躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

ジャール平原

2012-04-03 16:25:52 | Weblog
ジャール平原に散らばる謎の石壺を見に行きました。
この地方には、1万個以上の石壺が発見されているのですが、由来も用途もはっきりとは解明されていません。
334個の石壺があるサイト1を40分くらいかけて歩きました。
サイト1以外のサイトには危険で行かれませんでした。
なぜなら・・・


これは、白い側は安全、(もう半分は色が剥げていますが)赤い側は未だに地雷が埋められている可能性があるということ。
サイト1の遊歩道にはこれがずっと続いていました。
白い側から、はみ出さないように歩かねばなりませんでした。
この時ばかりは、さすがの私もきちんと従いました。
(実際には、ある程度安全で、村の人は安全地帯を知っているので入って行くそうです。目視のみの調査は終わっているのですが、機械を使って調査し、完全除去するには至ってないということのようです)

ベトナム戦争の爪あとはそれだけではなく、激しい空爆で出来た直径10メートルほどのクレーターが(最初の写真、木の左)、遊歩道周辺にも、あちこちにボコボコたくさん残っていました。
アメリカ軍は、この地方(シュンクワン地方)には、1964~1975年の間に、
なんと7500t、国全体では、一人に付き1tにもなる爆弾を落としたのだそうです。
これは、世界で最悪の記録だそうです。
この地方の中心地になっていた大きな街は、鉄筋の家が2軒残っただけで、壊滅してしまったそうです。
そして、まだ不発弾がたくさん埋まっているようです。

また、遊歩道からいくつもの丘が見えたのですが、
アメリカ軍の枯葉剤で禿山になっていました。
30年以上経った今でも植林をしても、根づかないのだそうです。
畑は作物が出来ないとか。
たくさんの奇形児が産まれたそうです。

「金持ちはビエンチャンに逃げたけれど、逃げれなかった人、特に少数民族の人達がたくさん犠牲になりました」とガイドさん。



この洞窟に逃れていた、ラオスの負傷兵達も爆撃を受けて亡くなったそうです。

謎の石壺見学どころではなく、思わぬ衝撃を受けることになりました。
ラオスでも、アメリカ軍の攻撃によるこんなにも大きな被害がでていたとは!
地雷や枯葉剤、空爆のこと、知っているつもりでしたが、やはりその場に行くと実感になり、全然違います。
戦争は恐ろしい。
でも、まだまだ私は本当には知っていない。