とんびの視点

まとはづれなことばかり

理性の限界を直視したところに保守がある

2018年12月29日 | 雑文
先日の東京新聞で中島岳志氏が「保守思想は人間不完全な存在と認識し、理性の限界を直視する」と書いていた。ポイントは理性の限界を直視する、という点だ。(いささか我田引水的だが。)
己の体力の限界を知るためには、これ以上は無理というところまで、体を酷使せねばならない。であるなら、理性をの限界を知るためには、これ以上は無理というところまで、理を酷使しなければならい。論理で徹底的に考えるということだ。
ぎりぎりまで論理を駆使しても正しさを保証できない。そう気付いたとき、人は自らの不完全さを認識し、謙虚になる。そして「無名の死者たちが積み重ねてきた集合的経験値や良識を大切に」せざるを得なくなる。
徹底的に論理をもって考えることなく、伝統を蔑ろにする者は革新的ではなく、伝統を崇め強要する者は保守的ではない。どちらも考えることしていない。
では自分はどうなのか。徹底的に考えようとしながら、気がつけば日々のお勤めで1日が終ってしまっているような凡夫である。
そしてそんなふうに1年も終ろうとしている。
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