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スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

祇園祭 宵山編

2022-08-30 06:21:08 | イベント

コロナ禍で2年間中止になった京都祇園祭が今年は3年振りに開催され、

前祭(さきまつり)の宵山は7月16日(土)になった。

古来、日没とともに1日が始まるとされた。

従って祭の1日は今日風に言えば前日の夜から既に始まっており、それが宵山だ。

祇園祭の宵山は各山鉾町の駒形提灯に灯がともり、鉾からは祇園囃子が流れ、

町会所などには山鉾の人形・織物・金具などが美しく飾られ、

お守りを売る浴衣姿の子供たちの童歌を聞くことができる

最も祭の風情が盛り上がる時である。

宿泊したホテルの前の通り、新町通りを下るとすぐのところに

後祭に出る「南観音山」の屏風祭的な展示がされていた。

飾られているうちわは日本画の巨匠・加山又造画伯が寄進されたものとか。

因みに屏風祭とは宵山の数日間だけ京都の町に現れる期間限定のミュージアム。

旧家・老舗がそれぞれ所蔵するお宝を公開する。

よく屏風が飾られるのでこの名で呼ばれる。

京都ではこのような日を「ハレの日」、日常の日を「ケの日」という。

宵山の日の早朝5:45の錦小路の「霰天神山」。

この山は一度も火難に遭っておらず「火除け天神」とも呼ばれている。

新町通りを下り、四条通りに出る手前に鉾を建ててある「放下鉾」。

この鉾はくじ取らずと言って巡行の順番は7番目と決まっている。

放下僧をご神体とする鉾で稚児人形「三光丸」を操り、優雅な舞を見せる。

鉾頭は日・月・星の三光を象徴する洲浜を光苔を表す2本の棒。

ご利益は厄除けと疫病除けだ。

高さ26m、重さ12トン(巡行時)と全山鉾の中で最も大きく重い。

鉾頭は三日月で装飾は細部まで豪華。

動く美術館とも称される。

近くで各々の山鉾を見て堪能できるのはこの宵山が最後のチャンスだ。

ご利益は厄除け、疫病除け。

中国の説話に残る郭巨とその子供をご神体とする「郭巨山(かっきょやま)」。

ご利益は厄除け、金運向上。

各山鉾はそれぞれのご利益がある粽(ちまき)を売っている。

「蘇民将来子孫也」の護符の付いた粽を玄関・戸口に飾り

1年厄除けと幸せを祈願する風習が今日まで伝えられている。

この粽は現在も京都近郊の人々により手作りされている。

古い粽は各山鉾へお納めし、17日に八坂神社へお納めする。

町に古くからある「菊水の井戸」にちなんで名付けられた「菊水鉾」。

鉾頭には天に向いた金色の16弁の菊花をつけている。

各山鉾には町会所があり、この鉾も町会所に廊下でつながっている。

ご覧のように車輪は近くで見ると大きく迫力がある。

菊花の印が印象的だ。

木の棒や竹は交差点の辻回しで使うものだろう。

ご利益は厄除け、不老長寿、商売繁盛。

こちらの鉾もくじ取らずの「函谷鉾(かんこほこ)」、巡行は5番目。

孟嘗君(もうしょうくん)が鶏の声によって

函谷関(かんこくかん)を脱出できたという故事にちなんだ名。

鉾頭の山形と三日月は函谷関の山中の闇を表す。

2019年に天水引を新調した。

ご利益は厄除け、疫病除け。

大陸の呉の国の史話から、病身の母のために雪の中から掘り当てた筍を

喜々として持ち帰る孟宗の姿を表す「孟宗山」。

見送りは竹内栖鳳の複製原画。

別名・筍山という。

ご利益は厄除け、親孝行。

「占出山(うらでやま)」、別名・鮎釣山は身重の神切皇后をご神体とし、

安産のお守りと腹帯を授与。

安産のお礼に奉納された衣装には名品が多い。

山鉾町の町会所では飾り席が設けられ、

山鉾のご神体や豪華な懸装品などの貴重な所蔵品が一般公開される。

占出山の前掛・胴掛けは日本三景の綴織で水引の36歌仙図は総刺繍だ。

ご利益は厄除け、安産。

唯一、生稚児(いきちご)を乗せ、2人の禿(かむろ)を従える「長刀鉾(なぎなたほこ)」。

古来よりくじ取らずで巡行の先頭を行く鉾。

鉾の舞台で披露される稚児舞と四条麩屋町での注連縄切りが見もの。

