飯田展久氏は1987年日本経済新聞社に入社
大阪・社会部で記者人生をスタート。東京流通経済部で
流通業界を広く担当。インドネシア、ジャカルタ支局などを経て
デスク・部長を務めたのち2015年4月に日経ビジネスの編集長に就任した。
「日経ビジネス」5月25日号に掲載した特集をもとに
「時代はジャパン・ラッシング~世界の企業は日本を目指す~」
と題して、変化する環境をジャーナリストの目線で分析
このチャンスをどうつかみ、商機につなげるか
いくつかのヒントを語っていただいた。
日本の立ち位置を1970年代から現在まで
5つのパターンで変わってきたことを極シンプルに
わかりやすく分析した。
1)ジャパン・アズ・ナンバーワン(1979年)
↓ 戦後日本の高度経済成長を評価
2)ジャパン・バッシング(1980年代)
↓ 自動車、農産物などの「日本たたき」
3)ジャパン・パッシング(1995年頃~)
↓ 中国の急速な台頭、日本の低迷
アジアの拠点を香港、シンガポールに移転
4)ジャパン・ナッシング(2007年~08年頃)
↓ 世界の中で存在感がなく国際会議でも相手にされない
ジャパン・ミッシング
日本は行方不明、世界の変化についていけない
自信が無くなってきた
5)ジャパン・ラッシング(日経の造語)
企業の日本ラッシュ、急増する訪日外国人
前述の過程を日経平均株価に重ねるとすごく臨場感がでてくる
「日本は世界に誇る課題先進国」という表現はとてもおもしろい
外国人から見ると課題はビジネスチャンスだ
耕作放棄地は現在埼玉県の広さがある
日本人の英語力は下に北朝鮮があるくらいのレベルだ
空家はリフォームすれば化ける
(参考)上の表は2011年度の名目GDP
下の表は2012年1ドル=83.08円の時代
関東のGDPは英国と同じ
近畿は韓国と同じ
埼玉県はポルトガル、アイルランド、チェコより上だ
灯台下暗しとは外国企業が気がついて日本企業が気がつかないという事
懇親会の場で飯田編集長に
「ジャパン・ラッシングの次はジャパン・・・・・・・が来るか?」
と質問したら、よく考えてみると答えていた。