久しぶりのブログ更新である。先週ひどい体調だったからだ。今週に入りやっと回復。たまった雑務を整理し、やっとブログに手を付けることができた。このブログが整理の最終段階。これを書いてやっと以前の日常に戻れるようになる。ようするに今回も雑記である。
先週のことを振り返ってみる。(この1ヶ月ずっと良くなかったが)火曜日にはとくに体調がすぐれなかった。頭から顔、そして首にかけて左側のしびれがひどい。夕方には舌にも少ししびれを感じろれつが回らなくなってくる。さすがにこれはまずいと思い、仕事を早めに切り上げる。
水曜日。かかりつけの医者に相談に行く。突発性難聴にかかったが、耳鼻科で、別に問題はない、ふつうに日常生活をしてよい、スポーツをしても良い。そう言われたが本当に大丈夫なのかと尋ねる。かかのつけの医者によると、突発性難聴は原因不明だが、有力なものとして「ウイルス説」がある。ウイルスであれば神経に影響して「しびれ」が出ることは十分に考えられる。ただ脳の異常があるといけないので一応検査をした方がよいと言われ、即日、別の病院でMRIの検査を受けることになる。
その状況で心配しても仕方がないので、人生初めてのMRI検査を楽しむことにする。自分の脳や血管が立体的に映し出され、モニターの中で回転するのを見ながら説明を受けるのは楽しかったが、それ以上に検査そのものが心地よかった。台の上に寝て頭を固定される。音がうるさいから耳栓を貸してくれる。あとは機械の中に頭を突っ込んで20分くらいジッとしているだけだ。
ジッとしているあいだ、「だーーーーーー」という振動そのものに近いくらいの低音が鳴り続ける。そこに「どっ、どっ、どっ、どっ」と別の低音が乗っかる。しばらく聞いているとテクノ系のライブのように思えてくる。体には少しだが振動が伝わる。耳栓をはずせば大音量で楽しめそうである。ライブであれば、全部で4曲程度だった。1曲ごとに拍手をしようかと思ったくらい心地がよかった。
すぐに結果を説明してもらう。脳にも血管にもまったく異常はないとのこと、その日の体調に合わせれば、運動も問題ないと言われる。
木曜日にはボクシングの試合を後楽園ホールに見に行く。ときどき一緒に練習しているY君の試合である。見事にKO勝ちを収める。これで日本ランキング入りは間違いないだろう。試合後、頭痛がひどくなる。
金曜日には相方と上野の東京国立博物館に『長谷川等伯展』を見に行く。入館するまでに30分列に並び、入館してからも大晦日の明治神宮初詣で状態。体力的にはちょっと消耗した。個人的には「萩芒図屏風」を再見するのを楽しみにしていた。とても心地よい絵である。描かれた芒のあいだを抜けていく風がきちんと感じられる。でもよく見ていると「大作」ではないということに気づく。よい絵だが大作ではない。案外、重要文化財指定も入っていないのはこういうことなのかなと想像する。
やはり圧巻は「松林図屏風」だった。これは想像よりはるかによかった。まさしく「大作」である。松林に漂う空気の湿度や静けさという音まで伝わってきそうだ。絵から視覚だけでなく、触覚や聴覚も刺激を受けるというのも不思議なものである。よい作品とはそういうものなのだろう。とても満足して会場を出る。
会場を出て、道を1本へだてると上野公園である。そこには人々が地面に座って並んでいる。よく見ると炊き出しである。ホームレス風体の人たちがすくんだ色の服を来て地面に座っている。「等伯展」を見るために列を作る人と、「炊き出し」を待って列を作るホームレスの間にはわずかに道が1本である。春の日差しがどちらも容赦なく照らし出す。カミュの『手帖』の言葉を思い出した。
『貧者の世界に沈潜するものは、目と鼻の先にある医者のアパルトマンのことを、《あっち》というふうに言わなければならない』
等伯展に来ている人にとっては炊き出しを待つ人たちは《あっち》の人で、ホームレス風体の人にとって自分たち以外は《あっち》なのかもしれない。距離がどれだけ近くても《あっち》なのだ。これから先、いろいろなところに《あっち》が出現するのだろうと思う。離れた2つの場所を繋ぐこと、そこに通路を作り出すこと、そういうことが大切な時代になるのだろう。
帰宅すると体調が一気に悪化する。だまし、だまし、その日の仕事をこなす。でも土曜日、日曜日は完全にダウン。ずーっと布団のなかで眠っていた。そのおかげか月曜日には体調がとても良くなる。1ヶ月続いた体調不良も吹っ飛んでいる。リハビリを兼ね昼休みに土手まで軽いジョギングに行く。柳の黄緑が一段と濃くなり、すっかり春の感じだ。
その後、水曜日まで3日かけて何とかかつての日常にもどすべく雑務を整理する。そして最後の整理がこのブログ。明日は久しぶりの合気道の稽古。ほぼ1ヶ月ぶり。ちょっと楽しみである。
