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スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

西武園ゆうえんち アトラクション編

2021-11-11 06:26:32 | イベント

西武園ゆうえんちの歴史は古く昭和25年(1950年)1月25日にオープン。

敷地面積は210.000㎡(6万4,000坪弱)もある。

今年(2021年)5月19日にリニューアルオープンしたことにより

新たに誕生した夕陽館。

小高い丘の上に建ち、威風堂々とした存在感のある建物だ。

この劇場は定員70名で「ゴジラ・ザ・ライド」という

上映時間約5分の立体的映像を上映している。

この日はウエイティング時間0分。

15~20人くらいの人が館内に入ると長椅子に座らされ、

安全ベルトとバーを下して上映を待つ。

この様子は一切撮影禁止。

映像内容と椅子の動きが連動していて、一言でいうとかなり恐怖感レベルが高い。

足は宙に浮き、空を飛んで、時にはガタガタ激しく揺れる。

ゴジラ、八岐大蛇のような怪獣の攻撃を避けていく。

5分ほどというが20~30分くらいに感じるほど凄まじい内容で

とても文章で伝えずらい。

百聞は一見にしかず、充分に体験する価値あると思いますヨ。

是非一度行ってみてください。

恐怖体験を終えて館内を出るとショップに出る。

棚の上には戦後間もないイメージのポスターが。

そして棚にはゴジラとキングギドラのフィギュアが売っていた。

夕陽館の丘を下ると「夕日の丘商店街」「レッツゴー!レオランド」

「富士見天望塔」「大観覧車」などのおしゃれな案内標識があった。

西武園ゆうえんち アトラクション

「大暴れする巨大タコに捕まれ、

大海原の木端の如くグルグル振り回されるはこれ愉快痛快な極み也」

ということで人気3大乗り物の1つ「オクトパス・アドベンチャー」。

この後もいくつか紹介するが西武園ゆうえんちの乗り物は

みなアナログ的なものばかりで、ある意味ホッとする。

このエリアは西武園ゆうえんちの中心部分、夕日丘一丁目広場。

白い大きな傘のような施設はメリーゴーランド。

この写真を見ても園内がガラガラだということがわかると思う。

レッツゴー!レオランドのゲートのデザインはサーカスの臭いがして良い感じ。

広々した夕日丘一丁目広場で若い女性グループが

そのスペースを独占して双六的遊びで盛り上がっていた。

「海賊となって乗り込んだ船は激しい大波に揺られ、ひと息に高度を上げていく。

その無動力の如き浮遊感!」

これも人気3大乗り物の1つ「バイキング」。

夕日の丘商店街の裏手の丘にそびえ立つ「富士見天望塔」。

展望ではなく天望というところがミソか。

このうら寂れたゲートが以前の正門だったとか。

兵どもが夢の跡といった雰囲気が漂っている。

落ち葉掃きをしているアルバイト(?)の職員。

しゃれたハンチング帽にユニフォーム。

かっこいいのだけれど、なんとなくもの寂しい。

頬を切る疾風、水平に向かって舞い上がるスリル、

重力が生み出す原初的な快感に思わず歓声を上げる。

これは人気3大乗り物の1つ「回転空中ブランコ」。

緑の中でとてもメルヘンチックでファンタスティックな光景に映る。

四季折々の大眺望に心洗われるひとときを楽しめる「大観覧車」。

ロマンチックな夢を見る年頃はとうに過ぎたが、

悠然と蒼穹に向かって昇りゆく時間は、壮大な眺望と共に清々しい高揚感を与えてくれる。

こんな気持ちを味わうこともできるが、現実的には恐怖感も感じた。

巨大な観覧車の為か、最上地点に来ると瞬間、

止まってしまったような錯覚に落ちてしまった。

「あれ?故障してしまったのかな?

しまった、携帯を車に置いてきてしまった。どうやって降りようか?」など

ちょっと焦ってしまった程だ。

なお、大観覧車は1周約20分。

総定員は184名だ。

それではもう一度冷静になって大観覧車から見えた

一大パノラマをご紹介しましょう。

・上から見えた西武園ゆうえんちの全景。

・ぼんやりだが遠く新宿方面も見えた。

・西武ドーム(メットライフドーム)。

まるで森の中に着陸したUFOのようだ。

・人造湖の村山・山口貯水池。

・西武園ゴルフ場。

・所沢の市街地(高層マンションが随分増えましたネー)。

 


西武園ゆうえんち 夕日の丘商店街編

2021-11-10 06:22:17 | イベント

所沢に娯楽の新名所誕生(2021年5月19日リニューアルオープン)の

報を聞きつけ「西武園ゆうえんち」を訪れた。

娯楽が飽和した今の世に一体如何なる熱狂があり得るのか。

遊園とは、言わば幸福の象徴。

家族が、友人同士が、恋人達が幸福な時間を過ごしにやってくる。

新しい時代に望まれる新しい娯楽の形。

新生「西武園ゆうえんち」の想像を超える挑戦と成果を

スミダマンは今、目の当たりにした。

園に一歩足を踏み入れると、まず出迎えてくれるのが

「長崎電気軌道1050形1051号」の雄姿である。

路面電車といえば庶民の足であり、活気を運ぶ街の動脈であった。

人々を乗せて走っていた往時の熱を帯び、ここにその本物が置かれている。

否応無く、先に待つ娯楽世界への期待が高まる。

メインエントランス前にある西武山口線(レオライナー)西武園ゆうえんち駅。

とんがり帽子型のモダンな駅舎はとても鉄道駅には見えない。

入場券のチケット売場。

売場の上には昔の懐かしい映画看板風「ゴジラザライド」

「ジェッターミニ1300T」「レッツゴー!レオランド」のPR看板が。

料金は1日レヂャー切符が大人4,400円だ。

この日はまだ緊急事態宣言下で、

しかも午後ということもあり、ゆうえんち内はガラガラ。

賑わいのある場所がガラガラとはちょっと寂しいかぎりだ。

「夕日の丘商店街のアーチをくぐる。

その瞬間、人々の熱気が、興奮が、怒涛の如く押し寄せてくる・・・。」

この文章は入場して渡されたPR新聞「夕日の丘新聞」に書かれたものだ。

残念ながら前述したように園内はガラガラで、この日に限っては熱はなかった。

これが夕日の丘商店街の案内図。

昭和の香りいっぱいの看板を本当に上手に再現していて、

思わず、昔のどこにでもあった案内看板を思い出す。

ゲート入り口の所にある夕日の丘商店街前派出所。

「空き巣に注意」「不審者警戒中」の貼り紙が。

これもなんとなく昭和の時代を表現しているようだ。

派出所の中に木製テーブルとダイヤル式黒電話も昔のものそのものだ。

夕日の丘商店街①

派出所のおまわりさんが入場者に声をかけてくる。

ここではコソ泥を追いまわすパフォーマンスもやっているようだ。

そんな商店街のヒーロー駐在さんを動画で撮ってみた。

ちょっとでもその雰囲気が伝わればよいのですが・・・。

 

 

 

それでは商店街の各お店を写真集的に紹介していきましょう。

駄菓子の夢見堂。

若い女性にはこんな店がどのように映っているのだろう。

スミダマンは若い時代にこんな街で生活してきたのだが。

手焼せんべい屋さん。

せんべい1枚30園。

ここでは買う、食べる等、有料で提供されている全ての体験に

「西武園通貨」が必要だ。

1園が12円。

有効期限は入手した当日のみだ。

亀山新聞舗。

ここで夕日の丘新聞をもらった。

昔、昭和32年から昭和47年まで生産販売して大ヒットした

3輪自動車「ダイハツミゼット」。

大村崑のテレビコマーシャルを思い出す。

これを知るとスミダマンの年齢がわかってしまうかな?