注連縄切りとは神域の境界を示す注連縄を切り落とし、結界を解き放つ習慣から始まった。

鉾頭は疫病雅悪を祓う大長刀。

ご利益は厄除け、疫病除け。

「鶏鉾(にわとりほこ)」の鉾頭には諫鼓(かんこ)と鶏の卵を意味するといわれている。

見送は16世紀ごろのベルギー製で国の重要文化財に指定されている。

ここで鉾と山の大きな違いについて述べてみます。

鉾には真木を支える鉾頭があり、

山には山岳信仰に基づいて山を表す真松が立てられることだ。

「綾傘鉾」は山鉾の古い形態を残す2つの大きな傘の形をした風流鉾が特徴。

鬼形は太鼓に合わせて棒を振り回す「棒振り囃子」を披露。

6人の稚児も巡行に加わる。

ご利益は厄除け、縁結び。

当鉾の吉符入り(きっぷいり)はこの大原神社で行われる。

因みに吉符入りとは神事始めの意味で7月1日の午前中に行われ、

約1ヶ月におよぶ祇園祭りが始まる。

路上には種々な屋台が出る。

この屋台はきゅうりの一本漬け。

「めっちゃひえひえ!」本当に美味しそう。

琴の名人であった伯芽が琴を割る場面を再現する「伯芽山(はくがやま)」。

ご利益は厄除け、技芸向上。

重要文化財の京町屋の代表的な建物の杉本家住宅も

大屋根葺替工事中にもかかわらず3年振りの祇園祭ということで

屏風祭に参加して一部を公開した。

受付に聞いたら1時間待ちということで諦めた。

平安時代の大和物語に書かれている謡曲「芦刈」より、それを再現した「芦刈山」。

芦を刈る翁の旧御頭は運慶の流れをくむ康運の作。

山鉾中最古とされる重要文化財のご神体衣装が復元新調され

新しい水衣とともに今年の巡行で使用される。

ご利益は厄除け、夫婦和合。

「四条傘鉾」は歴史が古く、始まりは応仁の乱以前にさかのぼる。

赤幣と若松を載せた傘そのものがご神体。

色艶やかな衣装をまとった地域の小学生が踊り方として巡行に進加する。

ご利益は厄除け、縁結び。

午後2時半過ぎ、通りにはだいぶ人通りが増えてきた。

着物や浴衣姿にうちわ、雰囲気いいですネー。

御所車の上からからくり仕掛けでゆっくり動くカマキリは愛嬌たっぷりの「蟷螂山(とうろうやま)」。

首をかしげて手斧を振り、羽を広げる姿は巡行の大スター。

1864年(元治元年)から117年間は巡行されていなかった。

ご利益は学問成就、招福除災。

午後3時ごろの新町通り。

人通りがどんどん増え、祭りの雰囲気も高まってきた。

それにしても新町通りに立てられた提灯は京都の街に似合いますネー!

新町通りのみやげもの屋さんにも山鉾のミニチュアが並べられて、

お客の目を引きつけていた。

夜の8時過ぎ。

山鉾の提灯に灯がともり、いよいよ祇園祭宵山の雰囲気は最高潮。

人も広い通りにいっぱい。

まるで満員電車状態だ。

1枚目の写真の右側の灯りは全て屋台の灯りで、ずーっと並んでいる。

コロナ禍のためか、ほとんどが小・中・高・大学生、若いサラリーマン・OL。

宵山のカップルは結ばれるという都市伝説が若者を煽る。

巡行時に山鉾の上で囃され「コンチキチン」と呼ばれ親しまれている祇園囃子。

諸種の芸能の影響を受けて室町時代末期に成立していたという。

用いる楽器は鉦・太鼓・笛に限られ、

一般に少年期に鉦方からはじめ、成人して太鼓方や笛方に移る。

夜の菊水鉾。

幽玄の世界だ。

放下鉾のおねえさん「チマキ他みな売切れどす。」

女性の京都弁は東男のスミダマンの心を揺さぶる。

いよいよ明日は午前9時から山鉾巡行だ。

「コンチキチン」の祇園囃子がいつまでも耳に響いている。

1150年続くコロナの厄除け祭りだ!!

 

 


2022祇園祭速報ダイジェスト

2022-07-26 06:24:39 | イベント

先日ブログで予告した通り新型コロナで2年連続中止、

そして3年振りに復活した祇園祭に行ってきたダイジェスト版を

速報としてアップしてみました。

詳しくは後日(予定日は未定)、宵山編、山鉾巡行編、神輿渡御編としてアップいたします。

乞うご期待!!

7月15日(金)午前10時50分頃、京都駅に到着。

この日は祇園祭宵々山の日。

駅にはこのような祇園祭の案内が何ヶ所かにあり、今からなんとなくソワソワ!

