躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

托鉢

2012-04-01 20:46:54 | Weblog
ラオスには日本からの直行便がないので、
行きはベトナムのホーチミンで乗り換え、プノンペン経由で(同じ飛行機なのに、一度降りた)やっとラオスの首都ビエンチャンへ着いた。
帰りは、もう二度と行きたくないと思っていたハノイで乗り換えなければならなかった。
(ハノイ空港の態度の悪さは本当に嫌!)
しかし、このコースが一番速いのだ。

ラオスには特別すごい見所というのはなかった。
だけど、自然と人がかもしだす、空気、雰囲気が、まったりとあまりにも優しくて、
細胞も頭も心も緩みっぱなし。
こちらは最高級だった。
ニューヨークタイムズによると、西洋人が一度は訪れたいNO1の国なのだそうだ。
(ツアー参加者談)

不思議なほどもの静かで、心遣いがあり、優しい人達ばかりだった。
ベトナムの喧騒を思うと、地続きの隣国だとは信じられない。
車のクラクッションの音をほとんど聞かなかった。
言い争う場面にも出遭わなかった。
集合時間に遅れそうなので走っていると、何事かとびっくりした様子で見られたほどだった。

人口密度が低いというのがもともとの原因かもしれない。
日本の本州の広さの国土に国民60万人程度。
緑の自然がたくさん。
土地があれば、熱帯の気候なので果物は勝手になるだろうし、
作物もよく育つ。
あくせくすることもない。

周りの国々からは、ラオス人は怠け者だと軽蔑されていると現地ガイドさん。
「それで生きていけるなら一番良いことよね」と、日本のおばさん(私)。
スローライフ、ロハス(何?それ)以上なのだ。

それから、ラオス人はすぐ諦めると現地ガイドさん。
上座仏教(小乗仏教)の国だから欲を張らないのかも。

普通の男性でも20歳になると、
多くはお寺に住んでお坊さんの修行をするのだそうだ。
このガイドさんも(3ヶ月間だけど)ヴィパ―サナーを修行したガイドさんだったのだ!
修行の仕方を熱心に質問する日本のおばさん(笑)。

ツアーの観光では1回の予定だった早朝の托鉢に、
早起きして私は4回行った。

まず、南部メコン河に浮かぶ島での、のどかな托鉢。
これは素晴らしかった。
朝6時頃、村の道にぽつりぽつりと人が出てきて、お布施をする食べもの(主にご飯)を持って、ござを敷いてお坊さんが来るのを座ってまっている。
私は何も持っていないので、遠慮気味に村の人の後の方に座っていると、
微笑みながら手招きして、横に座らせてくれた。
柿色の布をまとったお坊さが5,6人1列になって歩いてきた。
まだ少年、子供のお坊さんも。
村の人は通りすぎる全員のお坊さんの鉢(台所で使うボウルくらい大きい)に、
順々に食物を入れてお布施をする。
私は何もないので合掌のみ。
全員にお布施が終わったところで、私達に対して短いお経を唱えてくれた。
その声がなんとも美しく、天から聞こえてくる歌声のようで、胸が震えた。
素朴な心がこもったお経だった。
日本でも、ブータンでも、日本に来たチベットのお坊さんからも、
たくさんのお経は聞いたけど、これほど有り難いと思えるお経はなかった。

そのお経に魅せられて、
世界遺産になっている、
小さな古都ルアンブラバンに3泊した時、もう一度あの感動をと思った。
欲が深い日本のおばさん(笑)。
最初の朝、ホテルの前の托鉢に、また手ぶらで出た。
やはり、遠慮気に土の上に座る私を、地元のおばさんは優しく手招きをして、
自分のござに座らせてくれた。
何も持っていないといっても、「いいから」みたいな仕草。
お坊さんは15,6人の列で、ここではお布施の前にお経だった。
でも、あのメコン河に面した田舎道で聞いたお経ほどの感動はなかった。

