市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート(ホテル)に一泊

2005-02-28 | Weblog
  宮崎市の一つ葉海岸に設けられたフェニックス・シーガイア・リゾートの中の45階建てのシェラトン・グランデ・オーシャン・リゾートに夕べ日曜に一泊した。期間限定の特別サービスで、かつ会員特典も利用しての1泊2食つきの部屋を予約していた。41階にありツインベッドが二つ並んでもまだ十分の余裕のある部屋で、普通料金ではとても宿泊できるような部屋ではなかった。

 ガラスの壁で囲まれたシャワールームを併設した大理石張りの浴室と、設備も調度品も贅をつくしたものであった。食堂も大きな窓からシェラトン風の日本庭園を望む快適な空間で、エスニックな料理の
バイキングであった。友人夫妻と、大いにしゃべり楽しもうとした一泊であったのだが、実は木曜日から風邪であったのだ。土曜日には
治ると軽く考え、治らず、日曜の夕方には大丈夫と思ってでかけたのであった。

 風は治るどころか、胸をえぐるような咳、関節の痛み、何にも食べる気がせず、体は動かすの面倒という状態になってしまった。友人と会話を楽しむどころか、ぼくだけ、一人で41階の部屋にこもり、ひたすらベッドで苦痛を抑える24時間がつづいた。

 まわりのすべてが、ぼくには無いも同じであった。健康でなければなんにもならぬというが、ほんとにそうだと身にしみて、具体的に納得できた一夜であった。
 
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切ない呼吸

2005-02-26 | Weblog
  イオンモールの「イオン宮崎ショッピングセンター」 の開店がせまってきた。
 
土曜、日曜になると、宮崎駅から西へ歩く若者たちが目立つ。駅から700メートル先の十字路に、山形屋、その真向かいにボンベルタ橘、1ブロック駅よりにカリーノのデパートが並び、7映画劇場のあるセントラル会館ビルがある。この集客ポンプにより宮崎市街でいちばんにぎわっているが、まわりはほとんど若者である。こども連れのファミリーもほとんど見かけない。老人も少ない。

 ところで、先日、MRT宮崎放送のテレビで宮崎セントラル会館が、イオンに入り、閉鎖すると放映したと聞いた。また先月1月6日付けの宮崎日日新聞は「アリサカ」のイオン出店が決まったと報じていた。アリサカは、ゲームセンター「アーバンスクエア」や「スーパー銭湯がラッパ湯」で有名である。アリサカの会社案内をみると、イオンには「南国の果樹園」というコンセプトで1800平方メートルのアミューズメント施設を設けるとある。このフロアーに、スポーツ専門店、大型書店、本県初のシネコンがあり、相乗効果が大きいと開店理由を挙げている。

こうなったら、わかものたちが宮崎駅から反対方向に向かうのは、ほほどんどまちがいないと思う。パーキングに頭が痛い街中にのこのこと来るものは、変わり者というしかない。世に変わり者は少ない。よって、街角は衰えると予測をするしかないわけだ。宮崎市は九州一景観づくり予算3500万円をつけたが、ベッドで苦しむ宮崎市街の呼吸が切ない。わかものたちが自主制作した映画「voices」の冒頭シーン、危篤状態の老女の呼吸のシーンは、いままた暗示的であると思う。

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朝の新聞記事

2005-02-24 | Weblog
  毎日新聞社、東和不動産、トヨタ自動車が名古屋駅前に建設中の再開発ビルの正式名称「ミッドランドスクエア」が決まったと、今朝の毎日に報じられていた。はじめに選ばれた「ミッドランドタワー」を
ネーミングの専門家の意見を踏まえて、スクエアを加えたという。そしてのスクエアを採ったわけとは。

1 「街角」「交差点の広場」を意味し、「ショッピングや食事に人が集まる賑わいの場」のイメージがある「スクエア」(square)を重ね合わせた。
 そのくらいのことは常識と思うのだが、これに続く説明はすごい。
2 一方、スクエアは、文化的、創造的、重厚な印象のある言葉で、歴史ある街を再生した街づくりの名称に使われることが多い。
 へえ、そう、ニューヨークの「タイムズスクエア」を、そのまま借用して新宿タカシマ・タイムズスケアとか、札幌タイムズスケアとか、
文化的とも創造的ともちっとも思えない。

