に「御銘茶」と旗が飾ってあるだけ、店名はどこにもない。前は
ドウというお茶喫茶だった。喫茶店は閉鎖して、無料のお茶サロンに改装された。正月の記事で紹介したが、覚えていらっしゃるだろうか。店名がどこにもないので聞いてみると「くろき製茶はいから通り店」というのだそうな、これじゃ地名だ。

 初め、お茶を売るためにただのお茶を飲ませる仕掛け、提灯鮟鱇(あんこう)が小魚を提灯でおびき寄せてぱくりと喰う仕掛けかと判断していた。こんなちゃちな仕掛けじゃ人は来ないよと、笑っていた。どうもそうじゃない気がしだしている。

 ここには。2名のウエイトレスが、常時はりついている。もう1人の女性店長は他の店も統括するために、不定期に回ってくる。彼女らは正社員で派遣ではない。さらに驚くのは、お茶を販売している店先というのはないのだ。1階部分は他店である。お茶は別室になっている部屋ののカウンターの背後に見本のように並んでいるだけだ。

 白い壁面と大きな一枚ガラスの部屋には、急須やコンロ、鉄瓶、湯冷まし、茶碗、お茶を詰めた茶筒セットが、高価なテーブルに1人分づつ置かれている。客はそれで自分でお茶をいれる、聞けばウエイトレスが淹れ方をやってみせてくれる。自家製のお茶チーズケーキや、ワッフル、羊羹など170円から210円止まりのお菓子が頼めば添えられる。がらんとした静かな部屋でボーズのスピーカーから流れる音楽を聴きながらゆっくり本が読める。ウエイトレスらもいつも生き生きと仕事があるように見える。これがいい。

 ここにあるのは、贅沢な空間だけである。お茶を買うとか買わないとかの仕掛けなどは気配も感じられない。

 消費社会に背を向けたこの姿勢、これこそわが街宮崎市の芸術であろう。


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大盛りうどん

2007-02-19 | Weblog
 土曜の午後2時ごろ、宮崎市江平西にある「大盛りうどん」に入った。ここのうどんは、つゆは、煮干のだしで黒く、なんと、甘い。麺は細くやわらかく平たい帯状である。大盛りうどんと言うと、あれはうどんじゃないと否定するものと、その味にはまるものとに分かれる。そのはまったお客たちで昼は、広い店もいっぱいになる。コンクリートの床、傾きそうなテーブルは、まさに市場の賑わいだ。だから、ぼくは午後2時過ぎに入ることが多い。客はほとんど散ってるからだ。雨の日などはとくにいい。

 うどんを沸かす大なべがカウンターの向こうでゆげをあげていて、調理場にもカウンターまわりのウエイトレスたちも、ほっとした気分が漂っている。室内にはジャズピアノのCDが流れている。眼の前の座席に一人だけ女性が灰皿を横にしてうどんをすすっている。大盛りうどん店は、ジャズピアノが似合うのだ。いや、うどんとジャズピアノがみごとに調和するとは、普通には考えられないだろうが、マッチするのだ。いったいこの店の誰の発案だったろうか。
 
 実はこの大盛りうどん店は、戦前からある店で昭和4年ごろまでは、江平池の土手に面していた。この池は南北400メートル、東西に900メートルもある巨大な池で風の強い日には、水面のしぶきが店にかかった。いやそれよりもこの土手は、当時の宮崎中学校、師範学校、宮崎高等農林学校などの散歩道で、高歌放吟の道路であり、また門構えの住宅がならび門灯の影で男女が密会する様子なども新聞に報じられたりした。つまり文化の先端の地で、学生たちに愛された店だったのだ。

 つい数年前までは、この店では落語の上演が開かれていた。東京からの落語家の噺は、風物詩でもあったわけだ。ジャズが似合うのも、こういう背景のせいだ。これは、生活の生んだ文化で、やはりどこかでつづいている。今街からこうした名残はどんどん消滅していってる。

 博物館の民家園には、かっての民家が移築されている。その家には、かっては想像を超えた文化の営みがあった。今、そこにあるのは、民家のミイラだといえる。
ミイラは生き返らない。その家に上がりこんで昔風の生活を再演してみたところで、それは文化でも芸術でもない。文化は生きているものが,その生きることで発生させねばならない。場所を借りて文化を演じても意味はない。