もっと言えばワクワク・ドキドキしてくる。

何せ祇園祭1100年の歴史で2年間中止になって3年振りの待ちに待った日が来たからだ。

祇園祭は8年前から以前の形に戻して山鉾巡行は7月17日の前祭(さきまつり)と

7月24日の後祭(あとまつり)の2回に分けて行われるようになった。

街角にはご覧のポスターが張り巡らされていた。

この地図には23基の山鉾の位置が記されている。

宵山の早朝の霰天神山がある新町通り錦小路通りのエリア。

15日16日は夕方から23:00頃まで歩行者天国の交通規制がかかる。

この車両通行禁止表示は宵々山の流れ(中京警察署)。

こちらは早朝の放下鉾。

この鉾はくじ取らずと言って巡行順番は7番目(鉾として)と決まっている。

なお、前祭の鉾は9基ある。

こちらはメインストリート四条通りにある月鉾エリア。

保存会によってこのように歩道に提灯ゲートが作られ、祭りの雰囲気を盛り上げている。

この四条通りには鉾が3基、傘鉾が1基、舁山が1基ある。

室町通りに面してある菊水鉾。

鉾と建物を結んでいる出入の橋の先は町会所があり、

この場で祇園囃子の練習が行われている。

祇園祭には長い歴史の中で生まれてきた独特の素晴らしさ、すごさがあるが、

その1つにこの山鉾を飾る懸装品がある。

この部分は胴掛といって一種の芸術、美術品で覆われる。

まさに動く美術館といわれる所以だ。

こちらは「占出山」の町会所。

祇園祭の準備や人形、その他の飾りの準備は町家と呼ばれる各山鉾のこのような町会所で賄われる。

そして祇園祭では町会所で御神体とそれぞれの秘蔵の宝が披露されているので

ここに立ち寄るととても楽しめる。

2015年1月から2017年5月までの不定期に放送されたNHK・BSプレミアムの

テレビドラマ・ドキュメンタリー番組シリーズ「京都人の密かな愉しみ」の中でも出てきた

棒振り囃子で有名な綾傘鉾。

1ヶ月間続く祇園祭の初日7月1日に行われる「吉符入り」が行われた大原神社の光景。

ここは「芦刈山」のエリア。

各会所では粽(ちまき)をはじめ、手拭、パンフレット、扇、大うちわなど

各山鉾の特徴あるグッズ、品物などを売っている。

今年196年振りに巡行(後祭)に復帰する「鷹山」のグループを発見。

後日、今年注目の鷹山のお囃子を紹介する予定です。

放下鉾のテント、道路周辺も宵山の午後(15:00)になると人の賑いが増えてきて祭の活気が出てきた。

こちらは山鉾巡行の最終通りになる新町通り。

道の両サイドに京都らしい、祇園らしい、番傘付提灯が並び、本当に良い感じだ。

人もだいぶ出てきた。

いよいよ夜8:30頃になり宵山の人出も最高潮に達してきた。

烏丸通りの風景と四条通りの提灯に明かりが灯った最も祇園祭宵山らしい1枚だ。

そして菊水鉾と霰天神山、山伏山、占出山が見渡せる室町通り、蛸薬師通りの交差点。

まさに祇園祭宵山の空気を精一杯感じられる場所・時間だ。

いよいよ山鉾巡行の朝(7月17日(日)午前9:06)を迎えた。

心配したお天気もOK。

この鉾は新町通りに設置されている放下鉾だ。

観覧席が設けられた御池通りには外国人の方もチラホラ見かけられ、

やっと国際観光都市京都の顔が戻ってきた感じだ。

山鉾巡行の辻回しが行われる御池通り河原町通りの交差点

(ホテルオークラ、京都市役所のあるところ)も

警察の交通規制が始まってきた(AM9:30)。

こちらが広い御池通りの両サイドに設けられた有料観覧席の風景。

このチケットも3年振りの祇園祭ということもあって数分でネット販売は売り切れてしまった。

 

 

午前11:00いよいよ先頭を行く「長刀鉾」が来た。

古来より長刀鉾はくじ取らずで巡行の先頭を行き、

唯一生稚児(いきちご)を乗せ、2人の禿(かむろ)を従えている。

ご利益は厄除け、疫病除け。

動画で是非コンコンチキチン・コンチキチンの祇園囃子の雰囲気を味わって下さい。

3番目が丹後守平井保昌と和泉式部の恋物語を題材とする「保昌山」。

この巡行の順番は籤取り式といって7月2日、京都市役所で各山鉾町の代表者らが

クジを引き当日の順番を決めるのが習わしとなっている。

なにやら見ているとスミダマンの席の向こうで山鉾が来る度に何か差し入れ物が渡されている。

これも何かの慣習なのか。

13番目の「鶏鉾(にわとりぼこ)」だ。

最初の長刀鉾が通過してからちょうど1時間。

続けてくる場合もあれば途中かなり間合いが開くこともある。

総じて優雅でのんびりした空気が流れていた。

スミダマンの席は前から4番目。

しかし1時間以上も経つと直射日光もあたりとても暑く、帰る人もだいぶ出てきた。

おかげで1番前の席へ移ると祭全体の感じがわかる写真が撮れた。

23番目の「船鉾」は、くじ取らずで巡行時、前祭のしんがり(最後尾)で

巡行する慣習になっている。

今年は長刀鉾からスタートしてこの船鉾まで2時間半かかっていた。

山鉾巡行が無事終わった翌日、早朝散歩に出ると朝6:30というのに

もう各鉾、山の解体作業が始まっていたのには段取りの良さに多少驚いた。

後日、聞いたところによると、山鉾の中には巡行で怨霊が集まり一時でも早く

払うため山鉾の解体を早くするとのこと。

と同時に後祭の「八幡山」の山建て準備が始まっていたのにも2重でビックリ。

 

 

とりあえず祇園祭前祭の宵々山、宵山から山鉾巡行まで、

そして翌日の解体作業の裏風景とあわせて後祭の準備風景まで

4日間の祇園祭ダイジェスト版を速報でアップしました。

詳しくは後日また紹介したいと思いますのでよろしく。

 

 