 ところで「アーバンスクエア」とはご存知か。宮崎市はもちろん、今は九州全域をこえて関東、近畿、四国へと広がりつつある。株式会社「アリサカ」の起こしたゲームセンターである。アリサカは宮崎市のアミューズメント施設を展開する会社で、平成3年には若者たちの集まる繁華街にアーバンスクエア一番街店を開いた。宮崎駅前店もにぎわっている。この春、イオン宮崎にも600坪の店舗を開店する。ジャズダック店頭市場で右上がりの株価をしめし、昨年は株式分割(無償供与)を2回行った。ベンチャー中堅企業として注意を引いている会社で、宮崎市にもこんな企業もあるわけだ。

 このスクエアの命名は平成12年の12月の1号店の開店だから、古い話、宮崎市の若者にとってはスクエアは、日常語でしかない。こんな記事を目にすると、わかものが新聞をよまないというのも、わかる気がする。情報がもったいぶったわりに古臭いのだ。ライブドアの堀江社長も新聞を殺すと皮肉ってるが、理解できる。

 すべての記事がそうとはいえないが、ここ数年、記事が行政広報冊子に似てきているのだ。妙に説教くさく、カタカナでおしゃれなつもりが垢抜けしてないのだ。ついでだが、70年代SQUAREとは、石頭とか、常識派とか、じじくさいとかが、普通に使われていたのだ
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タリーズ・コーヒー

2005-02-22 | Weblog
 九州で宮崎県だけスターバック・コーヒーがないのを知ったときは思わず笑ってしまったが、タリーズ出店数は、福岡県につぐ2番目だ。スターバックは、おしゃれな街角しかないそうであるが、こっちは、破産した寿屋百貨店ビル入り口と、やはり空っぽになった西村楽器店の入り口に、出店した。スターバック・ジャパンは資本金83億円、くらべてタリーズ・コーヒー・ジャパンは資本金1億円だが、おかげで、傷ついた街角の血がとまっている。

 初めていったとき、「本日のコーヒー」を「ショート」とあり、紙コップの背の高さで区別するのに違和感があったが、トールとか、グランデとかなれてしまえば、なんてことはなくなった。紙コップのくせに熱が冷めず、味も意外と深みがあり、量もあるので、すすりながら本を読むのにちょうどいい。それに店内は混んでいるのに人が気にならない。ほとんどが女性客だが、一人で来ている女性が、いつも何人かいるのがいい。
 
 番(つがい)でいるか、群れているかしかない若者を毎日、毎日、街でみるとき、猫のように単独行動している女性をみると、ほっとする。中高年男性も時には一人でいるが、どうもむさくるしい。どうしてそうなるのか、こうした場にびしっと馴染んだ男にであえないものかと思うが、まだ果たしていない。ぼくなんかも端から見ると、中高年男性の一人男として場をむさくるしくしているに違いないと思うけどね。

 宮崎市という地方都市で、駅のように他人の雑踏が気にならぬ場所というのは、あまりない。このタリーズ店内で、もっともっと単独行動する男や女が増えるといいと思うのだが。
 

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吉川よしひろ チェロ一人演奏

2005-02-20 | Weblog
  昨日、吉川よしひろ 一人チェロを、フローランテ宮崎で聞いた。
チェロがこれほどポップな世界を多彩に演奏できるのかと一驚した。
もともとぼくは、「見上げてごらん夜の星を」も「ベートーベン」もおなじメロディーに翻訳して聴こうとするミュージック・リテラシーしかないので、かれのチェロ演奏は、願っていたミュージックに出会えた思いであった。
 
 ピアソラのタンゴ、アランフェス交響曲、聖歌、日本歌曲、かれのオリジナルとつづく。一人チェロは、弾く、爪弾く、打つでドラマを生み出した。腹にひびく重低音と繊細な音色に感情をゆさぶられた。チェロ演奏のマジシャンというべきか、聞き過ぎたメロディーが新たな魅惑で体をつつんでくれた。コマーシャルやJAL機内放送に、映画に自分の音楽が使われていると、吉川はなんども口にしたが、最初、自己宣伝かと思ったが、かれの演奏の特色を示すものだとあとで了解した。

 さてと、なんか音楽批評のようになりつつあるが、いいたいことは別。主催したのは、写真家の芥川仁一人、予算もなく、チケット一枚で、あとは口コミであった。ドリンクの接待もあったので、そこから会場費も差し引けば、吉川氏もボランティアみたいなものだ。ヨーヨーマの一時間の出演料は1000万円ですが、私はと、聴衆を爆笑させたが、悲しくなる。聴衆は70名足らず、かれは一時間の演奏時間を
一時間半も熱演してくれた。