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あるアートフォラム

2007-02-17 | Weblog
 この前の連休12日にあるアートフォラムの参加を懇願されて、出席した。
 宮崎市のアートグループM(仮称)が、その5年間の活動を振り返り、それを踏まえてアート、今、アートとは何かを論じるフォラムを開くという趣旨だったと思う。全体は3部に別れ、1 われらの歩み 2 それぞれの作品評価、3 聴衆をまじえてのフォラムとなっていた。
 
 ぼくは、2を聞くうちに、仲間うちでおだをあげるのと、どこが違うのかと思え出した。県の文化施設を借用できだしたのも、Mの代表と掛け合ったからだとか、自宅を開放してぼくも絵画を展示して、詩を読んだ、花嫁衣裳で月夜の民家園で踊りかつ朗読した、これもMだから出来た。ぼくはMだからこそ自由な大きさの絵を展示できた、県美術展では額縁の大きさが決まっているけしからん!とか、わたしはデジタルの新手法をMの仲間の仕事で知ったとかつづくのだ。

 それを聞いているうちに、こんなことくらい自分ひとりでなんで出来ないのと思いだけが広がっていった。かれらの心にはあるのは、反抗よりも権威への接近ではないのかと。作品評価より自分がMでどれほど成果をあげたかと言いたかったらしい。うやうやしく儀礼的な指名されての発言だったせいかもしれない。そのうちに、だれかがだれかを持ち上げる相互挨拶も盛んになり、拍手もあった。そしてやっと終わった。ぼくは、フォラムには参加せずに会場を去った。

 会場にいたのはほとんどメンバーだけ20名足らず、仲間だけの集まりだった。これが5年の活動の成果であるのなら、このことこそファラムの主題として、喧々諤々、県立美術館ホールで悲痛の叫びをあげるべきだったのだ。

 ぼくは喫茶店の常連の1人だが、ここもアートではなかなかの論客、才能の溜まり場で、おだもおおいに上げてきた。しかし、これを5年間の歩みとか、そのおだあげの評価とか、そして市民によびかけてこれを公開するとか、こんな、まさに奇想テンガイの計画などは、常連のだれひとりも思いつかないだろう。これはたしかだ。

 こういうことが出来るところがMのMたるところではなかろうか。
 それがなぜ出来るのか、文化が権威たりうるという思い込みのせいだろう。

 花より団子ではないか。生きるとはまずそこではないのか。

 それにしても、M=Miyazaki M=Money M=Might(権力) この等価式からどう解放されるかが、生きるに大事とぼくは思うのだが。まづは生き抜くこと、それには、はじめに団子ありきである。
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宮崎の幸運

2007-02-16 | Weblog
 東国原知事の就任演説は、メディアも好意的に報じていた。知事が自分の演説を50点と採点したが、見事な自己分析だと共感を持てた。

 それにしても、そのまんま東というテレビの芸人が、ここまでの魅力を発揮するとは、だれもが予想しての投票だったのだろうか。彼を選んだのは、思わぬ幸運だった。ただし、同じ柳の下に2匹と出現しない稀有な幸運であろう。無党派タレントを選べというようなことが、次回参議院選でブームにならぬことを祈りたいのだが。

 とにかく、ここ40年ちかく、黒木、松形、安藤とテレビで出るたびにいわく言いがたい不快感が、絶望となって漂う日々ではなくなった。曇天の空にさわやかな光が射しだしている。

 毎日、毎日、40年近くも、黒木、松形、安藤の表情や言葉使いや、よわよわしさを、見ないで済むようになっただけでも、一日がさわやかに明けるようになった、これだけでも運だ・・・。
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東国原知事就任演説を視聴して

2007-02-15 | Weblog
 東国原知事さんに視聴のあと、一言エールを送りたい。前半は立派だった、県民総力で宮崎県を変えようという情熱が、これまでの行動力を裏づけにして聞いて感動した。就任演説などなんの関心もなかったぼくにも、視聴応えがあった。そして後半、これはダメだった。誰でも言える行政作文を並べただけで新鮮味も現実化の予感もなかった。どうして、最初の情熱のまま県政に挑む新知事の自分をアッピールしなかったのだろう。

 県会の慣例、オール野党の攻勢、行政への未経験(これはあたり前じゃが)の圧力のまえに、隙を与えず構えた、つまり県会議事の型に自分をはめてしまったということじゃなかったか。どうして、自分の土俵に相手を引きずりこんで戦いを展開しかなったのだろう。しがらみを断ち切って、宮崎県を改革するとうことは、戦争することでは無いか。日々、これ戦いになろう。しかも県庁ではただ1人かも、今は。だったら、ベトナムやアフガンやイラクなどと同じく敵を自分の領土でやっつけるしかない。