おみやげ贈答品などのお買物は、ここ萬屋雑貨店で。

こちらの設定はかなり古い設定か?

漢字の看板が通常の逆になっている。

夕日丘第一分団屯所。

消防の施設だ。

煙草の「やまとや」さん。

ゴールデンバットからエコー、わかば、ハイライト、光、SHINSEI、Midori、

ひびき、AAA、缶ピー等々、昔の愛煙家なら懐かしいタバコが並んでいる。

公衆電話も赤だ。

小林理容所。

本日休業となっているが営業しているのかな?

高い入場料払って来る人はいないだろう。

魚屋の「魚勝」さん。

特製醤油ダレのイカ焼き60園(720円)に舌鼓。

劇団ゆうひの爆笑喜劇「はちゃめちゃ三姉妹」の会場は

夕日の丘体育館で毎月土曜日に開演しているらしい。

ポスターの図柄、色使いなど昭和30年~40年代のイメージだ。

江戸前禮鮨と黒木屋豆腐店。

そして鮨屋さんの雨樋。

こういうのありましたネ。

手が込んだ造りで美しい。

前述した「夢見堂」と人形・おもちゃの「カラクリ屋」。

「ワカバ薬局」と「けやき電気商会」。

古い薬屋さんでは仁丹、ノーシン、わかもとの看板をよく見ましたネー。

電気屋さんは三種の神器といわれた

白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が飛ぶように売れた1950年代後半。

テレビが調子悪い時、叩くと直ったものだ。(真空管の接触不良か)

お客がガラガラなのにここだけは熱く盛り上がっていた射的場。

しかも子供より父親が。

子供の頃に戻ったようだ。

射的の隣りはスマートボールの「にしおか遊技場 チャレンヂボール」。

ミニカジノコーナーだ。

スミダマンは子供の頃、温泉に行くとよくスマートボールをやった。

超懐かしい。

商店街の中程にある夕日丘郵便局。

帽子とがま口カバンの郵便局員スタイルの方が園通貨の交換係だ。

団子屋の「鶴亀堂」。

〇田屋乾物店では新巻鮭を売っている。

それにしても〇は難しい漢字で読めない、書けない。

仮装の店舗なのだから、もっと優しい店名で良いのではないか。

それとも何か理由があるのか?

ピンクの公衆電話。

台といい、懐かしいですネー。

草笛レコード店。

レコードも世の中から消えた商品。

やはりスミダマンも年を取った。

午後2時の夕日の丘商店街の全景です。

本当に空いているでしょう。

和洋菓子の棚牡丹堂。

本当にお菓子を売っている。

日本一 所澤(所沢)の自転車屋さん。

「まるろくや」何屋さんだかわかりません。

自転車に岡持ちがあるのと、壁に古い金属のオリエンタルカレーの

看板があるので食べ物屋さんではないですか?

ここはオーソドックスな食堂「助六屋」さん。

一般的な定食をここでは実際に食べられる。

夕日の丘商店街②

夕日の丘商店街の人気コーナーがここポン菓子の実演コーナー。

ポン菓子の生みの親はアレクサンダー・ピアース・アンダーソンという米国人植物学者。

穀物の研究実験中に偶然、米が膨化することを発見。

「パフライス」として商品化した1900年初頭のこと。

こういう板塀、そして剥がしては貼る、前の紙が残った広告チラシ。

ありましたネー。

よくこんな事を思いついたものです。

夕日丘テレビ放送。

昭和20年代後半、白黒テレビが出回ってきた頃、

こんな街頭テレビというものがありました。

その頃、プロレスが全盛で力道山とルー・ゲーリック、

シャープ兄弟などの白熱した試合を固唾を飲んで見ました。

夕日の丘商店街③

そして商店街のどん詰まりには公衆浴場「銭湯 朝日湯」が。

戦後間もない頃、自宅にお風呂がない時代がありました。

嘘みたいな話です。

青果 八百八。

本当に野菜を売っているようです。

おしゃれ ナリキリ洋品店。

軽食・デザートの喫茶ビクトリア。

以前ここの女性ウエイターの研修模様をテレビでやっていました。

素人がどんどんプロ化していく。

この商店街で働く人は皆、役者の演技を求められている。

中富米店。

ここで生米を買ってポン菓子コーナーに行きポン菓子が作ってもらう。

豊川氷問屋ではかき氷を売っていた。

街の荒物屋の金銀堂。

ここの男性は突然、豹変するという噂。

そして相澤写真館ではプロのカメラマンが記念写真を。

 

 

 

個性的な商店が色とりどりに軒を連ね、

生き生きと目を輝かせた人々が通りを行き交じっている。

これはまさしく、ひとつの街だ。

今、街の住人としてここに立っている。

童心に返り胸が高鳴る。

見る間に現実が遠退き、熱を帯びた別世界へと呑み込まれてゆく。

こんな気分は果たしていつ振りだろうか。

いつの間にか娯楽世界に巻き込まれてしまった自分がいる。

これぞまさに娯楽の別天地であーる。

 

 


青天を衝け大河ドラマ館 IN飛鳥山

2021-10-16 06:35:19 | イベント

渋沢栄一翁が人生の拠点とした王子飛鳥山。

ここは渋沢翁のテーマパークといわれている程、

飛鳥山周辺には渋沢翁に関するコンテンツがたくさんある。

渋沢栄一の足跡を訪ねる旅、第3弾です。

大河ドラマ館の外で広報キャラクターのしぶさわくんが出迎えてくれた。

ここは北区飛鳥山博物館。

ここで今年の2月20日から12月26日まで

NHK大河ドラマ「青天を衝け」の大河ドラマ館が開かれている。

因みに東京23区で北区のここが初の大河ドラマ館となったそうだ。

大河ドラマ館の入場券販売場は公園内に作られた洒落たプレハブで行われていた。

料金は大人800円と結構高めだ。

館内に入るとまず最初に吉沢亮さん(渋沢栄一役)の特大グラフィックがお出迎えしてくれる。

パリ万博編の洋装姿の栄一はこちら北区にある旧醸造試験所第一工場で撮影された。

そしてここのところダブルで脚光を浴びている渋沢栄一ののぼりも迎えてくれる。

すなわち2021年大河ドラマの主人公であり、

2024年には1万円札の新しい顔になるからである。

また、入口では「栄一を支える一言」パネルで栄一の歩みを振り返ることもできる。

①母の一言

「あんたがうれしいだけじゃなくて みんながうれしいのが一番なんだで」

②少年栄一に芽生えた熱き思い

「承服できん!承服できっこねえに!」

③千代が答えた一言

「強く見える者ほど弱き者です」

弱き者とて強いところもある

人は一面ではございません

④旅立つ栄一に恩人(平岡円四郎)

