ブログにコメントを寄せていただけるのは嬉しいのですが、私に何を求めたいのか理解しがたいものも多く、どうしようもないのは削除しています。好意的であるのかそうでないのか、凡人である私はし方がないので削除しますが、過去の仏教ブログへのコメントですので縁をもたせ今朝は雪ですので早めの出勤に遅滞が生じしない範囲で書きつづりたいと思います。
原始仏教典中村元選書の「犀の角」を読んでみた話[2012年06月11日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/b938781b4f0aff3870d300d96b5bb5c5
に書かれたコメントで、
>そういえば、どうせ愚民どもには俺の教えは分かりはしないと考えてたシッダールタはある時、梵天にその教えを広めてくださいと、お願いされて仕方なく教えを広めたんだよね。
という内容で、「俺の教えは分かりは」の主語たる俺は「お釈迦様」のことで梵天勧請の話を私に教示しているわけです。
私のブログの書き出しが、
<自宅に帰り久しぶりに仏教サイトを見ると原始仏教典のスッタニパータの「犀の角のようにただ独り歩め」の話が書かれていました。仏教学者の中村元先生の訳の話について書かれてて、本当かなぁという話なので分厚い中村選書の「犀の角のようにただ独り歩め」の35-37番を見てみました。第6章「慈悲」に書かれ次のように解説されていました。>
中村元先生の「犀の角のようにただ独り歩め」の話に関するブログに私が知り得ていることとは異なる内容であったので個人的なメモとして書いたのですが、どうもそれを読んだ人が「何を思ったのか」私のブログに書き込みをする決意をさせたようです。
Unknown (麩)というネームでサイトリンクも無く何処のどなたかどのようなお考えなのかよくわからない方からのものです。
「仕方なく教えを広めたんだよね。」
という言葉にネガティブな感情を感じます。その実存的吐露に向かわせた梵天勧請とはどのようなお話なのか、明治期から現代までのお釈迦様物語があるのですがその中から取り出しやすかった(全集なので)すずき出版の「仏教説話体系」から第40巻「仏陀の教え」からこの「梵天勧請」を引用したいと思います。
<「仏陀の教え」から>
伝道の決断
釈尊……とわれわれは呼ぶことにしよう。ブッダガヤーの菩提樹の下で真理に目覚めて、“ブッダ(仏陀)”になられた方である。″釈迦牟尼仏″″ガウタマブッダ″と呼んでもよいが、近年は“釈尊”なる呼称のほうが一般的である。そこで、われわれはその一般的な“釈尊”といった呼称を採用することにする。
十二月八日、菩提樹の下で成道を宣言された釈尊は、それからしばらくの間座禅を続けておられた。
<自受法楽>---仏典はその間の釈尊の有様をこう記述している。ご自分が発見された法 (真理)をじっとご自分で楽しんでおられたのである。牛が食物を反すうするように、釈尊も真理を反すうして味わっておられたわけだ。
時間はある意味で停滞していたのかもしれない。あるいは、三七、二十一日間という時間が一瞬のうちに流れ去ったのかもしれない。ともあれ、釈尊は菩提樹の下に座り続けておられた。
実は、釈尊はその時こんなふうに考えておられたのである。
--- わたしの発見した法(真理)は難解である。凡人には理解できそうもない。凡人にそれを説くのはむだであろう。愚なる大衆に法を説くとき、わたしにはただ疲労のみが残る……。だから法を説くのをやめよう。自分はこのまま静かに涅槃に入ろう。
涅槃とは、燃え盛る煩悩の火の消えた状態を意味する語である。「静けさの境地」とでも訳せばよいか……。釈尊は悟られた真理を胸に秘めたまま、永遠の世界に帰還されようと考えておられたのである。
しかし、それではわれわれのこの世界はやみに閉ざされたままである。釈尊が発見された真理でもってこの世を照らしていただいてこそ、われわれに救いがある。
「世尊よ、どうかわたしたちに法(真理)を説きたまえ……」
それがわれわれ世人の願いである。その願いを代弁したのが梵天(ぼんてん)であった。
梵天はインドのバラモン教の神である。バラモン教の神が天界からやって来て釈尊に懇願した。
「世尊よ、衆生のために法を説きたまえ」
だが、釈尊はその要請をはねつけられた。
「わたしの悟った真理は難解である。怠惰と放恣(ほうし)のうちにある一般世人が理解できるものではない。それを説いても、わたしにはただ疲労のみが残るであろう。わたしはこのまま涅槃に入るつもりである」
梵天は必死になって懇請を繰り返す。しかし、釈尊は二度日の懇願をもにべなく拒否された。梵天はそれにひるむことなく三度日の懇願をする。
三度目、釈尊はようやくにしてその懇願を受け入れられた。
「では、わたしは法を説こう」
釈尊は伝道を決意されたのである。
