市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」監督・脚本吉田大八

2009-06-28 | 映画
 宮崎映画祭が終了した二日後の月曜日に、この映画のDVDが妻のもとにとどいた。
 
 監督の母堂が、高校時代の同級生だった妻に贈ってくださったのだ。映画祭では3作品の映画、うち1品は「接吻」、他に2作品を見た。いつも感じることだが、映画祭という会場になったとたんに臭さがでる。臭さは、この映画に浸れという強制感、これは芸術だという使命感、高踏感、さらに市長挨拶をトップに掲げた回覧板的地域コミュニティ行事感などが匂い立つ。この臭さを感じない人も、匂いを大嫌いな人もいる。

 ぼくとしては、実行委員会があつめてきたまあ珍しい映画をみることに興味はあるわけだから、せっせとみるわけだし、それと10年前の何人かの委員たち、その後顔見知りになった委員たちとも、一年ぶりの再会は楽しい気分にさせられる。3本しか見られなかったが、そのうちの「接吻」と「スール」2本は、「鬱陶しい系」の観念映画であった。見終わって、受け止めた観念をどうすべきかという気分のときに、吉田大八監督の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」というDVDが、手元に来たというわけである。

 このタイトルの開放感がいい。どうしようもない怒りがあり、それでもマンガチックでジョークっぽいところがいい。つまり批評性がある。このがつんと存在感のあるタイトルは傑出している。ここにわれありではないか。こんな監督が保守的といわれる鹿児島県から生まれたということに感動する。

 この映画は、どうしようもない活気を奪われ、負け犬になり、閉塞感にとらわれ未来の希望がない片田舎の町で、姉と妹、一家の長男である腹違いの兄とその妻の奇妙な人生を描いている。姉は女優に、妹はマンガ家に長男の妻は家族の実現に、兄だけは希望はもてなくて、姉と不倫し、うっせきを妻にむけ暴君となっている。兄を除いて3人の女たちはどんな状況にもめげずに希望の実現に向かって行く。

 田舎の風景は、これもマンガチックで、誇張された田舎の一本道や畑、林の風景がこっけいなまで、どんづまりと行き詰まり感をただよわせていて、かえって現実感がありかつ不思議とここちよい風景となっている。この背景なしには、映画の喜劇性は効果を発揮し無かったであろうと思う。懐かしくもおかしな風景である。

 そしてつぎに「セリフ」が、マンガの吹き出しのなかの言葉のように簡潔・明快で生き生きとしていて、人物といっしょになって、こっちも喋ってみたくなるのだ。その中でもおもしろいのが女優志願の姉のものである。

 「あたしは自分が大好きです。」いいですねえ。そして「あたしは絶対、人とは違う。特別な人間なんだ。」と。「あたしは絶対女優になるのっ!!」と絶叫する和合澄伽22歳。

 女優になれそうな美貌と痩身をもちながら、オーディションには採用されず、事務所からは傲慢、無知、才能なしと首を切られ、それでもオーディション面接を受ける。怒りの演技は、怒っているのか、フリをしているのか、どちらかと審査委員に詰問されると、そんなことを考えるひまはないといい、女性審査員がオーディションを受けるならセリフくらい覚えておいでというと、「待ってください。なんか、あたし、あたし意地悪されてます?」とねめつけ、もう結構ですという審査員席にむかって。「ふざけんなっ」と椅子を投げつけるシーンは、爽快きわまりない高揚感があるのであった。

 引きこもりに似た妹はこんな姉の女優志願の執念をホラーマンガにして認められつつあるのだ。姉からあんたのおかげで演技に集中できなくなったと、妹を責めたれる日々「ごめんね、お姉ちゃん。」と反省はするが、かげで「やっぱお姉ちゃんは、最高に面白いよ。」と姉ちゃんの女優になれない物語をホラーマンガにしつづける。

 希望のない田舎町で希望実現だけが命綱の4人の男女の物語であるが、具体的な希望をイメージできなかった長男は自殺とも事故とも知れない火災で焼死してしまう。妹はついに姉題材のマンガでグランプリを獲得、上京の日が来る。嫁は自由になるが、家族は四散する。妹には女優への執念を燃やす姉がくっついて離れない。だれも希望がこれで実現したわけではない。希望はつづく。