 こんどは、ぼくもチケット売りに協力する。CDが演奏後ほぼ、完売と知り、うれしかった。ぼくも3種とも購入した。せめてヨーヨーマの入場券に近づくべく。
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橋本古書店

2005-02-18 | Weblog
 1月24日のブログ「ブックオフ・ブックマーケット」で触れた橋本古本店、正式は橋本古書店が、おとといの毎日新聞宮崎面に窓広告をだしていた。小広告だが、闇夜に灯りのもれる居酒屋を、みたような気持ちがした。いつ行ってもぼくのほか、来客を見たこともない古書店が、なぜこんな広告をだしたんだろう。早速、翌日、ここでも売れそうな宮崎市の戦前の市街地図(ただし資料的には価値はない)を集めて解説している郷土本をもって、親父さんを訪ねた。この本はあげても惜しくなかった。

 広告の反応はまったくないという思ったとおりの返答、はははとわらっていた。このごろは、ぼくのカオをみても笑ってもらえるようになった。実は何ヶ月かおきに窓広告を出しているということだった。おまけしてもらえるから、ここだけに出しているとうのだ。おまけしてくれましたか、はい、うーむ、いいじゃないですか。いや、あのつまらん紙面の中に「古書橋本店」とあるだけで、文化が漂ってくる。このまえ、本はすべて消耗品といいつのった口からいうのもおかしいけど、古書店は、やはり文化である。

 県内最大の「田中書店」中央店の前店長の川崎さん、彼女が、月に一度、NHK宮崎放送局のテレビ番組「いっちゃがスタジオ」で本の紹介をしてきている。3年くらいつづいてきたが、3月で終わる。ほとんど売れ行きには反応もないという。これが飲食店だったら、その放送があった直後から来店者が押しかけるのだ。たべものはその店でしかたべられないが、本はどこでもいいわけだ。おまけに食欲もない人々にこってりのフランス料理や中華料理をすすめるようなことにもなるのか、反応なしと彼女は疲れていた。

 本はたしかに一般の消耗品とは類をことにするようだ。ファストフード系のブック店には、本の値打ちはわからないとのエッセイにコメントを下さった「王子」さんに直後、本は消耗品だと書いたので、気を悪くされているんではないかと思う。そこで、この一文を書いた次第です。いずれまた。本はなんなのか語りたいと思います。
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スターバック・コーヒー

2005-02-16 | Weblog
 宮崎市に建設中のイオンには、スターバック・コーヒーは出店しないんだってと、300メートルもつらなる北壁面を運転席から見ながら冷ややかに、知人は言い放った。彼女は上京することが多いので、その情報はたしかかも。スターバックは無しということである。2月1日、田中 宇(タナカ サカイ)氏から配信された国際ニュース解説は、「上海ビジネスの世界をかいま見る」というので、なんと中国におけるスターバックの展開がのべられていた。

 『1996年に日本に上陸し、銀座に店をオープンしたときから、おしゃれな町にしか店を開かず、ブランドイメージに合わない街区には、要望があっても出店しない方針を採っていると聞いている。「スターバックがある街角はおしゃれ」という感覚を定着させることで、宣伝しなくても、お客も入り、企業イメージも高められるという戦略である。』と田中氏は解説していた。

 そこで興味があるのは、九州・沖縄各県でスターバック・コーヒー店がないのは、宮崎県だけということだ。現在、全国で503店舗あるというが、そのおしゃれな街に宮崎市は選ばれていないのである。ほんとに、全国に503もおしゃれな街があるのか、疑問だが、だとしても、宮崎イオンショッピングセンターにはスターバック無しとは。そうなれば、れはそれで、話題としておもしろくなりそうだ。

それよりも津村市長さん、宮崎市を九州一の景観都市、つまり「おしゃれな街に」とおっしゃるけど、どうも現実味がなさそうです。別の発想でなければ、税金の無駄遣いになりそうですよ。

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宮崎市謎所案内2美しい街

2005-02-14 | Weblog
 宮崎市で、都市プランナーとか環境アドバイザーなどが、美しい街とほめるところはまずは、住宅団地であった。緑と花の植え込みがつづくからである。それなら、今、売り出し中の宮崎県立看護大学まえにひろがる「まなびの」団地はその最たるものだろう。そこでは、販売ターゲットによってグレードの上下がはっきりしている。コンクリート塀に生垣、石積み(人造石模型)と生垣、その石積みの上につつじなどの潅木、その背後に生け垣、おなじく石積みのうえに盛り土の斜面があり、その上につつじと生垣と、今のところ、これが最上位である。

