市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

シルバーウィークの日々 壊れた街を楽しむ

2009-09-29 | Weblog
 ここ5年、中心商店街が、つぎつぎと壊れていった。ほとんどが、美しくしようとして、アーケートを撤去したり、道路を拡張したり、舗装道路に変えたりして、なんとも空ろな街路に変わっていっている。橘通りに始まり、青空市場周辺、駅前商店街、大成銀天街、若草通りと、美しくするたびに、つまりシンガポール幻想化するたびに壊れていった。それでもまだシンガポール幻想にしがみつく。







 美しくする前と後を写真で並べてみた。大空市場などは、たしかに汚れて、ごみごみしている、しかし、これが味がある。あの青い看板は、いわくいいがたい下手うま的な味わい、庶民のエネルギーさへかんじられるのではないか。このえねるぎーこそ市場が伝統的にはっしていたものだ。昭和30年代の同じ場所のこの熱気、こうなると、街を美とか醜とかで判断するのは、大きなまちがいであることが理解できよう。ここにはひとびとの生きる姿があり、熱気があり、ライフスタイルがある。まさに文化があり、それがアートとなっている。

 街角とは、まさに人がおってこそ街角である。街は劇場といわれる。劇場がひとびとを活気付け、楽しませる。現在のように人の生命が耐えた商店街。それは美
とはいえない。それはおくりびとによって、整えられた懐かしきわか街の美でしかない。これはみるのも感じるのも辛い。以下の若草通りの同じ場所が、人々がいるといないとでは、これほまでに違う。街の美とはなにか、シンガポール幻想とはなにか、街は癌であえぎながらうったえているがごとしであった




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