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自縄自縛日記

伊藤章治『ジャガイモの世界史』

2019-07-02 08:05:47 | 食べ物飲み物

伊藤章治『ジャガイモの世界史 歴史を動かした「貧者のパン」』(中公新書、2008年)を読む。

ペルー原産のジャガイモがヨーロッパに伝わったのは16世紀のことである(インカ帝国を滅ぼしたスペイン兵のお土産)。それ以降の拡がりが、ブリュージュのフリット博物館にいろいろと展示してあり楽しい。

最初はお金持ちがちょっとだけ育ててみる程度だったらしい。それが爆発的に拡がったのは、気候変動や度重なる戦禍による食糧不足のためである。すなわち寒冷地でもちゃんと育ち、工夫すれば備蓄ができ、栄養価が高い。ジャガイモが世界各地に伝わっていなければ、現在の人口もずいぶん違ったものになっていただろう。コーヒーがヨーロッパの黒い血液だったとすれば臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液』、ジャガイモは黄色い活力である。

そんな重要な役割を担った食べ物であるから、歴史にもいろいろなところで関与している。英国の苛烈な支配に苦しんだアイルランドの住民たちは、小麦を英国人地主に納める一方で、残りの土地でジャガイモを育て生き延びた。それでも単作の弱さ、疫病が発生し、多くが米国へと移民として逃れていった。アイルランドの人たちを支えたのも、またケネディやレーガンの祖先を米国に連れていったのも、ジャガイモの影響である。驚いた。

日本には1600年頃にジャカルタから長崎へと伝わった。ジャカルタの旧名ジャカトラがジャガイモの名前の由来とされる。ここでもいろいろと苦闘の歴史があったようだ。アンデスは寒冷地であるから、長崎ではなかなか育たず、品種改良が進んだ。また、昭和初期の東北の凶作では、十分に種イモを育て蓄えるなどの対策が出来ておらず、ジャガイモの力が及ばなかったという。

中央アジアや東欧などジャガイモ食が盛んな場所に比べて、日本の一人当たりジャガイモ消費量は1桁少ない。こんな話を聞くともっと食べたくなってくる。そういえば本八幡駅の近くには、「じゃがいも」というジャガイモ料理専門店がある。ランチではいろいろな種類のジャガイモをひとつのプレートの中で試すことができる。こんどライヴのついでにまた行ってこよう。

●参照
ブリュージュの中世絵画とビールとフライドポテト


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