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さくらんぼ 母ときた道 (2007/中国=日)(チャン・ジャーペイ) 65点

2009-05-30 15:41:17 | 映画遍歴
主人公は知恵遅れの母親と捨て子で拾ってきた子供なんだが、僕には歩行障害が多少あるためにやむを得ず知恵遅れの女性を娶った男に関心が行く。

歩行に少々障害あるからと言って結婚の妨げにまでなると言うのも中国農村らしいと言うべきか、不思議な閉鎖社会である。知恵遅れの女性を娶ったのはいいが、労働もままならず、ましてや家事すべてが男の背中にかかってくるのだ。大変だなあと思う。

それでも、男は小さいながらも一応幸せの中にいる。女も好きなセックスが待ち遠しい毎日を送っている。つつましいが十分幸せの世界に浸っている。

そんな幸せな生活が崩れるのが、女が捨て子を拾って来てから以降のことである。女はまるでお人形のごとく子供を可愛がり手放さない。ことあるごとく桜桃を与える。当然、夫への関心もなくなりセックスも遠ざかる。

中国の一人っ子政策は捨て子と言えど子供がいれば実子さえ持てなくなる。男は悩み子供を他の夫婦に預ける。すると、当然女は狂乱したように(知恵遅れだから表現に困るが、、)町を彷徨する。汚れ、衣服は破れ乞食同然である。

村人に注意され仕方なく子供をまた引き取り女を家に戻す。子供は成長する。しかし、物心つく頃から知恵遅れの母親を疎ましくなってくる。邪魔なのだ。恥ずかしい気持ちもある。母親のためにいじめまで受けるようになる。

いじめた男の子に怪我をさせたということで、近所の親が金を払えと抗議に来る。男は急に箒を持って知恵遅れの母親を叩き廻る。涙なしには見れないシーンである。子供が泣きわめく。仕方なく近所の親が帰っていく。

これは男の芝居であった。金がないから、女を叩きまくった。貧乏がそうさせたという。リアリズムの映画なんだが、でも何か迫り来るものがない。演出なんだろうか、、。

男の生活が描かれていないせいではないか、と思われる。血の繋がらない子供を育て、女とはセックスさえ出来ず、悶々とただ働く男の日常。その男のほうからの生活描写が欠落しているのだ。

女はある意味知恵遅れなので、感情はほとんど出ていないように描かれている。子育てというより人形を可愛がっているような、まるでただ生きているだけの、通常の知恵遅れのように描写されている。子供は幼少だ。だとすると、当然男の人生に光と影がさすわけだが、その部分がほとんど描写されていない。

最初から母への感謝をナレーションで繰り返し告げられても、何か無機質な母親像を見させられている感じがして、こちらの心に入っていかないのである。僕にとっては淡々と生活をしている男のほうに関心が向かうわけなのであるが、映画は父親への描写には消極的で、母親への思いを桜桃に託しているというモノローグでこの映画は終る。

うーん、何かハナシは切なくて悪くはないが、気持ちが入っていない映画ではないかなあ、と思う。中国の農村の貧乏と言う一面を切り取った映像かもしれないが、それだけで終ってしまう映画のような気がする。掘り下げが足りないのかなあ。ちょっと不満です。

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