 だが、この明るさはなんなのだろうか。それは、それぞれの留めようも無い欲望のマグマのような深さとエネルギーの存在感を共感できるからではないか。なぜ彼女らは欲望に走れるのか。それは、自己愛からであろう。まちがっていても、こっけいであっても、自分を信じられる。あるいは自分の弱さや、疎外感などの不安を意識できているのかもしれない。だからそれゆえに必死で自己を愛しつづけ、なにかを実現しようとする。弱い人間であるからこそ、持てるこの自己愛である。「悲しみの愛」とは、こういうことではないかと、ぼくは見終わって思うのである。

 ついでに「接吻」と比較してみる。この主人公と主人公に自分との同質性を感じて獄中結婚にいたるヒロイン、主人公が無差別殺人を犯す住宅街のとある家、どれもこれも疑いなく現実である。この種の映画では、ほとんど無駄がなく、じつは観念性もなく描かれているが、結果的には、現実感は消し飛び、現代人の極限的な孤独を感じれれるが、それは心理学の常識的解釈をこえるものでなく、現代社会の複雑な多様性と普遍性はとらえられていない、作者の思い込みでしかないのである。これがうっとうしいのだ。
 
 しかし、吉田大八監督・脚本のこの映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は非現実が、現代社会の普遍性をとらえ、人間の希望を訴えてきて開放感をもたらすのである。 

 

 















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ちんどんふたたび かれ シャボン玉について

2009-06-25 | 生き方
  さて、期待した公園イベントの日曜であったが、今回は公園は
使用不可能となってしまっており、近くの有料駐車場を3箇所も借り切ってのイベントであったが、結局は一箇所だけで、終わり
10人足らずの人だけで、人は集まらず夕方になって終った。

 かれの頭の中を占めているのは、イベントではなくて、町内を変える、変えねばならないという幻想だったのだ。ぼくは、ひたすらイベントの楽しさ、この寂れ果て、見捨てられ、ごみとどろのべとべとの公園が賑わうおもしろさを味わうことだった。かれもぼくもシャボン玉を吹いてみることでは、おなじ意識ではあるが、なんのためにふくのか、ここが見えた日曜日になった。

 かれとぼくではシャボン玉を吹くことの意味づけが根っから違っていたのだ、うすうすわかってはいたのだがこの違いをはっきりさせるのを、しなかったのだ。はっきりさせるとつまらなくなるからであった。公園でイベントをする遊び、そのことだけにしか意識はなかった。

 シャボン玉が街になにか衝撃を与えられるなどとはぼくには、想像もできないのだ。しかし、かれはシャボン玉を町内変革のために吹いているのである。

 先日、かれが「人間の生きる街を求めて」という言葉を自分が書く文書に引用していいかと言っていたが、その文章もそう言ったことも、忘れたのか、日曜日には、いつものようにあわわれたり消えたりで、駐車場で、7,8人の人が野菜をリヤカーで売ったり、血圧測定を無料でやる市の職員がいたり、先日のギタリストが、つくねんとテントのなかで出番をまっていたりで、今回もまた一般参加者は、まさにぼく一人だけであった。

 午後4時ごろ、若菜さんも引き上げ、ぼくも会場を後にした。まだ、会場にテントを張り、リヤカーを引いて野菜を並べているひともギタリストも若い血圧測定の女性二人もくったくなくたのしげであった。

 それはそれなりに意義があるのであろう。しかし、このひととき、つまりシャボン玉を吹き上げる費用は、だれが支払うのであろうか。有料駐車借り代、出演料、その他あるのだが、おそらくここのところで、シャボン玉遊びは、町おこしとか町内会結成とか、子ども会育成とか安全な街づくりとかの有意義な名目になって費用が捻出されるのあろう。

 公園はイベントの場では使用できなくなった。次回はどうなるのだろうか。おそらく、かれは、人間の生きる街を求めてというのは、街が有用な街になること、防犯とか、子供育成とか、近隣融和とかの街になるという発想なのであろう。それは無理なんだということに立っての街で生きるというぼくの今の心境は、理解のできぬことであろうと思うのであった。シャボン玉とは、この純粋幻想のことである。幻想に金をかけるということである。
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ふたたびちんどん かれ 都市

2009-06-19 | 生き方
  昨日、自動車で移動しているとき、携帯がなりだして、耳にもっていくと、「かれ」からだった。例のせかせかした口調で日曜21日、イベントをやる、ちんどん屋さんも来る、それと今、チラシの文章を書いている、「人間の生きる都市」というぼくの本の言葉を使っていいかということだった。どうぞどうぞと返事したわけであった。

