現代風にアレンジした『スタンド・バイ・ミー』ではあるけれど、やはり少し違う。彼らは子供にして早、人生の苦難と悲しみを知ってしまった希求する子供たちであった。だからこそ奇跡をと願う、、。
お兄ちゃんが母親に、弟が父親にそれぞれ分けられ育てられることになる。昔はこんなことはあまりなかったことで、それぞれの親のエゴが底流に流れている。離婚は仕方ないことであるが、兄弟を分離させるのはもっとひどいことなの . . . 本文を読む
劇場に入る。両サイドに客席が分かれる。それぞれ30人程度の小さな劇場。というか、普段は練習場にもなっていそうな平面の場だ。中央にテーブル2つと椅子が何脚も乱雑に積んである。客席は熟年者が多い。この出し物からはそれは容易に想像できる。何といっても秀作中の秀作の呼び声高い本作品。期待は尽きない。
映画化されたアメリカ映画が超有名だ。ヘンリー・フォンダの代表作だろう。アメリカ映画史でも10傑には入ると . . . 本文を読む
この人の作品は「告白」に続いて2作目。印象はほとんど同じ。作風、一人称の告白ものの連作という意味でも同一線上。そして何よりこの作品に表出する悪意、毒。もうやたらぷんぷん臭う。
途中で何度投げ出したいか思ったかわからない。それほど厭な内容なのである。けれどやめられないもどかしさ。これは現代のミステリー文学の盲点なのかもしれない。こういうものが売れるということは現代人に何か欠けているものがあるのだろ . . . 本文を読む
テレビドラマも秀逸な出来で期待していたのだが、映画はさらに極上の昇華を感じさせるほどの蒸留酒となった。
通常の犯罪ものにならないところがいいね。【永作博美】 は最後まで犯罪者で、誰をも責めたりはしない。そして誘拐した女児にも両親にも感謝こそすれ謝罪はない。あくまで自分の信念で起こしたことがらであり、そういう意味では前向きだ。まずそこがすこぶる爽快だと述べたい。(通常の活字を追っただけでは悪名高き . . . 本文を読む
何か古いフランス映画のような香りは持っている。しかし、それなのに不思議と僕の心に沁み通らなかったヘンな映画でもある。やはり男の気持ちに一本、びしっとしたものがないからかなあ、、。
冒頭の異国籍乱痴気騒ぎから地下駐車場までの疾走風景はなかなかよろしい。車両も外車でなくトラックというのも逆に洒落ている。しかしこの映画のセンスが光るのはそこまで。
男の、女を思う気持ちの強さは暴力的でなかなかいい。現 . . . 本文を読む
1970年前後。僕はまだ20歳前。この当時は大学生であることは僕には十分大人であるように思っていた。その2,3年の違いは現代に比べ飛躍的に大きい。大きすぎる。そして僕にとってこの映画は遠い世代の二人の男の話である。
現代と違い当時は政治が民衆とは完全にかけ離れていた時代であった(例えば休日高速料金無料だの、子供手当だのそんな庶民的な施策はあるはずもない)。政治家たちは金権闘争にあけくれ、民衆は自 . . . 本文を読む
本格ミステリーという触れ込み。そしてみんなあっと驚くと言う僕の好きなジャンル。ということでじっくり読ませていただく。
冒頭に事件があり、季節に分かれた4つの小ミステリーが設定されており、いかにも短編を好む作家の味わいが強い。そして底辺を流れる冒頭のミステリーの真相がラストで明かされるわけだが、これが何ともスゴイ方法を採っている。世界のミステリー史上でもこの手はまだなかったのではあるまいか、と思わ . . . 本文を読む
予告編から大阪人は絶対見なければならない、との信念で見ました。大阪を空白の時間にしてしまうほどの出来事とは一体、、。でも、うーん、ちょっとなあ、と言う感想かなあ。
会計検査院が主役の映画って初めてではないかな?これが結構決まっていたけど、【中井貴一】の解決篇の説明も早すぎるし、大阪人の僕が見ていて、こんなことあらへんやろと思われるほど奇想天外でもないカラクリなのだ。どうせやるならもっとドカーンと . . . 本文を読む