 うわさによると、通の右と左では、会話もちがうという。うちのが、こんどハーグの学会にいきますのよ、なんたらかんたらとか、やっぱりイタリヤは北ねなんたらかんたらと奥さんたちが話すんで、身のおきどろもないのよと、ぼくの姪の知り合いがこぼしていたという。彼女一家は、最初の売り出し住宅を買ったためである。ビンボーとカネモチの差異は、社会的地位の上下をも意識させるようである。

 この上流?の角地に20ステップの階段を上がったところに巨大なスペイン風の鉄筋コンクリート造の家屋がある。集会所までなんと豪華なものよと上がってみると、これは個人住宅であった。いや、ここからカーブする道路にそって、おなじ造作の住宅が並んでいる。真ん中あたりに案内板があり、なんと明記してあったと思う。「宮崎県立看護大学 教員宿舎」というのである。10棟あった。最低で7000万円、ひょっとすると一億円かかったかもしれない。こんなのを毎日仰ぎ見て、税金ドロボーとうらやむだけでも、不愉快なことではなかろうか。
 
 ここでは、美しい街づくりが、じつは住民の暮らしにくさをうみだしているのである。プランナーもアドバイザーも、この一点が見えてない。
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アトに残った街

2005-02-12 | Weblog
 2月4日の「宮崎ピンクチラシ」で盛り場のピンク看板やチラシ配布の禁止を条例化する動きがあるとのべたが、すでにはやばやと看板は消えていた。建国記念の日、11日金曜午後4時ころであったが、通は冷え切っていた。

一条というスナックの脇に立っていた電照看板「待っているのは美少女のみラブラブヘルス」も消えた。白い水着の少女?たちが、揃ってうつむきかげんで、横座りしている看板であった。「コンパニオン募集 きゃん・きゃん 容姿端麗に限る」がそえられていて笑えた。「うきうき女学園 6000円~」 「ファッションヘルスapplepie 40min.7000 yen 全室シャワー完備」などなどと、にぎにぎしさをふりまいていた。それがみんな消滅していた。情けない話だ。

つまり、もっと、おれたちはいきているのだぞーと、モラリストたちの都市景観美論に抵抗してよかったのではないか。生きる真実と都市景観のどちらがだいじなのかをどうしてつき合わせないのか。はいはいと、従うのであれば、やっていることは悪いと認めること、これからは、日陰ものである。なぜ「きゃん・きゃん」や「うきうき女学園」が「週刊現代」や「フラッシュ」などの営業に劣り、顔もそむけなくてはいけないのか、そうおもわぬのだろうか。

わが街は、小中学校の教室か。あるくる人々はぜんぶPTA会員か。だれがこんな街にのこのこでてきて楽しむだろう。各個人、わが家にあり、テレビを見て、としよりだけは新聞を読み、一日が終わり、一年がおわる。世界に何が起きようと、たいして記憶にも残らない。われ関せずの日々がある。

街はきれいにゴミひとつなくなり、人も歩かず、商売も不振となり、働く場も減り、リストラにおびえ、パートも貴重な就労チャンスとなり、ニートまでかかえこみ、性欲もなくなり、ついに街も消滅する。それでアトに残ってるのはなんという場所なのか、誰か名づけて欲しいよ。

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場所の力つづき

2005-02-10 | Weblog
 お好み焼きの店「しぇこぱん」に、最初に入ったとき、シャンソンが店内にながれているのに仰天した。パダンパダンなど、もう30年ぶりに聞いた。かべは、花模様で埋まり、雑貨は、可憐であった。シャンソンとお好み焼き、なんでやとショックを受けたのであった。

 あれから2年、シャンソンを聴きながら、ミックス焼きを毎週一度は食べにきた。人に場所を教えるのもややこしい場所でありながら、来客は多い。うまさが抜群、華麗ともいうべき14種類のお好み焼きの陣容もあるが、シャンソン、インテリア、お好み焼きの取り合わせが、なんとなく笑えて、こちらがえらくなった気がするのである。これが快感になって残るらしい。また来ようという気分になる。

