毎年、交通事故で亡くなる人より
多くの自殺者がいるこの日本。
自分の命は自分のもの。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/e2/4fbe67f8f5d931e89831d5395b007aac.jpg)
もしそうなら、自殺は
正当な行為となるのか。
今朝の朝日新聞の
コラムに「いのちは
誰のものなのか」
という尊厳死に関連した
記事が出ていた。
「私」という存在は
生命誕生の頃から
現在まで
永延と続いたDNAの連鎖の証だとしたら
命は自分のものでありながら、
周りの人間の愛情に守られながら
果てしない過去から、そして未来へと続くものの
一部に過ぎないのかもしれない。
自殺は仕方のないものと考えた時期があった。
身近で起こったときに、かなり深く考えた。
考えて考えて考えて、末に見つけたのは、
自分のその人への深い愛情だった。
残念なのはそのことをもう伝えることが
出来ないことだった。
そしてやはり自分もそういう気持ちに
守られているのだということ。
だとしたら大切にしたいと強く思った。
「この命は誰のものか」と問われたら
自分のものと迷わず答える、そして自分の生を
大切に生きたい。伝えられなかったことを
胸に秘めつつ、その思いを永遠にできるのは
自分でしかないのだから。
@@蛇足
こういう硬い話は、普通はあまりしないが、
時々話し込むことがある。
何が正しいかなんて分からない、ただ考えを言い合い、
相手の考えを理解したいとお互いに思う。
そんな関係を嬉しく思うし、そういうところから
尊厳死や生きる権利、死ぬ権利なんかも
もっと柔軟に考えていけるんじゃないかな。
多くの自殺者がいるこの日本。
自分の命は自分のもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/e2/4fbe67f8f5d931e89831d5395b007aac.jpg)
もしそうなら、自殺は
正当な行為となるのか。
今朝の朝日新聞の
コラムに「いのちは
誰のものなのか」
という尊厳死に関連した
記事が出ていた。
「私」という存在は
生命誕生の頃から
現在まで
永延と続いたDNAの連鎖の証だとしたら
命は自分のものでありながら、
周りの人間の愛情に守られながら
果てしない過去から、そして未来へと続くものの
一部に過ぎないのかもしれない。
自殺は仕方のないものと考えた時期があった。
身近で起こったときに、かなり深く考えた。
考えて考えて考えて、末に見つけたのは、
自分のその人への深い愛情だった。
残念なのはそのことをもう伝えることが
出来ないことだった。
そしてやはり自分もそういう気持ちに
守られているのだということ。
だとしたら大切にしたいと強く思った。
「この命は誰のものか」と問われたら
自分のものと迷わず答える、そして自分の生を
大切に生きたい。伝えられなかったことを
胸に秘めつつ、その思いを永遠にできるのは
自分でしかないのだから。
@@蛇足
こういう硬い話は、普通はあまりしないが、
時々話し込むことがある。
何が正しいかなんて分からない、ただ考えを言い合い、
相手の考えを理解したいとお互いに思う。
そんな関係を嬉しく思うし、そういうところから
尊厳死や生きる権利、死ぬ権利なんかも
もっと柔軟に考えていけるんじゃないかな。