 それにしても、かれはどこでどうやって、ぼくの本に遭遇したのだろうか。これは本のサブタイトルで「人間の生きる都市を求めて」という部分の言葉である。1992年の本で駄菓子屋、銭湯、豆腐製造、路地、横町、街にあった池や水路と、当時はまだあちこちに残っていた消滅寸前のものをもとめさがして記録した本である。しかし、いまはそのほとんどは消滅している。人間の生きる都市を求めてというようなはんぱなノスタルジーなど意味がないことになってしまった。いや、だからといって人間の生きる都市がないというのではない。この消滅のあとの都市、いわば
それは、崩壊都市、そのばからしさを楽しむことこそ、生きる都市を求めて、ついにたどり着く場所であろうかと思うようになってきている。こうなると、町おこしなどという都市論よ、さらばである。人間はもっと自由で豊かであると思う。町おこし100人委員会で、街は可能であろうか。都市論よまさにさらばである。かれはどうこの言葉をとらえたのであろうか。まあそれも興味しんしんである。
 
 そうか、また公園でのイベントをやるのか。人間の生きる都市ということばで、こんどはかれは、なにを主張するのだろうか、今回もまたあの「こども縮尺」という「1:こども歩き」とわかったようでわからぬ縮尺をつけた町内図のような、文書ができるのではないかと楽しみにしている。それだけでも日曜が楽しみだ。それにまた人の眠った白昼の裏町を花吹雪一座と歩くのもたのしみである。通りはまた芝居の空間になる。
 
 芝居といえばテント劇団「どくんご」の全国巡演は、無事に巡業が進んでいて、別府を皮切りに、山口、鳥取、岡山、京都、福井を経て、6月17日、東京・西日暮里の電車道にそった諏訪神社にテントを設置したとメールが配信された。「どくんごの日々弐」(http://dokungo.seesaa.net/)

 今回の旅日記はなんか明るい。それにテントの場所も目立つ場所に設置できている。5月15日別府市公演では、別府駅前通りにどうどうとテントを特設できた。おりから別府市は街をギャラリーにした現代アート展の最中で、このイベントもうまく溶け合った感じである。人々がテントに興味をもち質問したり、また設営や撤去をてづだったりという情景もあちこちであり、また満席という公演も別府、山口、倉敷、京都とと報告されているのもわくわくした気分を味わえるのである。

 10年もまえは、奇異な目にさらされるか、70年代のアングラ演劇の名残とか、変わった連中でまあみてみるかという見方があたりまえだったが、どうも今回は、はじめから共感、親近感でテントにやってくる人々の様子がうかがえるのだ。

 やっぱり世の中は変わってきたのだと思えるのだ。こういう自分なりの生き方、その可能性のようなものを感じるのではないだろうか。テント一つかかえて、生きていく、自分のやりたいことを懸命にやる、そこに可能性を共感できる、これがあるのではないだろうか。

 2年ほどまえまでは、若者は、自分探しなどということを止め
ます仕事、それも正社員という仕事を獲得すること、これが自分探しよりもはるかにたいせつ、「仕事をしなければ、自分はみつからない」という三浦展の本が妥当性をもって語られることもあったが、その仕事とは、正社員となって雇われるということにすぎなかったのだ。この正社員イクオール仕事の現実は、経済危機でぶっとんでしまった。

 正社員も企業も行政機関も、人がいなくては成立できないという明白の現実的視点を欠いていたのが、三浦展の本ではないか。会社・官公署があって人が存在できるのではなくて、人があってこそ会社も官公署も存在できるのである。このじつにじつに「人がサキ」であるということを劇団テントの公演は、感じさせるのではないのだろうかと思う。

 さて、明後日の日曜日、ぼくらが街を歩くのではなくて、街を歩かせるという意識をふたたび感じ取れると思う。












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ちんどんふたたび、かれ、若菜、ぼく 

2009-06-12 | 生き方
 マンション隣接公園のイベント企画のかれから、5月31日、息せき切ったような早口の電話があった。あの公園で音楽会をやる、ギターと独唱、カンボジア慰問から帰ったばかりのバンドが演奏する、ちんどんやさんも来る、ぜひ来てほしい、それと論説委員していたSさんもという、また若菜さんはくるのか、それにSさんもという、どうやって納得させたのだろうかとおどろいていると、開始は今日の午後2時、4時間後であった。お友達も誘ってくださいという。なんか、ぐるぐると旋風がおきているようなかれの意識を感じるのであった。

