スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

世界遺産 平泉の旅Ⅱ

2014-12-01 07:50:16 | 旅 ~国内

岩手県一関市にある磐井川中流の渓谷「厳美渓」昭和2年国の名勝及び

天然記念物に指定された。平泉に近く、戦後になって平泉が観光地として

人気が出たため厳美渓も観光客が急増

現在年間約90万人が訪れる

巨石に穴があいた甌穴(別名かめ穴)と呼ばれるもの

巨石の隙間を流れた小石が水流の中で暴れて弧を描き

岩盤を球状に削ってできた。

地質学上も貴重らしい。

渓谷沿いにある創業明治11年の郭公だんご

現在は3代目が受け継いでいる。

別名「空飛ぶだんご」として有名

ワイヤーロープでつないだ籠に代金を入れ板を叩くと

対岸の店が注文を聞いてだんごとお茶を提供してくれる

以前TVで見たことがあったがここなんだ!

団子は3種類、あん、黒ゴマ、みたらし

ものすごく柔らかくて、結構旨かった

山あいの隠れ宿、奥州平泉温泉のそば庵「しづか亭」

気に入った料理だけ載せてみた

前沢牛の握り寿司

しゃけの粕鍋

手打ちの二八そば

中尊寺の境内案内図

表参道「月見坂」の裏道の途中にある中尊寺ハス

昭和25年、金色堂に安置されている奥州藤原氏

父子四代の遺体調査が行われ、その折

四代泰衝公の首級が納められていた首桶から

百粒あまりのハスの種子が発見された

そして、平成10年7月、800年の眠りから目を覚まし

一輪の花を開花させた。

裏道から金色堂に向かう角の所ある竹林は

竹の北限と言われている。

紅葉したもみじといちょうの落葉が山のように積まれている。

そのグラディエーションが美しい

讃衡蔵前のもみじの紅葉。この美しさは

写真ではなかなか伝えるのは難しい。

丁度行った時は菊まつりが行われていた

金色堂の近く建っていた菊 三重塔

そして国宝の金色堂。天治元年(1124年)の

造立で、現存する唯一の創建遺構

覆堂の内のこれが金色堂

堂全体を金箔で覆い、皆金色の極楽浄土を現実に表している。

内陣は螺鈿細工、蒔絵などの漆工芸や精微な彫金で壮厳され

平安仏教美術の最高峰をなしている。

今回、中尊寺から毛越寺を詳しくわかりやすく

ガイドしてくれたボランティアの方

ちょっとなまっていてそれが又味がある。

重要文化財 金色堂 覆堂の内部

この建物は室町時代中期に現在の形になったものと見なされている

昭和38年、新覆堂の建築にともないこの場所に移築された。

「菊まつり」ということで中尊寺の名所で菊が展示してあった

まさに中尊寺は秋一色だ。

真ん中の金色の札が掛っている作品は文部科学大臣賞を受賞

みあげ物屋で売っていた久慈市産の琥珀

久慈地方は国内最大の琥珀産地として知られている

NHKの朝の連ドラで大フィーバーした「あまちゃん」の

勉さんはいつも琥珀を磨いていたのを思い出す

これが本堂。中尊寺の根本道場で、内陣には

仏教大師最澄以来1200年の間受け継がれる

「不滅の法灯」が灯されている

御本尊の丈六の釈迦如来

藤原四衡公の御月忌、天台宗の祖師忌、法華経一日頓写経会を

始めとする法要儀式が行われる。

本堂にも立派な菊が何基も飾ってあった

月見坂から見た風景。遠くに見えるのが北上川

弁慶の立ち往上はこの辺りだった。

中尊寺を出た所に武蔵坊弁慶の墓がある

弁慶は源義経に仕えた怪力無双の荒法師

弁慶に因んだことばが沢山ある

弁慶の泣き所、弁慶の七つ道具、内弁慶

そして雨の様な敵の矢を受けて立ったまま死んだとされる

弁慶の立ち往上

特別史跡、特別名勝の毛越寺(もうつうじ)

広大な境内には、かつて金堂円隆寺をはじめ

嘉祥寺講堂、常行堂、経楼、南大門などの堂舎が並び

その前庭に大泉が池を中心とする浄土庭園が配されていた。

毛越寺一山の本坊、本堂。本尊薬師如来

(平安時代作)が安置されている。

 

本堂から逆光のおもしろい写真が撮れた

伽藍復原図。この壮大な伽藍や堂塔40

僧坊500が建ち並び、吾妻鏡に霊場の

「壮厳吾朝無双なり」と記され、中尊寺をしのぐ華麗さを

誇ったと言われている。

嘉禄2年(1226年)の大火を初めとする相次ぐ兵火や

野火で焼失してしまった

大泉ヶ池。池は海を表現していて汀には

洲浜、荒磯、築山など海浜の景趣が配されている

当寺を開山した慈覚大師をおまつりしている開山堂

天正元年(1573)の戦による火災で焼亡した講堂の跡

毛越寺はこの様に跡の所ばかりだ

思わず松尾芭蕉がこの地で詠んだ

「夏草や兵どもが夢の跡」の一句を思い出す

紅葉の毛越寺。納得した写真です。


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