思考の部屋

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ハーバード白熱教室では語られなかった「良心」(1)・一元論二元論の世界

2010年10月22日 | 哲学

 「ハーバード白熱教室の衝撃」という放送を見るとそれなりの衝撃はあったようです。 
 対話型の講義というものを見て、私自身もかなりの衝撃を受けました。この対話型の講義を学校の授業に生かせないかという教育界の反響は理解できるのですが、議会にとり得たらという国会議員の意見には、そもそも何かが見えていないように感じてなりませんでした。

 そもそも国会は本来いろんな人が集まっています。学びの場とは異なり国会には、利権を求める人から純粋に世の中をそれなりに住みよい社会にしたいと思う人まで、ピンからキリの人々が集まっています。事実善悪のいろんな人がいることはご承知の通りだと思います。

 一方サンデル教授の対話型講義には、何かを学ぼうという学生らの意志による学究の熱意が示されます。議論内容で善悪は語られますが、そこには悪の語らいがあってはならないのです。
 
 どういうことかと言うと、発言する側には悪意があってはならないということです。その例が、千葉大学の小林正弥教授が指摘された「サンデル教授の講義テクニック」の中のアメリカのハーバード白熱教室で討議された「善き生を追及する」の中の同性婚の論議に見ることができます。、

 ハナという女子学生が男子学生マークに「失礼ですがマスターベーションをしたことは?」という質問、倫理的に個人批判になるようなことは、サンデル教授が三人称で、と女生徒を制しました。

 このことが端的に対話型講義の根本にある中傷誹謗ということをしてはならないという「善」に根差した基本原則が示されていると思います。当然ヤジも禁止されます。

 対話型講義は、良心に従った学生による自由な、自己主張が大前提です。誹謗中傷、ヤジ、混乱を招くようなそんな対話型の討議ではないのです。

 サンデル教授はその点についてはインタビューでも話しませんでしたが、そもそも学生の授業の場であることから語らないのであって、将来の白熱教室の在り方についても結局はグローバルな世界観をもった学生、それも良心的な学生の育成を前提に話されていることから解ります。

 対話型講義をこのように見た時、「善悪」の討議内容ではなく、語る側の善悪という良心のことに興味を持ちました。話し合いの中の語る側、聞く側の良心のことです。

 過去に「良心」についてブログを掲出したことがありますが、視点が全く異なりますので改めて何回かにわたってこの「良心(りょうしん)」について書きたいと思います。


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 東京都港区で昨年8月、耳かき店従業員江尻美保さん当時(21)とその祖母の2人が殺害された事件の裁判員裁判が19日から東京地裁で始まりました。

 死刑の求刑もあり得るこの裁判、選ばれなかった裁判員候補者からは「ほっとした」「抵抗はなかった」といった声が上がった、との報道もありました。

 最新の裁判では参考人として女性定員の勤めていた店の店長が被告人の死刑判決を希望するとも取れる強い怒りの証言がされていました。

 さて参考人が裁判官の前で証言する場合、事件者のドラマでもよく行なわれていますが、証言前に「宣誓書」を読むことが刑事訴訟法第154条にに規定され、刑事訴訟法規則第118条の2項には、「宣誓書には、良心に従って、真実を述べ何事も隠さず、又何事も付け加えないことを誓う旨を記載しなければならない。」と規定されています。

 民事訴訟法での証人も同様の宣誓が義務付けられており、「良心に従う」ことが正義の実現に不可欠な要素であることが法律上示されています。

 「良心」と聞くと憲法第19条の「思想及び良心の自由」規定を思い出される方もあるかと思います。国は個人の内心にもつ「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とするこの条項、精神的自由権として最大限保障されなければならない権利です。

 この「良心」という言葉が入った、「思想・良心の自由」の意義ですが、憲法の教科書では、通説は、両者(思想・良心)を厳密に区別することなく一括して捉えています。
 
 倫理的な性格を有する問題についての考え方が「良心」であり、そのほかの問題についての考え方が「思想」であると一応区別できるが、憲法19条で両者が全く同じに扱われている以上、しいて両者を区別する必要はないと解する。という理由からです。