愛の保護猫プロジェクト

2022-06-20 06:01:20 | イベント

ゴールデンウィーク最終日の5月8日(日)埼玉会館において

「愛の保護猫プロジェクト(あつまれ!ねこ好き子供たち)」と称して

浦和東ロータリークラブ主催、さいたま市教育委員会後援による

保護猫譲渡会及び講演会を盛大に開催した。

このイベント企画について4月27日(水)の読売新聞朝刊・埼玉版においても

詳しく掲載され、事前PR及び当日の動員の一助にもなった。

この日のためのポスターもロータリアン手作りで

かわいいものを作成し様々なところに張り出し、広報活動にも努めた。

実際の運営主体は保護猫カフェ(川越店、大宮日進店)を経営している

「保護猫カフェねこかつ」さんにお願いした。

この2枚のポスターは、ねこかつさんのもの。

このイベント開催準備のために浦和東RCメンバーは前日から準備作業。

当日も朝9:30には集合して10:00開催に向けて朝礼・打合せ等を行った。

グリーンのジャンパーを着ているのがスミダマン所属の浦和東RCのメンバー達だ。

イベント開催に先立って開会のセレモニーを全メンバーで行い、

来賓の挨拶として保護猫カフェ「ねこかつ」の代表の方に

愛の保護猫プロジェクトの意義についてお話をいただいた。

そして10:30よりお客様の受付開始。

すでに多くの方が列をなして並んでいた。

このプロジェクトにはNHKのニュース取材チームも来て、

関係者インタビュー、ポイントポイントでのカメラ取材をしていた。

このニュースはお昼の首都圏ニュースで流れたそうです。

第一部講演会のトップバッターとして埼玉県生活衛生課長さんから

行政関係から見た保護猫の話がありました。

このテーマの関心の高さの表れか、ご覧のように用意した席はすぐ満席になってしまった。

開始間もない頃の会場風景です。

2つのブースを設けた保護猫の譲渡会の風景。

開始して10分も経たないのにすでにこんなにも多くの方々が来場して

嬉しい悲鳴が上がっていた。

開始約1時間前に「ねこかつ」の方々が譲渡会の保護猫83頭を投入、セット。

譲渡会場がニャーニャーと賑やかになってきた。

各猫には参考情報として名前、推定年齢、オスメス、保護場所、性格、

各病歴(例:不妊去勢手術、マイクロチップ済、猫エイズ陰性、白血病陰性など)が

カゴの上に提供されている。

その情報を見ながら各猫の前で真剣に向かい合っていた人たち。

特に女性と子供はカゴの前に立ってジーッと見て離れない姿が印象的であった。

ここで保護猫譲渡の流れを簡単にご説明いたしましょう。

①気に入った猫がいたらスタッフに諸々の情勢、譲渡条件を確認する。

②アンケートにお届け日時等の打合せ、記入。

この場での引き渡しはできない。

③お届けから1~2週間程度のトライアル(お試し飼い)を始める。

④トライアル期間終了後、本譲渡。

因みにこの日は41頭の里親希望の申し込みがあった。

会場の壁ぐるり3面には「ある犬のおはなし」物語コーナー、

保護猫・犬の写真パネルコーナー。

みんなイヌ、みんなネコ写真展が展示され、

ご覧のように多勢の来訪者が熱心に列を成して見ていた。

この展示物の中にはあまり知られていない保護猫情報のパネル展示もあり、

改めて「そうなんだー」と納得するものがあった。

「メス猫は年間最大4回の発情期をむかえ、ほぼ100%の確率で妊娠する。

一度で6頭の仔猫を出産する。」

「一対の猫から年間80頭ほど増える。

全国で1日800頭の猫が交通事故で死ぬ。

全国で年間約2万頭の猫が殺処分されている。

家猫の平均寿命は15年程で、外猫の寿命は5年以下」だそうだ。

「ある犬のおはなし」コーナー。

犬たちの殺処分の物語がさびしそうな絵で語りかけてくる。

こちらは殺処分される前の猫と犬の写真コーナー。

みんな怯えている表情が見る人に何かを訴えてくる。

特にモノクロの写真がよりリアリティを感じさせる。

この写真コーナーはペットの愛くるしさが全くないものが続き、気が滅入ってきた。

こちらは逆に愛されている犬猫の写真展

「みんなイヌ、みんなネコ」のコーナー。

前の殺処分コーナーとの落差があまりにもあるので、

この写真を見ていると心がホッとして救われた。

講演会第2部、保護犬猫シェルター「おーあみ避難所」

代表理事らのパネルディスカッション。

講演会第3部、一般社団法人「Free Pets」の皆さんの動物愛護の啓発、

不幸なペットの動物を減らす運動の活動報告。

友情出演としてタレントの浅田美代子さんも駆けつけてくれて

詩を朗読してくれた。

上記以外にもチケット、グッズコーナー、

プレゼントお渡しコーナー、猫の顔パネル記念写真コーナー、

DVD・PRコーナー、「みんなの声」メッセージコーナーなど

多彩なイベント企画となり、なんと当日来場者がおよそ2,000人という

大きな反響があり成果を多く得たイベント開催となった。

 

 


