市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

人間か、自動販売機か

2012-05-24 | 日常
 今朝、朝食の料理にかかつたら、大根が切れているのを思い出した。早速、歩いて5分のスーパーイオンマックバリュー(暮らし館)に行った。大根はまた高値2倍になってきていて、上下半分に切ったものが、それぞれ98円であった。おろし大根には、上半分と下半分のどちらが美味いのか、どっちだったか、急に思いだしたが、どちらがどうとは記憶にない。そこで、レジの女性に聞いてみることにした。
 
 「あのー大根は上と下では味が違いますよね?」
 「ええ、下のとがった部分は一番辛いです。」
 「上半分のほうが、すり大根(宮崎でのおろし大根)は上がいいでしょうか?」
 「上のほうにいくほど、水気が多くて柔らかい味がしますから・・」
 「そうか、じゃ上と替えてきますから」

 と、大根の笊にとってかえした。それにしても彼女には、数ヶ月前も、ピーマンの袋を持っていって、これ少し古くないですかと聞いたことがあった。すると彼女は、手でポット押して、これダメですといい、残っていた3袋をすぐに笊から取り出して引っ込めてしまったことがあった。あれから、ぼくはピーマンの新鮮さを硬さでみることになった。
 
 「でも、夏大根となると、どうしても渋みがでてきますよ」と、言い添えて大根をわたしながら、彼女はいい添えるのだった。
 「あなたには数ヶ月前、ピーマンの古いのを教えてもらったことがありました。今回も精しく教えてもらったです。」
 「精しくなんかないですよ・・」(笑い)
 「農学かなんか学んだことがあるのですか?」彼女は大学を卒業したばかりに思えたので聞いてみた。
 
 「いえ、お婆ちゃんが大根とピーマンを栽培しているので、しっているのですよ」
 「ああ、それなら本物だ!」

 どこのスーパーでもレジ係りの女性の前にはよく行列ができる。ぼくの見るかぎりで、レジの女性に声をかける客はほとんどない。まるで、目のまえにいて、会計をしている女性が、自動販売機のように感じるのか、始終無言のまま、顔もみずに黙って金銭のやり取りをして、立ち去る人はほとんである。どうもとか、ありがとうくらいは口にのぼらないのだろうか。もちろん、ぺらぺら、ぺらぺら話かけるのは、みっともないことではある。しかし、人間としての対面をしない、相手を機械とみることが可能になる感覚、そういうものが自然に出来てきているのではないかと思うのだ。

 これは、レストランでのウエイトレスのサービスについてもたびたび観察してきた。たとえば、典型的なものでは、トンカツ定食などで、つぎつぎのトンカツに添える、タレ、ゴマのすり鉢、漬物、キャベツがテーブルに運ばれ、さらに味噌汁の赤味噌かしろ味噌の選択、白ご飯か麦ご飯の選択と、ウエイトレスはかなりのサービスを手際よく説明し、選択を聞きとっていくのだが、その間を、顔も上げず、下を向いたまま、ほとんどうなずきもせず、赤、麦などの単語をぶっきらぼうに言うだけ、最後まで、ほとんど無言で押し通し、彼女がありがとうございましたと立ち去るやいなや、連れの仲間や相手とわーっとしゃべり始める光景をなんども見てきている。これは年齢、性別にかかわらず、そういう無言の客もかなりひんぱんに目にしてきている。

 黙っているのが、お上品とか、礼儀とかお客の威厳(立場)とかが、意識にあるのかとも思えるのだが、ぼくは、その態度はどうみても、思考停止の状態としか思えないのだ。だって、目の前にいるのは、自分にサービスしてくれる人間ではないかという判断を停止できるということは、思考停止、判断停止が、ごく自然にできないと、相手を黙殺しままでいることは、できないからである。

 これをあえて、脳死状態ということで言うことにしよう。さて、本題は、だから、人には礼儀正しくとか、絆が大切とか、そんな道徳を言おうとしているのではないのだ。なぜ人間無視の感覚、意識が醸成されるのか、これが一番問題なのだ。実は、これはダイハートだけがあれば、世界は完璧という意識の醸成と関係があると思えるのだ。このことは、他のさまざまのわれわれの行動に観察できる。脳死の実例は日常生活のあちこちで観察される。これが問題なのである。ぼちぼち、折にふれてこれらを取り上げてみようと思う。

 註:ダイハードは前々回のブログ「今年も連休ダイハード連想」を参照してほしい。
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2012年5月どくんごテント劇「太陽がいっぱい」 あなたを「いっぱい」にするもの

