市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

お盆休み、世界の中心で『ここだ』を叫ぶ

2015-08-12 | 生き方
 
 新鮮なにがごりを、両親が育てたと職員の看護師さんが、プレゼントしてくれた。今日は街中
をぶらつくので、明日もってかえるから、スタッフ室の冷蔵庫へ入れてくださいと頼んだら、皆
が、明日から盆休みですよといっせいに言い出した。えっ盆休み!だったのかと、おどろいたわ
けであった。そのあと、なにかもうけた気分になっている。明日の木曜日から日曜日まで休みに
なったのだ。

 ところで、なにをしようか、なにをすべきかと、この日曜日の塊が、そのままにはしておけない
気分になりだした。春に行った臼杵市にまた行くか、熊本の現代美術館か、福岡市か、あるいは鉄
道での九州一周か、韓国への3泊4日の旅行や台湾か、中国かと、いや、東京かと、考え出すのだが
手配も計画も、これからすると、一日がふっとんでしまうほど、手配がむずかしくなるようだ。
日帰りするしかないようである。ホテルは詰まっているだろう。


 旅行とすれば、韓国がいいかもしれない。今はわすれられていそうだから。だが、体力がない。家
内は、長距離の歩行はできない。観光地は、歩けなくては、おもしろくない。歩かずになにかをやれ
る、美術館だとか、演劇とか、映画とか、そんな観光となると、わざわざ観光地にいかなくても家の
なかで十分やれる。一日中テレビをみるとか、レンタルビデオをみるとか、読書だとかだ。
 
 この世の充実した遊びとは、どんな遊びなのだろうか。そうかんたんにおもいつけないのだ。ますは
体力と、かなりの努力がなければ手に入らぬもののようだ。あれをしようか、これをしようかと、迷い
かんがえだしてきたら、時間はどんどん経っていく。もう午前11時前になった。これでもし、300万円
でも、盆休みに使える一日平均のお金があったら、さらにぼくは、有効な休みの過ごし方にむかって、
ベターを求めて心労をしなければならなくなるだろう。幸いその必要はない。

 充実した盆休みの処し方などというめんどうな計画や実行は、もうかんがえるの止めた。時間の無駄
である。思えば世界の中心は、自分であり、自分の居場所が、世界の中心である。ということは、どこ
にいても、自分の位置が中心なのだ。ほかのところに行く必要はないわけである。今、ここで、盆休みを
愉しんでしまうことは、可能である。昼になった。今日は午後2時で終わる。が曇りだした。

 

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