思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

「うつろい」という最後の言葉

2009年02月22日 | 仏教

やまと言葉の「うつろ」「うつろい」については、
世界遺産
「うつろい」と「無」
で「思考の部屋」に掲出してきましたが、仏教ではどのように語られているのかを昨日考えてみました。

 朝からの暖かい陽射(ひざ)しについうれしくなり、きのうは安曇野市のすぐ隣の村、松川村まで行ってきました。

 安曇野は手前勝手な見解ですが、どこを見ても絵になる風景画のようです。

 わが心を駆りたたせてくれ、出無精の解消、これはありがたいことです。
 
 四季のうつろい、さきほど絵になる風景画という表現をしましたが、ここからわけの分からない表現をします。

 「うつろい」という動態性の表現を風景に観るとき、その風景に見入るこころは静観的な、留まりの中にありません。

 鈴木大拙先生は、

 「般若は動態性で静観的ではないのである。『行即知、知即行』で知と行と同一の処に、般若が成立することを忘れてはならぬ。(「生活の中の 般若心経 山田無文 春秋社」の序 鈴木大拙P3から」

といっています。

 風景が、般若と何故。それは言葉で語るよりも、そのままに、そよ風のように通り過ぎます。

 「風景=智慧にあらず。」と五蘊の情報をそのままにおごりの世界で見るよりも、皆空(みなくう)と知恵を智慧に転じます。

 ※注: 曹洞宗の天桂禅師は、このお経(般若心経)こそ大蔵経すべてを包摂するものであり、たった二百字余りのこのお経の文々句々は日月星辰、草木虫魚、山河大地のすべてを現すものだと言う(般若心経講話 鎌田茂雄著 講談社学術文庫P16から)。

 さて、松川村は、大町市に近く雪の多いところに近いこともあり一昨日の積雪がまだ残っていました。

 積雪の風景は、道元さんの「雪」の世界にみるように私には無限の広がりの「うつろい」の世界を感じます。そこに陽が当たり輝きを増すと目がくらむほどに光の圧力を感じます。

 写真には清流が写っています。音の世界と流れの世界。山を見ると燕岳、有明山は強風により雪が雲のように流れています。

 仏教での「うつろい」の世界の話に戻しますが、私は宗教学者でも仏教学者でもないのでお釈迦さまの言葉をサンスクリットやパーリー語で理解することができませんが、ありがたいことたくさんの先生方が理解しやすいように日本語で語ってくれます。
 
 その中で今日は、増谷文雄先生の本から引用したいと思います。増谷先生の本は手元にかなりあるのですが(読んだとは言えません)、ちくま文庫の「仏教百話」からです。

 松岡正剛さんの「うつろいの国」の「うつろい」に根柢では重なる部分もあると思うのですが、「うつろい」という「やまと言葉」がお釈迦さまの言葉にでて来ます。

 ここで増谷先生の書籍から引用させていただきます。

 仏陀の最後のことば(長部経典、16、大涅槃経。長阿含経、2-4、遊行経)
 侍者のアーナンダ(阿難)が言った。「世尊よ、まことに稀有なことでありますが、いまや、一人の比丘も、教法につき、僧伽(そうぎゃ)につき、あるいは、実践の方法について、すこしも疑問を残しているものはいないと信ぜられます。」仏陀は静かにうなずいて、やがて、また、比丘たちに言った。「では、比丘たちよ、わたしから言おう。<この世のことはすべて壊法(えほう)である。放逸なることなくして精進するがよい。>これが、私の最後のことばである。」そして、じっと目をとじて、永遠の寂静にはいった。(仏教百話P169から一部引用)

ここに書かれている「壊法」という言葉を増谷先生は、

 壊法---vayadhamma の訳。すべてはうつろうものであることの意。

と解説しています。

 当然のことですが増谷先生の阿含経に関する他の書「阿含経典による 仏教の根本聖典 大蔵出版」「原初経典 阿含経 筑摩書房」もすべて「壊法」という言葉が使われています。

 お釈迦さまの入滅の様子は、パーリ語の涅槃経、説一切有部の涅槃経、その他の法蔵部の遊行経(長阿含経)がありますが、「諸行は無常である。」「万物は無常である。」「もろもろの事象は過ぎ去るものである。」などと訳されています。

 山田無文老師は、「遺教経講話 春秋社」で「世は皆な無常なり」と、友松圓諦先生は「仏教聖典 講談社学術文庫」で増谷先生と同じく「壊法」を使い「諸行(つくられたるもの)は壊法(やぶるる)なり」などと訳しています。

 「この世は、うつろいゆくものである」とよく言われるこの言葉は、お釈迦様の最後のことばです。

 仏教というインドでお釈迦様の説かれた教えは、東国の島国に今日まで残っています。日本のもつ風土、人の歴史的身体的な感性が、時の流れの中で松岡さんの言う「編成」しながら残すような自然(じねん)にあるように思います。

 「うつろい」というと「留まりたるためしなし」と悲しみの刹那主義に感じますが、うつろうからこそ一刹那の輝きがあると思います。

 雪上の陽の輝きはとてもきれいでした。

       
       


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