とんびの視点

まとはづれなことばかり

風邪をひいたようだ、そして【2014.1.18東京新聞】より 

2014年01月22日 | 雑文
風邪を引いた。昨日から眠ってばかりいる。だいぶ体調もよくなったのでパソコンに向かった。東京新聞から気になる記事を書き抜き、ちょっとメモを付けることを始めて3週間以上が経つ。こういう単純な作業を繰り返すと、いろいろ見えてくる。一方では、自分の外側の情報だ。(新聞を読んでいるのだから当たり前か)。もう一方では、そんな作業をしている自分自身だ。

自分の外側の情報といっても、そこにはバイアスがかかっている。東京新聞を読んでいることが一つのバイアスだろう。(読売新聞とはかなり違う情報が載っているはずだ)。また、その中から特定の記事を僕がピックアップしていることもバイアスだ。傾向的には、原発絡みと特定秘密保護法と沖縄問題の書き抜きが多い。人によっては「サヨク」と呼ぶかもしれない。

意見を同じにするには二つの条件がそろえばよい。同じ判断基準を持つこと。そして、同じ情報を持つこと。言い方を換えれば、意見が異なるのは、違った情報を持っているか、違った判断基準を持ってるか、情報も判断基準も違うか、である。

対話というのは意見の異なる人たちが行うものだ。意見が異なりながらも、何とかよい方向にものごとを進めるのが対話だ。だとすれば、異なる意見を持つ相手に感情的に反応するのでもなく、一方的に相手が間違っているとするのでもなく、手順を踏んだ相互のやり取りが必要になるだろう。そのためには、自分が持っている情報を開示することが第一だ。その次に、自分の判断基準を示すことが大切だ。

それにしても、週末には館山若潮マラソンが不安だ。風邪が抜けきるかわからない。それに予報では曇り一時雨の天気だ。まあいい、出たとこ勝負だ。


2014.1.18㈯の東京新聞から。

【秘密保護法の諮問会議始動 議事全文は非公開 渡辺座長「基準は首相判断」】
特定秘密保護法に関し、特定秘密の指定や解除の統一基準を議論する有識者会議「情報保全諮問会議」の初会合が17日、首相官邸で開かれた。……「機密性の高い事柄を議論する場合もある」として、発言者がわかる議事録全文の非公開も決めた。……座長の渡辺氏は会合で「最終的に首相に判断してもらえれば結構だ」と述べた。

→有識者会議は「官僚の隠れみの」という批判をよく聞く。市井の一般人からすれば、有識者会議というのは「あっち側の人たち」という印象だが、僕の記憶では(こういう記憶があいまいなところが弱点だ)、有識者会議は国民の代表である。つまりある事案に関して、国民の代表から話を聞いた行政側がいろいろ決めたという形になる。当然のことがが、有識者会議の人選がポイントになる。官僚側の意見と近い人たちを恣意的に集めればよい。今回の座長は読売新聞の渡辺氏だ。

【プルトニウム輸送 官僚ら独断で「厳秘」 92~93年報道操作法も検討】
1992~93年にフランスから日本へプルトニウムを船で輸送した際、当時の科学技術庁や動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が港や船の名前を非公開とすることを秘密裏に決める一方、報道機関に虚偽の説明をしたり、非公開に情報を漏らす方法を検討したりしていたことを示す内部資料が明らかになった。
核兵器の材料になるプルトニウムをテロから守るとの理由で、官僚が恣意的な情報の扱いをしていたことを示す例と言える。「官僚の独断で秘密の範囲が決められ、何が秘密とされたかも分からない」と批判されている特定秘密保護法が可決され、政府が今後もプルトニウム利用を進める姿勢を示す中、その問題点を浮き彫りにする資料となる。

→官僚が独断で秘密を決めて運用していたという過去の事例だ。特定秘密保護法と絡んだ話だ。ジャーナリストの神保哲男氏などによれば、このような情報の恣意的な扱いは以前から行われていたそうだ。その意味では、今回の特定秘密保護法の内容自体はそれほど新しいものではない。ただ、大きく変わる部分もある。これまでなら議員などが資料の請求をすれば、官僚は提出せざるを得なかった。しかし今回の法案によって、官僚はそれを盾に情報の開示を拒否できるようになる。

【東電破綻処理を 銀行・株主の免責を批判 泉田・新潟知事インタビュー】
新潟県の泉田裕彦知事は、東京電力の新しい経営再建計画について「最大の問題は貸し手責任のある金融機関や株主が免責されていることだ」と指摘。東電を破綻処理して、金融機関などに責任をとらせるべきだとの考えを示した。

→この記事も何度も書き出してしまっている。おそらく自分の中でうまく消化しきれていないからだろう。それは「貸し手責任のある金融機関や株主が免責」という部分だ。日本語としては理解できるが、その当たりの仕組みやルールが見えない。経済に疎いせいだろう。

【筆洗】
小野田さんの方は経済大国となった戦後日本に「精神的断絶」を覚えた。「何でもカネ、カネの戦後日本人」。

→74年にフィリピンのジャングルで発見された最後の日本兵の小野田さんだ。「何でもカネ、カネの戦後日本人」。確かにお金は大事だ。でもお金がすべてではない。子供たちに「お金がすべてだ」と教えるか、「お金がすべてではない」と教えるか。どちらの人が多い社会がよいのか。小野田さんには、多くの日本人が「お金がすべてだ」と言っていると見えたのだろう。
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