市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

料理三ツ星 ただし宮崎市

2015-02-21 | 街シーン
ミシュランの星つき、和食やすし店が、宮崎市にはないので、幸いである。あったとしたら、驚きだが、あくまでも、無いのがいいのである。

 東京都内で、ミシュランの三ツ星がついたという寿司屋で、来客の長い列が、毎日つづいているというテレビ放映をみた。この三ツ星のかわりに、口コミでいいと評価されたものが、スマホで流れて、われもわれもその店が、押しかける現象は、宮崎市でもあるようである。

 そんな星やら、個人の書き込みに頼って、和食や寿司屋や、レストラン、カフェ、居酒屋、エスニック料理店などと、満足できるとは情けない話である。

 料理が自分にとってどれが一番(星の数、口コミ数)という判定は、ほとんど役に立たないことを、どうしてわからないのかが、不思議でさえある。料理が自分にとって美味いということは、数量化されるものではないからである。ミシュランの星なんかは、皿の上の料理品だけで判定するそうだが、いつどんな情況で、どんな店のもてなしや雰囲気で食べるのかが、満足度にかかわってくる。それにしても、レストランに入って皿の上の料理だけに注意が向くというのは、判定人という可笑しな存在の感覚にしかないのではなかろうか。

 ぼくなんかは、料理というのは、この店に明日にも来るか。また近いうちに来るか、もう来ないかで極める。これが案外有効なのである。そしてなにより、こういう店を自分で探すという行為そのものが至福の快楽にもなりうるのである。自分だけの口にあう、自分のためだけにあるような店を、なんとしてでも自分の足とお金でさがしだすこと、これが、わが三ツ星である。

 2015年の今年、二つでけそのような店がみつかった。
これこそ宝ものである。

 それと、宮崎市のような街で、ミシュランや口コミで一つも店に市民が大挙して押しかけるような大衆性は全体の店の発展に大きな障害になる。目につかぬいい店が経営不振で閉店においこまれるからである。大衆化された愚行にならずに街の発展に意を注いで行くべきであろうかと思う。
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目を信じない 何でも信じるな

2013-06-13 | 街シーン
 去年の9月ごろから、テレビや読書を避けるために、夜の街を歩き出した。目を長時間使用できないので、目をやすめたいのだが、目をつぶっているわけにはいかず、夜の闇をあるけば目がやすめるという思いつきからであった。その後、癖になって夜歩きをつづけている。場所は大淀川川口ちかくに5年ほど前に架橋された赤江大橋である。およそ500メートルの橋の上から、左右に夜の風景が広がっている。風景といっても、主として灯り、つまりさまざまの照明である。マンション、事務所、住宅の窓明かり、付属する建物の常夜灯、街灯、ネオン、電照看板 シグナル、自動車のヘッドライト、こまかくみていくと市街を機能させているあらゆる照明機器が、暗闇の海面に、漂い広がっているのである。この灯りの存在感は、ときには胸をしめつけられるほどの寂寥感があり、また、走っていきたいほど、華やかな街角の活気を伝えてもくれる。拒否する灯り、誘蛾灯になる灯りとさまざまである。だが、一番注意を引くのは、以外性の灯りである。他と違った個性の灯りである。それはいつも、日常から、既成感からずれていた。この10ヶ月あまり、もう何百回も見てきたそれぞれの灯りであるが、実際にその灯りのそばまで行ってみると、見た目との、予測との、推測との、決定的にちがうのにおどろかされた。

 橋の上からみた照明は、こういう灯りと思っても、ほとんどいつも勘違いしているのだ。緑や赤のネオンのちらちらするカラオケルームが、あんな街角にあったのかと、その場所に行ってみるとなんのことはなく、明かりは、交差点の交通信号機のシグナルであった。あるいは、シグナルと思って緑をたどると、パチンコ・ホールの壁に光るネオンであったりする。闇の中の市街では、いきなり高層マンションの窓のあかりが、ありそうもない場所に聳えだす。昼間には小さくかぼそく建っているので注意も引かなかったのだが、夜の闇では輝きだすのだ。

