かれとは初対面であったが、奥さんは昔、喫茶店の娘さんだった。その彼女は、晩婚も晩婚、ついに結婚した。その夫君が、二人で暮らし始めたマンションの隣に、ロシアの大地のような寒々した苔むした泥土と雑草におおわれた公園があった。なぜここが公園と称されるのか、まるで、ゴミ捨て場であり、入るだけで心身が冷え込む心地で若者の溜まり場にもならなかった。都市公園のナンセンスさの見本として2003年ごろ撮影し、人を案内したこともあった。案内された彼女は、ぼくからなにかされそうな不安げな様子をしめしたことがあるほどだったのだ。
そこにかれは、何ヶ月もかかって、どろを平らげ、草をむしり花を植え、不法駐車の住民と喧嘩をくりかえし、車を排除し、議員をくどいて、行政に架設トイレを据えさせ、さらに耐熱塗装された見本の板を普通の塗料の板とならべて展示して環境問題をも訴えるという広場にしていった。マジックで描かれたたて看板には、これからクリスマスまでの毎月のイベント、英会話までもあるというてんこ盛りのスケジュールもはりだされていた。
どくんご訪問から帰った翌朝、電話で、奥さんからかれに知恵さずけてとあった。この日、最初のイベント、ちんどん屋さんのなつかしのメロディーを聴く会に、助けを求められてやってきたというわけであった。なにしろ、かれはイベント企画は、生まれて始めての経験だし、文化的イベントにお知恵をというのであった。文化、そんなもんなど、くそくらえだとおもったが、ちんどん屋さんには大賛成だったし、その新入りの「未来」君には言いたいことがあったので、駆けつけたのであった。
公園で、かれは十人はかりの高校生男女のボランティアに囲まれて興奮しまくっていた。手配が進むかどうか、人々がやってくるはずの公園まわりの清掃は終ってるのか、駐車場はうまくやれるのか、花壇はきれいになってるのか、ごみはないか、その他あれやこれやとしんぱいやふあんを、高校生にあびせかけ、叱咤してこき使っていた。そのかれにクールな反応でまといついたようにしながら、素直にいうことを聞いている高校生の姿、これまたおおきな意外性であった。どうやって教師でもないおっさんであるかれは、高校生を集めたのだろうか。なぜかれらはかくも素直なのであろうか。あるいは、かれを馬鹿にしているのか。わからない、それは。
この日の計画とは、こうなる、公園でちんどんさんと、居合わせた見物衆とがともに中心市街地を歩き、街路でなつかしのメロディを演奏する。そして聴衆になったかれらとともに、この公園に午後4時ごろに帰り着き、そこからカラオケ大会でもりあがろうとうのであった。しかもちんどん屋さんにはふつうの服装をしてもらうというのであった。電話口で聞いたのはこうであり、なんかよくわからない全体像であったのを、まとめてみると、こういうことになっていたのだ。まあ、どうなるか、ようはちんどんやさんにあえればいいのだと、ぼくは参加したのだ。
午後2時ごろ、あたりの空気はとつぜんざわめき、「花ふぶき一座」の真っ赤な洋服姿の3人組みが入ってきた。未来君は、ぼくの姿を見つけておおっと、おどろいた表情で気がついてくれた。座長の若菜さんは、口上で隣の老人専門病院の3階の窓にむかって、なつかしのメロディーを演奏しますのでと挨拶をした。たちまち演奏は始まった。あのヘタウマ的演奏はじつにいい。悲しみもよろこびもの情緒たっぷりで、ユーモアとあかるさと、疎外者の悲しみが漂いだしていった。その内側で太鼓をたたいて踊っている未来君を注視していったのである。
数ヶ月前にみたNHKのドキュメントで描かれた未来君を観て欲しいといわれ、観て、かれに動きがふつうのよっぱらいでは、ちんどんではないとアドバイズして、クイーンの不レディーマーキュリーのマイクふりまわしの動きを参考にと提案した。しかしなんの改善も進歩もあらわれてなかった。そこで言い出した。
「未来君、あんたの動きは、80パーセント無駄だ。師匠やサキソフォンの動きは、むだがないよね。あんたは酔っ払ってうごきだしているようなもんだ、ちんどんをする側でなく見て浮かれてしまった見物人の動きよ、太鼓にあわせて動くのでなくて、太鼓を自分の身体に合わせるべきと、でないと、道路に夢はひらかんとおもうよ」と、言い募っていると、
「そう、そうなの、どんどん言ってください、私でなく、他所の人からいわれるのが、ほんとに効き目があるんだから・・」
とつぜんのこの共感にうれしくなった。彼女に夕べみてかえった「どくんご」の身体性について伝えていくと、さすが、経験からすぐに理解してもらえて、うれしくなったのであった。
