とんびの視点

まとはづれなことばかり

ザ・スクラップ

2010年11月08日 | 雑文
ああ11月になった。そう思っていたらあっという間に8日も過ぎた。気がつけば、西の遠くには富士山の頂に雪がかかり、ベランダから見下ろす桜並木は高いところから赤茶色に変わり始めている。桜の木が紅葉して、葉がすべて落ちると、街の風景は一変する。そんな様子を10年以上も見てきた。

それも今年で最後かもしれない。おそらく春過ぎには今住んでいる部屋を出て引っ越すことになる。(子どもたちが大きくなり過ぎたのだ)。ピンク色に膨れ上がった桜並木はもう一度見下ろすことが出来るだろう。でも、紅葉して散ってゆく桜並木はおそらくこれが最後だ。

10年以上も同じ風景を繰り返し眺める。厳密に言えば、桜並木が紅葉し葉が落ちる風景はそれぞれ一回限りのものだが、繰り返し眺めることで同じことのように感じられる。でも今年が最後かもしれない。そう思うと、少しだけ桜並木を眺める目も変わってくる。

ここのところ(といってもだいぶ長いスパンだが)、何冊か本を読んだ。村上春樹の『ザ・スクラップ』、上野正彦の『監察医の涙』、内田樹の『街場のメディア論』、マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話しをしよう』(これは途中で図書館に返した)、そして高橋源一郎の『悪と戦う』だ。

『ザ・スクラップ』は僕としては珍しく、村上春樹の本でその存在を知らなかったものだ。さっそくネットで中古本を購入した。1987年2月1日に第1刷とあるから20年以上前に書かれたものだ。長編小説で言うと『ノルウェーの森』が1987年9月の発売だから、まだ一部の読者に支持されていた段階だ。

前書きには、『ザ・スクラップ』に収められた小文は『スポーツ・グラフィック・ナンバー』誌に4年間にわたって連載されたものである。月に1回か2回『ナンバー』経由で送られてきたアメリカの雑誌・新聞から面白そうな記事を見つけて、それをスクラップして日本語の原稿にまとめたものだ、とある。

実際、それほど面白いものではない。雑誌や新聞の面白い話題をただ紹介しているだけのものも多いし、話題に自分の知見を絡めているものでもそれほど練られていない。何よりも今から見れば文章がまだまだである。村上春樹独特の言葉遣いは随所に見られるが、ごつごつしていて滑らかではない。個人的には村上春樹の本の中ではかなりつまらないものだ。

でも、と思った。この世の中にはつまらない話も多いし、それほど練られた言葉遣いばかりがやり取りされているわけでもない。誰もが知っていそうな話しや、大して作り込まれていない言葉が日常のほとんどである。そんな話しや言葉をどうせ読むなら、村上春樹の言葉というのは悪くはないのではないか、と。(もちろん個人的な好みとしてだが)。

というわけで受け売り的な話しを1つ。生物学者の福岡伸一がPodcastで微分について言っていたことがとても面白かった。微分は17世紀初めに出来た。この時期にはガリレオが現れ初めて空に向けて天体望遠鏡を向けた。顕微鏡がレーエンフックに発明されてミクロの世界に目が向けられたのも17世紀である。さらにこの時期に画家のフェルメールが現れる。これらの人たちがやろうとしていたのは同じことである。ガリレオもレーエンフックもフェルメールも世界を微分したいと思っていたのだ。

世界は絶え間なく動いているので捉えることはできない。その世界を一瞬だけ止めてみる。その一瞬に、そこに至るまでの動きと、そこから起こる動きが内包されている。その一瞬を記述するということが微分なのだそうだ。当時の人たちは切実にそういうことを求めていたのだそうだ。確かにフェルメールの絵ってそう言う感じがする。
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