「だから渋沢、おめえはおめえのまま生き抜け 必ずだ いいな」

「青天を衝け」の世界を満喫できるコーナー。

撮影で実際に使用された衣装や小道具、相関図パネルなどが展示されている。

渋沢史料館の井上館長らによるとパリ万博解説パネルや

パリ万博幕府ブースのセットの再現が見られるのは北区ならではの事とか。

大河ドラマ「青天を衝け」の作は大森美香さんという女性。

題字は杉本博司氏、そして音楽は「ALWAYS 三丁目の夕日」の佐藤直紀氏だ。

部屋のセンターには各役者の衣装が展示してあった。

上は民部公子・徳川昭武(板垣李光人)の衣装。

真ん中は主役・渋沢篤太夫(栄一)(吉沢亮)の衣装。

下は医師・高松凌雲(細田善彦)の衣装。

「青天を衝け」の人物相関図。

やはり先日深谷に行ってきたばかりなので渋沢家の中の家・東の家・新屋敷(喜作)、

尾高家(惇忠、長七郎、平九郎、千代)の一族の関係がとても興味がある。

パリ万博での幕府ブースのセット。

日本瓦というよりも中華風の屋根瓦に日章旗。

ジャポンの国名がとても新鮮に感じる。

フランスの人が日本ブースをどのように飾ろうと考えたのか、

映像デザイナーの方は実際残っているデザイン画を元に、

時代考証の先生に協力していただいて作ったとか。

苦労の跡がよくわかりました。

ガラスケースの中に4人の衣装と写真、グッズなどが展示されている。

右から順に德川慶喜(草彅剛)の黒地ウール仏陸軍礼装軍服に生成り地ウールズボン。

徳川昭武(板垣李光人)の鉄紺色ウール四釦三つ組背広と

木蘭色縁取り付き漆黒地三釦上着に生成色乗馬ボタン。

渋沢篤太夫(吉沢亮)の濃紺色ウール地ベストズボンに

紺青色シングルフロックコート、シルクハット。

土方歳三(町田啓太)の漆黒地ウール多釦丸首ベストにズボン漆黒地シングルフロックコート。

パリ万国博覧会の招待状。

これは第20回「篤太夫、青天の霹靂」で撮影使用品。

ここでしか見られない高さ8mの大型スクリーンにドラマの世界観を表現した映像作品。

圧巻の映像と会場を包み込むドラマのオープニング曲により、

ドラマの世界に一気に引き込まれる。

「なりきり1万円札」 あなたも1万円札の肖像に!?

お手持ちのスマートフォンでダウンロードできるほか、

「渋沢✕北区飛鳥山おみやげ館」隣で印刷(有料)してお持ち帰りできる。

迫力のドラマシアター!

「渋沢栄一と徳川慶喜 運命の出会いから新しい時代へ編」

パリ万博そして明治へ。

激動の時代に奔走する栄一と慶喜の姿を描く4Kドラマシアター。

製作の舞台裏をのぞけるメイキング映像もたっぷり。

栄一役・吉沢亮さんはもちろん、五代才助役・ディーンフジオカさんや

杉浦愛蔵役・志尊淳さんなどの貴重なインタビューも必見です。

地元の中学校の生徒さんが渋沢栄一についての新聞を作ったそうです。

これが本当の歴史教育で良い教育をしていますネー。

大河ドラマ館のある北区飛鳥山博物館は平成10年3月に開館した北区の郷土資料館です。

1階部分が常設展示室で、1つの象徴展示、13の時代別に分類したテーマ展示、

そして荒川の生態系を取り上げた展示により構成されている。

 


