市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

どくんごテント芝居OUFコンビニに出来(しゅったい)

2014-09-25 | 演劇
電話で知らされた。コンビニにならんだ雑誌の一つにどくんごが載ってる!と。雑誌名はなんというのですか、覚えてません、どこにのってるの、後ろのほう、小さくて、薄くて、文庫本なの、いや、やや大きいくらい、あ、PHPの本、女性の暮らし向け、テント芝居を観に行こうとありました。でも、お知らせしたらよろこばれるかもと・・、オーケーわかりました。ほとんどわからなかったけど、とにかく道路の向かいのセブン・イレブンに入ると、窓際の書架の端、入り口に近い位置に小ぶりの小冊子が3種類ならんでいた。PHPとあったんで、片端からみたが、広告などどこにも載ってない。新刊号でないのかもしれないと聞くと、この10月号で新刊です。なるほど、まだ9月であった。そこでまたみていくと、「毎日がもっと充実!朝時間・夜時間の過ごし方 すっきりお目覚め、夜はゆったりリラックス」と、表紙に大きなタイトルが並んだのが、見つかった。この中105ページにあった。それは広告でなくマンガだった。作者は森川弘子とあり「いつでも楽しく暮らしたい!」その7が、まんが「テント芝居を観に行こう!!」だったわけである。この雑誌のタイトルはPHP10月増刊号 くらしラク~る♪と右上にあった。奥付も同じで、通し名はなく、次号予告で、くらしラク~るとあったので、こえが正式雑誌名である。奥さん方よ、暮らしをラクに楽しくと、いうわけである。そこに「どくんご」が登場することになったというのが、じつにおもしろい。まさに、時代は変わったである。
 
テント芝居は面白い、無類の面白さ、あふれるエネルギー、この夜、夜時間がひっくり返る、さあ、行こうと、この20年こう言っては、チケット売ってきたのを思い出す。それにしてもマンガというのは、一瞬のことばをもって、どくんごテント芝居の雰囲気を、余さず捉え、納得させうると、感銘させられた。「歌あり踊りあり 話はあるようなないような」「今まで こんなの観たことない」とおどろきが、この一こまの両脇の吹き出しにある。そのことばが伝えたい、芝居の興奮が、このこまに描かれた役者のしぐさ、観客の仰天する顔、音、どよめきなどが描かれて、味わえるのだ。5ページ23こまのなかに、作者とどくんごテント芝居との出会いから、観る前と後、そして、彼女がはまったしまった心情、公演の追いかけ、かれらの全国移動の様子、鹿児島本拠地出水市の様子、そして今年のツアーまで、みごとにまとまっている。これを文章で書いてみよ、長くなり、雰囲気までは伝えがたい。まんがには、無縁であるが、その表現の機能にはおどろかされた。

 それにしても、森川弘子さんに1995年宮崎駅西口正面(駅改装工事中)での「トカワピー・クエンダワピー」や、1998年の旧タバコ専売公社跡地での「ノン・ノット・ア・ゴー・ゴー」のテント芝居を見てもらいたかったと残念だ。このことは、宮崎市民のだれかれについても言いうるのだが、あの驚天動地、無常・無類の強烈なテント芝居を、もうだれも二度と観ることは絶対にできないのである。生きていて魂の覚醒はめったにないし、その衝撃も、出会えることはないのである。こちらの言うことを信じてもらい、興味をもってもらえたら、これまでどれほどのラクをあなたたちは、味わえたことかと、残念でならない。最後に森川弘子楽天ブログに森川さんが並べたUFOの舞台写真は、美しい。ぜひ観てほしいものだ。
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平成14年度どくんご宮崎公演

2014-09-19 | 演劇
  今年もどくんごの季節がやってきた。11月16日日曜夜午後6時、宮崎駅西口前の「KITEN広場」が、会場だ。「OUF」という出し物である。OUFはUFOの文字の置き換え、この遊び感覚がいい。UFOにないニュアンス、ちらしにあるOUFに、思わず目がひっかかる。どくんごテント劇団も、新旧交替が、進み、新人の個性が羽ばたきだした。全国ツアーの第二日目、5月11日、本県都城市の神柱神社公演で見たが、繭から蛾が外に体を出してきた印象であった。蛾はそのまま雌のファエロモンを嗅ぎ出せて合体できるかどうか、楽しみである。

 しかしこの祝いの日から、梅雨 夏、秋とごちゃごちゃとなる、雨と泥の災害がつづいている。異常気象がふつうになると、他人事のようにワイド番組で言われる。あちこちで地球がやぶれ、大国、小国、戦争を起こし、止む気配もない。もうこの地上もだめなのか。このときOUFという異常物体が、われわれに接近、接触してきていると、思えよう。テント劇「太陽がいっぱい」(2012)「君の名は」(2013)の地上性つまり日々が暮らせる、懐かしいは、2014年、摩訶不思議にも、ゲリラ豪雨の巣から、地上を注視させられる事態となったというわけだ。これはどくんごの予言であったというのは、過剰反応かもしれないが、今年の現実を予言していたかのようである。この意味でも、今回の公演には新鮮味を感じたのであった。

 ほんと、テント劇場のことばを観てもらいたい。その匂いを舐めてほしい。ぼくの孫は団地の生きのびた一欠けらの林に基地を作り、遊ぶ。大人たちが、川原で料理を楽しむ。高齢者が、登山でテントに泊まる。日常の利便性から、わざわざ不便性へ赴く衝動をぼくらは遺伝子のなかに組み込まれている。その快楽を軽視してはいけない。劇団は公演「ただちに犬」のシリーズでは、犬小屋劇場と自称していたが、不便性に快楽を楽しむというのは、贅沢なのだ。真の贅沢。犬小屋の贅沢に目覚めよである。そうなれば、異常気象も大地震も、心配の種は一つ減ろうというものである。

 だが、しかし、おそらく今まで同様に、わけはわからないが、おもしろかったという強烈な印象につつまれるだろう。このごろ思うのだが、どくんごのテント劇の内容は何という問いに、わけがわからないが、おもしろいというのが、正真正銘の内容だということである。わけはわからない、うえにおもしろくもないという演劇でなく、おもしろくなっているという、この違い、飛躍、この本質、これが内容であると思う。もう一点忘れられないのは、「笑い」である。その笑いには、切実さがある。笑いながら泣いているのだ。さくらが咲いたとかどうかの説教ではなく、ただ泣く、この切実さ、あるいは情熱、これがテントを満たしていく。今年もまたこの一夜を楽しもう。
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