 夕べはむしむしする夜で、午後9時半ごろ、歩行者の絶えてしまった欄干で、あの照明の正体を探るために、自転車で外出することにした。まえまえから気になってきていた照明だが、どこにあるのか、どう考えてもとうとうわからなくなってきていたのだ。いつもそれらは、橋の上から空飛ぶ円盤でも見るような圧倒的な光の列となって迫ってきていた。何十日か、ぼくを悩ましていた照明というのは、この赤江橋を南へ半分ほど歩いたときに、とつぜん目に映りだしてくる。それは、一点、一点と規則正しく並ぶ照明である。闇夜にひときわ輝いているので、はじめはグラウンドの投光機と思っていた。そういえばあのあたりサッカーやテニス、野球もできるグラウンドがあり、夜でも運動する人々でにぎわっていた。ぼくは、そこでテント劇団「どくんご」の公演をやろうと実行委員に新しく加わった一人と現場を見に行ったことがあったのだ。その懐かしさもよみがえりその運動場を訪れてみたくなった。ところが、探せども探せども、そんな運動場は見つからなかった。そうか、その日は、もう25年ほど前のことだったのだ。それもそのはず、あれから25年、あたりは住宅街に変わっていたのだった。

 あの照明が地平にそって、並んで輝いているのは、よく考えると、思い出の運動場の幅には収まりきれるものではないのだ。およそ一キロにおよぶ照明の並び、その輝きは、その後もずーっと気になってきていた。それはバイパス沿いの街灯なのか。あるとき、ドライブ好きの長男に、その照明のことを話すと、ああ、あの街灯かと即答した。そこで思わず納得してしまったのだ。空中に高くそびえ、点、点と規則正しくならぶ道路そいの街灯なら理解できた。それは、今夜もいつものように光っていると。だが、だんだんそう思えなくなってきだした。街灯にしては、高すぎる、そこだけ異様に明るすぎる、それに一キロほどで終わるとういのが可笑しい。おまけにそのバイパスは、これまでにも何十回となく走ったこともある。もし街灯があればなぜ気がつかなかったのかと、ではほかにも街灯がならぶ道路があるのだろうかと、推測しだしていたのだ。そこで、ある昼間にその道路を探しに行ってみたが、そんな街灯の並ぶ道路はみつけることができなかったのである。とうとうここで推測は尽きてしまっていたのだ。

 そういうわけで、夕べ、台風13号が遠ざかったあとの異様に湿度、温度の高いむしむしする夜になり、午後8時半ごろ、今夜こそは正体を知ろうと、自転車で、照明の場所を探しに出たのであった。午後8時半というのに三日月は、地上低くに光っている。それに雲も多く、だから闇夜は深かった。まず走り出したのは、赤江大橋でなく、川口に一番近い一つ葉大橋であった。長さはおよそ一キロ、片方だけ自転車通行料10円の有料道路となっている。わたり切ると、自転車道はそのまま下って、恒久の街路に降りる。まだ午後9時前というのに、道路沿いは真っ暗で、人の往来はもちろん自動車さへ走ってこない。海岸へ向かって進む。橋上から見えた照明は、下からはみえなくなってしまった。ところどころに会社の事務所があったが、無人であった。今は閉じているのか南九週短大のキャンパスの角を右折して、ますます暗くなった道路を走る。自動車2台が交差できるくらいの狭い道路だ。反対側に側道が見えた、近づいてくる自動車があるので、安全地帯にと、道路を横切りだすと、近づく自動車はスピードも緩めず、警笛をけたたましく、ぎゃーと鳴らし、なにをしているか、バカヤロー、怒鳴りつけながら走り抜けていった。ぼくの姿が見えていたはず、なんでスピードを緩めないのかと一瞬思ったが、多分夜道を走る自転車は許せんということか、そんな感じでは合った。