「青天を衝け」深谷大河ドラマ館

2021-10-05 06:34:05 | イベント

いつから始まったかはわからないが、NHK大河ドラマで、

その主人公のゆかりの地に大河ドラマ館をPR効果を狙って造っている。

ここ「渋沢栄一 青天を衝け」深谷大河ドラマ館は

今年2月16日に深谷生涯学習センター・深谷公民館でオープン。

来年の1月10日(月・祝)まで開館している。

本来なら土日は大勢の人で混んでいるのだろうが、コロナ禍の中、

館内はゆったりした入りで密にならずゆっくり楽しめた。

広い駐車場とドラマ館の間には記念写真用の

大きなパネル前で写真を撮っていたがパラパラの人だった。

新1万円札を持った渋沢像のこのパネルをよく見ると

渋沢栄一が生きていたら181歳だそうだ。

館内に入るとアンドロイド映像の渋沢栄一と尾高惇忠、

尾高長七郎のパネルが迎えてくれる。

天井からは藍で染められた長い布が下り、井戸が設けられていた。

そしてそこには深谷市のイメージキャラクター(ゆるキャラ)の

「ふっかちゃん」が手を振って歓迎してくれた。

「ふっかちゃん」は2010年に生まれ、深谷ねぎをモチーフにできた。

2013年のゆるキャラグランプリでは4位、2014年は準グランプリ、

2015年は3位、この年のキャラ(R)forチルドレンでは初代グランプリに輝いた。

いよいよドラマ館へ入館。

当館は一部の動画、サイン等、撮影禁止マークの所を除けば

写真撮影はOKとなっている。

入館前の渋沢栄一4枚の大型パネルの前で記念写真を撮って下さいとすすめられた。

チケット売場の前には主役の渋沢栄一役の吉沢亮、渋沢喜作役の高良健吾、

渋沢なか役の村川絵梨のサインと当館での写真が

入館日を記念して展示されていた。

実は大河ドラマを見ていて気になっていた疑問が一つ解けた。

ドラマが始まるスタート時の字幕にテーマ曲の指揮者がN響正指揮者の尾高忠明とある。

ひょっとして尾高氏は尾高家のひ孫ではないかな?と思っていた。

この場の資料を見て渋沢栄一のひ孫ということが分かった。

これはまさに運命的な巡り合わせだとしみじみ思います。

主人公の渋沢栄一が生まれ育った家として創作されたセットでは、

当時の暮らしぶりを身近に感じられる。

そしてポイントポイントに各役者さんの等身大のパネルが置かれ、

来客者はその横に立って、なかには肩を組んで記念写真を撮っていた。

栄一の母・ゑい役を演じているのはスミダマンの好きな女優・和久井映見。

アイドルだった映見ちゃんも随分オバサンになってしまった。

ドラマのセット、ドラマに登場する衣装や小道具のコーナーでは

今まで放映されたドラマのシーンを思い起こさせ

大河ドラマをより楽しむファクターとなった。

ドラマ館のポイントポイントには撮影現場の裏舞台など貴重なDVDが流れていて、

時間が過ぎるのを忘れてしまう程、興味ある映像シーンが見られる。

なお、このDVDは動画撮影が禁止の為、

残念ながら皆様にはご紹介できません。

「青天を衝け」の人間相関図。

今まで大河ドラマを見てきて、人と人のつながりがよく分からない人物がいたが、

この図を見てその関係が一目瞭然となった。

それにしてもここに出ている役者だけでも50名もいるとは、

一つの芝居を作るのは大変な作業だ。

武州藍の生産番付表。

行司は渋沢栄一と喜作になっている。

この番付の版木は比較的最近、親戚の家から発見されたと、

「ブラタモリ 深谷編」で言っていた。

この番付作成の発想が将来の栄一の経済界での大活躍を暗示するものとなっている。

栄一の実家の渋沢家は染物の顔料「藍玉」の生産、製造、販売を

一貫して行う裕福な農家であった。

栄一は単なる農家ではなく、メーカーとして商社としての

ビジネス体験を若くして実践していた。

撮影風景やキャストのインタビューを上映する「4Kドラマシアター」は迫力があり、

撮影の苦労話など裏側の物語が紹介され、

その見応えさに終わるまでこの席を一歩も離れることができなかった。

「青天を衝け」のメインキャスト8名のスチール写真とコメントが載ったコーナー。

パリ万博のパビリオンで外国人に混じって栄一達武士の一行が

エレベーターに乗ったシーンに使われたエレベーターのセット。

こちらは左側が渋沢篤太夫(栄一)と右側が渋沢成一郎(喜作)の着た着物衣装。

これを見て裏方の衣装係さんの苦労が見えるようだ。

これは平岡円四郎(堤真一)が妻・やす(木村佳乃)へ残した文。

実際に撮影で使われたものが展示してあった。

これが尾高淳忠を中心に渋沢栄一など攘夷の血気に燃える仲間達が高崎城を乗っ取り、

外国人居留地を焼き討ちする計画を立てた時に書かれた

アジテーションの神託と血判状。

文字の大小、使われた文字の激しさがその時の思いを伝えている。

これが大河ドラマ青天を衝けの第1回、第19回、第25回の台本。

中も是非見たかったナー。

ドラマ館最後の展示コーナー。

ポイントポイント写真を撮っていると係の年配女性がそっと横に来てすごく優しく

「申し訳ない。ここは写真撮影もダメなんですヨ。ごめんなさいネ。」と

こちらが恐縮してしまう程、断り方が素晴らしい。

人の心を動かすのは北風ではなく太陽だと改めて実体験し、学ばされた。

この掛軸の書は、明治6年6月24日、明治天皇の母である皇太后(英照皇太后)と

皇后(後の昭憲皇太后)が富岡製糸場へ行啓された時、

一行を出迎えた初代場長の尾高惇忠が書いた漢詩です。(複製品)

その行啓の様子を惇忠が詠んだものだ。

ドラマ館を出ると吹き抜け的なトップライトの広場がある。

そこには1936年製のナッシュ・ラ・ファイエット3610が展示してあった。

ここはドラマ館の隣りにある深谷物産館。

深谷の特産品や新鮮野菜などと同時に大河ドラマ「青天を衝け」のロゴグッズや

ふっかちゃんグッズなどが取り揃えてある。

最後に大河ドラマ「青天を衝け」の渋沢栄一役の吉沢亮のアップポスターをプレゼン。

このポスターには小さく「仁なる者に 敵は無し」と・・・。

作は大森美香、音楽は佐藤直紀、題字は杉本博司が担当している。

 

 


祇園祭 神幸祭

2021-08-07 06:33:24 | イベント

この祭りが今回の旅のメインイベントです。

京都の夏を彩る祇園祭といえば近年(2014年から)は

前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)の2回に分け

開催されるようになった「山鉾巡行」が有名ですが

実は祭りの最も重要な行事とされているのは神様を載せた

神輿が市内を回る「神輿渡御」だということはご存じでしょうか?

神輿が境内から御旅所へ向かうのが「神幸祭」(7月17日土曜日)

御旅所から境内に戻るのが「還幸祭」(7月24日土曜日)

雅なイメージが強い京都の町ですが、2回の「神輿渡御」は

勇壮な行事で京都の意外な一面が見られる。

今年も昨年に続きコロナ渦の為、通常の神幸祭の神事は

中止になってしまった。そもそも祇園祭の行事は7月1日の吉符入りから

始まり7月31日の渡神社夏越祭まで1か月間、

様々な祭事神事が行われる。

ここで最も祇園祭で重要な行事「神輿渡御」の主役3基の

神輿について記してみます。

この神輿は中御座神輿(ナカゴザミコシ)といって

八坂神社の主祭神の1つスサノヲノミコトの御霊をのせている。

この神輿は四条大橋まで行き、鴨川の水を含ませた榊の枝の

水しぶきで清められる神輿洗い(7月10日)が行われる。

この神輿の屋根飾りは鳳凰。

六角形が特徴である。

ご奉仕は約500名の三若神輿会がやっている。

神輿のうち最も重いのが西御座神輿(ニシゴザミコシ)で

重さ2トンもあり300人ほどの氏子が交代で担ぐ。

この神輿にはスサノオノミコトの子であるヤハシラノミコガミがのせられ、

屋根の形は八角形になっていてやはり鳳凰がのっている。

ご奉仕するのは錦市場の錦神輿会約600名だ。

最後の神輿がスサノオノミコトの妻であるクシイナダヒメノミコトがのる

東御座神輿(ヒガシゴザミコシ)。

屋根は四角形で擬宝珠の飾りがのっている。

ご奉仕は四若神輿会約450名が担当だ。

通常の神幸祭は中止とはいえ、なんらかの形で神さんを形にしようと

昨年京寿司いづ重の北村大将をはじめ多くの関係者の努力で

今年も神事、祭事は八坂神社境内舞殿の前で挙行された。

ある意味約1150年の祇園祭の歴史の中で全く従来と違う神幸祭が

挙行されるこの日の姿を見ようと数は少ないが一般市民が集まっていた。

そういうスミダマンもその1人だ。

神事が始まる前には八坂神社境内のうちで「茅の輪くぐり」も行われていた。

茅の輪くぐりとは、茅で編んだ直径数メートルの輪をくぐり、

心身を清めて災難を払い、無病息災を祈願する夏越の祓を象徴する行事です。

 

MVI 0641

MVI 0644

 

いよいよ午後5時過ぎに八坂神社の宮司はじめ神官、

祇園の氏子代表(宮本組など)3基の神輿の奉仕団体

三若、四若、錦の各神輿会の幹部の方々などが

夏の袴など古式豊かな服装で舞殿の前に集まり、

宮司さんの祝詞が奏上された。

この一連のある意味異常な祇園祭神幸祭を報道あるいは

スミダマンのように記録しようと報道関係者の方も

早くから陣取っていた。

 

MVI 0645

 