合掌しているのであまり顔を見れなかったけど、
まだあどけない子供のお坊さんが何人もいた。

しかし、お坊さん達が行ったあと、お布施をしたおばさん達が、前に置いていたペットボトルに詰めたお水を、少しづつ地面に流しながら熱心にお祈りしている様子に、信仰の熱さを感じた。

2日目の朝は暗いうちにホテルを抜け出し、
3輪自動車を改造した輪タクに乗り、
お寺にお経を聞きに行ったのだけど、お寺はもぬけの殻。
すでにお坊さんは托鉢に行ったのだ。
仕方ないので、ぶらぶら歩いていると、子供達がスーパーの籠のようなものを持ってどこやらに走って行くので、着いていってみたら、
それはそれはすごく長い列の托鉢に出遭った。
この街のメインストリートで、観光客もいっぱい。
びっくりして突っ立て入ると、いきなりおばさんにバナナとご飯がどっさり入った平たいかごをドンと持たされた。
きょとんとしていると、なにやら言いながら、ござも渡そうとする。
商売だと気が付いたので、急いでかごを返した。
この人込みではそんな気分になれないもの。
あっさり諦めてくれた。
この辺がラオスの良さだ。
押し売りも「すぐに諦める」
インドじゃ、こうはいかない。(笑)

観光客や同じ小乗仏教の隣国タイからの人達も、お布施をするために道路の端にびっしりと一列に並んで座っている。
その前をお坊さんの列が途切れなく托鉢しながら歩く。
それを見学する観光客、お布施のための食べ物を売る地元の人達。
たくさんのお寺からたくさんのお坊さん達が出てきて、このメインストリートを歩くので(全部で100人以上?何百人?のお坊さん)圧巻ではあったけれど、
いちいちお経を唱えるわけにもいかないのか、お経がなかった。
観光化していっているように思えたけど、お坊さんにはそれも修行なのかも。

で、あの子供達は?
お菓子のお布施があると、お坊さんが自分の鉢からとって側にいる子供のかごに入れていた。
道路に座って前にかごを置き、合掌して、お菓子を貰う子供たちもいた。
お坊さんの行列に子供達と、犬が着いて行く。
犬にもおこぼれがあるのだろう。

この長い行列の托鉢は、次の朝のツアー観光の予定に入っていた。
偶然一足お先に見学して、一度見れば充分なので、パスして、

3日目は、またホテルの前の道路で托鉢を待った。
今度はお布施のマンゴー(前日ホテル近くを散歩していると、マンゴーを採っていたので見ていると、くれた!本当に親切で優しい。)と、バナナチップスを持って。
丁度、竹に詰めたご飯とメコン河の川海苔を売るおばさんが、ふたつの籠をぶら下げた天秤棒をかついでやってきたので、買って、ご飯も用意できた。
今度も、前回とは別の女性がござに座わるよう誘ってくれた。
お坊さんのお経は、やはり天からの歌声ではなかったけれど、
その辺には、ござに座らせてくれたおばさんと私の二人だけだったのに、
お経を唱えてくれたのだ。(夫は見学)
お坊さん達の清々しいオーラを感じながら、でもお布施は大変だった。
次々に目の前に来る鉢に入れていくテクニック(慣れ)が必要だと、気が付いたけど遅い。
買った竹筒にはそれほどご飯は入っておらず、お坊さん達全員に差し上げるには程遠い量で焦る。
その上、ご飯は柔らかくて、手にべたべたくっつく。
ご飯がなくなったので、バナナチップスを入れようと掴むと、ご飯がくっついた手から離れにくい。
もたもたしていると行列が止まる。(汗)
見学の夫によると、そのせいで少し離れた所に座っていた次の人たちのところに行くまでに、列が乱れて、
その人たちには、お坊さん全員が揃ってお経を唱えられなかったみたいだったと。

こんなお騒がせ、にわか仏教徒の観光客でも優しく受け入れ、快く托鉢(お布施)体験をさせてくれるラオスの人達。
優しさを伝達していく、これが本来の仏教なのだと思う。