 店主の青木さんは39歳だが、宮崎市が嫌いだといって、大学の夏休み、アメリカ大陸を自転車で横断して腹いせをした。つづけて上海から敦厚の道路の尽きたあたりまで行った。宮崎市が嫌いでなんでアメリカ大陸自転車横断なのか。それに彼をみてもそんな冒険など想像もできないだろう。本好きなインテリである。かれにもまた常識は通用しない。かれの生き方がお好み焼きの魂消るようなメニューを開発してきたのだ。シャンソンとの取り合わせばかりではなかったのだ。
 
まさに非常識万歳の店、こんな店がわが市街・野の藪の中に生息していることは、力強い未来を暗示してくれるようだ。


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サンアートアカデミー卒研展2

2005-02-08 | Weblog
 デザイナーの主体性てなんだろう。デザイン会社のスタッフとしては、NHK受信料支払い協力ポスターであろうと、護憲、改憲、なんであろうと、とりくまねばならないだろう。そのとき自分の魂はデザインのどこにあるのだろうか。ガリー船の奴隷か、主体性、そんなことかんがえると死ぬ!!か。

 まさか、そんなばかなことはあるまい。サンアートアカデミー卒研展の広告デザインもCM映像、短編映画にもすべてに君たちの自己表現を感じた。この点では、藝術作品となんらかわらない。問題はやがて職業として、自己主張の場は極地においこまれる。そこで、どう自己を保てるかとかんがえたことあるのかな。

 もしぼくが代表取締役だったら、君たちを二種類で採用するぞ。一つは名もなきプロとして、高度の技術をもちながら、働き蟻として製作を続けられる資質。これには、素直でやさしい優等生としての卒業生。もう一つは、効き目はまちがいないが、危険もある劇薬、毒薬のようなヤツである。この二組を10対1の割合でとるね。付き合うか、鑑賞するなら、この劇薬、毒薬をえらぶね。だっておもしろいし、ぼくも刺激されるから。

 もちろん優等生だっていい、すばらしいよ。その例としてドキュメント短編映画「新世紀に響け田野の夢」(竹下直美監督・川名裕太撮影)をあげよう。宮崎郡田野町という町が、これほどうつくしく描かれるとは、心底ショックをうけた。宮崎放送局(NHK)で、即日オンエアしても、県民の目を奪うほど秀逸である。きみたちは「21世紀に残したい宮崎の宝物」という思いで、作ったという。
問題はそこなんだよ。優等生過ぎる、まじめすぎるんだ。なんか読書感想文を読まされた感じなんだ。これで人生かわりましたといったような。あんなのうそだよね。現実はそういうものじゃないというレアルが薄いんだ。もっとはみだしてほしいんだよ。これ分かかな。。才能あるきみたちよ。これからも、おおきなき期待を感じさせたいい展覧会でしたよ。なおがんばってね。
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宮崎サンアートアカデミー卒展

2005-02-06 | Weblog
  サンアートアカデミー宮崎の第8回卒業研究製作展をカリーノ8階ガガエイトで観た。なんという心やさしい若者たちだろう。川端美幸のメッセージ本は、人の悩みがやわらぐように、辻千明の内科小児科のショーウインドの癒しの描画、聖書や古典から取られた箴言から作られた絵とかが、その感を高める。それはそれで、ほのぼのや、かわいさや、夢、たのしさがいやしとなってふりまかれる。これ格別に反対するものではない。

 しかし、商業デザインもまたキャナルシティ博多、イオングループ、スコール、オカモトとかの企業や商品にすなおによりそい、その販売活動をささえるというのが、ちょっと疑問なのだ。そこにも企業へのやさしさを感じ、ふとそれでいいのかと思うのだ。林田恵梨香のキャナルシティ博多グランドバザールの広告企画、高田大幹のイオンのマックスバリューが運営するインターネットのレシピサイトとも、そのまま実用になるほどの優れた技術とアイデアの作品と思う。ただなんかちがうんだ。

 つまりぼくが言いたいのは、まだ学生である君たちが、競って大企業の
ためにこれほどイメージを凝集するのは、もったいないよということだ。商業デザインで将来身をたてようとするならば、大企業がリードする消費社会を肯定し協調していくことは避けられないとは思う。でも今は、まだモラトリアムの時代、自由だろう。だったら、反消費社会の視点に立ってみたらどうだろうか。これによって、別の消費のあり方、未来の企業イメージ、大衆の新しい消費行動もみえてくるんではないだろうか。