昨年NHKで放映された「ノーナレ祇園の神さん」でも紹介されていた京寿司「いづ重」の

大将北村典夫氏と八坂神社の若き権禰宜さんとの打ち合わせに出てきた

白馬がここで登場。背中に御榊を乗せ、宮司さんが入魂している。

とてもシンプルだが厳粛な時間でこれが1150年間連綿と受け継がれてきた

祭りがコロナに負けず今年もつながった瞬間を目撃できた。

神事が終わり八坂神社の石段には三若会有志の人を中心に

四若会、錦会の方も参加してこれから神さんの行列を見送る為集まっていた。

通常は午後4時から本殿で始まり、午後6時に八坂神社の石段下で

出発式が行われる。3基の神輿が「ほいっと!ほいっと!」とい

掛け声で差し上げられ、その後氏子町を回り

四条御旅所に向かう。

その前を地元(?)の年配の着物を着た女性が横切って行った。

もうこれは京都ならではの光景で何か心に響くものを感じた。

八坂神社の正門を抜け、東大路道を進んできた神幸祭関係者の列が

「ほいっと!ほいっと!」の掛け声とともに四条通りに近づいてきた。

2枚目の写真の白い着物に袴をはいた凛々しい男性、この人がいづ重の

北村大将の勇姿だ。

 

MVI 0658

 

東大路通りと四条通りの交差点祇園からこの動画を撮る。

このDVDの最後の方に映っている年配者女性とおばあさんが

いづ重北村大将の奥さんとそのお母さんだ。

お祭り大好きの奥さんが神さんと亭主(?)に向かって

手を合わせている姿が胸にグッと来た。

それでは行列をカメラで追ってみた。

ここは祇園花見小路一力茶屋前

四条通の商店街の前を行く

今年は八坂神社の宝物が出ていると関係者が言っていた。

中御座を担ぐ三若神輿会の幹部の皆さん。

NHKのノーナレにも出てきた京割烹のお祭り命の

大将も先頭で歩いている。

本当によく調教された白馬だ。

ただただ神さんを背に黙々と歩いている神馬。

すごく神々しい。

こちらは西御座と東御座を担ぐ錦神輿会と四若神輿会の幹部。そして三若の大幹部。

御一行さん方は一路デパート高島屋の先の

四条御旅所へ向かう。

 

昔、約30年ほど前のバブル時代、祇園祭の宵山と山鉾巡行を見に一回

来たことがあったが、その当時は祇園祭について何も知らずに来たが、

今度は神幸祭で行われる三社揃い踏み、出発前に八坂神社の西門前に集まった

三つの神輿が「ほいっと!ほいっと!」の掛け声で

それぞれの神輿が高々と担ぎ上げられ

「差し上げ」時計回りに回転させられた姿を

是非死ぬまでに一回は見てみたいものだ。

八坂神社の御旅所は古くは大政所御旅所・少将井御旅所の

2か所あったが、1591年(天正19年)に豊臣秀吉の命により

四条京極一か所に移転した。

1912年(明治45年)四条通り拡幅に伴い現在の姿となった。

普段はここ八坂神社御旅所は「otabi kyoto」という

お土産センターであるが、毎年7月17日の神幸祭に

八坂神社から神輿が渡御し、24日の還幸祭までとどまる場所である。

御旅所には中御座の主祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御神霊

東御座にはお妃であられます櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)の御神霊、

そして西御座には八柱御子神(やはしらのみこかみ)の御神霊を

お遷ししているということで一週間御神輿が留まる間は

八坂神社は神様が不在となるそうだ。

四条御旅所の所にある「冠者殿社」は八坂神社の境外末社だ。

御祭神は八坂神社とおなじであるが、ここは荒魂を祭る。

荒魂とは和魂に対するもので神霊の穏やかなはたらきを和魂、

猛々しいはたらきを荒魂といい、全国の神社の本社には

和魂を、荒魂は別に社殿を設け祭るという例が多い。

祇園祭のお守り粽は必ず

「蘇民将来之子孫也」と記されている。

これは蘇民将来のもてなしに感謝したスサノオノミコトが

「後の世に疫病が起こらば蘇民将来の子孫と言いて腰に茅の輪をつけたる人は免れなん」

と言われたことに由来します。

 

 


祇園祭山鉾建て

2021-07-28 06:15:30 | イベント

昨年の10月12日、NHKで放映されたストリーズ

「ノーナレ 祇園の神さん」をご覧になった方はいらっしゃいますか?

コロナ禍で中止の危機に迫られた京都祇園祭を何らかの形でやらなければいけないという

必死な姿を追ったナレーションなしのドキュメンタリーでした。

主人公は八坂神社石段下の京寿司「いづ重」の大将・北村典夫氏。

これを見て目頭が熱くなるほど感動し、こんな事は過去にない祇園祭を

一度目に焼きつけたいと思い、京都祇園祭前祭(さきまつり)に行ってきました。

今回は前祭山鉾建てから旅のスタートです。

京都駅を降りるとコンコースに祇園祭ミニチュア鉾と提灯の展示がしてあったのを発見。

この主催者はJR西日本と京都駅ビル開発(株)だ。

ここで祇園祭山鉾行事の歴史について記してみましょう。

八坂神社の祭礼である祇園祭は疫神怨霊を鎮める祇園御霊会(ごりょうえ)が起源で、

貞観11年(869年)全国的に疫病が流行した時、その退散を祈願して、

長さ6メートルほどの矛を当時の国の数にちなみ66本立て、

牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったのが始まりと言われている。

しかし、その後の山鉾巡行の歴史は受難と復興の歴史でもあった。

応仁・文明の乱(1467年~1477年)では京都の町とともに山鉾もほとんど焼き尽くされてしまった。

乱後23年を経た明応9年(1500年)、町衆が力を合わせて山鉾を再興させ、

「祇園社記」によれば前祭(さきまつり)26基、後祭(あとまつり)10基の山鉾が巡行を行ったとされており、

これが現在の山鉾行事・山鉾巡行の基礎とされている。

京都三大祭りの一つ、祇園祭の最大の見どころ「山鉾巡行」は

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、去年に続き中止となった。

しかし、今年は山鉾の組み立て技術を継承するために行うとの事。

行事日程は7月1日の吉符入りから始まり10日~14日まで前祭山鉾建て、

14日から16日まで前祭宵山、そして本来は17日に前祭山鉾巡行が行われる予定で、

7月31日まで1ヶ月間、熱い祭が続く。

 

 

 