都をどり IN 南座

2022-05-25 06:02:13 | イベント

令和4年、南座公園「都をどり」のポスター。

舞台の美術意匠を手がけた日本画家・堂本印象の門人ゆかりの日本画家・三輪時子が描いた。

明治5年の創始以来、京都の春を彩る風物詩として戦中戦後の混乱期を除き、

百年以上の長きにわたり毎年欠かさず上演してきた「都をどり」。

戦後初となる2年連続の休演を乗り越え開催することとなった。

本拠地の祇園甲部歌舞練場は耐震対策により休館中のため、

平成31年に引き続き「南座」にて令和4年4月1日(金)~24日(日)公演。

https://miyako-odori.jp/

令和の御代を迎えて最初の公演となる本年は「泰平祈令和花模様」と題し、

王朝文化に花開いた美の世界に力強く躍動する武芸の数々を取り合わせ、

泰平の世を迎えられますようにとの祈りを込めて舞う。

稽古を重ねてまいりました芸妓・舞妓が心を合わせて舞う、令和初舞台です。

この日のために誂えた西陣織の帯と京友禅の衣裳を身にまとい舞う「罥歌」から始まり、

競馬で名高い上賀茂神社、蛍の飛ぶ夏の夕べ、手鞠遊びの洛中を経て、

平家物語でおなじみの八島・勝尾寺・宇治と宮廷文化、皇室ゆかりの場所を巡り、

夏・秋・冬と舞い進み桜が満開の仁和寺でフィナーレを迎える。

各3回公演、約60分。

主催者は学校法人八坂女紅場学園。

これは「総おどり」。

江戸時代の御殿舞を源流として祇園甲部でのみ受け継がれてきた

京舞井上流の舞の真髄と年ごとに新たな振り付けと趣向を凝らした

新作をご披露し続けるという「都をどり」の伝統はそのままに、

令和の御代もより良い舞台を届けられるよう「ヨーイヤサー」の掛け声で

幕を開ける令和・初舞台。

第3部 「夏座敷螢夕」。

京の花街(かがい/はなまち)は今日6つの花街がある。

ひとつはこの日の都をどり「祇園甲部」、

明日紹介しようと思っている「宮川町」(京おどり)、

一番古い歴史のある「上七軒」(北野をどり)、

鴨川と木屋町通りの間にある「先斗町(ぽんとちょう)」(鴨川おどり)、

一時は祇園乙部と称されていた「祇園東」(祇園をどり)。

この京都花街組合連合会に加盟する5地区を総称して五花街と呼ぶことがある。

これ以外に非加盟の「島原」を入れて6つの花街が京都にはある。

第4部 「京遊戯色々」

総をどりは季節の名所を群舞で紹介するもので、

衣裳は京友禅と西陣織の匠の手になる逸品で毎年新作を誂えます。

着物には平安遺族の乗り物であった御所車の車輪を意匠化した「源氏車」。

肩口の枝垂桜は都をどりの伝統です。

帯の輪つなぎは八坂神社の紋の1つである五瓜唐花に唐草を合わせた紋が入っている。

第5部 「那須与一扇的」

「都をどり」は明治5年第1回京都博覧会の附博覧(余興)として

時の京都府知事・槇村正直の発案のもと、祇園万亭(現・一力亭)

主人・杉浦治郎右衛門と三世井上八千代によって考案された。

以来、祇園甲部の舞は京舞井上流のみとされ、

家元の振付・指導の下で芸妓・舞妓が舞を披露してきた。

第7部 宇治浮丹 夢一夜

(昭和の南座と歌人・吉井勇)

昭和時代は第二次世界大戦により一時中断したが、昭和25年に本拠地の祇園甲部歌舞連場から

南座へと舞台を移して復活公演を行い、歌人・吉井勇は晩年のすべてを作詞に捧げ、

小説家・谷崎潤一郎や、日本画家・堂本印象らとともに

昭和時代の都をどりを華やかに彩りました。

明治5年の創始以来、毎年京都に春を呼ぶ風物詩として新作をご披露してきた「都をどり」。

その会場、大正2年建築の祇園甲部歌舞練場は国の登録有形文化財の指定を受け、

花街祇園の特徴として百年以上に亘り皆様に親しまれてきた。

平成28年秋より現行の耐震基準を満たしていないとの事で休館、

令和5年「都をどり」開催を目指して工事が進んでいる。

なお、隣りの弥栄会館は将来帝国ホテルに変わる予定。

今年都をどりが行われた京都四条「南座」は松竹が経営している。

近代建築に桃山園の意匠を取り込んだ地上4階、地下1階の建物は国の登録文化財となっている。

南座の歴史は江戸時代慶長年間(1596~1615)初期に起源を発し、

元和年間に官許された劇場で同一場所で今日まで興業を続けてきたという意味では

日本最古の劇場である。

平成28年(2016年)から本格的な耐震工事を行うため休館となった。

その後、平成30年(2018年)9月28日に工事が完成、竣工した。

10月27日には南座新会場記念行事として「南座開場式」「南座新会場祇園お練り」が開催された。

南座は歌舞伎を中心にした公演を行っており、特に毎年11月末日から12月末まで

行われる吉例顔見世興行は京都の風物詩となっている。

この時には役者の名前を勘亭流で書いた「まねき」と呼ばれる

白木の看板が劇場の入口にずらりと並べられることで有名だ。

ちなみに客席数は1082席。

飲食店や売店もある。

西の出入口のところには「阿国歌舞伎発祥の地」の碑がある。

慶長8年(1603年)この辺り鴨河原において、歌舞伎の始祖「出雲の阿国」が

初めて歌舞伎をどりを披露したと伝えられている。

 

 