 じつは、やってもらいたいことは、この宮崎市で、懸命に生き延びようとしている小さな商店、飲食店などにエールを送るデザインを試みてもらいたいのだ。お好み焼きの「しぇこぱん」とか、喫茶「ウイング」とか、あるいは「江平市場」住宅地の片隅に残る昔コンビニの「日用・食品店 矢野」とかのレトロ空間とか、都市論からみてもおもしろい零細企業が当市にはいっぱいある。ここから、これまでにない斬新なデザインが生まれる可能性がかなり望めるのではなかろうか。ほんど、街には、もうどこをみても広告デザインばかりで、飽き飽きしているんだ、どれもこれもね。

 本展で、ニューヨークに相撲の大看板をシュミレーションで画像化した山元大祐の日本発信には、商業広告をこえた新しさを感じたが、もっと超マイナーなものを巨大化する発信もできないものだろうか。
                             次回につづく。
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宮崎ピンクチラシ

2005-02-04 | Weblog
 宮崎市の条例でいうピンクチラシとは「性的好奇心をそそる衣服を脱いだ人の姿態、水着姿・・・」と定義されると昨日の毎日新聞宮崎版は報じていた。
 
条例に、ほんとに、こんなたどたどしい文言を入れるのだろうか。誰がこんな文案を発案したのだろうか。衣服を脱いだ人の姿態で性欲をそそられるのは、おまえやろと思うよほんと。それなら本屋の店頭にならぶ週刊紙、写真誌は、インターネットは性の超王国である。こちらは性欲をそそらないのか。これらは条例の対象にならず、ピンクチラシだけを目の仇にするのはなぜか?説明をしてよ。

今朝からかんがえていて、自分なりの理由づけを彼らに代わってやってみた。ほんとうは、性欲をそそるとか、そそらないではなく、「ピンクチラシ」および「ピンクチラシ配布者」へのいわれなき差別感ではないか。この意識は、一方に、ピンクチラシやその配布行為を街の景観を汚すものだという断定になっていく。街をきれいにしよう!これが本音だ。

配布はもちろん、掲示をも取り締まるという事になり、違反者は100万円以下の罰金に科せられる。100万円、高すぎる!!この脅迫的罰金宣言のまがまがしさ!実はこんなことが恐ろしいわけではなく、街を殺すということになっていくことを自覚してない関係者の意識がおそろしい。元来街というのは、表どおりの商業空間と裏の歓楽街、悪場所ともいうが、このペアで活気をうんできた。この歴史的、都市論的現実を気付けない。

 今現在でも、もう十分死んだようになってしまっている街なので、どうでもいいんだけど。それに発案者が「ニシタチ」の飲食店、ホテル、旅館などの業種、そして代表が飲食業代表組合長というから、まあ、自分たちでそれでいいのなら、それでいいだろうと思うのだが、こんなことで、宮崎市長の提唱する九州一の都市景観が達成されるのと聞きたい。なんか軽々しくそんな幻想に同調、もしくは乗せられたのではないだろうか。
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宮崎市の雪

2005-02-02 | Weblog
  昨日宮崎市は雪だった。昼前、寒いと室温をみたら6度だった。外は風がビュービュー、うす曇で粉雪が又降り出した。一年に一度かあるかないかの雪降りだ。この機会を見逃すのは惜しいので、自転車で市街・野を走りだしたらどうなるか、試してみようと思った。

 厚手の綿パン、長袖の下着、厚手の綿ワークシャツにジャンバー仕立ての薄手のダウン、靴はニューバランスの洗濯可能の、メイドインチャイナの一万円相当の運動靴、手袋はシンサレートのアウトドア用である。これで西へと向かった。風は、かなりあるが、低、中、高の中で走れる。強い風と思ったが寒風は実際よりはげしくかんずるのだろう。宮崎駅前で吐く息が白く、眼鏡にかかって曇るから、冷えはそうとうなものだ。手袋のなかの指もかじかんでくる。しかし、体はぜんぜん感じない、北風に向かって漕ぐからだろう。
 
 まもなく宮崎市街の北部の宮崎神宮、一の鳥居についた。ここで終わり。
やく7キロの行程で23分かかった。この間に、駅に始まり、ホテル、病院
デパート、市役所、県庁、コンビニ、デパート、スーパー、ほかほか弁当、ターリス、喫茶店、マクドナルド、モスバーガ、ファミレス、各種レストラン、ラーメン、ブティックから雑貨店、映画館、フィットネスクラブ、画廊、専門学校、市場からメインストリートまで、ぜんぶ揃うのである。

 走った感想。雨の日よりは楽であった。宮崎市はコンパクトでいいなあ。
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