市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

記号「大江健三郎」の「壁」 その仕組み

2009-03-13 | 芸術文化
 さてつづけよう。大江のエッセイ「定義集」のきわだつ特徴は、意図的にされるあいまいさである。

 昨日の引用「石川啄木に始まる時代区分だから・・・」で段落が変わり、最後の「・・・」のつづきは、こうだ。「ある朝、新しく増刷されたちくま学芸文庫版の広告を見て、胸騒ぎがしました。」とつづき、それという文庫本を購入して、帰りの電車で「自分についての有り難い論評を読み」となる。ここでだれしも「有り難い論評」とはなんなのか、それはどの本のどこに載ってるかがエッセイを理解するに必要と思うだろう。しかし、すぐつづくのは「私はそこを読んだ後だったら、晩年の加藤さんに『九条の会』でお会いしても、こちらから気軽に話しかける勇気はなかったろうと、思いました。」となる。この意味、わかるものがいるのだろうか。『有り難い論評』はなんだったのか、なぜ『九条の会』で、晩年のかれに気軽に話かけられなかったと思ったのか。ここで推量するのは、この九条の会という言葉で自分と加藤の社会コミットを示しているとの顕示であろう。結局、「・・・」の後はなんなのか、不明のままつぎに移る。

 まあ、それでもここからいよいよ、定義集のメインのコンテンツが述べられだす。ここのテーマは、どうも自分の思い込みと加藤さんの定義にズレがあるから、単語は辞書にあたっていると言うことらしい。ここで、『分化』という言葉が広辞苑でどう定義されているかが詳しく引用されている。アカデミックというのか、微細な定義が、だんだん広辞苑なのか、大江の解釈なのか、加藤の定義なのか混沌としてくる。
 
 そして、『分化』とは自分にとってどんな意味?と考え、『次の最初の転換期で分化という言葉がこう使われるのを、しっかり受け止めたのでした。」とおわる。ここも次の転換期でとはなにを意味するのか。とりあえず、その部分が引用あれているの一部だけ孫引きしてみる。「後世日本文化の世界観的基礎は、その淵源を奈良朝以前にまでさかのぼることができる。しかしその世界観的枠組みのなかで、分化した分化現象の多くの型や傾向、世にいわれる文化的伝統の具体的側面の大きな部分(しかしもちろん全部ではない)は、九世紀までさかのぼることができて、九世紀以前にさかのぼることはできない。」と、ここで分化が登場した。
 
 この引用にもはっきりしないあいまいな表現はままあるが、さきにすすもう。「ようやく最近あまり見かけない言葉を、加藤さんが自然に使って、私らに今日の社会への反省を導かれる例も多くあります」として、さらに展開する。その節も意味がとらえにくいが、どうやら流行言葉を歪曲し愚民政策をやっているということを批判することにつながる。ここまでくると、加藤の自分についての論評は消滅、なんだったのか、またこのエッセイの冒頭にいわれていた加藤氏の「新聞の訃報が柔らかい敬意に充ちているのに共感しながら、ひとつだけ訂正を申し込もうかと考えました。」という展開は、途中で捨てられてしまっている。

 そして、最終節で結局、「加藤さんが啄木のその時代(一九一0年前後)の閉塞への批判を強く評価される文節を思いました。」とし、今の若者が「ふさがれた社会を見つめ打ち開く方向に出て行かず、自らを閉じれば、暴発よりほかにないと思い詰める不幸はさらに続くでしょう。」と終るのである。

 若者に思いつめるな、とざされた社会を打ち開く方向に出て行けということを提言したかったのだろうか。この部分が全体の韜晦なる展開と何の関係があるのだろうか。こんな結論など、いまならだれだって言ってることではないか。たったこれだけのために、本を色鉛筆で極彩色になるまで熟読したのだろうか。

 思うことは、その教養主義の執拗さである。ぼくは本に書き込まない。いつかは他人の手に渡っていくからだ。それに「アンダーグラウンド」にしても色鉛筆で筋をつけた瞬間に全体が消し飛んでしまう。そうした本は無数にある。全体はやわらいバランスでできている本がある。さらにマンガを色鉛筆で書き込みなら読書することなどかんがえられない。携帯小説は、あるいはウイアム・ギブソンの「ニューロナンサー」その他のエンターテイメント、そして東浩紀の「動物化する世界の中で」の批評対談は。一期に読みぬける経済書の多くなどなど。