 とにかく行くからと返事して、しのぶちゃんに電話すると、運良くひまだったらしく、セイヤ君(小2)をつれて、かけつけてくれた。彼女にはどくんご訪問とこれで二度目のつきあいをさせることになった。会場に来て見ると、すでに白いアルミの椅子が40脚ほど客席として並べられ、ステージも設置され、ステージ横には大きな黒板も立てられ、そこには歌詞を書いた畳一枚ほど用紙の束が、掛けられていた。アンプもマイクもミキサーも二人が調整していた。かれはというと、外付け階段の4階テラスからなにか電気の配線を工面していた。声をかけてもなかなか降りてこなかった。

 彼を待ってる間に若菜さんと再会をよろこび、聞いてみると、先日の出演料はいただいたというし、おもしろいので、今回も楽しんでやってきたという。それにしても、無職のかれは、出演料をどう工面してきたのかと、おどろくのだったが、まあそのエネルギーは、ますます盛んであった。やがて、かれがせかせかとやってきた。ハーモニカのグループは、宮崎市民プラザ(市役所2階)でやっているので、そこまでちんどんして、かれらとその聴衆を、ここまで引き連れながらチンドンをしてきてくださいというのだ、約一キロのメインストリート行進である。それと、このご近所を回り、角々でちんどんをと注文であった。聴衆をここまで連れてくるというのは、出来ないということになり、ご近所あいさつ周りだけをすることで、話はついた。今回は、すでにかれは町内会の役員たちに、このことを伝えてあるからということであった。

 中心市街地から離れたこの近所はまったく人影はなく、裏通りは犬、猫さへいないで、白昼の強烈な日光だけがあった。またもや、未来君に注文した。80パーセントの動きを捨てて、足と太鼓をたたく両手だけにしてみてと言った、ジョークのつもりの提案であったが、なんとかれはそれを実行すると、これがなかなかいい。さすがに、一年も就業していると、ちんどんの動きも身に着きだしてはいたのだ。いいぞいいぞと、声をかけながら扇動していくと、未来は、お父さんとお母さんとに見られているようだわねと若菜師匠がいい、かれも乗ってきだした。

 路地のおばあちゃんが一人立っていた。さっそく彼女に向かって、そこの公演で楽しい音楽会をしていますのでと、口上を若菜さんと未来君が投げかける、口上は空に立ち昇って消えるがごとし、老婆は無反応のままだった。しばらくすすんで、表にでた。ここは歓楽街の通りなのであるが、まだひっそりと店は眠っていた。閑散としたコンビニのまえで立ち止まったとき、向かうから真っ赤なTシャツにハーモニカをささえた器具を首まわりに装着した男性が、近づいてきた。若菜さんがあらあ、そのハーモニカ吹いてえと声をかけると、かれは、どんどんちかづいてきて「いい音が聞こえてくるので、おもわずやってきたんだけど、ちんどんやさんだったのかあ」と感にいったようで、とたんにぼくに気がついて、わあっと大きな声で手を差し伸べてきた。レゲーバンド、神谷君と14年前「完全宮崎主義」のイベントをやったせいごう君であった。かくして、雑炊の「せいごう」店まえで、かれのジャンベと若菜一座のちんどんのコラボレーションがはじまった。さすがに立ち止まる通行人がおおくなっていった。 これはもっと長くやりたかったのだが、一曲やって仕事にもどり、ふたたび公園へとちんどんしながら帰りついたのであった。

 目にしたのは、空っぽの椅子、歌詞を書いた紙はこんどは下に置かれて、黒板にはもはや一枚しかなかった。聞いている人は3人の中年男女だけ、そこで景気づけにぼくらが手拍子でステージの3人を元気づけるしかなかった。かれの姿はどこにもなかった。それでもパーカッションや電子オルガンに合わせていると、気分は陽気になり、男姿の歌手ははりきりまくっており、とうとう若菜さんもわたしも歌うと加わっていった。そしてもりあがって消滅した。それからギターと歌手があらわれ、すごくまじめなクラシック歌曲を始めるのだった。そして、だれもいなくなってきた。花吹雪一座も、ぼくも退場することにした。まだ歌曲を歌い続ける初老の男女二人つれは、夢見るように歌いつづけて止めようとはしなかった。かれは姿をみせなかった。

