躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

2012-10-31 20:55:48 | Weblog
先日、夫の実家に行ったときのこと。
近くのスーパーに甲羅の横幅が20センチほどのワタリガニが出ていた。
地元の漁港で、その日たくさん捕れて、出荷してもまだ余ったものをこのスーパーで売っているらしく、
いつも蟹があるとは限らないので、1匹1900円を、
迷わず買った。
(案の定、次の日にはなかった)

早速茹でようと鍋に湯を沸かした。
そして蟹をつかむと動いた!
生きてる!
今日水揚げされたのだから当たり前なのに、思いもよらなかった。
ゴムで、はさみのある足を他の足に縛りつけられていて、
自由になる足だけが動いたのだ。

今からこの命を絶つことになる。
せめて手早く一気にと思ったのに、
鍋が蟹より小さくて入りきらず(何ドジやってるんだろう)、
浸かった部分が赤くなっていきながら、
自由になる足が必死で動く。
自由の利かないはさみのある足もそれをゴムで縛りつけている足も、
動かしたくてたまらないだろう。
残酷だ。
しかし、ゴムを切ってやる勇気はない。

残酷さに戸惑い、
半分茹だってるのを引き上げたくなった。
でも、死んでしまうのは同じことだから、
とにかく、早く茹でてしまうよりないなどと混乱しながら、
あせって蟹をひっくり返して、もう片方を湯に浸けた。
まだ足が動いていた。

そして、目が合ったのだ。
小さな黒い点のような二つの目が私を睨んだ。
自分の命を絶つ相手を忘れないぞというふうに睨んだのだ。
目をそらしてはいけない気がして、
ほんの少しの間、私も見つめた。

小さい目の眼力に負けて、
また早々とひっくり返し、蟹の目を見ないですむようにした。
そして、箸で押さえつけ、なんとか茹で上げた。

茹で上がると、もう生き物ではなく、
食べ物になった。
それはもう極上の味だった。
夫は足だけでいいというので、
ほとんど1匹まるごと私が食べた。

食べ終わると、あの目を思い出した。
あの命が確かに私の中に入ってきたのだ。
あの目はそれを知っていた。
殺されることを恨む目ではなかった。
かといってあきらめの目でもなかった。
ただ、しっかりと私を睨んでいた。

今も、私の中に取り込まれた命を覚えている。
ずっと忘れないだろう。





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