スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

城下町萩を歩く ~その2~

2017-02-21 07:33:55 | 旅 ~国内

日本海の張り出した所にある指月山。この山の麓に萩城址がある。

萩城は関ヶ原の戦いに西軍の総大将に就いたことにより

周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利氏が

広島城に代わる新たな居城として慶長9年(1604年)に築いた城。

毛利輝元は城が未完成のまま、入城した。それから250年余りの間

長州藩(萩藩)の拠点となった。現在は指月公園として整備されている。

今まで行ったことがなかったので、是非行きたかったが、

残念ながら雨の為予定変更で行けなかった。

今までアップしてきたエリアが旧町人地。そこと旧上級武家地との

境になっているのがこの外堀。さすが日本でも有数の

歴史地だけに、きれいに整備されていた。

~その1~でもアップした田中義一の銅像。

(エピソード)昭和3年に起きた張作霖爆殺事件で田中総理は

昭和天皇に叱責され、その責任を負って内閣総辞職をした。

その7ヶ月後のパーティで急性の狭心症を起こし帰らぬ人となった。

田中義一の死により、幕末期より勢力を保ち続けた長州閥の流れは

完全に途絶えることとなった。

平成16年に開館した萩博物館。萩市の伝統的建造物群保存地区内の

大野毛利家の屋敷跡に建設された。造りは萩市特有の武家屋敷風の

広大な造りとなっていて第48回のBCS賞を受賞している。

キャッチコピーは「ここがまちじゅうへの出発点」

ここは行く価値が絶対ある。

正門から入ると広々した庭スペースに、1台ポツンと古色蒼然とした

真っ赤な車が置いてあった。かなりの年代ものでどうも消防車らしい。

実際に使えるのか、それとも展示物なのか?

この建物プランのゾーニングは各展示室をコアにして回廊式で

互々結んでいる。その回廊から中庭が硝子越しに見える設計になっている。

特に2枚目の枯山水の庭に竹林の島が設けられていて

クラシックモダンの空間が広がってとても素敵だった。

過去の萩の街の観光ポスターが展示してあった。

「おいでませ 山口へ」

アナログ時代の写真は輪郭がぼんやりしているが、人の温もりが伝わってくる。

 

行った時は「萩・夏みかん物語」の企画展をやっていた。

萩の夏みかんの歴史は、1700年代に現在の長門市青海島の

大日比の海岸に流れついたものを拾って種をまいて育てたのが

始まりと言われている。萩は毛利氏36万9千石の城下町として繁栄したが

明治維新の廃藩置県により士族の生活は困窮がひどくなり、

旧藩士小幡高政が士族政治の一対策として萩各所に夏みかんを植樹した。

明治10年に1万本の苗木を待屋敷のあとの空地に植え

ほとんど夏みかんでうまったと言われている。当初夏みかんは

「ダイダイ」と呼ばれていたが、明治18年大阪の問屋に出荷を相談したところ

大坂では「ダイダイを食うとヨイヨイ(中風痘)になる」と嫌って

ナツミカンという名にした方がよいという意見で以後夏ミカンという商品名となった。

萩の航空写真と江戸時代の城下町絵図

写真で左上の丸く出っ張った所が萩城のあった指月山。

絵図の真ん中白い建物が藩校明倫館。

日本海萩港で水揚げしている魚の展示もしてあった。

意外に知られていないが萩沖日本海は魚の宝庫。クロマグロも捕れる。

歴史展示室コーナー。実物資料や模型の数々が

入館者を江戸時代へ、そして幕末維新へいざなってくれる。

吉田松陰を中心とした展示コーナー。ここでは幕末の松陰と

松陰と出会った維新の人々のDVDが上映されていた。

タイトルは「志」。その根底にあった思想は「草奔堀起」。

私もそうだが、他の仲間も、このDVDを見ている内に血が熱くなってくるのを感じだ。

一種の町内会エリアから日本の歴史を変えていく青雲の志を

持った若者が化学反応をおこして覚醒していく。

俺は今いったい何をしているのだろうという心境におちいってしまう。

熱い気持ちのまま萩の人物コーナーへ。えっ、この人も萩ゆかりの人?

江戸時代の末から現代にいたる110名人物。埼玉県令を務めた白根多助。

日大国学院の学祖山田顕義、拓殖大学創立、首相桂太郎。

陸軍大将乃木希典。日本共産党議長野坂参三。

田中義一の長男、通産文部大臣田中龍夫。

日本初のセメント会社(小野田セメント)創業者笠井順八。

鉄道の父井上勝。日本水産の創業者田村市郎。

日立グループの創業者久原房之助。日産コンツェルンの創始者鮎川義介。

迎賓館を設計した片山東熊。綺羅星の如くだ。