 ここから道路は、もはや一寸先も見えないくらい闇につつまれだした。ここで自動車にはねられても、多分ほっとかれたままになるのではないかと思えだした。それからしばらく走ると、あたりはとんでもない非日常空間になりだしたのだ。
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ゴールデンウィークの日々 おまけ

2009-05-14 | 街シーン
 6日最終日、水曜日はおまけのようなものだった。その日は午後、小林順一君のもやいの会のデジカメで街中を撮影する会に参加して、終っては市民プラザでお互いの写真をモニターに写して、ただ見つづけた。ただ見たというのは、参加したわれわれ4人は感想もしゃべらず、順ちゃんもジョークのようなコメントのほかは批評めいたことは言わずで、こんなやわらかい会であるのがよかった。各自の撮影した2枚だけが「もやいの会」のホームページに掲載されるのもおまけである。

 ゴールデンウィークの日々は、ぼくにとって楽しみを強制されているような、義務を果たすような感じもする毎日であったのだ。街中に一人でふらふらと出て行って、ゆったりとくつろげる場所は、ほとんどない。待ち歩きという楽しみも消えてしまっている。喫茶店もあまりなく、画廊も専門店も小さな本屋もなく、シャッター通りを歩いていくしかない。どうすれば楽しくなれるのか、ここ数年経つうちにとどのつまりぼくが覚えたのは、写真を撮ってまわることであった。近頃は、チェーン喫茶のタリーズ喫茶店で本を読んですごすことである。

 都市という場所で、この二つしかさしあたり楽しみ、つまり一人でいることの楽しみをみつけられないというも、情けない話だ。遊べる空間がないのだ。このゴールデンウィークの日々は、おまけにイベントがかさなり、おなじようなことを、人といいしょにやるというのでは、かえって疎外感が増していく。20代後半の女性が、わたしはよく海岸にいきますと話してくれたことがあった。海岸に行ってなにをするのかとたずねると、「泣きます」と明るく笑って答えた。なにかひどくリアリティを覚えて、こんな機能も海岸にあるのかとおもしろく思えた。

 それでもこのごろは、スターバック、タリーズのチェーン喫茶店やその他のカフェなどで、本を読んだり、パソコンでの作業をしていたりする客が当たり前にみられるようになってきている。ひとりでなにかをしているのが、ごくふつうの様子になってきている。4,5年まえには一人で喫茶店やカフェに座っているような若い女性の姿などはほとんどみなかったし、たまたまそういう女性をみるとおもわずエールを送りたくなったり、ひどくかっこよく感じられたりしたものだ。これが今では普通のシーンになってきた、やはり街は変わってきているのだと、思えるのである。

 宮崎総おどり、国際音楽祭、映画祭、演劇祭、フラワーフェスタ、クリスマスなどなど、一人にさせない街、集団にまとめることでかえって自己疎外を強めることになる企画が年中くりかえされていく街中、そんな流れのなかで若者たちは、ひとり静かに孤独であることを強めつつあるのは、どこか希望をかんじるのであった。ゴールデンウィークの日々もまた孤独を楽しめる日々として、一部には享受されだすような可能性のなきにしもあらずと、いえるかもしれない最終日であった。
 


 
 
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ゴールデンウィークの日々 ストリート

2009-05-12 | 街シーン
  5月5日は、昼前から繁華街に出た。わが町を楽しむためである。快晴の昼下がりであった。街はいつも劇場でもある。この写真のシーンは、土曜日の午後によく行くデパート・カリーノの壁面で、向かって左にタリーズの窓際となっている。その窓辺の椅子に座って往来を眺めるのであるが、反対からその窓辺を見ていると、こんなシーンにあった。ピーターブロックの演劇論によると、ひとりの人がひとりの観客の前を過ると演劇が発生すると言う。そのようである。(写真はクリックすると画面いっぱいになります。)