それでは四条通りにある月鉾からアトランダムに歩きながら見つけた山鉾を紹介しましょう。

月鉾は夜と水徳の神であったこの月誌尊に因んだ鉾で、

鉾頭に新月型をつけていることから、この名で呼ばれている。

この鉾頭は全山鉾中最古の銘が見られる。

稚児人形は「於兎丸(おとまる)」といい、現代的な容貌で

明治45年五代目伊藤久重作であり、その前年までは生稚児が乗っていた。

真木のなかほどに月読尊をまつり、屋根裏の草花図は円山応拳の筆、

胴懸にはインドやトルコの絨毯を用いている。

当日は至る所でマスメディアの人達が取材に来ており、

違った意味で注目されていることが伝わってくる。

これが技術の伝承が必要な部分。

鉾の組み立ては釘一本使わず、縄のみで組み立てられている。

車輌の組み立ても技術が必要らしい。

尚、山鉾の組み立てはすべてはっきり分業化され、巡行の日も役割りが決められている。

各山鉾にはこのような文化財的価値のある絨毯で飾られている。

現地に来てはっきりわかったことだが、各鉾には専属の町会所があり、

そこからはしご的廊下で結ばれている。

各山鉾には屋台が出ており、ここで厄除ちまき、うちわ、扇子、手拭、お願い袋、

バンダナ、マスクなど各山鉾のオリジナルグッズが売られている。

次は四条通りを東に向かっていくと函谷鉾(かんこほこ)の提灯ゲートに出る。

四条通りはすっかりお祭りモードになっていた。

函谷鉾は「くじ取らず」で毎年全体では5番目、鉾では長刀に次いで2番目に行く。

孟嘗君という中国の人物が函谷関で家来に鶏の鳴声をまねさせて

関門を開かせ難を逃れたという故事に因んだ鉾。

鉾頭の三日月と山は夜中の山並みを表し、真木の上端には孟嘗君、

その下に雌雄の鶏が祀られている。

重要文化財である旧前懸は旧約聖書創世記の場面を描いた16世紀末の毛綴で。

宵山の期間は町家にて展示している。

こちらの屋台は車道てんとをにテントを立てた大きい店だ。

ここにはあのコンチキチンの音色で有名な祇園囃子のCDが3,000円で売られている。

又、手拭の種類は多い。

この鉾の屋根裏のしつらえといい、又水引、胴懸絨毯など、

まさに動く美術館と言われるに相応しい装飾品で埋め尽くされている。

ここの町会所は函谷鉾ビルといってそのものズバリ。

地下1階と2階は(財)函谷鉾保存会が入っていて、

こんな所にも祇園祭の歴史のすごさ、深みを感じてしまった。

このお祭りは知れば知るほどすごい。

四条の大通りから路地の室町通りに入るとそこに鶏鉾がある。

天下がよく治まり、訴訟用の太鼓に苔が生え、

鶏が宿ったという中国の故事の心をうつしたものといわれている。

鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が太鼓の中にある意味をあらわすといわれている。

真木の天王座は船形で海上の守護神である住吉明神が祀られている。

こちらの鶏鉾の町会所も鶏鉾ビルというズバリのビルの中にある。

前懸のペルシャ絨毯、胴懸の草花文様インド絨毯は、近年復元新調されて用いている。

見送は有名な毛綴れで近年の調査によると

トロイの皇子へクルートが妻子に別れを告げる図であるという。

この見送は16世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、

国の重要文化財に指定されている。

山鉾の古い形態を残す傘鉾のひとつだ。

直径2.6mの大きな綾傘の前に進む6人の稚児と赤熊をかぶり棒を持った者が、

鉦、太鼓、笛に合わせて踊る棒振り囃子が特徴の綾傘鉾。

棒振り踊りでは、独特のお囃子の合わせて疫病退散の踊りを踊る。

傘の上の御神体の鶏は金の卵を片足に持っている。

綾傘鉾の屋台にもオリジナルの手拭、色々なデザインの扇子などが置いてあった。

厄除ちまきは当然だが皆どこも1,000円。

綾傘鉾が置かれているすぐそばに町家会所としての大原神社がある。

このワンセットを見ると町の鎮守様といった感じか。

因みに神社で祀られている牛頭天王(ごずてんのう)は日本における神仏習合の神。

釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。

狭い路地の雰囲気に誘われて散策した道は膏楽辻子というが、

出た所に郭巨山の屋台があった。

郭巨山(かっきょやま)は貧困に苦しんだ郭巨が子を捨てようとしたところ

土中から黄金が出てきたという話に因む。

御神体の郭巨は金の釜を発見した驚きの表情で鍬を持ち、

童子は右手に唐団扇、左手に紅白の大輪の牡丹を持つ。

これは放下鉾。

鉾の名は真木のなかほどに放下僧の像をまつることに由来している。

鉾頭は日・月・星の三光が下界を照らす形を示し、洲浜の形に似ているともいう。

洲浜と光苔を表わす2本の棒。

鉾上で稚児舞ができる唯一の操り稚児人形「三光丸」を乗せ、

人形ならではの愛らしい舞が披露される。

懸には花文様のインドやペルシャの絨毯があります。

尚、放下鉾は「くじとらず」で21番目に行きます。

町会所は町屋の2階にあり、鉾に上がるまで急階段を登る。

見事な縄縛り。

これはやはり技術継承が必要なのはよくわかるような気がする。

改めてこれを見るだけで約1150年も続いてきた歴史の重みを感じる。

放下鉾の屋台。

実際に山鉾が辻回しで使った青竹のストラップが売られていた。

各山鉾にはこのようなオリジナル商品が売られているのだろう。

放下鉾がある新町通りの先には赤と黒の印の入った提灯が並んでいるのが見えた。

提灯の上には番傘がさされ、なんとも言えない風情が漂っていた。

この先には後祭で鉾建てされる予定の南観音山がある。

永正年間、京都に大火があったとき、時ならぬ霰が降り、

猛火はたちまち消えましたが、そのとき一寸二分の天神像が降ってきたので、

これを祀ったのが霰天神山(あられてんじんやま)の起こりであると言われている。

実際、これまで一度も火難に遭っておらず、

このことから「日除け天神」とも呼ばれている。

たまたまランチでお世話になった「膳處漢」さんの隣りが霰天神山の屋台になっていた。

京都の路地にはお祭の雰囲気を盛り上げる演出を自然とできる町並みがある。

また烏丸通の大通りに出てきた。

ここにあるのは孟宗山。

この山は筍山ともいい、御神対は病身の母を養う孟宗が、

雪の中で筍を掘り当てた姿をあらわしている。

唐人衣装に笠をつけ、右手に雪をかぶった筍、左手に鍬を肩にかついで立っている。

そのため御神木の松や粽には雪を模した綿が付けられている。

最後に数ある鉾の中でも誰もが知っている長刀鉾(なぎなたぼこ)。

この鉾の鉾頭には疫病邪悪を祓う大長刀をつけているのでこの名で呼ばれている。

古来より「くじとらず」で毎年必ず巡行の先頭に立つ。

又、生稚児が乗るのはこの鉾だけだ。

山鉾巡行のスタートにこの鉾の稚児が刀で縄を切るシーンは

祇園祭といったら必ず映像で映し出される。

鉾の屋根裏の金地著彩百鳥図、破風の彫刻、又、前懸、胴懸、見送には

希少な絨毯(復元・新調品もある)が用いられ、

絢爛豪華で他を圧倒しているような美しさを誇っている。

本鉾の名前の由来になっている長刀は、もとは三条小鍛冶宗近の作が用いられていたが、

現在は大永二年(1511年)三条長吉作の長刀を保存し複製品を鉾頭としている。

さすが長刀鉾の町会所、四条通りの繁華街の中にあり、

人通りもここは満員電車状態の賑わい。

厄除の粽(ちまき)販売もここでは売っておらず、

各自申込んで後日宅配便で配達する方式を取っている。

とにかく人気があるのか、この申込に長蛇の列ができていた。

結局、前祭での山鉾は23基ある内の8基見て歩いた。

町には、特に山鉾のある所にはコンチキチン祇園囃子のCDが流れ、

山鉾巡行は中止になったが、約1150年間その時代その時代の町衆を中心に引き継がれてきた

祇園祭の素晴らしさは充分感じ取ることができた。

元々祇園祭は疫病退散の祈願の為に始まった故、

まさに現在世界中が新型コロナという疫病と闘っている時、

この祭の意義は大きいと痛感した。

 


