さてつづけよう。大江のエッセイ「定義集」のきわだつ特徴は、意図的にされるあいまいさである。
昨日の引用「石川啄木に始まる時代区分だから・・・」で段落が変わり、最後の「・・・」のつづきは、こうだ。「ある朝、新しく増刷されたちくま学芸文庫版の広告を見て、胸騒ぎがしました。」とつづき、それという文庫本を購入して、帰りの電車で「自分についての有り難い論評を読み」となる。ここでだれしも「有り難い論評」とはなんなのか、それはどの本のどこに載ってるかがエッセイを理解するに必要と思うだろう。しかし、すぐつづくのは「私はそこを読んだ後だったら、晩年の加藤さんに『九条の会』でお会いしても、こちらから気軽に話しかける勇気はなかったろうと、思いました。」となる。この意味、わかるものがいるのだろうか。『有り難い論評』はなんだったのか、なぜ『九条の会』で、晩年のかれに気軽に話かけられなかったと思ったのか。ここで推量するのは、この九条の会という言葉で自分と加藤の社会コミットを示しているとの顕示であろう。結局、「・・・」の後はなんなのか、不明のままつぎに移る。
まあ、それでもここからいよいよ、定義集のメインのコンテンツが述べられだす。ここのテーマは、どうも自分の思い込みと加藤さんの定義にズレがあるから、単語は辞書にあたっていると言うことらしい。ここで、『分化』という言葉が広辞苑でどう定義されているかが詳しく引用されている。アカデミックというのか、微細な定義が、だんだん広辞苑なのか、大江の解釈なのか、加藤の定義なのか混沌としてくる。
そして、『分化』とは自分にとってどんな意味?と考え、『次の最初の転換期で分化という言葉がこう使われるのを、しっかり受け止めたのでした。」とおわる。ここも次の転換期でとはなにを意味するのか。とりあえず、その部分が引用あれているの一部だけ孫引きしてみる。「後世日本文化の世界観的基礎は、その淵源を奈良朝以前にまでさかのぼることができる。しかしその世界観的枠組みのなかで、分化した分化現象の多くの型や傾向、世にいわれる文化的伝統の具体的側面の大きな部分(しかしもちろん全部ではない)は、九世紀までさかのぼることができて、九世紀以前にさかのぼることはできない。」と、ここで分化が登場した。
この引用にもはっきりしないあいまいな表現はままあるが、さきにすすもう。「ようやく最近あまり見かけない言葉を、加藤さんが自然に使って、私らに今日の社会への反省を導かれる例も多くあります」として、さらに展開する。その節も意味がとらえにくいが、どうやら流行言葉を歪曲し愚民政策をやっているということを批判することにつながる。ここまでくると、加藤の自分についての論評は消滅、なんだったのか、またこのエッセイの冒頭にいわれていた加藤氏の「新聞の訃報が柔らかい敬意に充ちているのに共感しながら、ひとつだけ訂正を申し込もうかと考えました。」という展開は、途中で捨てられてしまっている。
そして、最終節で結局、「加藤さんが啄木のその時代(一九一0年前後)の閉塞への批判を強く評価される文節を思いました。」とし、今の若者が「ふさがれた社会を見つめ打ち開く方向に出て行かず、自らを閉じれば、暴発よりほかにないと思い詰める不幸はさらに続くでしょう。」と終るのである。
若者に思いつめるな、とざされた社会を打ち開く方向に出て行けということを提言したかったのだろうか。この部分が全体の韜晦なる展開と何の関係があるのだろうか。こんな結論など、いまならだれだって言ってることではないか。たったこれだけのために、本を色鉛筆で極彩色になるまで熟読したのだろうか。
思うことは、その教養主義の執拗さである。ぼくは本に書き込まない。いつかは他人の手に渡っていくからだ。それに「アンダーグラウンド」にしても色鉛筆で筋をつけた瞬間に全体が消し飛んでしまう。そうした本は無数にある。全体はやわらいバランスでできている本がある。さらにマンガを色鉛筆で書き込みなら読書することなどかんがえられない。携帯小説は、あるいはウイアム・ギブソンの「ニューロナンサー」その他のエンターテイメント、そして東浩紀の「動物化する世界の中で」の批評対談は。一期に読みぬける経済書の多くなどなど。
色鉛筆での読書の熟読が真実を明かす唯一の読書法ではない。それはある意味で終った時代の読書でもあるのだ。「ちくま学芸文庫版」などというまえにその文庫本の「タイトル」を明確に言うのが筋だろう。つまり、ここにあるのは、教養芸術をという壁である。幸いにしてもはやそんな壁のやくにたたなくなった、終った時代になったのではないか。いたずらなる教養という壁は、知識人の明晰でないことを回避する、暇つぶしではないのか、そう思うのである。