 東国原知事の領土とはなにか、それは自分の意識であろう。その意識を形成してきた彼の人生であろう。だから、この原稿を読み、後半の総花的な官僚作文はあまりに彼の人生と違っている。それでは説得力はない。そんなことはどうでもいいのではなかったか。自己を売り出すことだったのではないか。セールスはまず県会にも必要ではないか。

 これからの県政への具体性でも、予算数字でもなく、「おれは改革したい、改革したい」という情熱の噴水のような吹き上げでなければならなかった。

 具体性は、これから生まれてくるものだ。これまで経験のない新知事に、今朝の時点、就任演説で具体性など県民は望んでいないと思う。望んでいるのは揚げ足を取ろうと待ち構えた野党だけである。

 知事よ、今朝の就任演説は、余興だったと忘れて欲しい。そして、県民のエールを信じて、ネクタイも外し、作業ジャンバーでまずは動きまわることで、そして、自分の言葉で話しづつけることで、改革の意識を刺激して欲しいと思うのだ。




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宮崎またも有名になった!

2007-02-14 | Weblog
 こんどは、日向市の漁船が当て逃げされ、乗組員3名(内1名はカメラマン)が3日ぶりに救助という社会面をトップで飾るニュースで全国の注目を集めた。こんな人の不幸をもとに有名とは不謹慎だが、これで広告価値はまた何億円になった。東国原知事の絶句するように、今、今、今こそ再起、売り込みのチャンス、これを逃したらもう無いという切迫した気持ちが、痛いようにわかる。なんとか知事を助けたいのが県民の心情ではないだろうか。

 さて、話はこの路線ではなく、今朝の朝日新聞の救助関係の記事を読んで疑問に思ったことがあったのだ。三人の命を救った救命ボートの記述が、社会面と宮崎面ではちがうのだ。救命ボートには一週間もちこたえられる食料、水が備えられ、釣り道具もあったという。社会面では、乾パンが6枚、水がボトルに2本あった、おまけに、そこに10円玉大の穴が2箇所開いたと、極限状況が報じられていた。

 一週間の食料が6枚の乾パンだけか、また10円玉の穴が漂流まもなく空くとはどういうことだろうか。このボートの製作会社は、人命に関わるミスを犯したことになるのではないだろうか。あるいは、管理がいい加減だったのか、あるいは、ぼくの読み取りに間違いがあったのか、つまり3日間で、三人で6枚だけの乾パンですごしたということなのか、それにしてもこのボートは6名用でありながら、3人は膝をおりながら窮屈だったという。

 救命ボート製作会社よ、あなたは、この記事、報道を読んでどう思われるのだろうか。ぼくの解釈違いだったら、記者諸兄もご容赦のほどを、たしかに一週間分の食料は備えられていたとありましたが、穴もなぜか空きましたが。
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年金を考えよう

2007-02-13 | Weblog
 10日からの連休が始まった朝だったか、朝日新聞を朝食で開くと、年金需給
者である年寄りの税を年額平均54万円くらいにしたいという政策が論じられていた。年金暮らしの年寄りも貯蓄は1200万円以上が、全体の3分の1,2500万円以上の富裕層もまた現役世代の7倍もいる。そして年金収入は、現役平均賃金の8割に及ぶ、もはや年寄りを支える現役世代の負担は限界に近づく。年寄りもそれ相応の負担をという納得できそうな論が、図表入りで展開していた。

 ところで、このような恵まれた3割以上の年寄りであるが、この貯金(現役世代よりも働いた期間が長いので、多くて当たり前)や年金を、自分のために全額消費する能天気な、あるいはとても幸せな年寄りは、例外中の例外ではないのか。ほとんどの生活費に余裕のある年寄りは、こどもたちの援助に年金の何割かを回している。ここ宮崎市などでは若者たちは、暮らしやすさを理由に老親に家を建てさせ、そこに同居して生活をエンジョイしている。また親と同居で、生活の基本を満たし、楽しむものも数知れずである。つまり年金も貯蓄もすでに子供の生活費に回しているのだ。
 
 今さら税金をむしりとって、その税金をどこに使うのかもわからず、慎太郎のように贅沢きわまる海外出張費とか、官舎に愛人と住んで甘い生活を送る政府審議員とかの資金に使われるなどと、老いてなお生き血を啜られる。たしかに現役世代の
8割も需給を受けて老後を遊び暮らせる余裕は、国に無くなったのは現実だろう。

