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スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

真言宗智山派総本山 智積院

2021-07-31 06:11:44 | 旅 ~京都

スミダマンの宗派は真言宗豊山派(本山 長谷寺)だが、

本院は真言宗智山派の総本山である。

祇園祭の山鉾巡りと昼食でゆっくりした為、残念ながら当院はPM4:00で閉園で

お堂の中に入ることができませんでした。

これが境内図。

智積院の山号は五百佛山(いおぶさん)。

寺号は根来寺(ねごろじ)。

創建は1601年(慶長6年)だ。

素晴らしく整備された参道には可憐な花・桔梗が咲いていた。

桔梗の花のイメージは秋というイメージがあったので、とても新鮮に見えた。

当院に桔梗が植えられているのは寺紋が桔梗紋だからだろう。

来院したのは午後4時半頃で境内はほとんど参拝客が無く、

寺院の静寂の時が流れ、とても気の良さを感じた。

この広い境内を独占しているような気分はなんと贅沢なことでしょう。

智積院の中興の祖、玄宥僧正(享禄2年(1529年)~慶長10年(1605年))の像。

豊臣秀吉の紀州根来攻めの難を逃れ、苦節16年、

慶長6年(1601年)徳川家康の外護を得て、当地に智積院を再興された。

只今、改修工事中の金堂。

気のせいか京都の寺院は現在工事中のお寺が多いような気がする。

平成29年の台風18号・21号の被害によるものか?

この金堂は明治15年(1882年)に昔の金堂が焼失したために

宗祖弘法大師空海の御生誕1200年の記念事業として昭和50年(1975年)に建立された。

尚、本尊は金剛界大日如来だ。

金堂の隣りにある明王殿。

ここは智積院の護摩道場、祈祷所であり、不動堂とも呼ばれている。

このお堂は以前は京都四条にある浄土宗大雲院の本堂であったが、

智積院の旧本堂(方丈殿)が焼失された際に譲渡されたものである。

丁度この時間に明王殿で若い僧侶20人ほどが真剣に読経祈祷をあげていた。

まわりは物音しない静寂の中、ただただお経が流れ、本当に心が洗われ、

ご利益を独り占めしたような豊かな気持ちをいただいてしまった。

さらに護摩木に願意を書いて奉納させていただいた。(志納金 1本200円)

お願い事は15例書いてあったが何を願ったかは内緒!

若き僧侶達がお勤めを終え整然と並んで足早に各ポジションに帰っていった。

当院は真言宗智山派の総本山という所ゆえ、

全国の同派のお寺の未来の管主が修行に来ているのだろう。

境内で無鄰菴を管理していた植彌加藤造園のトラックを発見。

当社は江戸時代嘉永元年(1848年)の創業、170年以上の歴史を誇る造園屋さんだ。

主に南禅寺を任され、他に渉成園、知恩院、金戒光明寺などの仕事もしている。

通常の時間外になるとあまり見られない光景と出会う場合もある。

当院の宝物殿の近くで日本通運のトラック2台があった。

おそらく美術品の搬出入の仕事中だと思う。

お寺にもいろいろな顔があるものだ。

こちらは講堂。

先ほど修行していた女性の僧侶に、もうお拝観時間は終わりましたと優しく諫められた。

尚、智山派の大本山寺院は当院以外に成田山新勝寺(成田不動)、

川崎大師平間寺、高尾山薬王院(八王子)などがある。

大玄関と大書院、本坊、内側から見た総門と北門。

閉門で中はなにも見ることはできなかったが、逆に全く人気がなく、

物音一つしない境内を歩くという厳粛な時間を持てたことは貴重な体験であった。

感謝 合掌


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