 色鉛筆での読書の熟読が真実を明かす唯一の読書法ではない。それはある意味で終った時代の読書でもあるのだ。「ちくま学芸文庫版」などというまえにその文庫本の「タイトル」を明確に言うのが筋だろう。つまり、ここにあるのは、教養芸術をという壁である。幸いにしてもはやそんな壁のやくにたたなくなった、終った時代になったのではないか。いたずらなる教養という壁は、知識人の明晰でないことを回避する、暇つぶしではないのか、そう思うのである。

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記号「大江健三郎」の「壁」 その仕組み

2009-03-13 | 芸術文化
 さてつづけよう。大江のエッセイ「定義集」のきわだつ特徴は、「石川啄木に始まる時代区分だから・・・」で段落が変わり、「ある朝、新しく増刷されたちくま学芸文庫版の広告を見て、胸騒ぎがしました。」とつづき、それという文庫本を購入して、帰りの電車で「自分についての有り難い論評を読み」となる。ここでだれしも「有り難い論評」とはなんなのか、それはどの本のどこに載ってるかがエッセイを理解するに必要と思うだろう。しかし、すぐつづくのは「私はそこを読んだ後だったら、晩年の加藤さんに『九条の会』でお会いしても、こちらから気軽に話しかける勇気はなかったろうと、思いました。」となる。この意味、わかるものがいるのだろうか。『有り難い論評』はなんだったのか、なぜ『九条の会』で、晩年のかれに気軽に話かけられなかったと思ったのか。ここで推量するのは、この九条の会という言葉で自分と加藤の社会コミットを示していると主張である。

 ここからいよいよ、定義集のメインのコンテンツが述べられだす。ここのテーマは、どうも自分の思い込みと加藤さんの定義にズレがあるから、単語は辞書にあたっていると言うことらしい。ここで、『分化』という言葉が広辞苑でどう定義されているかが詳しく引用されている。アカデミックというのか、微細な定義が、だんだん広辞苑なのか、大江の解釈なのか、加藤の定義なのか混沌としてくる。
 
 そして、『分化』とは自分にとってどんな意味?と考え、『次の最初の転換期で分化という言葉がこう使われるのを、しっかり受け止めたのでした。」とおわる。ここも次の転換期でとはなにを意味するのか。とりあえず、その部分が引用あれているの一部だけ孫引きしてみる。「後世日本文化の世界観的基礎は、その淵源を奈良朝以前にまでさかのぼることができる。しかしその世界観的枠組みのなかで、分化した分化現象の多くの型や傾向、世にいわれる文化的伝統の具体的側面の大きな部分(しかしもちろん全部ではない)は、九世紀までさかのぼることができて、九世紀以前にさかのぼることはできない。」と、ここで分化が登場した。
 
 この引用にもはっきりしないあいまいな表現はままあるが、さきにすすもう。「ようやく最近あまり見かけない言葉を、加藤さんが自然に使って、私らに今日の社会への反省を導かれる例も多くあります」として、さらに展開する。その節も意味がとらえにくいが、どうやら流行言葉を歪曲し愚民政策をやっているということを批判することにつながる。ここまでくると、加藤の自分についての論評は消滅、なんだったのか、またこのエッセイの冒頭にいわれていた加藤氏の「新聞の訃報が柔らかい敬意に充ちているのに共感しながら、ひとつだけ訂正を申し込もうかと考えました。」という展開は、途中で捨てられてしまっている。

 そして、最終節で結局、「加藤さんが啄木のその時代(一九一0年前後)の閉塞への批判を強く評価される文節を思いました。」とし、今の若者が「ふさがれた社会を見つめ打ち開く方向に出て行かず、自らを閉じれば、暴発よりほかにないと思い詰める不幸はさらに続くでしょう。」と終るのである。

 若者に思いつめるな、とざされた社会を打ち開く方向に出て行けということを提言したかったのだろうか。この部分が全体の韜晦なる展開と何の関係があるのだろうか。こんな結論など、いまならだれだって言ってることではないか。たったこれだけのために、本を色鉛筆で極彩色になるまで熟読したのだろうか。

 思うことは、その教養主義の執拗さである。ぼくは本に書き込まない。いつかは他人の手に渡っていくからだ。それに「アンダーグラウンド」にしても色鉛筆で筋をつけた瞬間に全体が消し飛んでしまう。そうした本は無数にある。全体はやわらいバランスでできている本がある。さらにマンガを色鉛筆で書き込みなら読書することなどかんがえられない。携帯小説は、あるいはウイアム・ギブソンの「ニューロナンサー」その他のエンターテイメント、そして東浩紀の「動物化する世界の中で」の批評対談は。一期に読みぬける経済書の多くなどなど。