 しかし、今日は「みやざき国際ストリート音楽祭2009」の当日となっている。市庁舎まえから山形屋まえの700メートルのメインストリート橘通りぜんぶは、4ヶ所のステージと白バイや消防車、救急車と写真がとれる「こどもパーク」が設営されている。12:30分から19:30分まで交通規制となり、演奏会やライブが開かれる。大掛かりのステージ、大きなスピーカーやミキサーを備えての音響設備、並べられたアルミの椅子が埃のなかて乾いた反射をしていた。橘通りは、ステージに変わり、町並みは背後に隠れてしまった。ステージを中心に人々が群がりはじめていた。

 例の「T-ステージ」では、二胡のグループ演奏がはじまっていた。おもしろくも魅力も感じられない。鈍重でよたよたとしていて、たおやかさ、幽玄のディープさは、この殺伐としたステージの埃の舞いのなかに消滅していた。若草通りの十字路では、アカペラであり、がなりたてる大音響のスピーカーと調子のいいおしゃべりが、わあわあと空中に舞い上がりつづける。

 手わたされたプログラムに入場無料と赤いマークで記されていた。こんなことはあたりまえではないか。それは当然すぎるほど当然であり、記す必要もないことである。入場を無料とする発想そのものに、もうすでに街は劇場であるという意識が消えているのを思う。ストリートは、アートもわからぬものたちにより、ステージへと強制されてしまった。かれらは、入場料を無料に設定したことに自己愛を感じているのかもしれない。しかし、劇はなかった。いやあったとしても、ぼくにとっては無意味で苦痛そのものでしかなかったのであった。

 劇とはなんだろう。演奏者とはなんだろう。そこにはかならず内省という人の恥じらいに似た自己省察が感じられ、それがおなじ悩むものへの共感と感動を共振させてくれるのである。ステージで感じた多くの演奏者は、集まったアルミ椅子の上の観客、歩道から立ってみている市民たちを、楽しませているというゆるぎない自信、傲慢なる自己満足をふりまいていた。内省はなく、かれらとの共振も共感も生じない。しかし、かれらは無限振り子のように終るまで機械的に揺れていた。かってな自己満足に時を刻む。これなら、イルカショーの4匹の無垢な餌のために必死なイルカに胸をうたれる。猿芝居の猿の独演の懸命さ、無垢さに同情をおぼえさせられおもわず拍手を送る。猿よりも感動のないステージには苦痛しかないのだった。

 午後は遅くなり、疲れた体をふるいたてて、ふたたびヒムカ・チリに自転車を向けることになったのである。かくしてゴールデン・ウィークは終ろうとしていた。
 

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鍋(生活)と、じゃが芋(文化)

2008-08-19 | 街シーン
 鍋のなかの水にじゃが芋をほうりこんで、ひとりで水が沸きだすという、熱力学の反対が起きることはありえない。つまり、高千穂通りという生活の場を活気づける、ために生のじゃが芋(アート文化)を投げ込む装置という「T-ステージ」は、機能不能どころか、街のゴミと化している。生活の邪魔者である。なによりもデパート「カリーノ」の入り口の邪魔、そして、自転車駐車の妨害物となった。

 そこに一人の女性ガードが駐輪禁止と整理をやっている。実は、その女性と会話を交わすようになっていったのだ。ある日、ぼくはT-ステージに意図的に駐輪していた自転車の鍵が不明になったとき、彼女は自分のことのように心配して、探してくれたことが契機になった。あれから、ぼくは、彼女に協力して、そこに駐輪をしなくなった。だが、彼女がいない限り、駐輪は続行するつもりではある。こんな馬鹿げた歩道の占有は絶対に許せないからだ。

 それはそうとして、彼女の勤務であるが、宮崎市民の何人がその実態を知っているのだろうか。彼女は年のころは40歳前後の小顔のいい顔をしている。なぜこんな仕事についたのか、止むをえぬ生活の事情があるのだろうと思う。それほど、この仕事は、大変だと思われるのだ。彼女の勤務時間は、朝の10時からカリーノの終る午後10までという。この炎暑の路上で、朝の10時から夜の10時までである。ここのところの猛暑のため、一時間勤務で30分休憩という措置がとられだしたという。それにしてもだ、あなたやれますか。
 