 いまここにかれの作成した、会場案内図がある。b4の用紙にボールペンで会場周辺の地図が書いてある。その上に街路の写真が2枚貼付されている。点線による周遊の道筋がある。主な店名があり、そして左下に「こども縮尺」というスケールが描かれ、自分の名前と60歳とある。0を小さくしたのは6歳のこどもという意味であろう。この縮尺が地図上でなにを意味しているのかわからない。いやこの見取図そのものがなにを意味するのか、どういう目的の図なのかも理解できない。しかし、ただすごいなにかをやるという息吹、情熱があり、かれにはこの見取り図が完璧な意味としてあるのだということだけは、否定しようもなく理解できる。

 ぼくらは今回もかれのおかげと、さらにかれの猛烈な働きで楽しい日曜の午後を過ごすことができた。この楽しみが、かれのいう町内会に広がっていくことをねがわずにはおれない。こんどで、彼は懲りるのであろうか。たぶん、こりないはずである。

 

 

 


 
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忘れられた場所&コト=刺激あり 第一回の2

2009-06-10 | 生き方
 書きたいことはぞくぞく集合してきているのだが、薬剤師さんのことを、その名誉のためにもう一回つづけて書こう。といって名誉になるかどうかは、はなはだ心もとないけど。

 薬剤師の米国における高い地位を習っていた薬剤師の彼女はいつも研究者のように仕事の合間には薬品棚をまえにしてなにかをしている。彼女に言わせると、記録をとったりとすることなど、仕事はいっぱいという。背も高く、まだ大学院生といった印象の若い主婦である。そこで、もう一人の薬剤師さんに登場してもらう。彼女は小柄で、子顔でハーフと間違われることもあるらしい。バンコク、バリ島、ベトナムと旅行を楽しみ、スキューバダイビング,映画、音楽と生活を楽しんでいるから、薬剤師というじみな仕事にあわない感じである。明るさ、人懐っこさが患者さんにはいい効果をもたらすかもしれない。血液型はB型でなくやはりA型だという。じつは人見知りですというのだ。

 薬の調剤のほかになにがあるのかと、失礼な質問をすると、笑いながら、こたえてくれたのは、以下の物語である。

 医師のほうからも、この新薬は副作用はあるだろうかとか、同じ薬剤でありながら同じ商品名の薬の差とかありますね。副作用については、こちらから説明をすることもあります。とくに他の薬との取り合わせで生じる副作用なのはとくに。ときには、そんなことは知っているという不快感を与えもしますね。
 
 いいえ、こういうやりとりはときどきという程度です。この前、一人の患者さんが、服用で湿疹が出たといわれたので、これは副作用とわかったので、すぐに医師に連絡し、代わりの薬品をもうしあげたら、それにしましょうと、変えてもらえました。ところが、次回にみえたとき、また、もとにもどっていたのです。それはすぐにわかります、毎回の詳しい処方記録が記載されているので、これをみて、あ、これはと気づくのです。

 それで、すぐに連絡したのですが、連絡がとれなかったので私は前回の薬を差し上げたわけです。そこですぐにそのことを医師につたえようとしても、電話は、医師でなくその病院の薬事課でとどめられて、薬事課が連絡してくださって、はじめて連絡がおわるのです。結局、連絡なしでその日は終りました。直接連絡がとれる病院ももちろんあります。でもそこはね。

 そういう変更は、ほんとうは、「疑義照会」がいります。お互いの了解ですね。でも、患者さんが目の前に待っているし時間はないのに、連絡はとれないということでしたから、お薬を渡したのです。翌日、医師と連絡がとれ、了承してもらえたのですが、私は、疑義照会なしの行為として叱責されてしまいました。こんなときは落ち込んでしまいます。

 という話であった。まず、薬剤師の投薬への判断は、厳しく制限されているのがわかる。たしかに現状で、薬剤師が勝手な判断することは、危険ではあろう。しかし、薬の専門医でない医師がかってに判断することは危険ではないのかと、ぼくは思う。薬の処方にも医師の個性があるといわれる。彼女はときどきコンサイス辞典のような薬品辞書と、錠剤の表面の記号をチェックして薬剤の性質を調べたりしているが、これほど薬剤は膨大な数量に上っているのだ。医師にすべて任せるのは、まちがいである。米国では薬剤師よりも医師の仕事評価はずーと下位でベスト20のなかの20位である。