そのうち、いよいよ、中心市街地へむかって行進となり、われわれは公園から街路へでていった。そこでふとまわりをみると、ついてきたのは、高校生がややはなれて一団となり、かれの姿はなく、大人では、ぼくひとりであった。まあいいいか、こうなったらかれらとともにあれだと、気を高ぶらせるのだった。まあこんな経験もないわけでもないのだから、やるかという気分となった。
そこにかれは、何ヶ月もかかって、どろを平らげ、草をむしり花を植え、不法駐車の住民と喧嘩をくりかえし、車を排除し、議員をくどいて、行政に架設トイレを据えさせ、さらに耐熱塗装された見本の板を普通の塗料の板とならべて展示して環境問題をも訴えるという広場にしていった。マジックで描かれたたて看板には、これからクリスマスまでの毎月のイベント、英会話までもあるというてんこ盛りのスケジュールもはりだされていた。
どくんご訪問から帰った翌朝、電話で、奥さんからかれに知恵さずけてとあった。この日、最初のイベント、ちんどん屋さんのなつかしのメロディーを聴く会に、助けを求められてやってきたというわけであった。なにしろ、かれはイベント企画は、生まれて始めての経験だし、文化的イベントにお知恵をというのであった。文化、そんなもんなど、くそくらえだとおもったが、ちんどん屋さんには大賛成だったし、その新入りの「未来」君には言いたいことがあったので、駆けつけたのであった。
公園で、かれは十人はかりの高校生男女のボランティアに囲まれて興奮しまくっていた。手配が進むかどうか、人々がやってくるはずの公園まわりの清掃は終ってるのか、駐車場はうまくやれるのか、花壇はきれいになってるのか、ごみはないか、その他あれやこれやとしんぱいやふあんを、高校生にあびせかけ、叱咤してこき使っていた。そのかれにクールな反応でまといついたようにしながら、素直にいうことを聞いている高校生の姿、これまたおおきな意外性であった。どうやって教師でもないおっさんであるかれは、高校生を集めたのだろうか。なぜかれらはかくも素直なのであろうか。あるいは、かれを馬鹿にしているのか。わからない、それは。
この日の計画とは、こうなる、公園でちんどんさんと、居合わせた見物衆とがともに中心市街地を歩き、街路でなつかしのメロディを演奏する。そして聴衆になったかれらとともに、この公園に午後4時ごろに帰り着き、そこからカラオケ大会でもりあがろうとうのであった。しかもちんどん屋さんにはふつうの服装をしてもらうというのであった。電話口で聞いたのはこうであり、なんかよくわからない全体像であったのを、まとめてみると、こういうことになっていたのだ。まあ、どうなるか、ようはちんどんやさんにあえればいいのだと、ぼくは参加したのだ。
午後2時ごろ、あたりの空気はとつぜんざわめき、「花ふぶき一座」の真っ赤な洋服姿の3人組みが入ってきた。未来君は、ぼくの姿を見つけておおっと、おどろいた表情で気がついてくれた。座長の若菜さんは、口上で隣の老人専門病院の3階の窓にむかって、なつかしのメロディーを演奏しますのでと挨拶をした。たちまち演奏は始まった。あのヘタウマ的演奏はじつにいい。悲しみもよろこびもの情緒たっぷりで、ユーモアとあかるさと、疎外者の悲しみが漂いだしていった。その内側で太鼓をたたいて踊っている未来君を注視していったのである。
数ヶ月前にみたNHKのドキュメントで描かれた未来君を観て欲しいといわれ、観て、かれに動きがふつうのよっぱらいでは、ちんどんではないとアドバイズして、クイーンの不レディーマーキュリーのマイクふりまわしの動きを参考にと提案した。しかしなんの改善も進歩もあらわれてなかった。そこで言い出した。
「未来君、あんたの動きは、80パーセント無駄だ。師匠やサキソフォンの動きは、むだがないよね。あんたは酔っ払ってうごきだしているようなもんだ、ちんどんをする側でなく見て浮かれてしまった見物人の動きよ、太鼓にあわせて動くのでなくて、太鼓を自分の身体に合わせるべきと、でないと、道路に夢はひらかんとおもうよ」と、言い募っていると、
「そう、そうなの、どんどん言ってください、私でなく、他所の人からいわれるのが、ほんとに効き目があるんだから・・」
とつぜんのこの共感にうれしくなった。彼女に夕べみてかえった「どくんご」の身体性について伝えていくと、さすが、経験からすぐに理解してもらえて、うれしくなったのであった。
そのうち、いよいよ、中心市街地へむかって行進となり、われわれは公園から街路へでていった。そこでふとまわりをみると、ついてきたのは、高校生がややはなれて一団となり、かれの姿はなく、大人では、ぼくひとりであった。まあいいいか、こうなったらかれらとともにあれだと、気を高ぶらせるのだった。まあこんな経験もないわけでもないのだから、やるかという気分となった。