2012-05-16 | 演劇
5月12日(土)都城市神柱神社境内のテント劇団どくんご公演を観た。実行委員を黒テント公演(1986年)以来ともにやってきた盟友「しのぶちゃん」のバンで宮崎市から走ってきた。夕暮れの境内にテントは、電飾がすでに点灯して輝きを発していた。どくんごが、毎年、全国巡演をやれるようになって、4年目を迎えた。その間、芝居小屋としてのテントは祭礼の夜店、その夢、華やぎ、暖かさ、子どもの夢、冒険、欲望、自由を見事に放射する美的空間として洗練されてきていた。芝居が開幕する前に すでにまわりには芝居が始まっているように思えるのであった。

 今年の芝居「太陽がいっぱい」の役者は、五月うか、どいの、の他は2B、内田裕子、サンチョJr、たかはしようこが客員出演である。どいの(劇団代表)もここ10年以上演出をしていて役者を演じたことはなかったんで、かれも客演だともいえる。ステージのバックとなる垂れ幕には、港町やカフェ、花畑などが描かれ、絵本のように次々にめくられていく。物語は、背景に沿っているようで、そうでもなく、背景は音楽のように流れるにまかされているようにも、思えたが、それも正確ではないかもしれない。なにしろ年のせいか、台詞が聴きとれなくなったので・・・。役者は、その背景に出ては引っ込みを繰り返し、絶叫の台詞で身を捩じらせ、終幕へと速いテンポで進行していく。これまでの役者の華をみせるようなモノローグの見せ場はほとんどなくて、集団の演技がダンスのように会場にとどけられていた。初めはやや違和感を覚えたのであったが、やはりそこにはこれまでとの連続している芯が見えてくるのであった。

 その芯とは、テントである。そう、テント公演という形態である。芸術劇場とか、美術館とか、市民ホールやアートセンターという「ダイ・ハード」(大・ハードウエア)での公演ではないという形態ともいえる。20年以上もかれらの上演をひきうけてきたのも、テント劇に、ぼく自信もこだっわってきたし、かれらもテント芝居上演にこだわってきたのだ。テント芝居とは、ぼくにとって皮膚のようになじんだモノであり、違和感がないので、これがなんなのか論じてみることもなかった。ただ、今回、ふと、テントが、連続しており、今日も、かららとぼくを繋ぐものであったと、あらためて感じさせられてテントを意識してしまったのであった。テント公演とはいったいなんなのであろう。


 「テント」公演とは、なによりも意義申し立てオブジェクションである。これがます最初の根拠である。ダイ・ハードのなかで、ジャンクフードなみのありきたりの弁当やテレビの排出物を拾ってきたような地方ダイ・ハード公演をゲイジュツとかブンカとして大衆をたぶらかす税金浪費行動へのオブジェクションであると、ますは言ってもいいかもしれない。元々テント芝居は、60年代から70年初期の、唐十郎の赤テント、佐藤信の黒テント、その他さまざまの大小のテント劇団は、ダイ・ハードそのものを生む体制そのものの否定として、続けらていった。だが、70年代までにほとんどが消えていった。それは体制否定が、実効力を失ったからである。否定すべく体制のほうがより人間の欲望を満足させる安定的な保証、個人の欲望のかぎりなき保障に応じていったからである。血みどろの内ゲバまでをかかえた体制否定の運動は意味を喪失していかざるを得なかった。60年代から70年代初期にかけアングラといわれたテント芝居は、もはやノスタルジーのカウンターカルチャーでしかなくなった。そのなかでどくんごは、誕生したのである。1984年から1987年にかけてテントや野外で公演をつづけ1987年より全国テント旅公演をスタートさせた。

 この時代、1985年、日本は国民一人当たりのGDPがアメリカを抜いて世界一位になる。世界最大の債権国、金持ちとなり、一人一人のデザイア(欲望)は、果てしなく未来永劫に満たされると希望に溢れかえった。その源泉こそ金であり、大企業も主婦まで財テクが、なにより幸福への正道として精励した。まさにジャパンアズナンバーワンの豊かな時代であった。体制否定というイデオロギーなどとは無縁、国民の欲望は、思想、モノを超え、金こそ真実なりという時代であった。この時代背景で、テントはたしかに常識否定でありおどろくべき非日常へのこだわりとみられたことだろう。それは体制否定というよりも、わが道を行くの宣言であった。この80年末、金の狂奔したバブル経済は崩壊、やがて、2000年代には、「いくら働いても報われない時代」、国民の4人に1人が、生活保護水準になるとは、だれも想像もできなったろう。その意味でテント芝居は、2000年代を予兆する先駆性もあったといえる。だが、そのライフスタイルは、当初からじつに柔らかく、なめらかといえるほど、日常ともみごとにつながっている。これがどくんごが、示してきた基本的特色である。なぜ、常識と非常識、日常と非日常が、つながっているのか、これをひゆを使って説明してみよう。

