Sightsong

自縄自縛日記

コーヒー(1) 『季刊at』11号 コーヒー産業の現在

2008-04-12 15:01:44 | 食べ物飲み物

コーヒーは、中毒とまでは言わないが毎日手で挽いて飲んでいる。仕事中もないと困る。昔、イエメンのバニーマタル地方にモカ・マタリの木を見に行ったことや、コロンビア大使から直接コーヒー豆を頂いたことなんかを自慢にしている。しかし、いまの流通のことや、フェアトレードの背景のことなんかは今ひとつ知らなかったので、『季刊at』11号(特集・コーヒー産業の現在、2008年3月)を読んだ。

まず辻村英之「コーヒーのグローバル・フードシステムと価格変動 生産国タンザニアと消費国日本を事例として」によって、生産者価格と消費者価格とのあまりの乖離、それから、その乖離から得られる利益の大半が日本に輸入されてから発生しているとする分析に驚く。

論文から、2時点のグラフを作ってみた。


図 タンザニアから日本までのキリマンジャロコーヒーの価格変化(1998年、99年)
(辻村英之「コーヒーのグローバル・フードシステムと価格変動 生産国タンザニアと消費国日本を事例として」により作成)

こうみると、極めてアンバランスである。その上、他の論文も含めて読んでわかってくることは、

○輸出入価格は、概ねニューヨーク先物価格で決まる。従来は、この価格をブラジル産豆の収穫状況が大きく左右していたが、その比重は近年弱まり、投機的にもなってきている。
○輸出入価格の変動は、生産者価格に直結するが、消費者価格にはあまり影響を与えていない。すなわち、国際価格が暴落したときにダメージを受けるのは専ら現地の生産者である。
○コーヒーは、現地での生活の糧として依存度が高く、国際価格によって生活が左右されてしまう。また、たまに高騰すると植付が増え、再度の供給過多を招くという「悪循環」がある。
○国際コーヒー機関(ICO)では、国際価格安定化のためにさまざまな統制を行ったが、うまく機能しなかった。一方ではWTO体制は価格安定政策を嫌っている。
○最大のコーヒー輸入国である米国は、中南部の貧困層向けに安いコーヒーを確保したい思惑がある。また長らくICOに加盟していなかったが、2005年に再加盟した理由は、テロ対策としてコーヒー社会での国際協力が有効だとする安全保障面の考えが働いたと言われている。これによらず、極めて政治的な側面が多い。

といったところ。日本国内で単価が上がっているとはいっても、チェーン店以外の喫茶店はたぶん苦しいのだろう。高田渡のうたう「コーヒーブルース」や、旨いコーヒーを飲むたびに「ヒクヒク」していた殿山泰司の日記なんかを思い出したりして、最終消費地での喫茶文化と生産者の経済とを同列に並べて考えるわけにはいかないとも思う。とは言っても、本誌には東ティモールやタンザニアでのコーヒー生産確立に向けたいろいろな取り組みが紹介してあり、一概には判断できないだろうが、大手チェーンでコーヒーを飲むことの消費者としてのスタンスを考えてしまう。


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2 コメント

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Unknown (satoru)
2008-04-19 20:02:36
手で挽いてらっしゃるんですね。私は缶コーヒーですが、毎日欠かせません。見習って豆買おうかな。
話変わりますが、与世山さんってBilly Holidayというシンガーとよく比べられるんですね。確かにYoutubeでみると似た部分がありました(^^;
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Unknown (Sightsong)
2008-04-19 22:14:56
satoruさん
コーヒーを淹れるための一揃いは損にはならないですよ。豆を挽くところは、カメラと同じで、手でがりがりと回すほうが癒しになるようです(笑)。「インターリュード」では電動ですが・・・。これとドリップがあればとりあえず完璧です。
「沖縄のビリー・ホリデイ」と称されるのは与世山さんと大城美佐子さんですが、それぞれにその話をすると嫌そうな反応でした。オリジナリティに関して強烈な矜持があるのですね。というわけで、怖いので口に出さないことに(笑)
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