駅ピアノ「浦ピ」

2021-07-13 06:11:23 | イベント

「サッカーのまち浦和に誰でも弾けるピアノがやってくる!」

こんなキャッチコピーで浦和駅中の島地下通路に駅ピアノが設置された。

設置日の7月7日(水)たまたま伊勢丹に用があり、

ここを通ったので暫しエンターテインメントの時間に浸ってきた。

ご覧のように駅ピのまわりはたいへんな人だかりでその関心の高さがうかがえる。

上の写真の真ん中の通りは(下の写真も)浦和サッカーストリートといって2018年3月16日開通し、

その通りには浦和レッズのオフィシャルショップ「レッズボルテージ」がある。

URAWA STREET PIANO 通称「浦ピ」は浦和駅中の島地下通路に「1号機ピ」、

設置期間は7月7日(水)~7月20日(火)、

演奏可能時間は10:00~22:00(7/20は搬出の為10:00~12:00まで)。

又、浦和区役所1階ロビーに「第2号機ピ」、

設置期間は7月1日(木)~7月14日(水)、演奏可能時間は12:00~13:00。

主催は浦ピ実行委員会で協賛はロータリークラブ5クラブ(地区第一グループ)、

(株)ジェイコム埼玉、(株)サイホーホールディングス、

後援はさいたま市、さいたま市教育委員会、テレ玉、浦和レッズだ。

浦ピ設置の趣旨目的は「文教都市浦和の地域性を背景にJR浦和駅の一角に

”誰でも弾きことができるピアノ(浦ピ)”を設置し多くの市民が自由に奏でることによって

行き交う多くの人々に安らぎと憩いの場を提供し、

まちのヒト・モノ・コトの協働・協奏・協創をもって

地域の文化振興および商業的な貢献を含む地域の活性化に寄付することを目的とする」

ということだそうだ。

このアップライトピアノは楽器メーカーのヤマハが始めた

「ラブピアノプロジェクト」で使用されるペイントされたピアノの4号機、

イラストレーターの立川恵一さんが楽器の楽しさを表現してペイントした。

ピアノは脚柱の曲線を活かしたタイプだ。

因みにペイントピアノは全部で5機ある。

今回のプロジェクトの費用予算は約200万円で、ピアノレンタルだけで52万もかかる。

私達の浦和東ロータリークラブもこの事業に賛同し、寄付を募っているところだ。

設置した初日から演奏希望者が絶えず足を止めて聞き入る人も多い。

京都駅で見た2回の駅ピアノに比べてあまりの違いに

これはヤラセではないかと疑った程だ。

演奏希望者はこのように壁に貼られたボードに書き込んでいく。

10時から始まって12:45の段階で11人も書き込まれている。

 

 

 

それでは通りすがりに4組の演奏の動画を撮ったのでアップします。

皆さん本当にお上手でビックリです。

駅ピアノ「浦ピ」①

駅ピアノ「浦ピ」②

駅ピアノ「浦ピ」③

駅ピアノ「浦ピ」④

駅ピアノ「浦ピ」⑤

7月8日(木)には元AKBメンバーの松井咲子さん(蕨市出身)が浦ピ応援のため来市。

「会いたかった」「夜に駆ける」「366日」「ディズニーメドレー」を披露したそうだ。

聴いてみたかったナー!


こどもフリーマーケット

2021-06-25 06:16:53 | イベント

ちょっと前のイベントになりますが5月15日(土)に南浦和駅西口から近い水深公園で

「南浦和こどもフリーマーケット&片付けバザール」が10時から13時まで開かれた。

主催者はNPO法人このまちで暮らす会さん。

後援はさいたま市、さいたま市社会福祉協議会、

埼玉県子ども食堂ネットワーク、コープみらい、そして協力が埼玉県。

会場は広々とした公園とはいえ、人の密がある為、

コロナ感染防止対策としてアルコール消毒液が設置され、マスク着用の協力が求められた。

公園入口には「こどもフリマ」「片付けバザール」ののぼりが立てられ、雰囲気を盛り上げている。

今回の出店は

①こどもフリーマーケット

お父さん・お母さんと一緒に売買を実体験する社会勉強の場

(A)自分のおもちゃなど自分の不要な品物を売り買い

(B)使わなくなった子ども用品を売り買い

②片付けバザール

中高年の方がメインのブースと不要な品物の売り買いの2つ。

50店ブースが出店を予定しているとの事。

この日はフリーマーケット日和に恵まれ、ご覧のような賑わいでスタートした。

ところでこの公園の向こう側、

黄色いシートの店は二郎系ラーメンの虎丸さん。(2013-10-19付ブログ~その112~)、

その左隣りこんもりした樹の奥に黒い中華そばの

伊とうさん(2020-10-15付ブログ~その505~)が見える。

実は今回のフリーマーケットに2年前支援した子ども食堂の縁で

主催者の方から浦和東ロータリークラブに出店要請があり、快く協力することになった。

遠くのブースが浦和東ロータリークラブのブース。

各会員が持ち寄った品物約300点。

自分でも欲しくなるものがいくつもあり、大変な人だかりになった。

価格設定は1,000円、500円、300円、100円、10円の5段階。

1,000円は岩谷のグリルパン、ヒロタのツイングリラー、

シャープの電動ジャーポット、圧力鍋、ご飯の釜など。

500円は江戸木目込人形、電気調理器、あじのさと。

境目が300円とわからないが焼肉プレート、網焼プレート、ステンレスポット、

そして300円で盛り上がったのがロータリーメンバーが趣味で生産した無農薬のお米。

(有名なレストランでも使われているらしい)

100円コーナーはバーバリーの男物ソックス、洗剤アタックなど。

10円コーナーはマグカップ、毛筆、タオルなどの雑貨など多種多様。

テーブル上の商品が売れてきたら次に販売予定の出番を待っている品物たち。

結局この日の売り上げ寄付金額は約9万円弱となった。

この麦わら帽子を被っている女性は販売開始のだいぶ前から来て、

買う予定の品物を熱心にチェックしていた。

かなり大量に買われたがひょっとしてフリーマーケットの達人かもしれない。

ちょっと節操が無かったが・・・。

11:00から始まった「じゃんけん大会」。

大勢のお子さんが並んで大変な盛り上がりになった。

会長に勝つとお菓子がもらえる。

他のブース。

ちょうど大きなけやきの木が2本あり、その日影の下が絶好のエリアになった。

大人の片付けバザールは2m×2mのブースで出店料は個人700円、法人・商店等は1,000円だ。

こちらのブースは医療費支援のフリマと書かれている。

また、GO保護犬GOと題して犬の里親も募集していた。

各ブースを巡っていたら知人とバッタリ。

バリ島(?)の飾り物がアピールしていた。

こちらのブースはCDがメインか?