 ブルーシートで出来たホームレス人の家もテントである。建築家の坂口恭平は、東京都内に棲息する無数のそれらを0円ハウス0円生活として密着取材し、写真に収め、内部を建築設計家の目で図にして、ホームレスは理想の家をもっているとまで、憧憬のまなざしで本「TOKYO 0円ハウス0円生活」(2008年発行)にまとめている。この0円とあるように、欲望の充足を金に依存せずに実現している生活を賞賛するのである。つづけて翌年2009年、坂口は「TOKYO一坪遺産」で、一坪という極小空間で営まれる多種多様の建築物を探って報告している。たとえば一坪の売店宝くじ売り場などに視点をあてながら大都市における極小空間の機能性や、完全性の可能性をあきらかにしていく。

 この空間へ惹かれる坂口の原点は、かれの語るところによると、3人兄弟にあたえられていた子ども部屋で、自分だけの空間を作った実験からきている。そのとき、かれは机に毛布をかぶせて、机の下にできた空間にもぐりこみ、イスを机がわりにし、スタンドを置いて勉強部屋に変えることに成功したのであった。その快適さが、かれを歓喜させた。大きなモノは要らない、まわりは自分の手足のようにコントロールできると実感を語っている。この回想を読んだとき、ただちにぼくが思ったことは、この机の下を利用したミニハウスは、住居という建物が確固として建っているから出来た現実ではないかということであった。道路脇に、毛布をかぶせた机の勉強部屋は出来ない。おなじようにブルーシートハウスを住居とするには、巨大都市の空間があるからこそできることである。宮崎市街ではそんなことは不可能である。

 さて、この比ゆは、テントは体制を利用してこそ建てられるということである。体制に変わる未来の姿ではないのである。テント劇は新しい体制を、資本主義体制に代わる未来体制を示唆するものでもないし、そのような体制への探検でもないのだ。かってのテント運動の体制否定の未来志向とは関係のなことである。では住宅を利用して、別空間を作ったこども部屋や、ホームレス住居と大都市の関係は、寄生関係なのか。テント劇団もホームレスも体制内寄生虫なのか、利用しているという点では、寄生であるが、家や東京から栄養を奪い取って、寄生主を弱らせる機能などありえない。あえて言うなら共棲である。その共棲によって、ヤドカリはなにを生み出すのか・・・?ここで、もう一例のミニハウスを挙げてみよう。先月、ぼくは数年ぶりで、綾の川野幸三氏に会った。かれもまた、ここ数年、どくんご上演実行委員長をやっていたのだ。かれの工場を移転して作業場と展示商店を作ったという写真が興味があり訪問したのだ。そのとき、かれがいま一番製品として興味をもっているという作品を見せたいというのであった。

 それがミニハウスだった。木工創作家であるかれの作品は木材で人一人の座れる広さで座れば頭がとどくほどの天井高である。障子の開き戸があり、小机が備えられている。かれは、自分の部屋が欲しいなら、わざわざ増築するより、この箱の隠れ家でいいというのであった。木を通してはいる空気で気分が落ち着き、集中力も高まるという。これはキッドにしてだれでもかんたんに組み立てられるようにするのだというのだった。かれは建築家坂口の本については知らなかった。だが、ミニハウスの省エネ性、非日常の空間、身体に適合した空間の無駄のなさなどで、同じ体験を述べている。住宅や部屋という居住空間への常識をこえた提案、日常から非日常への移行の効率を語るのである。それは日常の否定ではなく、日常が別のものに変わる驚きと発見なのである。