 青い分厚い綿の長袖の制服シャツにネクタイ、制帽、白い手袋で、一日中、ここに自転車を止めないでくださいと、ていねいに同意を求めて、整理と監視を行なうのだ。どうかんがえても、彼女自身が、ここに自転車止めていいじゃんと意識してしまうのではないか。ぼくには、いつも止めてと優しかったが、ぼくは止めない。
止めないことに彼女への協力という意味をみいだしたからだ。しかし、彼女に意味はあるのだろうか。

 猛烈な日射、アスファルトの炎、ぼくは、猛暑のサイクリングでこの過酷さを体感しているので、その労働がよく理解できる。休憩時間は、デパートの部屋でというが、もちろんエアコンにはかからない。これをやると体調が狂うからだ。そして、午後7時半に日が沈み、やっと夜の10時に、長い一日が終る。

 この無為意味極まる駐輪整理という過酷な労働を強い、かつ税金の無駄遣をやるのがT-ステージの「結果」である。その発案者の文化意識が、どれほど冷えたじゃが芋であり、生のじゃが芋が水を沸かしだすという妄想であるかを、一日をはたらく一女性ガードは明らかにしている。これこそメッセージのある文化なのではないかと思う。

 彼女は、盆が終って、こんどは工事現場の安全整理に移動になると聞いた。これを聞いて、ほっとした。良かったですねというと、ええと笑ってうなづいてくれたが、彼女は内心はどうなのか、よくわからない。そして今やゴミというより、高千穂通りのかさぶた(Scab)と化したT-StageからT-Scabとなったものの撤去を望みたい、そうすること、それが文化発信ではないか。
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コンセプト

2008-07-03 | 街シーン
霧島連山が遠望できる喫茶「イーチャフェ」が6月末で閉店となった。宮崎市霧島町2丁目バス停まえの「くろき製茶霧島店」の2階に設けらたカフェであった。
 
 室内はいつもファッション雑誌のグラビアのように瀟洒な感じで、調度品は適切で、いついっても今飾られたように磨きあげられていた。現代アートの版画が階下と階上にビュッフェともう一点飾られていた。ボーズからは、ゆったりした音楽が流れて、3人のウエイトレスの動きともよく調和して、室内を贅沢な豪奢な雰囲気にしていた。そして安かった。250円から300円でケーキをそえた急須でのお茶を楽しめるのだった。

 イーチャフェには、宮崎市には珍しいコンセプトが感じられた。お茶の素晴らしさを広めたいというコンセプトである。経営的にはもっと無駄をはぶけるのではないかとか、思うのだったが。お茶のもつ贅沢さを体感させる情熱のような経営者の理念を感じるのだった。

 べつに経営が行き詰まっての休業ではないと思える。閉店でなく休業というところに意味がある。新しいコンセプトができたら、また再開されるのかもしれない。

 いつまでもだらだらとつづけるよりも、ましだろう。いや、いつもまにか、始めのコンセプトもなにも喪失、失念し、わけのわからぬものに変質し、その変質にもきづくこともなく、ただ、行政の援助や、メディアのマンネリズムの開催記事などで、つづけるボケ状態よりもはるかに有意義な閉店であったとおもうのだ。それにしてもいいものは消え、つまらぬものはいつまでも消えない。その結果、どこからもコンセプトが聞こえてこない。これが、宮崎市の今であろうか。

 以上を、東京の知人の妹からの宮崎市はどんなところでしょうかという手紙の返書に回答した内容である。

 


 
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今から出発

2008-06-01 | 街シーン
 今朝は住宅まわりの一斉掃除の朝だった。おかげで、鹿児島市への小旅行の出発時間が遅れている。迎えにくる次男一家も、この掃除で遅れるからと電話があった。なんだろう、このシステムは?