 さて、今回の彼女に疑義照会違反の行為は、責められるべきであるのか。彼女の好意は、疑義照会ではないのではないか。ではなんなのか、といえば、「臨機応変」の処置というのだ。この臨機応変の能力がまったくないのが、日本人の大半の通弊だ。生真面目さというか組織隷属、社畜、小役人根性、ああ、これはたまらないことである。ときどきインドは東南アジアが恋しくなる。そこではすべてが、臨機応変で、それが社会を回している、結構、よく回るのである。






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忘れられた場所&コト=刺激あり 第一回

2009-06-06 | 生き方
 米国人の調査本がある。変わっているのは、面接によるアメリカ人の本音を聞きだしてまとめていることだ。セックス、暴力、社会、仕事と、統計や常識であらわれることとは、おどろくほどちがうどろどろしたこころのおくの隠された真実が覗かれ、魅惑する。調査は、大手の宣伝広告会社J・ウォルター・トンプソン社が市場調査の基礎資料としてまとめた邦訳「アメリカ人のホンネ」という本である。この調査は建前をひん剥いてハイド的本音をさらけ出したアメリカ人の真実であるという。

 そこで、セックスもおもしろいけど、「最高の職業と最悪の職業」をどう思っているのかを覗いてみた。

 その最悪の仕事20のなかでは、労働組合の指導者がワースト11位、映画スター18位、下院議員はもっと悪く7位、地方政治化は6位、売春婦5位のつぎとなり、どいつもこいつもそうそう、そうなんだわかるわかると笑ってしまう。

 ではもっとも尊敬する職業トップとは、なんだろうか。トップは消防士である。ついで救急救命士、3位が農業従事者である。では4位はなんだろう。ここで、消防士は2001のワールド貿易センターでの活動のおかげではなく、これは1992年調査のときでそうだったのだから、なかなかの的を得たホンネであるといえるわけだ。

 さて、この4位というのは「薬剤師」である。薬剤師!!思いもかんがえもしなかった職業である。なぜなんだろうと、ぼくはさっそく知人の薬剤師の女性に会いに行き、アメリカで4番目の職業はと聞いてみたら、薬剤師と答えられて逆ショックを受けたのであった。彼女は大学でアメリカでは薬剤師は第2位という尊敬される職業だと習ったというのであった。

 なぜ、そんなに尊敬されるのかというと、薬剤師は薬の選定に自分の診断をするからだというのであった。医師は、症状に必要な薬品を処方する。その薬品を含む商品となった薬は何百という種類の商品があり、ここからその人に一番いいと思える効能、価格までを判定できるのは薬の専門教育を6年間も学んだ薬剤師のほうが医師より勝っているはずだ。米国では薬剤師の専門性が保障されているわけである。

 わが国の薬局では、医師の処方箋に示された薬商品をまちがいなく棚から卸し、分量を量り、これは絶対まちがいなくおわり、かんたんな説明票とともに患者に手渡して終わりということになる。ただまちがいなくはかるだけで、なんで6年間の教育をうけねばならんのか。6年制になったのは、数年前なのだが、これではかっては女子の進学者が大半だったのに結婚が遅れるからと、薬学大学の女子志願者も減っているということだ。

 三日前だったか、NHK現代の映像で抗うつ病薬「SSRI」の副作用で暴力を誘発して犯罪を犯した事例があり、薬品の知識について、医師・看護師はもちろん、患者、家族もよく知って対処すべきだと、医事評論家の話を聞き出して、みんなで気をつけようと話が結ばれて終った。このとき、薬剤師のことは、なにひとつ触れられもしなく、話題にもならなかった。SSRIについて薬剤師などおってもいなくてもなんの関係もない、ただ量をはかって、まちがいなく渡したことで役目は終っているのだと、あらためて認識したのであった。

 まさに忘れられた職業ではないか。そういえば、日常生活にも薬剤師という存在を思い浮かべるひとは少ないのではないだろうか。小説にも映画にも薬剤師が登場した作品も思い浮かばないのだ。