CD各種100円で伊東ゆかり、藤圭子、矢沢永吉、ドリカムと懐かしい歌手の名が続いた。

YシャツLLサイズ300円はグラッと心が動く。

これがフリマのメインストリート。

冷かしながら巡ると結構楽しめるものだ。

この後ろ姿の男性が今回のフリマの主催者の方で地域の助け合い

NPO法人「このまちで暮らす会」の代表理事の方。

こちらのNPO法人では子ども食堂とともに1人暮らしの高齢者を見守る「安心電話」も実施している。

実はこの方との出会いから思わぬ展開が起きたことは明日ご紹介いたします。

奈良薬師寺の大谷徹奘師曰く、これはよっぽどの縁だ。

この野草は本事業の主催者の1人が持ってきた「見沼の畑のスミレ」だ。

お花が好きで大事にしていただける方に

畑のスミレをプレゼントしますということで4袋もいただいてしまった。

そこそこの広さの水深公園の中にケヤキの大木が3本。

日差しを遮って涼を与えてくれ、ホッとできる時が流れていた。

 

 


浦和伊勢丹40周年記念写真展

2021-06-09 06:00:27 | イベント

浦和伊勢丹は浦和駅西口の再開発事業のキーテナントとして

1981年(昭和56年)4月22日に開業した。

ちょうど今年の4月22日で開業40周年を迎えた。

建物の広告塔のコーナーには「うらわとわらう」というサブキャッチコピーとともに

そのことを表示する大垂れ幕が下がっていた。

そしてもう一つの大垂れ幕、スミダマンが卒業した高砂小学校創立150周年も下がっていた。

副タイトル「浦和のさかえに歴史をほこる」とともに。

これは浦和駅西口から一番近い出入口のアップ。

デパートの無い県庁所在地としてクイズにも出た浦和に

天下の伊勢丹がオープンして早40年。

今や「伊勢丹、パインズ、浦和レッズ」と言われるほど、浦和の地に定着した。

しかし、コロナ以前にデパート業界の構造的不況から

伊勢丹の松戸店、相模原店、府中店は閉店に追い込まれ、

東京都の23区以外では立川店と浦和店の2店だけになり、

今後の動向が非常に気になるところだ。

これを記念して伊勢丹浦和店40周年記念の写真展が

1階特設会場で4月21日(水)~5月18日(火)まで開催された。

40年前の開店当時の写真や伊勢丹と浦和地域の歴史を感じられるような写真が展示され、

とても貴重な写真を見ることができた。

これは40年前の伊勢丹と今の伊勢丹のイラスト。

明らかに違うのはISETANのロゴとマーク。

浦和レッズの集合写真はわかるが、昔の国際興業のバスとタクシー、

今の犬の散歩とジョギングは何を表現しようとしているのか?

いまいちよく理解できない。

昭和56年開業時に写っている壁一面の幕に書かれたキャッチコピーは

今でもズーンと胸に来る。

「翼をひろげた浦和」本当にそうだ。

40年間で街路樹が大きく育っている。

この新旧の写真を見て思い出したのは、どこのデパートもそうであったが、

伊勢丹の屋上にも遊園地があったナー。

それ以外にはこの写真では大きく変わったものが無いのは意外だった。

因みに2005年には約36億を投じて大リニューアルをした。

また、今年で150周年を迎えるスミダマンの母校、

さいたま市立高砂小学校の今と昔を振り返る写真も一緒に紹介されていた。

スミダマンが在校していた時代のものは体育館とプールと

校庭の中程にあるシンボルツリーの大銀杏の木以外は全て変わってしまった。

この大銀杏は子供の頃は巨大に見えたが、

今見るとさほど大きく見えないのは不思議だ。

この写真展をプロデュースしたのが唄う書家の岩船ひろき氏。

氏は浦和生まれ、浦和育ち、浦和在住の生粋の浦和アーティスト。

シンガーソングライターであり、書家でもある。

日本で唯一の唄う書家として歌、書、絵、ラジオ、プロデュースを手がけるマルチアーティストだ。

この緻密だがどことなく温かみのある絵は、浦和駅西口方面を描いているようだ。

時代背景はおそらく明治の初めの頃か?

遠くに蒸気機関車が走っている。

一体誰が描いたのだろう?

史実に基づいて描いた絵なのか?

でもこの絵好きだナ!


京都駅ビル 光のファンタジー

2021-04-01 06:18:20 | イベント

2020年11月13日からつい先日の2021年3月27日まで(17:00~24:00)、

ときめきプロジェクトと称して京都駅周辺でウィンターイルミネーションが行われていた。

2017年から京都駅前を訪れる方へ「ときめき」と「やすらぎ」の空間を

提供するために始まった光のプロジェクト。

駅前広場にフルカラーのイルミネーションを設置し、

開催期間中はローム京都駅前ビル「京の光歴」や

京都タワー塔体カラーライトアップと連携し協調演出を実施している。

地域一帯を光あるれるゾーンとして展開している。

京都タワーと京都駅北口広場は5ヶ月間、毎月テーマを変え、2月は紅梅をイメージしたとか。

特に京都タワーのライトアップをこんなに目の前に見たのは記憶になく、

手を合わせたくなるような心境になった。

この写真では左端にちょこっと写っているローム京都駅ビルもこのイベントに参加して

やはり紅梅のライトアップをしているが、これではわからない。

京都駅ビル室町小路広場にある171段の大階段は約1万5千個のLEDがちりばめられた

イルミネーションで彩られ、神社仏閣やお祭りなど四季折々の京都らしさが

グラフィカルに映し出される光の演出を堪能することができる。

この時期はおひなさま、梅の花、そして旅人へのメッセージなどが描かれていた。

10階の空中経過から下に見た大階段に描かれたアニメ。

色々な場所、角度から大階段のイルミネーションを見るとまた趣きが変わっておもしろい。

もう一つの光のファンタジー会場「スターブリッジ」。

ここ10階の空中経路(SKY WAY)では、雨や星空といった空模様をコンセプトに

没入感のあるイルミネーションが楽しめる。

30分ごとに季節感のあるカラフルな演出が行われている。

尚、空中経路は地上45m、全長147mのSKY WAYだ。

室町小路広場あたりからサウススクウェア、イーストスクウェア方面を見た1枚。

一番上の烏丸小路広場(京都駅ビル5階壁面)にはリボンのような個性的イルミネーションがあった。

こちらは京都駅ビル7階、東広場のLUNA GARDEN。

光の植物園をコンセプトにまるでおとぎ話の1シーンのような幻想的な空間を演出している。

この日はオリオン座、さそり座などの星座を映し出し、

まるで屋外のプラネタリウムみたいだった。

東広場から大階段に映し出された光のアートに思わずウットリ。

時が過ぎるのも忘れてシャッターを押し続けた。

 

 

 

それでは以上のものを動画でも撮りましたので、是非ご覧いただいて、

京都駅ビル「光のファンタジー」をお楽しみ下さい。

大階段①

大階段②

回廊

東広場

(2021年2月27日(土) 撮影)