 共棲によるテント劇場が、生み出すものは、まさに日常への見方の転換である。あるいはテントによって裁断された非日常的な空間の快楽である。開幕でサンチョJrがこのお芝居は、映画「太陽がいっぱい」とは何の関係もありません!(爆笑)「宴会で歌いおどりだと思ってみていだだけたら」と口上を述べたが、宴会の日本人社会ではなくて、なんどもいってきたようにサバトか、ワルキブスの夜に匹敵できるようだ。つまり表にたいしての裏の快楽を感じさせるようになっている。つまりこの日常では満足できない、歓びの空間であるのだ。ゆえにそれはオブジェクションであるのだが、体制の変革ではなく、個人の変革である。なによりもそれは、快楽を保障する、つまり欲望を担保するものが「金」への依存でないことを、かれらの実態として爆発させていることである。金へのエネルギーでなく金否定のエネルギーがテントに充満し、テントそのものもダイハードと比して、それを象徴しているのである。その意味で、魔女的であり、誘惑的であり、魅惑の夜となる。しかし、この一夜こそひと時ではあるが、人生をリセットしてしまう。

 欲望・資本主義は、金への果てしない欲望であり、それは世界の隅々まで、一定のライフスタイル、生産様式、都市構造と画一化に歯止めが利かなくなっている。どこもかしこも同じ風景である。同じ明るさ、同じ匂い、同じ色、同じライフスタイル、同じ判断と行動に取り込まれている。変わったものに意識は向かない。意識はテレビで示されたものにしか向かない、貧困も格差もこれによって救われるという虚妄の時代がなおつづく。テントはその時代に一つのアナを空けてみせるともいえよう。それがテントの意味である。
 

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今年2012年の連休 終わる  まあいいか(たいしたことはない)

2012-05-08 | 日常
 連休も毎日快晴に恵まれ、終わった。温泉は、青井岳も国民休暇村カエダ温泉も、夜も昼も満員であった。このごろはいくら人が多くても、慣れてしまって平然と楽しめるようになった。みんな貧乏になったのだろうと思う。近場で安上がりのレジャーを楽しんでいる。金は不安な将来に備えて貯めていくのかもしれない。国が貧乏になるというのは、近場の温泉で実感できるようだ。
 
 連休の2日目、久しぶりに中心市街地に自転車ででかけた。山形屋デパートの駐輪所に自転車を止め、とりあえず路地にもぐりこんだ。と「占い 心のお地蔵さん」という看板が軒下の板壁にあり、並んで右に黄色い字で「占 心のお地蔵さん 痛み取り」という看板、左に今度は横書きで「料金表 鑑定料(30分)占 \2000 おはらい(痛み取り込)\2000」と明快な表示があった。看板のデザインといい文句といい、どこか雑貨店風な、カフェ風な明るさが格子戸の上の壁に3枚並んでいた。思わずカメラをむけていると、ガラリと格子戸が開いて、占い師がぬっと現れて、ぼくの顔をみたので、珍しい看板なので撮影させてもらいましたと、とっさに口にしたのだ。言い訳にもならぬ言葉ではあったが、彼は、そんなことはどうでもいいというあっさりした表情で、いきなりというか、唐突というべきか、
 
 「昨日は桜島の噴火で、迫力がありました」と話しかけるのだった。聞けば桜島の南側でまともに灰をかぶったという。そこ   に、願いが適う温泉があり、入っていたら、どえらい灰が降ってきてと、語りだしたのだ。
 「その池は温泉でして、こんな大きな(両手を広げて)樹の根が岸の樹から池に何本も入り込んでいるんです。温泉は混浴でし  てね、ホテルの庭になっていまして、泊まり客はこの池に来ているわけです。人のくぐれるくらいの鳥居があって、両手を合  わせて祈り、それから入るのです。混浴ですよ。男も女もみんなすっぽんぽんになって、白い浴衣に着替えて池に浸かるので  す。全国から人がきますよ。いつも盛況のようです。火山灰は、ここを直撃してきたのです」と話がつづいた。

  ぼくもなぜ街をとるのか、この路地が当たり一面草地であったことや、近くの文化ストリートにタロット占にヒッピー風な男性がいたことなどをしゃべっていった。それにしても、かれはとても占い師という風采に見えず、銀行の支店長か、デパートの売り場課長にしか見えない、背広にネクタイの紳士であった。
 
 「街を撮ってまわられるとは、素晴らしい趣味ですね」
 「いや、そんな高尚なもんじゃありません。街といっても、崩壊したもの、もう役に立たなくなって捨てられたも同然の廃物、  もっていきようもない残骸が、街に巣くっているもの・・そんなもんを探し出して、たとえば錆びくれたトタン壁、がたがた  の外壁の階段、剥がれまくった壁、歪んだドア、セメントのように固まってしまった庭、軒下の破れたガラス窓、何本もかた  められたビニール傘の把などなど、こんなものがすきなんでしてねえ」
  というような話を返して店先を辞した。