 ではどうすればいいのだろうか。ここで思うのは、年金を18歳から29歳までの若者にも支給することである。私的にこどもを支えるのでなく国家によって年金を再配分するのである。若者はやりたいことがいっぱいある。金がないばかりに低賃金労働で、自己実現の時間も意欲、体力、才能も奪われていく。そこに年金があれば
どれほどの埋もれた才能が、開き社会を活気づけることだろう。

 今から社会を創造する可能性をもつものに、死に行くものから年金の何割かをたすくことなら、どれほど夢が多いことだろうか。どうせむしりとられるなら、若者への年金支給へと分割されることがもっとも有効ではなかろうか。

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山形屋リニュアル5ヵ月目

2007-02-10 | Weblog
 昨年9月12日の宮崎市橘通り3丁目の山形屋リニュアル開店から、5ヶ月経った。土曜日の今日、暖かく晴れた午後だった。開館時の人の渦は消えていた。旧館と新館を挟んだ広場も閑散としていた。ここから回遊できる四季通り、あいあい通り、若草商店街、路地から人通り減り、熱気も消えていた。やはりそうだったか、3ヶ月経つと人が散るというジンクス通りになった。それが当たらなかったのがイオンショッピング・モールで、今回の山形屋付近も期待できたのだが、ダメだった。

 駐車場の不便さがある。それにやはり商店の多様性、集積が足りなかった。開館時は、スターバックスまでも年寄りであふれたいた。また新館との通路に並んだベンチにも若者よりも年寄りが座って談笑していた。ぼくはその光景を片端からデジカメに収録してきた。ようこそやっていたと思う。もうこのような光景は見られなくなった。

 新館の6階に開店したアレッタというバイキングのレストランには一時間も2時間も待つ客が並んで座っていた。それも撮影できた。新館でジュエリーを老婦人に説明するファッションモデルのような売り子の姿も。そんなドラマチックな情景も今日は見当たらなかった。中高年にターゲットをしぼった店内もあいまいになった。若者向けか、中高年向けかわからなくなった。また、付近の通りも若者向けのファッションが主で多様性がないのが、あらためて確認できた。

 中心市街地の活性化とは、想像を超えて困難なことを、今日の光景がまざまざと実証している。

 これからどうすべきなのか、頭でアイデアをかんがえたところでどうにもならない。ここで、生き抜くしかない。そこからなにかが生まれるはずだ。
 
 街づくりなどとしゃげったり、討論したりしても、多くは、税金の無駄かもしれない。
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なぜ辞任せず・させず?!

2007-02-09 | Weblog
 柳沢厚労相の「女性は産む機械」発言をなせ「ごめんなさい」だけで辞任せず、させられずで、終わるのか。

  自民党 柳澤 伯夫(ヤナギサワ ハクオ)衆議院議員は、じつは女性蔑視で「生む機械」とは使ってない、人口問題を分かり易く説明するための比喩だという。健全な社会が保持できるための機能としての女性の能力を述べたわけだ。若者の結婚と子作り2名以上の「健全な思想」も機能の正常ぶりを述べたという。

 したがって、彼の思いの底にあるものは、個人に思いを馳せるのでなく、社会に、日本国といってもいいが、そこに思いを馳せる思想、つまり「滅私奉公」の思想ではないか。

 戦時中のこの標語でいやなら、柳澤さんの思想は、人間を「社会的昆虫」とみなす、人間機能論であろう。いや、それへの願望といえる。

 社会性昆虫とも言うが、ミツバチ、アリの社会構成能力である。一匹の女王蜂と100匹のオス蜂と、無数の働き蜂で構成されるコロニー、ハチの巣の六角構造は、ダーウィンをして「労働面から見ても、使用するロウの経済性という点から見ても絶対的に完全なもの」と言わしめた美しい巣を生み出した。そうした、健全で乱れず、美しい社会への実現への思いのまえには、女性差別とか軽視とかいう世論など無意味でしかないと思うのではないか。この乱れた日本を改革する健全思想の前に。個人よりも公のために機能をささげ尽くす自己犠牲の崇高さへの確信で。
 
 またこれこそ、安部総理の「美しい日本」の本質をなすものではないのだろうか。

 人間はなによりも「個」である、その基本的人権は憲法で保障されている。そのことを否定している発言の重大さに思いを深めるべきではないのだろうか。

▲ミツバチ


▲アリ

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