わたしたちはここで確認しておきたい。釈尊は初めから伝道を考えておられたわけではない。ある意味ではわかりきったことだが、釈尊は伝道を前提にして悟りを開かれたのではなかった。逆である。悟りを開かれた後で、その開かれた悟りを人々に教示しょうと考えられたのであった。
梵天というのは、たぶん釈尊の内面で行われた対話(「伝道しょうか……」「いや、わたしの教えを世人は理解できないかもしれない。だからこのまま涅槃に入るべきではないか……」といった迷いの心理)を表現するために、仏伝作者が登場させた人物であろう。
梵天と釈尊との対話は、伝道に対する釈尊の躊躇が大きかったことを意味する。
そして、迷いに迷った末に釈尊は決断された。
---人々に法を説こう……。
その法が、つまり釈尊によって人々に説かれたその教えが“仏教”なのである。“仏教”.とは、文字どおり「仏陀の教え」という意味である。
<以上上記書p15~p19>
最近森繁久彌さんの詩から「人の心は 変わらない」という言葉について書きました。上記の梵天勧請とどのようなつながりがあるのか、私はどちらかというと生命哲学が好きですから直感でものを言いますが「お釈迦様も人である」という感動です。
私たちと変わらない人間であること私は梵天勧請に感動するのはそこです。
コメント者「Unknown (麩)」の「仕方なく教えを広めたんだよね。」という吐露。心から漏れるその言葉。これこそが人間的であると思うのです。コメント者と変わらない仏陀がそこにいます。
仏は蓮の花の台座の葉の一枚一枚の数ほど変化(へんげ)します。コメント者の心にもその変化の現れが現れているように思います。「万物来たって我を照らす」今まさに吐露のその瞬間に我が身が気づけば「涙こぼるる」と気もあるように思います。
なぜ私はその衝動に走るのか・・・・。
人間ですから理由をもっているはずです。自由意志で平等に誰からも何も言われることも無い開かれた存在である「わたし」がそこにいます。
お釈迦様の縁がなければこう言うコメントもしなかったでしょう。また私自身がそのようなブログを書くことも縁です。
お釈迦様はバラモンたちの聖典であるヴェーダの権威を認めませんでした。ウッパニシャッドが主張する宇宙原理の実在性を認めず、お釈迦様やそのお弟子さんたちはウッパニシャッドと同じようには自己と宇宙との同一を主張しませんでした、が別の方法で「自己と宇宙の本来的同一性の経験」を追求したのです。それが縁起説です。
インド哲学の歴史の本にはそのように書いてあり誰もが承知のことだと思いますが、経験から知り得たこと、縁起説を自分のものとすることは大変難しいこと、お釈迦様は凡人には理解できないだろうと思惟する一方、「万物来たって我を照らす」その目覚めは御自身のうちなる慈悲の声を感応させたのかも知れません。
ブッダの伝記を読むと、聖人らしからぬ逸話が結構あってびっくりしますね。誕生直後の「天上天下唯我独尊」はうかつに読むと傲慢な印象を持ちますし、出家で妻子を捨てるのも道徳的にはどうかと思いますが…。でも、覚る前の人間シッダールタに魅力を感じていました。
しかし、上記の記事を拝見して、覚った後も人間ブッダであった、という視点を新たにいただきました。確かにそういう面もあるかもしれませんね。
釈尊は、自分の悟りが「一般人」に理解不能であると考えていたのでしょうか?
私にはそうは思えません。
釈尊は、悟りの境地は「誰に対しても言葉で伝えることは出来ない、この私自身に対してさえも」、と考えていたのではないでしょうか?
自分の考えを確立するためには、まず、自分の言葉を自分自身がまるで他者のように聴き、解釈し、吟味する必要があります。いわゆる「自問自答」です。
人生の意味や価値について徹底的に自問自答する時、必ず、「問う私」と「答える私」という「自己分裂」が起きます。
根源的な問いを引き受けようとすれば、即座に、「私は他者であり、他者は私である」という、とんでもない矛盾に身を投じるしかありません。
「私も他者も結局ひとつ」などと情緒的に言って済ませられれば何の矛盾も苦しみもありませんが、「自他」の絶望的な断絶の深みに降りようとせずして、どんな有意味な思想が成り立ちうるでしょうか。
「私が辿り着いたのこの境地(?)は私自身に対しても言葉で伝えることができないのだから、まして、他人に伝えることなどできるはずがない」という断念があったのではないでしょうか?
この「他人」とは、まず第一に釈迦自身であったのではないでしょうか?
つまり、釈迦が当初自らの考えを伝えることを断念していたのは、伝えるべき相手がどんなに優秀であろうが、どんなに愚鈍であろうが、まったく無関係であったということです。
人間とは「問う」存在と考えると「自問自答」となりますが、人間は「問われている」存在であると発想転回すると、いかに自分が人生に期待されている存在であるかに気づきます。
「梵天勧請」とは、本来あるべきお釈迦様のお姿になる自己超越を語っているのではないかと思うようになりました。