ガチャガチャIN駅構内

2022-03-04 06:34:05 | イベント

浦和駅では中央改札口を出てすぐの浦和駅前東西自由通路で

ずーっと駅前物産展(産直市)が行われている。

東日本大震災以降は東北各県の復興事業の一環として

各県の産直市がしばらく続いたのを思い出す。

その当時の阪本未来子・大宮支社長は、その重要性を強調していた。

このガチャガチャフェアは2月22日から28日の1週間行われた。

この企画は浦和駅と大宮駅同時で開催されたらしく、

民間企業の若手が立案したとTVで報道されたらしい。

因みに2月はウォーターサーバー販売会、

いちご販売のものマルシェ(福島地産品)、九州物産展、

ショコラステーション、青森産直市が実施された。

ガチャガチャは3段重ねになっていて1個200円、300円、400円などで売られている。

このような台数が4面、口の字に並べられ一体何台あるのだろう。

なかには「残り僅か!」のステッカーが貼られているものもあり、

こちらの女性係員が一生懸命補充をしていた。

一体このガチャガチャの中にはどんなものが入っているのか興味津々。

ガチャガチャの一角にそのサンプルがショーケースの中に飾られていたので

やたらパチリパチリしまくってしまったのがこの7枚です。

売られているフィギュアは種々雑多。

良いものもあれば、何これといったものもある。

フィギュアマニアにはこれがたまらないのだろう。

買われて開けられたプラスチックの球がゴミ箱に捨てられていた。

「兵どもが夢の跡」といった感じ。


2022 Jリーグ開幕 今年の浦和レッズ

2022-02-22 06:30:42 | イベント

2022年度のJリーグが開幕した。

サッカーの街・浦和のおらがチームの浦和レッズは今年3ヶ年計画の最終年度。

目標はただ一つ「Jリーグ制覇」だ。

リカルド・ロドリゲス監督を招いて2年。

この2年、特に今年は今までレッズの顔になっていた

ベテラン勢が去り、大きくチームが変わった。

阿部勇樹の引退、槙野智章・興梠慎三・宇賀神友弥・山中亮輔・汰木康也などの移籍、

逆に才能多き若手が新たに多数入団してきた。

まるで新しいチームになってしまったような変化だ。

昨年末に天皇杯優勝、そして2月12日に富士フイルム・スーパーカップで

川崎フロンターレに勝利し勢いがあったはずだが、

開幕前にトップチーム選手やスタッフの多くが

新型コロナウイルスに感染し、出鼻をくじかれてしまった。

そのためか初戦、アウェイの京都サンガ戦に敗れてしまい、

良いスタートが切れなかったのはとても残念だ。

Jリーグ制覇を目指す今年の浦和レッズのメッセージは実に強烈だ。

「HUNGARY FOR VICTORY」

(三度の飯より勝利が欲しい)

最強で、最高の「勝利に飢えた集団」になる。

勝利に果てしなく貪欲な仲間と。

野心むき出しで、周りにも闘志を焚きつける仲間と。

結果にこだわり、勝利しか眼中にない仲間と。

浦和コルソのコル通りでは「2022シーズン開幕直前!

浦和レッズ応援特設ブース」が設けられていた。

このポスターはセンターに昨年の夏に入団したばかりの

酒井宏樹が陣取り(唯一の日本代表選手だから当然だが)、

左にはえぬきの関根貴大、あとは最近移籍してきた選手。

これを見ても随分変わってしまったと感じざるを得ない。

今年、浦和レッズは設立30周年を迎えた。

これが今年のホーム&アウェイとキーパーのユニフォーム。

今年の最大の特色は久し振りに襟付きになったこと。

浦和レッズのポスターを囲んで等身大の選手のパネルが展示され並んでいた。

先頭はイケメンのデンマーク人選手キャスパー・ユンカー、

その後ろに2度目のキャプテンをやる西川周作。

反対側の先頭には浦和出身の若き有望選手・伊藤敦樹、

その後ろに昨年の夏に移籍してきた注目の江坂任、

そして昨年入団した期待のマルチプレイヤー・小泉佳穂、

今やレッズの顔となる立場になった責任重大の関根貴大。

次節2月23日(水・祝)はホーム開幕戦。

そのヴィッセル神戸戦のポスター。

今やヴィッセル神戸はスペイン・FCバルセロナからの

アンドレス・イニエスタをはじめ、多くの大物選手が集まっているチーム。

その中に浦和レッズから移籍したお祭り男・槙野智章もいる。

本来なら当日はさぞ多くのブーイングが出るところだが、

コロナ禍の中でどんな雰囲気になるのやら?

両チームとも初戦を落としただけに絶対に負けられない試合となる。

浦和レッズはこの試合に負けるとスタートダッシュに失敗したことになり、

立て直しに時間がかかってしまう。

早くも重要な試合を迎えた。

 

 

 

 


ニューポッポくんデビュー

2022-01-18 06:28:38 | イベント

2021年12月22日(水)浦和駅で華々しくデビューしたニューポッポくん。

このデビュー前に浦和警察署内で私達の浦和地区安全運転管理者協会はじめ、

警察協力3団体から浦和警察署に寄贈式を行ってきた。

毎年恒例の浦和駅駅頭での2021Xmas交通安全キャンペーンを

コロナ禍で感染防止対策を充分とりながら今年も実施した。

今年の主役はこの日にお披露目になった埼玉県内2人目?のニューポッポくん。

ここだけの話、ポッポくんを新調するのに約100万円もかかってしまいました。

最新のポッポくんだけに従来よりもずっと軽く、毛並みも素晴らしいとの事です。

この日の夕方近くの浦和駅構内の風景。

階段のある向こう側が伊勢丹、コルソがある西口方面。

新駅になってすっかりパルコのある東口方面の方が視界が広くなってしまいました。

Xmasキャンペーン開始前の準備風景。

キャンペーン横断幕を張り、飲酒運転撲滅ののぼりを立ててスタンバイOK。

安管役員約20名が新調したベストを着てサンタの赤い帽子をかぶり、

人気のキャンペーングッズの交通安全トイレットペーパーを配布した。

(2021-1-7ブログ参照)

