9月20日付で「坂本龍馬脱藩の道・土佐梼原のおもてなしの心」という記事をアップしました。坂本龍馬の土佐藩脱藩の際に最後にもてなした土佐梼原(とさ・ゆすはら)、現在の高知県梼原町に伝え続けられている「おもてなしの心」の話でした。
「おもてなし」という言葉、とても響きのよい言葉です。「もてなす」という言葉に「御(お)」という接頭語が付いた言葉、「おもてなし」の語源は何か?
「坂本龍馬脱藩の道・土佐梼原のおもてなしの心」では、この言葉の語源については探求しませんでしたが気になっていましたので、今朝はこの言葉について書きたいと思います。
とりあえずサイト検索を行ってみると、
「おもてなし」の語源は、「モノを持って成し遂げる」という意味です。
表裏がない。
などと説明するサイトがあり、接客に関係するサイトがほとんどでした。
「おもてなし」という言葉の基本的なことですが、この言葉は上記で書いたように「お」【御】[接頭語]+「もてな・す」【もて成す】[他サ四]ですから、「もてな・す」という言葉に視点を置きます。
「もてなす」という言葉は辞書を引くまでもなく、人を接待する意味のある言葉だと誰にでも理解できることだと思います。
接待という行為は、どこの国でも行われることですから日本語の接待に対応する言葉はどの国にもある、ということもまた誰にでも理解していただけるかと思います。
私の場合、新約聖書の
ルカによる福音書第10章38節から42節
一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎い入れた。この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言葉に聞き入っていた。ところが、マルタは接待にことで忙しくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った。「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください。」
王は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り坂り去ってはならないものである」。
という神の子イエスを村に向かい入れるマリヤやマルタの話を思い出します。
くり返しますが、神の子や他人を”もてなす ””接待 ”する、この言葉の概念は万国共通の話になりますので、比較文化論的なことについては言及しません。
今朝は、三省堂・ベネッセの古語辞典を基本に使用します。
<三省堂>
もてな・す【もて成す】[他サ四]
① 執り行う。処理する。
② わが身を処する。ふるまう。
③ 取り扱う。待遇する。
④ 世話をする。大切にする。
⑤ もてはやす。言いそやす。
⑥ 客人を歓待する。ごちそうする。
<ベネッセ>
もて-な・す【もて成す】[他サ四]
① 執り行う。処理する。
② わが身を処する。あるそぶりを見せる。ふるまう。
③ 待遇する。取り扱う。
④ 世話をする。大切にする。
⑤ もてはやす。言いそやす。珍重する。
⑥ 歓待する。ごちそうする。
となります。ここで視点を現代語の「もてなす」に移しますが、冒頭の方では、普通に感じるところで接待の意味を説明しましたが、ここでしっかりと調べてみたいと思います。
使う辞書は岩波書店の広辞苑です。そこには次のように説明されています。
もて・な・す【持て成す】[他四]
① とりなす。とりつくろう。たしなむ。
② 取り扱う。あしらう。
③ もてはやす。
④ 大切にする
⑤ とりもつ。ふるまう。馳走する。
⑥ 世話をする。
と書かれていますが、不思議に「接待」という言葉が掲載されていません。そこで逆に「接待」を広辞苑で引いてみます。辞書には次の様に書かれています。
せっ・たい【接待・摂待】
① 人をもてなすこと。もてなし。あしらい。
② 仏家の布施の一。路上に湯茶を用意し、往来の人に施しふるまうこと。信者の篤志によっても行われた。接待茶。門茶(かどちゃ)
③ 能の一。
と説明され、「もてなす」には接待という言葉はありませんでしたが、①から”もてなす=接待 ”ということになるのが論理的な話だと思います。したがって「もてなす」とは「接待」することでよいと思います。
次に今度は、視点を個人的な好きな古語の「せったい」の世界を見てみます。三省堂を使用します。
せったい【接待・摂待】[名]
① 特に、通行する修験僧に布施として湯茶などをふるまうこと。
② 陰暦七月初旬から下旬まで、寺の門前や境内で湯茶などを往来の人に施しふるまうこと。「門茶(かどちゃ)」ともいう。
と、この言葉が古語であること、岩波と重なる部分がありさらに歴史的な言葉の世界を見ることができます。
土佐の梼原の昔から伝承する旅人をもてなす場所である東屋(あずまや)を思い出す。旅人の安全を思いやる場所、今では戦国の歴史好きな人々が多く訪れ、梼原の人々が今も変わらずおもてなしを行っています。
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