 あれから、シャッター通りでは露天市場が並び、その露天に引かれた人が歩いていた。いかにも都会風な若者が軽食やジュースを連れの女性と売っていた。そのあまりのハンサムぶりに声をかけると、きれいな標準語で返答する。ふと思い出して、サーファーですかというと、そうですと答えて微笑んだ。どこの出身ときくと、宮崎市ですと聞き、へえ、宮崎人も変わってきているのだとおどろいた。かれの屋台の正面の2階で、小さなカフェをやっているんですというので、じゃ近く寄りましょうと約して、分かれた。

 上品といえば垢抜けた食品スーパーもある。家内がりんごの美味しいのと、ランチに巻き寿司を買ってきて欲しいというので、また自転車でこの店にまでいたり、店に入った。リンゴは一個480円というのが綺麗に積まれていた。ほかに安いのはないかと探したが無い、結局買うのを止めた。巻き寿司はパックで綺麗に10切れほど並んで、780円、これも高いようだが、ほかにはないかと移動してみつからず、ふたたび、このパックを手にとって眺めていると、中年の女店員が親切に巻いたのもありますよと言ってくれたので、それ半分だけくださいというと、半分はないです、じゃあ一本、いくらですか、400円ですけど、ではくださいと、これをもらった。すると、10個に切られ真ん中にふた切れが横に重ねられて左右に4切れずつ並んで、パックに治まっていた。780円のパックは全部は横になっていたが、そちらはなぜ780円もするのだろうかと、いや、これは品が落ちるのかも、売れ残りかとちょっと不安だった。しかし、これは美味い巻き寿司だとあとで家内と賞味したのであった。

 ここを出て、ふたたび山形屋交差点で信号待ちしていると、チラシを配っていた女性が、すっと寄ってきて、近く公開するこの映画をぜひごらんくださいとさしだした。上映はキネマ館だという。
 
 「映画の主催者は、あなたたちですか」
 「そうです。やっと借りられました。今、日本は大変なことになっています。この映画はこんな状況で、どうすればいいのか、  訴えていますから」
 「日本人は今、なんもかんがえない。批判的に判断できない、大変ですよね」
 「そうです、そうです。アンケートに回答していただけると、抽選で商品もおくりますけど」
 「いや、商品など入らない、映画は興味を引きますね」
 「ぜひ、ぜひ、あなたのような立派な方に、みていただきたいのです。署名をいただけないでしょうか」
 「しません。人にも組織にも興味がないのです。しかしこの映画は見ます」
 「わーうれしい、立派な方にみてもらえるとは、ほんとに良かったです!」
 その正直そうな満面の笑みを浮かべた、映画などという遊び人の雰囲気のぜんぜんない中年叔母さんをみながら、よっぽど観客動員に苦労しているのかなと、思うのであった。
 
 手渡されたチラシによると、映画は「ファイナル・ジャッジメント」ストーリイは、近未来、アジアの軍事独裁国家オラウンに占領された日本人とオウラン人をも救うためにヒーロー鷲尾正悟が、その役割(Role)に自分を捧げルために行動を起こすとある。なるほど正悟とは、悟るじゃね、いさなんか説教くさい、悟れよ日本人かな、「日本取り戻せ」という大きくコピーがあり、「いつのまにか日本が占領されている」というコピーも並び、悟りの足りぬ日本人の不幸を警告している。たしかに今様ではある。「日本占領」で検索すると、リバティ・ウエブというサイトで、ニュースやオピニオンをタイムリーに読むことができるともある。6月2日(土)全国ロードショー、しかし時間も料金もかかれてない。監督も出演者も製作者もない。よっぽど不慣れで、どしろうとの上演実行委員会であろうか。ただ切実さだけがほとばしっている。

 これとはまったく別の趣で、5月12日(土)都城市神柱神社境内のテント芝居どくんご「太陽がいっぱい」が公演される。この一夜をワルキブスの夜と楽しめそう。去年、ここで会ったかってぼくの批評をよろこんでくれたアマチュア劇団のかれも来ていた。この公演の後、まもなく懲戒免職になったのだが、そんなこととは梅雨しらず、ぼくは再会を喜んだのに、かれは、いつのまにか、いち早く帰っていったようだった。今までこんなことはなかったのにと不思議であった。そうか、その夜、彼は不安を抱え込んでいたのだと、後でわかった。人生、明日はどうなるか、実はだれもしらないのだ。すべては偶然の手にゆだねられている、のかもしれない。

 かくして、ことしのゴールデンウィークは、まあまあの体で過ごすことができたのである。平穏に感謝すべきであろう。
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