昨日の引用「石川啄木に始まる時代区分だから・・・」で段落が変わり、最後の「・・・」のつづきは、こうだ。「ある朝、新しく増刷されたちくま学芸文庫版の広告を見て、胸騒ぎがしました。」とつづき、それという文庫本を購入して、帰りの電車で「自分についての有り難い論評を読み」となる。ここでだれしも「有り難い論評」とはなんなのか、それはどの本のどこに載ってるかがエッセイを理解するに必要と思うだろう。しかし、すぐつづくのは「私はそこを読んだ後だったら、晩年の加藤さんに『九条の会』でお会いしても、こちらから気軽に話しかける勇気はなかったろうと、思いました。」となる。この意味、わかるものがいるのだろうか。『有り難い論評』はなんだったのか、なぜ『九条の会』で、晩年のかれに気軽に話かけられなかったと思ったのか。ここで推量するのは、この九条の会という言葉で自分と加藤の社会コミットを示しているとの顕示であろう。結局、「・・・」の後はなんなのか、不明のままつぎに移る。
まあ、それでもここからいよいよ、定義集のメインのコンテンツが述べられだす。ここのテーマは、どうも自分の思い込みと加藤さんの定義にズレがあるから、単語は辞書にあたっていると言うことらしい。ここで、『分化』という言葉が広辞苑でどう定義されているかが詳しく引用されている。アカデミックというのか、微細な定義が、だんだん広辞苑なのか、大江の解釈なのか、加藤の定義なのか混沌としてくる。
そして、『分化』とは自分にとってどんな意味?と考え、『次の最初の転換期で分化という言葉がこう使われるのを、しっかり受け止めたのでした。」とおわる。ここも次の転換期でとはなにを意味するのか。とりあえず、その部分が引用あれているの一部だけ孫引きしてみる。「後世日本文化の世界観的基礎は、その淵源を奈良朝以前にまでさかのぼることができる。しかしその世界観的枠組みのなかで、分化した分化現象の多くの型や傾向、世にいわれる文化的伝統の具体的側面の大きな部分(しかしもちろん全部ではない)は、九世紀までさかのぼることができて、九世紀以前にさかのぼることはできない。」と、ここで分化が登場した。
この引用にもはっきりしないあいまいな表現はままあるが、さきにすすもう。「ようやく最近あまり見かけない言葉を、加藤さんが自然に使って、私らに今日の社会への反省を導かれる例も多くあります」として、さらに展開する。その節も意味がとらえにくいが、どうやら流行言葉を歪曲し愚民政策をやっているということを批判することにつながる。ここまでくると、加藤の自分についての論評は消滅、なんだったのか、またこのエッセイの冒頭にいわれていた加藤氏の「新聞の訃報が柔らかい敬意に充ちているのに共感しながら、ひとつだけ訂正を申し込もうかと考えました。」という展開は、途中で捨てられてしまっている。
そして、最終節で結局、「加藤さんが啄木のその時代(一九一0年前後)の閉塞への批判を強く評価される文節を思いました。」とし、今の若者が「ふさがれた社会を見つめ打ち開く方向に出て行かず、自らを閉じれば、暴発よりほかにないと思い詰める不幸はさらに続くでしょう。」と終るのである。
若者に思いつめるな、とざされた社会を打ち開く方向に出て行けということを提言したかったのだろうか。この部分が全体の韜晦なる展開と何の関係があるのだろうか。こんな結論など、いまならだれだって言ってることではないか。たったこれだけのために、本を色鉛筆で極彩色になるまで熟読したのだろうか。
思うことは、その教養主義の執拗さである。ぼくは本に書き込まない。いつかは他人の手に渡っていくからだ。それに「アンダーグラウンド」にしても色鉛筆で筋をつけた瞬間に全体が消し飛んでしまう。そうした本は無数にある。全体はやわらいバランスでできている本がある。さらにマンガを色鉛筆で書き込みなら読書することなどかんがえられない。携帯小説は、あるいはウイアム・ギブソンの「ニューロナンサー」その他のエンターテイメント、そして東浩紀の「動物化する世界の中で」の批評対談は。一期に読みぬける経済書の多くなどなど。
色鉛筆での読書の熟読が真実を明かす唯一の読書法ではない。それはある意味で終った時代の読書でもあるのだ。「ちくま学芸文庫版」などというまえにその文庫本の「タイトル」を明確に言うのが筋だろう。つまり、ここにあるのは、教養芸術をという壁である。幸いにしてもはやそんな壁のやくにたたなくなった、終った時代になったのではないか。いたずらなる教養という壁は、知識人の明晰でないことを回避する、暇つぶしではないのか、そう思うのである。