 「良心」とはどういう意味なのか、具体的な話になると憲法の教科書でははっきりしません。ではいったいどういう意味かということになります。そこで辞書を引いてみます。

 一般的な国語辞典(三省堂)では、

 自分の行いに対して、善悪を判断する心

 広辞苑では、

何が自分にとって善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪をしりぞける個人の道徳意識

と書かれています。善悪を判断する心の葛藤をも含むような書き方になっています。

。日本には良心に似た言葉で「善心(うるわしきこころ)」という言葉があることを以前ブログで取り上げたことはあります。この言葉「善心」ですが書かれているのは古事記で、古事記で、天照大神の言葉として弟君速須佐之男命の心の内を表現する言葉として「不善心」が使われています。荒ぶる弟須佐之男命の心は善くない心だというわけです。

 「善」という漢字からも明らかですが、善心を言った段階で「悪心」は退けられていますので良心=善心ではないことは確かです。

 「善悪を判断する心」「善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪をしりぞける個人の道徳意識」から解るように、良心は二元的な判断の場の中の概念であることが分かります。

 一方「善心」はそもそも一元的であり、悪心を前提としない「善心」があるかないかの場で語られています。そもそも善心であって、悪心はその後の生成過程にあるとでも言っているように思います。

 宣誓書に従った「宣誓」の中の「良心」を語るものの中には、聞く側に「嘘があるはずはない」「不誠実な話であるはずがない」「正直な話であるはずだ」などの思いをもたせています。

 しかし宣誓すること自体が、不善の傾向を示しているのであって、「どうか誠実で、正義を語って欲しい」という希望的観測なのです。

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 このように「良心」には一元的な概念の場と、二元的な概念の場が存在します。二元的な場については、先ほどかこのブログの話をしましたが、その際に、東北学院大学の石川文康教授の「良心論」について紹介しました。内容は次のとおりです。

<引用>

 「良心」は、英語の「コンシエンス(conscience)」、ドイツ語の「ゲヴィッセン(Gewissen)」という言葉の訳語で、哲学者の東北学院大学石川文康教授は「良心論 名古屋大学出版会」の中で「良心」という言葉について次のように語っています。

 ヨーロッパ語族の語源のラテン語・ギリシャ語から推定して

 ①「世間と共に知る」
 ②「神と共に知る」
 ③「自己自身と共に知る」

がこの言葉の根底にあると石川教授は述べています。

 ①②は、自分の行為を自分以外の他者と照らしあわせるという意味において「他律的良心」「神律的良心」と呼ぶことができるとしています。

 それに対し③については良心を自己自身の営みとして捉えてるという意味から自律的良心と呼ばれるべきものだとしています。

 ②の場合の「神」は語源をたどれば、ギリシャの神々が含まれるわけですが、旧訳・新訳の神と見たほうがよいように思います石川教授は、同書の主眼が③の自律的良心にあるので多くを語っていませんが「神律的良心」について、

 良心は明らかに「神と共に知る」であり、「良心の声は神の掟の声である。」またバルト本人の情熱を反映して、良心とは「最高に驚くべき共同知[=共に知る]である。それがたとえわれわれの内でのことであれ、「良心いおいてはわれわれ自身の声は、まぎれもなく神の声である。」

と語り、「神律的良心」は、「少なくともヨーロッパ・キリスト教世界二千年の連綿たる歴史を背景にしている。」ということです(以上同書P17参照)。

<引用終わり>

 このように、二元的な場における「良心」が語られています。法律の先生が上記のとおり二元的な判断を前提としているのは、この言葉が明治維新後の西洋哲学、法学が輸入された際の訳語であるからということが分かります。

 それまでこの「良心」という言葉がなかったかと言うとそうではなく、この訳語にしたときの知識人がこの言葉をあやふやな概念知識で知っていたからです。

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 今朝はここまでとしますが、ハーバード白熱教室では「良心」は語られませんでした。コミュニティといってもアソシエーションのコミュニティ、つまり共通の関心および目的のためにつくられた集団でもある分けで、共通善はそもそも存在しているのです。

 それでもなぜサンデル教授は「善き生」のための「共通善」を語るのかそこが大きな問題ですが、「白熱教室の衝撃」このことに対する言及は全くありませんでした。

 なお一元的な「良心」は孟子の世界になりますが、次回のブログとします。

 今朝の写真も今年の夏山の北アルプスです。

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