埼玉県警マスコットのポッポくんは2003年10月に

マスコットキャラクターとして県民の鳥「シラコバト」を

モチーフにした「ポッポくん」が誕生した。

浦和警察署交通課長曰く

「中に入る人は大きくても小さくても太っていても駄目。

ちょうど良い男性交通課員を選んで入ってもらった。」と。

この日のポッポくん、小さな子供連れの親子はもちろん、年配者にも大人気。

皆さん記念写真を撮らせて下さいと寄ってくる。

この小さな女の子はポッポくんに抱きついて離れない。

まだ新品で毛並みが良いので感触がよくていつまでもこうしていたいのだろう。

交通事故防止キャンペーンも終わり、ポッポくんも一仕事を終えて

帰路に向かう為エレベーターの中に消えていった。

この時の姿はマスコットのぬいぐるみではなく、人間臭さを見てしまった。

この日の駅頭のもう一つの主役がこのガンダムであったが、

ポッポくんが登場した時はすっかり脇役になってしまい、

子供は1人もそちらへは行っていなかった。

 


東商渋沢ミュージアム

2022-01-15 06:33:37 | イベント

昨年はNHK大河ドラマ「青天を衝け」にすっかりハマってしまったスミダマン。

昨年最後のブログ「記憶に残る2021 BEST 5」でもベスト1にノミネートしたくらいだ。

その「青天を衝け」11月5日に放送した第34回の最後に流される「紀行」で

東京商工会議所の中にも渋沢ミュージアムがあるのを知り、年末に行ってきました。

その時、流れていた映像を撮ったのがこの3枚の写真だ。

東商渋沢ミュージアムの入口の所に掲げられた看板

「令和によみがえる渋沢栄一」。

開館時間は平日10:30~16:30(土日祝休館)で誰でも見ることができる。

入館料は無料。

先ほどのTV映像にも出ていた渋沢栄一の銅像が東商ビルの1F受付の横にあった。

渋沢栄一は東商の初代会頭なのである。

それにしても渋沢栄一の銅像の数は多いですねー。

これが東商渋沢ミュージアムの全容。

見ての通り2つのコーナーに分かれ、規模は小さいが、

ここでしか見られない貴重な資料も展示してある。

大河ドラマ「青天を衝け」などの映像を流していたコーナーと、

東京商工会議所140年にわたる歩みと称して歴代会頭の紹介がされていた。

こちらのコーナーには東商初代会頭・渋沢栄一の人物、偉業に迫る

貴重な直筆書類や銅像などを多数展示してある。

行ったこの日は、ここに居る間は誰も見学者が来ず、

時間をかけてじっくり見学できたのは最高でした。

ここにも東商創立140周年、新ビル竣工記念に

深谷商工会議所から寄贈された初代会頭・渋沢栄一像で

やや小ぶりなものがあった。

他に関東近隣にある渋沢栄一の主な銅像10ヶ所の写真が飾られていた。

これを見ると今まで随分と多くの銅像を見たつもりだが、

まだ半分しか見ていないことがわかった。

資本主義の父といわれた渋沢栄一の生い立ちと生涯、

社会福祉への貢献、日本経済への貢献、

そして道徳経済合一説などの資料が展示されているコーナー。

渋沢栄一はなぜ現在の東京商工会議所を設立したのか?

「世論をつくるために」「設立を主導し初代会頭に」

そして「1878(明治11)年に誕生」したことが書かれている。

これがなんともすごいが渋沢栄一が関わった当時の481社の企業。

現在のみずほ銀行、JR東日本、東京ガス、東京証券取引所、

日本赤十字社といった幅広い分野の事業の育成に携わった。

渋沢栄一 雅号 青淵の直筆の書の額と掛軸。

栄一は本当に沢山の書も残している。

東京商法会議所議員醵金領収簿。

横には副会頭・福地源一郎の名が。

福地は東京日日新聞社、現在の毎日新聞社の社長を務めていた。

渋沢栄一、当時65歳の時の会頭辞任説明文。

これは貴重な資料だそうだ。

東商ビル1Fの所に置かれた東京商工会議所のコーナーにも

渋沢栄一の想い受け継ぎ明日を創るというメッセージが書かれている。

東商創立140周年を機に建てられた丸の内二重橋ビル。

地下4階、地上30階のビルで、

東京商工会議所以外にビル内に東京会館がある。


浦和レッズ 天皇杯優勝

2022-01-08 06:45:11 | イベント

昨年12月19日(日)新国立競技場で行われた

第101回 全日本サッカー選手権大会の決勝戦で

浦和レッズは大分トリニータとの戦いを2対1の劇的な勝利で

浦和レッズとしては4年ぶり4度目の優勝、

三菱重工サッカー部時代を含めると通算8度目の優勝を果たした。

今回獲得したカップが、さいたま市の浦和パルコ、

続いて浦和伊勢丹で展示していたのでカメラに納めてきました。

浦和パルコ4階の特設会場では12月20日から12月25日まで展示されていた。

ご覧のように天皇杯カップを取り囲むように6人の代表的選手の

等身大パネルが立ち雰囲気を盛り上げていた。

この決勝戦を見た方は鮮明に覚えていると思いますが、

ラスト10分前にお祭り男・槙野智章を投入。

その槙野がロスタイム3分にヘディングでゴールを決め劇的な勝利であった。

まさにサッカーはこんなことがあるのか?といった

筋書きのないドラマをこの試合は地で行ったような決勝戦であった。

これにより浦和レッズは目標である

来季ACL(アジアチャンピオンズリーグ)への出場権を獲得した。

「We are Back ASIA」だ。

因みに出場する他の3チームは川崎フロンターレ、

横浜Fマリノス、ヴィッセル神戸だ。

浦和パルコのお店の外には市民広場に向かって2021年を戦った

浦和レッズのリカルド・ロドリゲス監督をはじめ、

全選手の集合写真が張り出されている。

「浦和PARCOは浦和レッズを応援しています。」

浦和パルコはグランドフロアである1階・2階において

2007年の開業以来最大規模のリニューアルを昨年の秋に行った。

そのPRイメージポスター「しあわせ、つくるぞ。2021 NEW 装 浦和PARCO」

そして、おめでとうセール開催中(12.20~12.25)のポスター。

浦和パルコの展示が終わったと思ったら12月26日より

今度は浦和伊勢丹で始まった。

伊勢丹は1階のエレベーター前、ティファニーの隣りという賑わいのある場所の為、

専属のガードマンが付いていた。

パルコに続いて同じ写真になりましたが、

100年以上も続く歴史ある天皇杯をご覧ください。

さあ、今年は念願のJリーグ制覇だ。

 