 全く余計なお世話である。掃除は3日前に剪定を頼んで、庭も、屋敷まわりもきれいにしてもらったばかりである。こんなことは、他人から指図されずとも、自分でやる。これで、隣近所のコミュニティーを高めるつもりか、あるいは、宮崎市が唱える、九州一の景観づくりにコウケンさせるつもりだろうか。例のコミュニティー税、500円天引きの発想と一致している。

 シャッターを下ろしている繁華街の憂鬱な景観が、解消される都市計画をやるのが先である。いわゆる中心市街地活性化計画である。街のなかで踊りをするくらいのアイデアしかないわけである。高千穂通りのデパートカリーノ前のTステージは
通行、駐輪の邪魔となり、誇りと泥にまみれて汚物のように地面にはりつきだしている。こいつをまず剥ぎ取ってほしい。

 文化マーケットは90パーセントが廃墟、その廃墟を活用すべく、市民からコミュニティ税をとるのなら、まだ賛成しようもある。このマーケットの対面に来年か、
文化ホールをもった商業施設ができるとか。例の多目的ホールという施設だ。ここに演劇とか、コンサートやライブやらとかが、連日開催され、入場者であふれ、この来場者の出入りで、街もにぎわうという皮算用に基づいている。まず、見るに値する、聞くにあたいする出演者がいないではないか。そして、やがてここも寂れた空ろさを街にただよわす。これをまず止めるべきだ。

 バージニアビーチをいう不思議な米国バージニア市にある灯台模型を建てている景観破壊の西橘通り、この公園をもとの花市場にもどすべきであろう。

 市や県の管理する公共施設の構内だけ、まわりの道路から30センチも高い不快なる景観を改めることによって、どれほど市民は親近感を覚えるであろうか。いやそれ以上に自転車通行者にとって安全、緊急避難で屋敷内に避けられる。景観の本質は、いかに人の立場に建っているかが基本なのだ。権威の象徴ではない。

 まだまだある。住宅のまわりなど、している場合か。500円は出さない。しかし、天引きされれば抵抗の方法はどこにあるのか、掃除は自分で時間を配分してやる。隣近所のつきあいは、もう20年ちかくうまくやってきている。

 ということで、まもなく鹿児島市へ向かって、郊外のショッピング集積群を見て回ってきます。
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自明の土地も視点を変えれば・・・

2005-10-25 | 街シーン
 宮崎市に「天神山」というのがある。大淀川の北側の堤防そいにつらなる。「あの山の向こうは、どうなってる?」と聞くと、知人のほとんどが、「さあ、なんだろう?」と頭を傾げた。そういうぼくも、、その向こうのことなど想像してみたこともなかったのである。何十年も!!

 先月、ふとした偶然で、天神山の向こう側、その空間に超えて入った。そこは腰まであるすすきの野がひろがり、住宅や、マンションが建っていた。店ひとつなく、その寂寥とした光景に胸を締め付けられた。ここが宮崎市!!川崎市かどこかの無機的な郊外だ、旅先にあるような感じであった。

 ここに「ピンピ」(夢というアジアの言葉だそうだ)という喫茶店があると聞いてやってきたのだ。自家焙煎のコーヒーを注文する。下が駐車場、上が喫茶店となっていた。ブレンドが18種、ストレートが30種、展示されていた。まわりはすすきの野である。開店して4年目という。ここには道があったのですかと聞くと、2メートルくらいの道が天神山の方からあったという。焙煎が専門で豆の販売をでしていたので、そのお客さんがぼちぼちみえていましたということで、こんな荒野で喫茶店が成り立ったのかと、なにまかもおどろくべき一日であった。

 後で、地図で確認すると、ここは現在宮崎市立図書館や市民劇場の建設された団地「花山手住宅団地」の東斜面下の平野だった。団地側から見ると、なんということもない地続きの土地であるが、反対からは想像もできなかった。自分のまわりの土地は自明であると思っているが、視点を変えるとまさに異郷になるとは。人間の盲点は計り知れないかも。 
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