先週のことを振り返ってみる。(この1ヶ月ずっと良くなかったが)火曜日にはとくに体調がすぐれなかった。頭から顔、そして首にかけて左側のしびれがひどい。夕方には舌にも少ししびれを感じろれつが回らなくなってくる。さすがにこれはまずいと思い、仕事を早めに切り上げる。
水曜日。かかりつけの医者に相談に行く。突発性難聴にかかったが、耳鼻科で、別に問題はない、ふつうに日常生活をしてよい、スポーツをしても良い。そう言われたが本当に大丈夫なのかと尋ねる。かかのつけの医者によると、突発性難聴は原因不明だが、有力なものとして「ウイルス説」がある。ウイルスであれば神経に影響して「しびれ」が出ることは十分に考えられる。ただ脳の異常があるといけないので一応検査をした方がよいと言われ、即日、別の病院でMRIの検査を受けることになる。
その状況で心配しても仕方がないので、人生初めてのMRI検査を楽しむことにする。自分の脳や血管が立体的に映し出され、モニターの中で回転するのを見ながら説明を受けるのは楽しかったが、それ以上に検査そのものが心地よかった。台の上に寝て頭を固定される。音がうるさいから耳栓を貸してくれる。あとは機械の中に頭を突っ込んで20分くらいジッとしているだけだ。
ジッとしているあいだ、「だーーーーーー」という振動そのものに近いくらいの低音が鳴り続ける。そこに「どっ、どっ、どっ、どっ」と別の低音が乗っかる。しばらく聞いているとテクノ系のライブのように思えてくる。体には少しだが振動が伝わる。耳栓をはずせば大音量で楽しめそうである。ライブであれば、全部で4曲程度だった。1曲ごとに拍手をしようかと思ったくらい心地がよかった。
すぐに結果を説明してもらう。脳にも血管にもまったく異常はないとのこと、その日の体調に合わせれば、運動も問題ないと言われる。
木曜日にはボクシングの試合を後楽園ホールに見に行く。ときどき一緒に練習しているY君の試合である。見事にKO勝ちを収める。これで日本ランキング入りは間違いないだろう。試合後、頭痛がひどくなる。
金曜日には相方と上野の東京国立博物館に『長谷川等伯展』を見に行く。入館するまでに30分列に並び、入館してからも大晦日の明治神宮初詣で状態。体力的にはちょっと消耗した。個人的には「萩芒図屏風」を再見するのを楽しみにしていた。とても心地よい絵である。描かれた芒のあいだを抜けていく風がきちんと感じられる。でもよく見ていると「大作」ではないということに気づく。よい絵だが大作ではない。案外、重要文化財指定も入っていないのはこういうことなのかなと想像する。
やはり圧巻は「松林図屏風」だった。これは想像よりはるかによかった。まさしく「大作」である。松林に漂う空気の湿度や静けさという音まで伝わってきそうだ。絵から視覚だけでなく、触覚や聴覚も刺激を受けるというのも不思議なものである。よい作品とはそういうものなのだろう。とても満足して会場を出る。
会場を出て、道を1本へだてると上野公園である。そこには人々が地面に座って並んでいる。よく見ると炊き出しである。ホームレス風体の人たちがすくんだ色の服を来て地面に座っている。「等伯展」を見るために列を作る人と、「炊き出し」を待って列を作るホームレスの間にはわずかに道が1本である。春の日差しがどちらも容赦なく照らし出す。カミュの『手帖』の言葉を思い出した。
『貧者の世界に沈潜するものは、目と鼻の先にある医者のアパルトマンのことを、《あっち》というふうに言わなければならない』
等伯展に来ている人にとっては炊き出しを待つ人たちは《あっち》の人で、ホームレス風体の人にとって自分たち以外は《あっち》なのかもしれない。距離がどれだけ近くても《あっち》なのだ。これから先、いろいろなところに《あっち》が出現するのだろうと思う。離れた2つの場所を繋ぐこと、そこに通路を作り出すこと、そういうことが大切な時代になるのだろう。
帰宅すると体調が一気に悪化する。だまし、だまし、その日の仕事をこなす。でも土曜日、日曜日は完全にダウン。ずーっと布団のなかで眠っていた。そのおかげか月曜日には体調がとても良くなる。1ヶ月続いた体調不良も吹っ飛んでいる。リハビリを兼ね昼休みに土手まで軽いジョギングに行く。柳の黄緑が一段と濃くなり、すっかり春の感じだ。
その後、水曜日まで3日かけて何とかかつての日常にもどすべく雑務を整理する。そして最後の整理がこのブログ。明日は久しぶりの合気道の稽古。ほぼ1ヶ月ぶり。ちょっと楽しみである。
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