MA社会研究所情報

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全共闘運動はどうだったのか。1968年に始まった学生、市民の反体制運動。

2012-02-14 14:26:33 | Weblog
1968年にフランス、アメリカ、日本など世界中で市民や学生が自由に主体的に反体制運動に参加し、デモやストが多発した。アメリカのベトナム戦争に反対して世界中でデモやストが起きた。女性解放や性の解放、ロックの流行などの文化革命も起きていた。中国では毛沢東が主導する文化大革命がおきて学生のような紅衛兵に資本主義の道を歩む旧指導者が批判され自己批判させられていた。
日本政府側は機動隊で弾圧してデモやストを抑え込んだ。1969年1月18、19日には東大安田講堂占拠を解除した。たてこもった学生は火炎瓶や石を投げて抵抗し機動隊と攻防戦になった。その後は運動参加者が減り学生生活や就職活動に向かっていき、人々はサラリーマンになり全共闘運動は消えてしまった。
全共闘運動を回想する本を読んで、忘れていたり知らなかった当時の状況を確認した。慶応大学の場合を書いているのは1946年生まれの法学部政治学科の人で、中国訪中団に参加して中国文化大革命を体験し、日吉の自治会活動でストを指導した人だった。
慶応大学では米軍資金導入拒否闘争が起きた。1968年6月3日の朝日新聞、毎日新聞で米国の細菌戦研究を慶応大學でしているという記事が出た。自治会は理事会見を要求した。6月30日に自治会が大學本部の塾監局を占拠したが、すぐに解除した。7月1、4、5日に日吉学生大会が開催され、2000人以上が参加してストを決議した。教室のいすと机で大學の入り口の道に長さ100mぐらいのバリケードを築いた。活動家は夏休みも泊まりこんで占拠を続けた。資金はカンパでまかなった。党派セクトの対立も起きた。塾当局は右翼学生を組織化した。9月10日塾監局を活動家が占拠した。10月3日に会議に出かけているうちに右翼学生が塾監局に入り占拠が解除された。10月18日に三田で全塾学生大会が開かれたが委員長代行が右翼に暴力を振るわれ中止になった。日吉の学生大会は11月2日に開催されバリケードが撤去された。120日におよぶストが終わり、授業が開始された。
1969年5月にも学生運動を規制しようとする大學立法に反対してストが行われた。9月5日に日比谷野外音楽堂で全国全共闘結成大会が開かれたが、セクトのアジテーションばかりだった。9月7日に三田に機動隊が入った。バリケードも撤去された。10月13日に日吉のバリケードが撤去された。
知らなかったことがわかった、おぼろげな記憶しか残っていないがこういう状況だったのだ。
資本主義が危機になっている現在も、老人全共闘が再結成され、人員削減や年金の削減に反対することになるかもしれない。

大地震に強いはずの高層ビルが大きく揺れる。大阪で3mの揺れ幅でビルが壊れた。

2012-02-14 00:49:55 | Weblog
テレビで、地震に強いはずの高層ビルが地震と波動が一致すると大きく揺れて被害が出るという。東日本大震災では遠くはなれた大阪の高層ビルが3mも揺れて壁などが壊れた。地震の振動周期と高層ビルの振動周期が一致すると大きく揺れる。東京のスカイツリーでは塔の固有振動数は8秒周期で大きく揺れるが、心柱が中に通っていて振動を抑えて減らすようになっている。どの様な地震が来るかでゆれ方が違うようだ。