 色鉛筆での読書の熟読が真実を明かす唯一の読書法ではない。それはある意味で終った時代の読書でもあるのだ。「ちくま学芸文庫版」などというまえにその文庫本の「タイトル」を明確に言うのが筋だろう。つまり、ここにあるのは、教養芸術をという壁である。幸いにしてもはやそんな壁のやくにたたなくなった、終った時代になったのではないか。いたずらなる教養という壁は、知識人の明晰でないことを回避する、暇つぶしではないのか、そう思うのである。

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記号「大江健三郎」の「壁」

2009-03-12 | 文化一般
 大江が、新年に朝日新聞に発表した「定義集」というエッセイは、なんどよみかえしてもヘビがのたうつようなあいまいさで、いらいらさせられる。定義というのはそれこそ数字のような確定的言葉を簡潔に使って、ものごとの意味を決める文章である。そのまったく逆に、このエッセイはなっているのだ。

 どうも、エッセイは読書を厳密にするために言葉を辞書でたしかめながら読むという自分の習慣からはじまり、今読んでいるのが、亡くなった加藤周一の著作であるということになる。しかし、どの著作かはしめされない。ただ、唐突に「ひとつだけ訂正を申し込もうかと考えました。『日本文学史序説』が『万葉集』から大江まで扱う、とあるのは違うのじゃないか?自分は75年の初版から再読・三読し読むあびに色鉛筆を変えるので極彩色になったページがあるほどだけれど、下巻(80年)終わりの賞は石川啄木に始まる時代区分だから・・・」とある。しかも・・・でおわっている。なぜ・・・なのか。このあいまいさ。

 ここで、「日本文学史序説」だれの文章なのか、文学に詳しい人間なら、これが加藤周一の代表的著作とわかるだろうが、ぼくも記憶でしっているだけだ。はたしてそうか。この微妙なあいまいさは、じつは、これがわからぬ大衆などには、いや現在の若者もまたこの知識の壁ではねかえされる構造になっているのである。すべたはここから構築されている。このいやらしさが、「定義集」をなに意味がありそうで、しかも近寄りがたいという一見思想性をただよわしてくる。
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「アンダーグラウンド」 壁と卵

2009-03-10 | 文化一般
 村上春樹のドキュメント「アンダーグランド」を今年のスタートでろんじていたとき、かれのイスラエル文学賞授賞式で、「壁と卵」のたとえで、個人を殺すイスラエルの「壁」を批判したことは、おそろしいほどの現実感をぼくに与えてくれた。アンダーグラウンドをずーっとよんでいただけに村上春樹の壁と卵に比ゆは、卵がぐしゃリとつぶされるという瞬間までが、想像できるほど、実感され、それゆえに人間の尊厳までを破壊する暴力の存在を想像することができるのであった。

 それだけに、かれの言う個人という卵がぶっつかって破壊される「壁」、その壁がどんな正義をのべようと、私は絶対に「卵」の側に立つ。それが文学であり、壁に組する文学など、およそ文学でも、芸術でもないと断言した。その明晰さはじつに身がふるえるほどの感動を、あたえてくれたのだった。

 明晰さ、ごまかしのなさ、それがイスラエル賞授賞式の受賞スピーチの比類なき特色であろう。そして、じつは、この特色は、前回に引用した明石達夫さんの証言にもあり、他のアンダーグランドの62人の証言者にもいえることである。なぜそういうことが生じるのか。それはどうでもとれるような言い回しなど、言っているひまはないほど、切実な生の現実と絡み合っているからである。それと比べて、世の言説のなんとあいまいさがあることか。


 そこで、ぼくは、再び、大江健三郎の言説に戻ってみよう。新春のインタービュー番組でかれが答えた回答のアナクロニズムに大きな疑問を持ったのだが、どうじにかれは「定義集」というエッセイを朝日新聞に投稿している。「定義集」このタイトル自体が、なんの意味なのか、いかにも意味がありそうで、はたしてあるのかというポジションを取っているのだが、まさに内容もまた意味不明なものである。

 これが文学者のエッセイであると、いえるのか、どうか、どうだろうか。その文体は、まさにアンダーグラウンドとは対象的な晦渋さとあいまいさに満ちている。
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