伊勢丹浦和店 京都展

2021-11-25 07:09:36 | イベント

伊勢丹浦和店で待望の京都展が開催されました。(10月13日~10月18日まで)

今回で地方展のブログアップは第3弾になります。

何と言っても京都展ですからワクワク・ドキドキします。

「伝統とモダンの競演」これが今回の京都展のタイトル。

サァー、どんな出会いがありますか?

期待してしまいます。

ヨオーッ、いきなり来ましたヨ、「出町 野呂本店」。

当店は今読んでいる柏井寿著の

「おひとりからのひみつの京都-カリスマ案内人が教える48の歩き方」に

出てくる一押しの漬物屋さん。

出町桝形商店街の近くにある京漬物屋さんで、

この日は若大将が店頭に居て大いに京都談義で盛り上がった。

店主お勧めの千枚漬は超最高。

あまりに美味しいので翌日また買いに行ったが売り切れだった。

7階催事場の全体光景その1。

緊急事態宣言が解除されて約半月。

だいぶ人の賑わいが戻ってきた。

御室仁和寺の「佐近」。

京の季節料理をやっている。

はも源平寿し、定番・京の鯖寿し、煮穴子寿司などだ。

会場光景その2。

右手は鞍馬・くらま辻井のうなぎ山椒煮。

奥は西陣・五辻の昆布。

どの店もコロナ感染予防のビニールカーテンが下っていて、

会話が聞き取りにくい(マスクもあるし)。

手前が御陵・丹波路宮本商店の「丹波極上ぶどう黒豆」と

奥が清水産寧坂「藤菜美わらび餅・ほろり」。

宇治・中村藤吉本店の生茶ゼリイ(抹茶)。

隣りには祇園・原了郭の黒七味と寺町二条の村上開新堂のロシアケーキ(終了)もあった。

京都清水の藤菜美のわらび餅3色など。

七条御前・東東来の九条ねぎと牛すじの煮込み。

好評につき売り切れましたとの事。

木屋町松原・賀茂とうふ近喜の青碧豆腐。

御所西・京生麩大野・麩まんじゅう。

桝屋町・河道屋倖松庵のにしんそば。

上賀茂神社境内すぐきや六郎兵衛のすぐき。

京野菜のすぐきを売りにしているようだが、今はお茄子が一番美味しいとか。

長岡京市・うお寿の竹の子姿ずし。

派手な赤いのれんは京都っぽくない。

会場光景その3。

右側のみたらし団子の売場辺りは混み合っている。

京名物みたらし団子の由来。

下鴨神社の御手洗(みたらし)祭には別名「足つけの神事」とも呼ばれ

御神体の井戸から湧き出る清水に足をつけ健康を祈願する庶民的な祭りです。

この井戸から沸き出る泡をかたどって作ったと言われていて、

5串ついているのは人間の五体を表している。

東山・義定刃物・京刃物。

特別提供品は三徳包丁 20点限り 5,500円(刃渡り18cm)。

創業360年だそうだ。

京都はそういう町だ。

堀川御池にあるごまの専門店、ふかほりの金つきたてごま。

この女性は長い棒でずーっとごまを叩いてすっていた。

大原の工房・藍の館の藍染めウエア・雑貨。

いつの時代になっても藍あるいは藍色は惹かれるものがある。

特に今、渋沢栄一の深谷を訪ねて、より惹かれるものが強くなっている。

紫野上門前野・大徳寺のさいき家のだし巻弁当。

さいき家は創業1933年の京都仕出し料理の専門店だ。

丹後網野名物のとり松のばらずしは今や我が家の定番となってしまった。

伊勢丹には定期的に販売に来ているし、京都駅構内でも売っていてよく買う。

このおすしは全国でも京都・丹後地方のみに古くから伝わる郷土寿司だ。

会場光景その4。

右側は京伸の京じめ(〆サバ)、とり山卯吉の鶏の黒酢南蛮九条ねぎ和え、なちやの漆器。

一方左側は千丸屋の東寺ゆば、京都和旬の京出汁巻・穴子太巻寿司。

これだけでも京都の名店通りだ。

その中の一軒、京都錦小路の京都和旬の京出汁巻・穴子太巻寿司は今回新登場だそうだ。

人気No1、No2、No3と表示してあって買いやすい。

こちらは向日市にある東洋竹工の竹製品。

また、京都の御朱印帳、先箋、栞、書包みなどを扱っているコーナーもある。

こちらは今年の春、モーニングを食べに行ったイノダコーヒーさんのコーナー。

今回、抹茶と栗のモンブランとアップルパイを買って帰ったが、

この2つは甲乙付け難いほどハイレベルの美味しさで、

もっと買ってくればと後悔するほどの素晴らしい味だった。

これはもう病み付きになりそうなほどだ。