 おうおうにして忘れられた場所&コトは、忘れられてはならぬ場所&コトであり、だから忘れた、忘れられたという愛惜・無念の念がわくのだろう。はやく忘れてしまいたたコトだけが旺盛にはびこっている現実の中に、ふと忘れられた場所・コトに出会うと、意識を刺激され、おもしろさを覚える。
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ちんどん屋さんと街路を行く  視線を浴びて

2009-06-01 | 生き方
 昼さがり、気温26度の裏町は、狭い道路を挟んでならんでいる飲み屋街も朝のように静かであった。しばらくして表通りに出てそのまま橘通り3丁目のまんなかに進んでいく。座長の若菜さんとは、未来君のことから話がはじまって、話題がつづいていた。
 
 「国際音楽祭で、何十億円も使ってきているけど、意味があるのでしょうかね。ぼくなんか、ちんどんやさんとこうして歩けることが、県民芸術劇場で、一流かどうかしらないけどクラシック音楽を聴いているよりも、生きる刺激をうけますけどねえ」

 「テント芝居の「どくんご」の一見、はちゃめちゃの動きは、コンピュータソフトのように組上げられ、技術化され、訓練の成果であるのが、若菜さんなら一瞬で見ていただけるでしょうからぜひ、未来君とみやざき臨海公園のテントに来場してください」

 「日常の生活とつながっているような芸術が、宮崎市にはなんでないんでしょうかね。なにかといえば、お上主導でメディア追従の芸術を崇め奉る、いやだなア、紙芝居、ちんどん 大道芸など、みんな消えてなくなったし」

 と話をふるたびに彼女は、即座に話を切り交えて返し、それは楽しい話が歩きながら弾んでいく。人がみえると、あっという間ににこにことあの特徴ある笑顔とゆらゆらとした、うごきのちんどんと、英心君のサキソホンが、身にしみる大衆音楽を吹き出していくのであった。ちんどん歩きが、こんな芸術論を交わしているというのは、ほんとはおかしいのかもしれない。ふとみまわすと、いつのまにか、主催のかれの姿も見当たらなくなっていた。どこで、なにをやらねばならないのか、ちんどんの、宣伝口上の仕事も消えているのにふと驚く。

 橘通りで踊りでる寸前にかれが現れたので、どこに行く、どこで演奏するのと聴くと、べつにどことは決めてない、それと届出をしてないのだけど、大丈夫かなと言いだしたのだ。そんなことは心配しなさんな、警察がきたら、ぼくが掛け合うからというと、じゃあ、頼みましたアアといって、ふたたび消えていった。そこでぼくは、バトンタッチして両デパート前を回って、ちんどん演奏をしながら、それから歓楽街を演奏しながら帰ろうよと、若菜さんや高校生に話して、ちんどん行列をすることになった。

 このときになって、はっと気づいたのだけれど、ぼく自身なんの緊張もしてないことだった。これまでもどくんごと、宣伝行列をしたこともなんどかあったが、かれらは、その異形さといい、演劇で鍛えられた向上や身体性で、大衆の注目を集められるのではあったが、どうもいっしょにいて、緊張するのだった。ひとびとの視線が、きつかった。なにか説明しなければという焦りを覚えて、いたたまれなく追い込まれる視線を感じた。しかし、ちんどんではまさによろこばれている。それにかれらはこっちを慈しんでいる、つまりかれらは、自分の優位性に安心できる。そこから、かれらは、ぼくらをやさしさで包んでくれる。尊敬のかわりに愛をそそいている。

 そういうわけで、午後4時ごろ公園にかえりつくまで非常に楽しいちんどん行列であった。帰ると、もう公園には誰一人見当たらず、ちんどんについてきた人はだれひとりおらず、高校生もげんなりとした様子であり、午後4時からの行事は、参加者不在であっさり終幕となった。

 ぼくは若菜さんや、英心さんや未来君と会えて話せておおいに成果のある午後であった。若菜さんも喜んでいた。それで、かれはどうだったのか。かれにとっては、ここ何十日かの猛烈な企画から実現への日々、そして、本番がもりあがることなく消え、期待の町内会はなしの夜を迎えたことになった。では、今日はかれにとっては、なんだったのだろうかと、思いつつ会場をあとにしたのであった。数時間後、かれから電話がきた。めげているどころか、これからですわと意気すこぶる高かった。まずは一安心であった。かれもやりたいことをやったのだと知った。
 



















 



 

 

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