スミダマンのほのぼの奮戦記

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しだれ桜が似合う六角堂

2021-05-07 06:24:11 | 旅 ~京都

当寺は市街地の真ん中にあり、紫雲山頂法寺と号する天台宗系の単立の寺院。

本堂が六角宝形造りであることから一般に六角堂の名で人々に親しまれている。

周囲をビルに囲まれて狭い境内、御幸桜をはじめ、数本のしだれ桜が咲き、

他の大寺院とは一味違った雰囲気がある。

六角堂の開基は聖徳太子で四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、

霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。

弘仁13年(822年)には嵯峨天皇の勅願書となり、

又、長徳2年(996年)には花山天皇の御幸があり、

西国33所観音霊場(現18番の礼所)となったと伝えられている。

本尊の如意輪観音像は金銅三寸の古来厳重な秘仏とされ、

建礼門院(平徳子)が治承2年(1178年)6月27日に安産祈願のため寄進したとの伝承がある。

しだれ桜とともに境内にはいかにも

春っぽい柳の木の若葉も芽吹いてきて新しい息吹きを感じさせる。

この柳は縁結びの六角柳というらしい。

長徳2年(996年)花山院前内大臣が六角堂の桜を見て詠んだ

「世をいのる 春の始めの法なれば 君か御幸のあとはありけり」から

六角堂御幸桜と名付けられた。

この御幸桜は早咲きの桜でいち早く京都に春の始めを告げてくれる。

白に近い淡紅色で開花が進むにつれ紅色へと変化していくのが特徴。

残念ながら現在のは2019年に植え替えられたのもだ。

他にも狭い境内にしだれ桜の華やかな花が咲き誇って

この時期とてもチャーミングな寺院に変身している。

建仁元年(1201年)親鸞聖人が当寺に100箇日間参籠して霊告を受け、

後に真宗を開宗する根源となった。

ここには夢のお告げを聞いておられる姿「夢想え像」と

六角堂参籠の姿を自刻されたと伝える「草鞋の御影」を安置している。

六角堂の十六羅漢。

羅漢様とは仏の教えを護り伝えることの出来る優れたお坊さんに与えられる名前だ。

十六というのは、方位の四方八方を倍にした十六を表し、

あらゆる場所に羅漢様が居ることを意味している。

人工池に面して建つ、平面六角形、朱塗りの小堂が太子堂だ。

南無仏太子像(聖徳太子2歳像)を安置する。

この浅いプールのような池(聖徳太子 沐浴の古跡)に

大きな鯉が沢山泳いでいる姿は他の寺の池の鯉とは全く趣きが違う。

今回写真を撮ることができなかったが本堂前の六角形の礎石はへそ石(要石)と呼ばれ、

平安京造営以前から存在し、この石が京都の中心であるといわれている。

本堂北の本坊は池坊と呼ばれ、

室町時代以降多くの生け花の名手を輩出した所で華道発祥の地として有名な所だ。

現在は池坊華道の拠点となっている。

この立花モニュメントは寛永7年(1630年)に立てられた水仙一色の立花を再現したものだ。

清純で伸びやかな水仙の品性が匂い立つばかりだ。

台座の花押(サイン)は32世池坊専好自筆書状からの写しだ。

この裏には立派なビルの池坊会館があり、

その中にいけばな資料館隣りにいけばなの神聖な場の家元道場がある。

この北向地蔵尊は京都御所を守るために北を向いている。

当時御所を守護することは人々の生活を守ることにつながっていた。

このお地蔵さまは私達の生活を守っていただける霊験あらたかなお地蔵だ。

六角堂の隣りにシースルーエレベーターのビルが建っていて

このEVから六角堂全体を見渡せる見学コースになっているようだ。

ご覧の通り市街地の真ん中にある六角堂は

狭い境内に密集して諸堂が建っているのがよくわかる。

又、本堂の形がまさに六角形であるのもわかる。