スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

野球評論家 権藤 博氏

2018-03-27 06:18:11 | レポ

「教えない教え―勝てる組織と人材活用の秘訣」というタイトルで

元プロ野球選手・監督の権藤博氏の講演を聞いてきた。

氏は昭和13年、佐賀県鳥梄高から社会人のブリジストンタイヤを経て

中日ドラゴンズ入団。69試合に登板し、429回3分の1を投げ、

35勝19敗、防御率1.70、310奪三振の驚異的な記録を残した。

35勝は新人での日本プロ野球最多勝記録で、最多勝、

新人王、沢村賞、最優秀投手賞、最優秀防御率、最多奪三振、

ベストナインとタイトルを総なめにした。連日の登板で

「権藤、権藤、雨、権藤」のフレーズが生まれた。

68年に引退、後日中日、近鉄、ダイエー(現ソフトバンク)のコーチに就任、

98年横浜ベイスターズ監督に就任し、38年ぶりのリーグ優勝を

もたらし、西武を下し日本一になった。2017年ワールド・ベースボール

クラシック(WBC)で「侍ジャパン」の投手コーチを務めた。

氏は選手の独自性を尊重し、自分で考えさせるコーチングを信条とし、

多くの選手を育てた。きっかけは米国での経験

「上手に教えたとしても、無理やり教わったことは忘れてしまう」という一言。

教えすぎの弊害は社員教育の場でも共通する所がある。

そして氏は具体的なエピソードをいくつも話をしてくれた。

(1) 日本ハムに入団した清宮幸太郎は大学へ行って

プロに入らない方が良かった。プロのコーチは成程なーと

いうことをどうしても教えたがる。高校卒だとかえってそれが迷いになってしまうから。

(2) WBC大会で小久保監督は優勝しても祝勝のビールも

飲めない程、疲れ切っていた。

(3) 憧れの長嶋茂雄との対決はなにがなんでも三振をとってやろうと

対決したが打ち込まれてしまった。打撃フォームを

崩しながらヒットにしてしまう天性のすごさがあった。

(4) その長嶋督時代に、ピッチ交代を告げに行く間に、

当初と考えが変わり(あるいは間違って?)想定外の選手が

アナウンスされた。それ以来ブルペンの投手は練習靴から

いつ呼ばれるか分からないと考えスパイクに履き替え

ウェイティングしていた。長嶋さんは別格の人だ。

(5) 王貞治さんは長嶋さんとは真逆の人で優勝して

夜半まで祝勝会した翌早朝にも約束事の返事をくれる位、律儀な人だ。

権藤氏はどちらかというと話はあまり上手でない。

そこで途中から権藤氏と親しい篠山正幸日経編集委員が

参加して質疑応答スタイルで講演は進められた。

権藤氏曰く、監督業は外野手出身者の方が向いている。

ピッチャー近くにいる内野手はなんだかんだ投手に話しかける。

その点外野手は投手まで遠い為我慢する。

そして成るようにしか成らんと思う様になる。

この気持ちが監督業には大切だ。


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